第二章①

『生ける屍─死鬼とは、生前の自我や記憶を全て失っており、創造者の意のままに動く、廃人兵なり。夜更けとともに目を覚まし、夜明けとともに眠る、夜の眷族。その動きはあたかも、生者の如し』


 そんな妖怪目録の記述を参考に、城下町にある蔡家へと帰宅するや否や、紫晃が睡蓮の部屋を用意し、仕事の担当時間を夜間に割り振ってくれた。

 庭を中心に敷地の四方を取り囲む形をした建物の中で、紫晃をはじめとする住み込みの使用人の住居棟は邸の表玄関に近い場所に配置されている。

 紫晃が身の回りの品を取りに行っている間に、陽琳は一足先に睡蓮とともに部屋に入る。

 しばらく使われていなかった空き部屋とはいえ、隅々まで掃除の行き届いた室内には、簡素な寝台と机と椅子、衣装櫃と化粧棚など、一通りの調度品は揃えられている。

 部屋に入るなり、睡蓮は部屋の中を物色するように、家具一式を見分し始めた。

「ふぅん。皇族というからには、もっと豪奢な家に住んでいるかと思いましたのに、思ったよりも地味ですのね」

「うちは皇族とはいえ、分家の一つに過ぎないもの。生活費に関しては、父様が文官として働いている収入でやりくりをしているのよ」

「随分と謙虚な方ですのね。ですが、質素に見えてなかなか質のいい物を使っていますわ。華美ではないですが、丈夫で長持ちする素材を使用しているのではなくて?」

 やや満足そうに頷いているあたり、どうやらお気に召したようだ。

「私はそういうことはよく知らないのよね。多分、うちの家財は基本的に紫晃が注文しているんじゃないかしら?」

「紫晃……ああ、先程の男ね。愛想がない上に無礼な輩でしたけど、なかなか趣味はいいじゃありませんの」

 妙に気位の高い睡蓮が紫晃を褒めるのを聞いて、陽琳は内心鼻が高くなる。

「紫晃は何でもできるのよ。頭も凄くいいし、手先も器用だし。おまけにあの顔でしょう? うちなんかの家令でいるのが、勿体ないくらいだわ」

 それに睡蓮は少し首を傾げた。

「顔の良し悪しはともかく、そもそも家令とは、本来そういうものなのではなくて? 主人の好みや動きを理解し、主人を立てるために振る舞うのですから、何でもそつなくこなせなければ務まる仕事ではないと思いますわよ」

「そうなの? 他の家令を知らないから、紫晃だけがすごいのだと思ってたわ」

「呆れた。貴女、そんなことも知りませんの?」

 睡蓮からどこか馬鹿にしたような視線が向けられる。

「家令の努力を無にすることなく享受し、堂々と振る舞うことが主の務めですわ。それはお父上だけではなく、貴女にも言えること。家令がしっかりしているということは、その教育を行っている主の質……ひいてはその家全体の質を示すことにつながりますのよ」

 主人の務めなど意識したことはなかったが、紫晃の働きぶりには納得できる点が多い。

 同時に、紫晃ならば、他のどんな仕事であってもそつなくこなしてしまう気がする。

 高級官吏に進む道を捨てて、一家令になった紫晃の真意はわからない。だが、彼が自ら選んだ生き方について、陽琳がとやかく言うことではない。

 それよりも陽琳には気になることがあった。

「睡蓮ったら、そんなことをよく知ってるわね。記憶がないって言っていたけど、日常的な知識はそのまま残っているのかしら?」

 陽琳の質問に、睡蓮は配置されていた衣装櫃の蓋を閉じながら、はたと動きを止めた。

「そういえば……そうですわね。こういった日常品の材質、用途などの判別はできるみたいですわ。記憶というよりも、身体に染みついている感性……といった感じかしら」

「感性……。つまり、そう言ったことが判別できるような身分だったか、教育を受けていたってことかしら。じゃあ例えばだけど、これが何かはわかる?」

 睡蓮の知識を確かめるべく、陽琳は自らの腰帯に下げている石飾りを持ち上げて見せた。

 黄色がかった乳白色の、艶やかな帯飾りだ。

「これは『玉』……翡翠の一種ですわね。中でもこのように黄色い色味のものは……かなり珍しいものなのではなくて?」

 その回答に、陽琳は少し目を見開いた。

「その通りよ。この石─黄玉は、皇帝の所有する鉱山でしか採れない、皇族以外は身に着けられないものだもの。石の加工技術ですら一子相伝で秘匿されているから、市場に出回ることもないわ」

 それに睡蓮はぎょっとしたように目を丸くする。

「ちょっと、貴女! それは貴重どころの話ではありませんわよ? そんなものをよくこんなに軽々しく身に着けていますわね」

「だって、皇宮に出かける時くらいは、お洒落しろって言われるんだもの。私、装飾品って、あまり持っていないのよね……。といっても、公式行事で使う、黄玉でできた簪とかはさすがに普段はつけないわよ? なくしたら大目玉を食らうもの」

「……今、貴女の頭に挿さっているものは、簪……ではなさそうですわね。そのような物と黄玉製の簪を一緒に挿していては、罰が当たりますわよ」

 そこまで言ってから、睡蓮は大きくため息をついた。

「貴女って本当に……考え方といい所作といい、皇族という肩書きは名ばかりですのね。もっと、公主らしく振る舞ってはいかがですの?」

 げんなりしたように言い放った睡蓮に、部屋の扉が開くと同時に声がかかった。

「妖怪ごときが、面倒を見てくださる陽琳様に、随分な物言いですね」

 二人が振り返ると、紫晃が両手に布類を抱えて入室してきていた。その表情は不機嫌そのもので、睡蓮を睨みつけている。

 それに対して睡蓮もまた、美しく整った眉をつり上げた。

「何か文句でもありますの? わたくしは正論を言っただけですわ」

「……貴女にとっての常識を、他者に押し付けないでいただけますか?」

「ちょ、ちょっと二人とも、落ち着いてちょうだい!」

 険悪な雰囲気になりつつある紫晃と睡蓮の間に、陽琳は慌てて割って入った。

「睡蓮の着替えや敷布を持ってきてくれたのね。紫晃、ありがとう!」

「……いえ。陽琳様のご要望ですから」

 陽琳の言葉に、紫晃はようやく表情を和らげると、持ち込んだ品を睡蓮に差し出した。

「睡蓮、貴女にはここで当面使用人として仕事をしてもらうことになります。とりあえず、その土まみれの汚れた衣服を着替えていただけますか?」

「……ふん。お仕着せというのが気に入りませんが、このままの格好でいるのも不快ですし、着替えて差し上げてもよくってよ」

「不満があるならば、もう一度鎖で縛って埋め直してもよいのですよ?」

 どこまでも態度の大きな死鬼に対し、紫晃がにこやかに告げると、睡蓮は嫌そうな顔をして押し黙った。

「それでは、着替えの間は外に出ております」

 そう言い置いて、紫晃は退室した。

 睡蓮は憤慨しながら汚れた衣服を肩から落とそうとして、はたと手を止め─そして、部屋の中にわくわくと顔を輝かせて居残る陽琳を見遣った。

「─で、貴女はなぜまだそこにいますの?」

「そりゃあ勿論、貴女の着替えを手伝うためよ」

 陽琳はそう言いながら、紫晃から受け取ったお仕着せを抱えて、にこやかに歩み寄る。

「別に着替えぐらい一人でできますわよ……?」

「まあまあそう言わずに。女同士なんだからいいじゃない! 遠慮することないのよ?」

 睡蓮の顔が引きつっているような気がするが、きっと気のせいだ。そう思うことにする。

 目の前に長年夢にまで見た、神秘の塊が存在すると思うだけで身体が震える。

(ああああ、触りたい! 観察したい! じっくりと調べたいっ!)

 湧き上がる探求欲を抑えきれず、興奮で鼻息を荒くしながら睡蓮の肩に手を置いた。

「ね? 優しくするから、さくっと脱いじゃいましょうよ!」

「ちょ、ちょっと、お待ちなさいっ! 優しくって、何のつもりですの!?」

 襟に容赦なく手をかけると、睡蓮は悲鳴をあげた。

 意に介さず、陽琳が衣を落とそうとしたその瞬間─

 睡蓮はわなわなと震え、拳をぐっと握りしめた。

 あ。と思った時には、遅かった。

「お……乙女の素肌を、じろじろと見るんじゃありませんわ! 無礼者─!!」

 真っ直ぐに繰り出された拳が、見事に陽琳を直撃する。

 そのあまりの力強さに呻く間もなく陽琳は吹き飛び、扉に打ち付けられた。

 衝撃で扉は壊れ、陽琳はよろよろと部屋の外に出ると、部屋の外で待機していた紫晃に、がっちりと受け止められた。

「ぐふっ……。ち、力の強さは文献通りね」

「……陽琳様。一体何をなさっているのですか」

 ぐったりと抱きかかえられるも、冷ややかに見下ろしてくる紫晃の顔が怖い。

「…………ここぞとばかりに、睡蓮の生態調査を目論見ました」

「あまり人をじろじろ見てはなりませんといつも申し上げているでしょう」

 無茶をなさって……と言わんばかりの紫晃の視線が痛い。

 だが、どれほど忠告されようとも、こんなふうに死鬼について調べられる機会は最初で最後かもしれない。

 陽琳は開き直ると、紫晃に耳打ちした。

「ねえ紫晃。用意してほしいものがあるんだけど、お願いできるかしら? 何点か確認したいことがあるのよ」

 陽琳の言葉に、紫晃の目がすっと細められる。

「……かしこまりました。ではこの部屋の扉を修繕させますので、場所を変えましょう」

 無礼極まりない陽琳の態度に激昂した睡蓮が、着替えを続行するべく、大破した扉の代わりに、部屋にあった棚を移動させている。

「確かに、この部屋はしばらく使えなさそうね……」

 陽琳も納得して、苦笑いしながら頷いた。

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