第一章③

 紫晃が先に馬車を降り、そのまま陽琳へと手を差し伸べてくる。その手を取り、馬車を降りると、陽琳はうんと一つ伸びをした。

「はぁ……。長い間馬車に乗っていると、腰が痛くなっちゃうわね」

 清琉国の王都である琉昌は、皇帝の居城たる皇宮――清麗宮を中心に広がっている。

 皇宮内でも一際目を引く正殿の、鮮やかな朱塗りの柱に白い壁、緑青のかかった屋根瓦は、遠くからでも確認できるほどに荘厳にして壮大だ。

 とても立派な城だとは思うのだが、皇宮外にある自宅から馬車で通っても半刻はかかる距離と坂道にだけは、いつも辟易としてしまう。

「何なら、徒歩で通ってもよいのですよ? 歩いて登城している官吏も多いですからね」

 しれっと投げかけられた紫晃の言葉に、陽琳は思いきり首を横に振った。

「そ、それは遠慮したいわ。無駄に体力を使うし、センカツにも差し支えるじゃない」

「おや。センカツをなさるのであれば、足腰を鍛えることも重要なのでは?」

 わざとらしく首を傾げる紫晃に、うっと言葉に詰まる。

「まあ、冗談ですよ。私としても、皇族の姫君を長く歩かせるわけにはまいりませんからね」

 とはいえ、ここから先は徒歩で目的地に向かうことになる。

 陽琳は紫晃とともに、ゆっくりと歩を進めた。

 馬留のある正門である南門付近には官吏や武官達の詰所が配置されており、中央には正殿、その更に奥には皇帝の寝所や後宮、祭祀所が建ち並ぶ。

 そんな皇宮の最西端にある、芙蓉殿と呼ばれる離宮が陽琳達の目的地だ。

 そこはかつて陽琳の父である王弟一家の宮であった場所だが、現在は使用用途がなく空き家となっているため、陽琳の勉強場所となっている。

 各々の職場へと向かっていく文官や武官達とは目的地が異なるため、次第に周囲からは、人気がなくなっていく。

 人目が減って気持ちが楽になってきたことで、自然に陽琳の足も軽くなってきた。

「そういえば、紫晃! 出発前に言ってた『新しく仕入れた摩訶不思議な怪談話』って、一体何なの?」

 目を輝かせて振り向くと、紫晃は「ああ……」と、頷いた。

「それについては講義の後に詳しくお話しようかと思っていたのですが」

「いいじゃない。ちゃんと頑張って皇宮に来たんだから、ちょっとぐらい教えてよ」

 陽琳がねだると、紫晃は「まあいいでしょう」と話し始めた。

「どうも最近、深夜に皇宮内の池のほとりで幽霊を見た――という噂があるそうです」

「幽霊⁉」

 そんな単語に思わず心が躍る。

 顔を輝かせる陽琳に、紫晃が呆れたような視線を向けてきた。

「いつも思うのですが……何でまた、このような怪談話にご興味を持たれるのですか?」

 確かに怪談話など、普通の女性ならば怖がるものかもしれない。

 だが、陽琳は軽く肩をすくめた。

「妖魔を退治し、人々の不安を取り除くのもまた仙人の役目だからよ。でも実際は妖魔なんて、お目にかかれないでしょ? それらしきものがいるなら見てみたいなって」

「怪談話の大半は、ただの噂に過ぎないと思いますが……」

「でも、噂になるってことは、少なくとも何かしらの要因があるってことよ。もしかしたら、古代の祭礼具や遺物が埋まっていたりなんていう大発見があるかもしれないじゃない!」

 皇宮と言えば、長い歴史のある場所だ。

 そんな場所に埋まっている品々は、さぞかし霊力を蓄えているに違いない。

「まあ、危険なことに首を突っ込まない程度でしたら、ご自由になさればよいと思いますが」

 そう言ってから、紫晃は周囲をぐるりと見渡した。

「確か、ちょうどこの辺りだと思うのですが。睡蓮の花が咲く、小さな池であったと……」

 つられて周囲を見回すと、ある場所に目が行く。

 古い時代に整えられた並木道の付近の小さな庭園の中に、その池はあった。

 春のうららかな日差しを受け輝く水面の美しさとは裏腹に、人に忘れ去られたような場所で咲く睡蓮の花は、どこか寂しさを醸し出していた。

「おそらく、あそこかと思われます」

「皇宮内にはこういう場所って結構あるから、いつも気にせず歩いていたけど……確かに、夜に一人でここに来たら、何かしらに遭遇しそうよね」

 木陰や池の中など、いかにも何か潜んでいそうな様子に、陽琳はちらちらと紫晃を見た。

 だが、そんな落ち着かない陽琳に、紫晃の冷ややかな一言が降ってきた。

「今は駄目ですよ」

「ま、まだ何も言ってないじゃない!」

「どれだけ長い付き合いだと思ってらっしゃるのですか。一刻も早く調べにいきたいと思っておられることは、聞かずともわかります」

 冷静な紫晃に図星を指され、言葉に詰まる。

「ちょ……ちょっとだけ、様子を見てくるぐらいだから……」

 じりじりと距離を取ろうとする陽琳の襟を、紫晃がむんずと掴んで言った。

「陽琳様は鎖で縛られるのがお好きなのですか? 『駄・目・で・す』と申し上げているでしょう?」

 美しい微笑みに反して、紫晃のこめかみに薄ら青筋が立っている。

 紫晃の威圧感ただならぬ気配に、陽琳は総毛立つ。

「……はい」

しょんぼりと肩を落としながら、とぼとぼと歩きだす。

だが――後ろ髪ひかれる思いで振り返ると、ふとある一点に目に止まった。

「ねえ、紫晃。あそこって……ちょっと不自然じゃない?」

 そう言って陽琳が指さした先の地面の土はわずかに盛り上がりをみせている。

「不自然……ですか?」

「ええ。だって、あの盛り上がった場所だけ、雑草がほとんど生えていないもの」

 他の場所は雑草が生い茂っているのに対し、その一部分だけ妙に少ない。

 土が固いのか、もしくは――

「ねっ? あそこに素敵な何かが埋まっていそうだと思わない?」

「まあ確かに、違和感を覚える場所ではありますが……」

「でしょ? ねえ、あそこを掘ってみちゃ駄目かしら? いつもなかなか掘らせてもらえないんだから、たまには、ね?」

「今は講義前です。そのような行為は、やるべきことをなさってからにしてください」

 間髪をいれずに突っ込まれ、陽琳は頬を膨らませた。

 わかってはいても、目の前にある興味の対象を、みすみす見過ごして去るのはつらい。

「講義が終わるまで、耐え続けなきゃいけないなんて、拷問だわ……」

「そうですか? 勉強後のお楽しみがあると思えば、勉学がはかどるかもしれませんよ」

 そう言ってにこやかに微笑む紫晃の有無を言わさぬ様子に、陽琳はがっくりと項垂れた。

「はーい……」

「よいお返事です」

 か細い声で答え陽琳は、紫晃に首根っこを掴まれたまま芙蓉宮へと引きずられていった。

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