第一章②
従兄である輝瑛は、生まれながらに才知溢れた少年だった。
三代前の皇帝による法改正で女性の官吏登用が進む昨今、幼少時は陽琳にも期待がかけられていたが、輝瑛と比べて、陽琳はどこまでも平凡だ。
とはいえ、無い物ねだりをしても仕方ないと、最近は割り切っている。
「尚允様が皇宮を出られて、もう二年になりますからね。お気持ちは解りますが、今こうして皇族としての教養や知識を学ぶために、皇宮まで日参されているわけですから、決して他人事というわけではないのでは?」
「まあね。でも、実際やってることって、楽器を弾いたり、礼儀作法を覚えたりとか、そんなのばっかりでしょう? 何かしっくりとこないのよね」
「陽琳様は帝王学でも学ばれたいのですか?」
「そういうわけじゃないけど、もっとこう、夢のあることをしたいじゃない? ……そう、例えばセンカツとか!」
陽琳が大きな瞳ををきらきらと輝かせて紫晃を見ると、紫晃はこめかみを揉みながら、特大級のため息をついた。
「ああ……まったく。どう間違ってこのように育ってしまわれたのか。いい年をなさってなお、謎の呪文を唱えたり、自作の呪符をあちらこちらに貼って回るような不思議娘になろうとは……」
「ちょっと、そんな可哀想なものを見る様な視線を向けないでよ。そもそも、私がセンカツにはまったきっかけは、小さい頃に紫晃がくれた絵巻物じゃない」
その言葉に、紫晃は僅かに眉をひそめる。
「確かに、陽琳様にお会いしたばかりの頃に、子供用の絵巻物を差し上げたという記憶はありますが、なぜそれによってこうも妄想癖が付かれたのか、理解に苦しみます」
「だって、まさに正義の味方って感じで、格好良いじゃない! その中でも三神仙の一人の
うっとりと陶酔するように語ってから、再び紫晃へと向き直り、言葉を続ける。
「それに何より、もし仙術が使えたら、凄いと思わない?」
「確かに凄いでしょうけれども、仙人はあくまで神話の中の存在ですからね」
「もう! 紫晃ったら、夢がないわねぇ。今の時代はそんな大人が多いからこそ、私は夢を持ち続けるって大切なことだと思うのよ。だからこそ、仙人を目指し、そのための弛まぬ努力と研究をすることって、とても大事な活動だと思うの!」
拳を握り力説する陽琳は身を乗り出して、更に言いつのった。
「そもそも、清琉国の史書にもあるでしょ。『皇帝は天子とも呼ばれ、天帝が人々の指導者として任じた、天帝の代弁者である』――って。もしそれが真実なら、その子孫である私にも何か力があるかもしれないじゃない」
「確かにそうですが……その一文はあくまで皇帝の権威を示すためのものですよ? 第一、その理論からすると輝瑛様の方が、仙人としての資質があることになりますが?」
「うーん……確かに、輝瑛兄様は私より仙人に向いていそうな、底知れなさはあるけど……」
それは確かに一理ある、と唸る陽琳に、紫晃はやれやれと肩をすくめながら、冷ややかな視線を向けてくる。
「ともあれ、センカツに精を出すようになられてからもう随分経ちますが、何か成果は出たのですか?」
その問いかけに、陽琳は一瞬、言葉に詰まった。
「う……それは、その……使役獣になる予定の猫が、うちによく来るようになったり」
「毎度毎度、餌を与えているのですから、それは寄り付きますよ」
「仙薬を作って、怪我を治したり……」
「今朝はその仙薬のせいで、傷口が一層悪化していたようにも見えましたが……?」
彼に手当てをしてもらった手を抑えながら、陽琳は顔をひきつらせた。
「と、とにかく! 仙術に関する文献に書かれている様々な事象を実際に試すことで、現代の医学や薬学に繋がる可能性だって十分にあるんだからっ」
「ええ。存じておりますよ」
ただ――と、紫晃は一瞬ためらうように続けた。
「陽琳様のお考えを理解していない輩が、不当な呼び名を付けて陰口を叩いていることについては看過いたしかねます」
「ああ……『残念公主』ってやつね」
その名を言いながら、陽琳は肩をすくめた。
年頃の娘が興味を持つことには目もくれず、仙人に関する研究に没頭する――そんな陽琳の姿を周囲の者は奇異の目で見ながら、いつしか陰でこう囁くようになった。
――『陽公主は残念公主』と……。
「まあでも、そう呼びたくなる理由もわかるのよ? 確かに私って女子力は無いし、 政略結婚をさせるにしても問題ありの変わり者公主だもの。それは全く否定できないわ」
でも、と、陽琳は全く澱みがない瞳で紫晃を見つめて言った。
「私自身はどう呼ばれようと、別に気にしていないわ。私にとってセンカツが大切な趣味であることには変わりはないし、誇りを持ってやってるんだから!」
あっけらかんとそう言い放つと、紫晃は小さくため息をつく。
「まあ、呼び名ごときで陽琳様の本質が変わるわけではありませんからね。そのような呼び名など些末事と、陽琳様の心が穏やかでいらっしゃるならばよいのですが」
「そりゃあ私としても、陽公主という名を下さった伯父上に対して申し訳ないなあとは思うけどね。あと……私に仕えてる紫晃まで悪く言われちゃったら嫌だなあとかも」
「お気遣いありがとうございます。ですが、私も私自身が何と言われようが、全く気にしませんので、ご安心ください」
紫晃は穏やかに微笑むと、陽琳の頭をそっと撫でてくれた。
大きく温かい掌に触れられ、どこかくすぐったい気持ちになる。
厳しい面も多いが、こんな風に接されると、なんだかんだで守られていることを実感する。
「紫晃。いつもありがとう」
思わず口をついて出た言葉に、紫晃が一瞬目を丸くするが、ふっと口元を緩めた。
「さあ、そろそろ馬留です。下車の準備をなさってください」
紫晃の声に外を見ると、皇宮の馬留へと馬車がつけられたところだった。
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