第三章 賢者の自負②



「着くぞ」


 アルヴァンのぶっきらぼうな言葉に思考を中断する。

 どんなところかと不安に鳴る胸を抑えながら、リディは前方を見据えた。


 渓谷にすっぽりと包まれるように街がある。

 王都とは比べ物にならないほど小さくて、立ち並ぶ家を全て数えられそうだった。


 街の奥、少し小高い場所にある城に向かって、アルヴァンが徐々に高度を下げる。


 様式は古いものの、大振りな主塔と四つの隅塔があるその城は、貴族のものといっても差し支えない規模だ。

 城壁の石積みにも破れ目はほとんどない。


 ――もしかして、これが彼の住まいの廃城?


 予期せぬ立派な城に、思わず唸る。やはり噂とは当てにならないものらしい。

 地面から巻き上げるような風が吹き付ける。

 減速しながらアルヴァンが主塔の屋上にあるテラスに着地すると、リディは大きく息を吐き出した。


「あぁ……やっと帰ってきた」


 落下死を免れて安堵したのも束の間、階段から突然可愛らしい声が聞こえてくる。

 こつこつと響く、軽やかな足音。男の物ではない。もっと小柄な――女性か。


 ――そういえば、同居人がいるか確認していなかったわ。これだけ大きな城なら、いた方がむしろ自然でしょうけど……。


 もしかしたら、恋人かもしれない。リディは緊張でごくりと息を呑む。


 声の主は覚束ない足取りで階段を上ってくると、柱の影からふらっと姿を現した。


 目に飛び込んできたのは、ふわりとした白いもの。

 金色の柔らかな癖っ毛から覗いた、やや垂れ気味の大きな獣の耳だ。

 だらしない寝間着姿のヴィロン人の少年が、緑色の瞳を眠たそうに細めてごしごしとこすっていた。


 年の頃は十二、三といったところか、その表情はまだあどけない。

 尾も耳も、アルヴァンに比べてかなり柔らかそうだ。

 綿毛と見間違えた耳が、ぱたぱたと上下に動く。

 誘うように、毛並みが軽やかに揺れた。


 ――かっ……可愛い。


 見た瞬間に、胸が高鳴った。

 反射的に伸ばしかけた手を、リディは慌てて引っ込める。


「遅かったですね、アルヴァンさ――まっ!?」


 少年は、アルヴァンの腕の中にいるリディを見て、寝ぼけ眼をばっと見開いた。

 耳と尾が、その驚きに呼応するかのように、びくんと跳ね上がる。


「どっ、どうしたんですか、その人! 調べ物で出て行ったのに朝帰りなんて、おかしいとは思ってましたけど。僕、この年で前科者とか嫌ですよ!?」

「お前は俺のことを何だと思ってんだ。依頼人に決まってんだろうが」

「なあんだ……びっくりさせないでくださいよ。あんまりきれいな人だから、てっきりどこかで

一目惚れして、攫ってきたのかと思ったじゃないですか」


 少年が胸を撫で下ろすと、飛び上がった耳が元の位置までゆっくりと垂れ下がっていく。  やっと床に下ろされたリディに、少年はおずおずと近寄って人懐っこい笑みを浮かべた。


「初めまして。僕は、アルヴァン様の弟子、もとい使用人のブラン・ユーです。えっと、こんな姿ですみません」


 きちんと挨拶を返さなければ。


 そう思っても、リディの視線はどうしてもふわふわした耳に吸い寄せられてしまう。

 身長差のせいで、愛らしいその耳はリディのすぐ目の前にあった。


 頭上に視線が集まっていることに気づいて、ブランが眉根を曇らせる。


「あの……もしかして、気持ち悪いですか?」

「違うわ! ごめんなさい、その……」


 気持ち悪いなんてとんでもなかった。

 むしろ、間近でこうして見ると触れたい気持ちが膨れ上がる。

 誤魔化す言葉が浮かばなくて、手で口元を隠しながら仕方なく白状した。


「……可愛くて、つい」

「か、わいい、ですか?」

「やっぱり、失礼だったかしら」

「かっこいいの方がうれしかったです……」


 てへへ、と照れたように彼が頭をかく。

 その仕草がまた愛らしくて、つられて微笑んだ。


 ヴィロン人も、人柄はそれぞれなのだ。当たり前のことにほっとする。

 視線を感じて振り向くと、アルヴァンが訝しむようにこちらを見下ろしていた。


「何?」

「別に」


 何でもないのなら、不躾に見つめないでほしい。

 リディは気恥ずかしさを隠すように、礼儀正しくブランの手を取る。


 第一印象は大切だ。

 好感を持ってもらえるよう、国外の使節と相対する時のようにできる限り穏やかに微笑みかけた。


「早朝に申し訳ありません。私はライオール国の第一王女、リーデリア・ライオールと申します。訳あって今日からこちらでご厄介になります。どうぞよろしくお願いいたします」

「リーデリア様ですね。ライオール国の、第一王女……って、王女様!?」


 にこにこと握手を交わしていたブランは、その言葉に気づいてぎこちなく動きを止める。   手を繋いだまま口をぱくぱくさせた後、アルヴァンに向かって悲愴な声で叫んだ。


「やっ、やっぱり攫ってきたんですか!?」


 動揺するブランと困惑顔のリディに見つめられて、アルヴァンは髪を掻き上げながら怠そうにため息を吐いた。

 





※ここまで試し読み連載にお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

いよいよ本作の発売となります!続きが気になられた方はぜひ、製品版をお手に取ってみてください。     

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