第二章 獣の宣告①



「――それが、私が覚えている全てです」


 仮面舞踏会で着ていた煌びやかなドレスから、生成り色のこざっぱりしたものに着替えたリディは、幾分むすくれた顔で説明を締めくくった。


 さっきまで寝ていた天蓋付きのベッド。

 その横に設えられた豪奢な応接用の椅子やソファに腰掛けた面々は、誰も口を開かない。

 すでに時間は深夜ということもあって、皆の顔には疲労の色が見えていた。


 自分の部屋なのに、すこぶる居心地が悪い。


 その一番の原因を、リディは眇めた目で見つめる。

 一人掛けのソファにくつろいだ姿勢で深々と座る――獣耳と尾を持つヴィロン人。


 彼は国王と王太子の前だというにもかかわらず、肘掛けに腕を置き、精悍な顔をうんざりしたようにしかめていた。


 男の名は――アルヴァン・ベルモンド。


 それは、世間の話題に疎いリディですら何度か耳にしたことがある名前だった。


 風の魔法を自由自在に操るヴィロン生まれの天才魔法士。


 ライオールとヴィロン、どちらの魔法も会得している驚異の技能を持った男。

 高額な報酬でどんな仕事も請け負う、本物の獣のように人情の欠片もない〈闇魔法士〉だ、と。


〈闇魔法士〉とは、国からの許可を得ずに仕事をする無資格の魔法士だ。

 彼らは金さえ払えば、正規の魔法士ではできない裏の仕事を全て引き受けてくれると、実しやかに囁かれている。


 その中でもことさら悪名高いアルヴァンは、風の魔法で村ごと吹き飛ばしただとか、敵対する闇魔法士を幾人も殺したことがあるなど、とにかく物騒な話題に事欠かない。


 勿論、全てが真実ではないのだろうが、そういう噂が立つ人物であるということだけは現然たる事実だ。


 正体を知れば、この不遜な態度にも納得がいく。王宮にいるというのに、逞しい鎖骨を晒すようにだらしなく開けたままの襟元も、この腕を露出した装飾のないシャツ姿にも。


 ――もっ……もう少し、着込んだ方がいいと思うけど……!


 アルヴァンの頭上で時折、狼に似た獣の耳が動く。彼が長い脚を組み直すと、耳と同色の太い尾が毛足をふわりと浮かせながら向きを変えた。


 ――本当に、生えているんだわ。


 戦争が終わったとはいえ正式な国交がないから、ライオールに住んでいるヴィロン人は非常に少ない。

 宮廷内にはヴィロン排斥派の貴族もまだ根強く存在し、王宮にヴィロン人を立ち入らせないことは不文律になっている。


 ほとんど外出しないリディからすれば、こんな間近でヴィロン人を見たのは初めてだ。

 品がないだとか不格好だとか、貴族の無責任なおしゃべりでは一方的な意見しか耳にしたことはない。けれど、実物は想像とまるで違う。


 そばだてているのか、微かに震える耳の躍動的な動きはどこか愛らしい。

 艶々とした毛並みは、思わず触れてみたくなるほど美しかった。

 違和感を覚えると思っていたけれど、不思議と調和がとれていて気高ささえある。


 ――すごく……綺麗。


 視線に気づいたのか、アルヴァンが虚空を睨んでいた瞳をリディに向ける。

 先程間近で見てしまった澄んだ紺青色を思い出して、リディは思わず目が合う前に顔を背けた。


 少し不躾だっただろうか。

 そう考えかけて首を振る。


 そうだ、大したことではない。

 さっきのあの屈辱に比べれば。


――見た目と中身は、別物よ。


 値踏みするようなアルヴァンの視線を無視して、リディは右手に座るゼアに向き直った。

 アルヴァンがここにいる理由は一つしかない。


 着替えた時にも、あの銀髪の男――銀色の魔法士に刻まれた紋様はくっきりと残っていた。

 まるで、焼き鏝でも押し当てられたように。


「私にかけられた魔法がヴィロンの様式だったから、彼を呼んでくださったことはわかります。言われた通り、私の知っていることは全て話しました。ですから、早く教えてください! 私に、何が起きたのですか? それに、何であんなっ、キ……」


――キスなんて……!


「わかった。とにかく落ち着きなさい、リーデリア」

肝心な単語を言えず唇を震わせていると、ゼアが宥めるように口を開いた。

「驚くのも無理はない。無理はないが――曲がりなりにも彼は、お前の命の恩人なんだよ」

「命の……恩人、ですか?」


 こんな危険人物が? という言葉を飲み込んで、次の言葉を待つ。国王である父が口から出まかせを言うとも思えない。


「そうだ。お前の異変に気づいたシアラが内密に宮殿へと運び込んでくれたんだが、レオンにも宮廷付きの魔法士たちにも、解除どころか紋様の解読すらできなくてね。途方に暮れていたところを、彼に救ってもらったのだ」

「無理矢理に紋様を破壊する案も出たが、そのせいでリディの体に何かあっては取り返しがつかないからな。幸い、この男は偶然――王都に来ていたそうだ。王宮に彼を入れるか迷ったが、緊急事態だ。勿論、人に見られるようなことはしていない」


 ゼアの言葉を、沈鬱な面持ちでレオンが引き継ぐ。


「お兄様、申し訳ありません。黙って出かけたばかりに……」

「それについては、別に説教の場を作りたいところだが」


 リディが謝りながら静かに頭を下げると、左隣のソファからレオンが手を伸ばして労わるように髪を撫でてくれる。


「とにかく、お前が助かってよかった」


 人前で甘やかされるのは恥ずかしい。でも、嬉しかった。こんなに自分を気に掛けてくれることが。


 ――お兄様もお父様も、本当に心配してくださったんだわ。


「ところで、彼に救ってもらえたということは、紋様は解読できたのですよね。私は何の魔法にかけられているんです?」

「それは……」


 リディの問いに、レオンが薄い唇を引き結ぶ。よほど言いにくいことなのだろうかと、疲れた顔の兄を責め立てるのが忍びなくなった。


「それは、魔力を喰う――吸い取る紋様だそうだ」


 代わりに、ゼアが表情を消して口を開いた。


「吸い取る……つまり、魔力が自動的に奪われるということですか?」

「ああ。普通、紋様は魔法士が送り込んだ魔力を元にして動くものだ。送り込まれた魔力が尽きれば、自動的に解除される。だが、その紋様はお前から吸い取った魔力を元にして発動し続け、さらに魔力を奪う」

「……つまり?」



「お前は、その魔法に魔力を喰い尽くされて死ぬ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る