第二章 獣の宣告②



 言葉の中身とは裏腹な気のない声に、リディは一瞬理解が遅れる。

 瞬きも忘れて、アルヴァンの唇が再びゆっくりと開くのを見つめた。


「その紋様は、寄生虫みたいに刻まれた者の魔力を喰い続ける――お前が死ぬまでな」

「なっ――」


 ――死ぬ、私が……?


 宣告のように重ねられた彼の言葉に立ち上がった瞬間、足元がふらついた。

 後ろから、シアラが抱き支えてくれる。

 けれど、リディはアルヴァンから目を逸らせなかった。


 窮屈なのか、アルヴァンは長い脚を持て余しながらソファに座り直した。


「俺にも全部は読めねえが、効果は間違っちゃいないはずだ。その紋様は、最初に発動する時こそ魔法士が魔力を送り込むが、後は刻まれた者の魔力を喰うようにできてる。お前が倒れようが意識を失おうが、関係なくな」


 彼の言葉一つひとつが肩に伸し掛かる。

 いつの間にか、頭も痛くなっていた。


 ――私の体には、ほとんど魔力なんてない。そんなことをされたら、すぐにでも……!


「一体っ、どれくらいの魔力を消費するものなの!?」


 爪の先に、小さな火を二回つけるくらいの魔力しか持たないのに。

 もし、三回つけたら。


「正直、大した量じゃねえ。普通の魔法士ならちょっと体が怠くなる程度で、毎日普通に寝て魔力が回復すれば特に問題はない。けど、お前のなけなしの魔力ならすぐに喰い尽くされるだろうな」


 アルヴァンはソファに座ったまま、リディの胸元を指した。


「止める方法は二つ。一つは、かけた張本人が魔法を解除すること。もう一つは、元となる魔力――お前の魔力が尽きて死ぬことだ。魔法士は、魔力を使い切れば死ぬからな」


 アルヴァンが、嘲笑うように鼻を鳴らす。


「落ちこぼれの王女様は大変だな」


 突きつけられた言葉に、リディはぎゅっと固く拳を握った。


 ――あの冷たさは……体内の魔力が奪われる感覚だったのね。


 王女である自分がヴィロンの魔法で殺されたとなれば、国民も宮廷も黙ってはいないだろう。

 敵討ちという大義名分のもとに一気に戦争へと向かう可能性すらある。


『その死をもって、役に立て』


 あの銀色の魔法士が、〈役に立つようになる〉と言っていたのは、そういう意味なのかもしれない。


 ふと、頭の中で、魔法理論を学び始めた時に読んだ教科書の一節が思い出された。


『魔力を人からもらうことはできない。魔力は人体から生み出され、体外に出ると霧散してしまう性質を持っている』


 ――一体、どうしたら? このままだと私の魔力は全て喰い尽くされ……て?


 固く結んだ手を解いて、リディは自分の手のひらをまじまじと見つめる。

 今は指先まで思い通りに動くし、血色も悪くない。胸は苦しいが、それはおそらく死に直面した不安のせいだろう。あの底冷えするような感覚とは似ても似つかない。


 ――ちょっと待って。おかしいわ。


「私のなけなしの魔力じゃひとたまりもない――なら、何で私はまだ生きているの?」


 瞬間、左隣のレオンから苦しそうにむせる声が聞こえた。部屋がまた、先程までの気まずい雰囲気に逆戻りする。


 ――だからっ、一体何なのっ……この空気は!?


「お前、まだわからねえのか」


 アルヴァンはソファから立ち上がると、無造作にリディに近づいた。

 二人の身長差は、頭一つ分よりも優に大きい。


 リディは、馬鹿にしたように見下ろしてくるアルヴァンの――頭上にある耳に目を向けた。

 まるで狙いを定めるかのように、心なしかこちらに傾いている。

 後ろから覗く尾は、左右にゆったりと揺れていた。


 突然、ぐっとアルヴァンがリディの顔を覗き込んでくる。

 眼前で、薄い唇が妖しく光った。


「……誰が、わざわざキスしてやったと思ってんだよ」


 死の魔法で頭がいっぱいになっていたところに羞恥心が戻ってきて、頬が赤くなった。


「何で今っ、その話を!」

「だから、お前が聞いたんだろうが。何で俺とキスしてたのかって」


 ――まさ……か。


 リディは円らな瞳を思いきり見開きながら、声を振り絞った。


「……キスで魔力を送り込んだの!?」


「魔法を使う時は、魔力を指先に集めて紋様を作り出す。それと同じように魔力を唇に集めて送り込めばいい。ヴィロンじゃそれなりに知られた方法だ。まあ、できるのは一握りの奴だけだがな」


 ――暗に自分には才能があるって言いたいわけ!?


 確かに、辻褄は合う。目が覚めた時に、アルヴァンとキスをしていたことも。彼が自分にキスをすることを誰も止めなかったことも。

 ……命の恩人、という言葉の意味にも。

 でも、嘘だ。そんなの信じたくない。


「きっ、机上の空論よ。そんな原始的な方法で魔力の移譲ができるなんて、私でも聞いたことがないわ。大体、よくわからない感覚任せの方法なんて信じられない!」

「じゃあ、お前が助かったのは、どう説明するんだよ。〈飴色の賢者〉様」


「それは――」


 リディは、ぐっと押し黙る。言い返す言葉がなかった。

 それはまだ、はっきりと体に残っている。


 熱い何かを、流し込まれる感覚。凍えた体が、解ける快感。

 火照った、唇から。


 でもそんな。だって、それはつまり――。


「死にたくなけりゃ、黙って俺にキスされときゃいいんだよ」


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