10.ハルは驚いた



「でも、捨てる神あれば拾う神、とでも言うのかな。それを見て手を差し伸べてくれた人がいたんだよ」


 悲痛な面持ちでいたグレイさんが、私のその言葉を聞いて明らかにホッとしたような顔になった。

 笑える。お伽噺を聞いている子供みたい。エブリンとバーティでさえもそんな過剰反応しない。


「イーゼルさんっていってね。商店通りの端のパン屋さんのおばさん。会長と私の姿を遠くで見て、こっそり声を掛けてくれたの」


 会長にこっぴどく馬鹿にされて傷心のままで道を歩く私に影から声を掛けてきてくれて、内緒で残り物のパンをくれた。誰にも言っちゃダメだよって何度も念を押しながら。

 こんな私に、誰にも見向きもされない私に初めて救いの手を差し伸べてくれた最初の人。


 イーゼルさん、耐えられなかったんだって。

 以前、私が食べ物を売ってほしいと頼み込み来た時に追い返したもののずっと気になっていて、どうしようかと悩んでいた時にちょうど起こったあの出来事。それを見てもう放っておくことなんか出来ないって思って意を決して私に声を掛けてきた。

 イーゼルさん自身は石が三つあるんだけど息子さんが石が一つしかなくて、会長が息子さんが店を継ぐこと赦してくれずに結局家を出て遠くで暮らしている。

 職にはついたものの鉱山夫で苦労はしているし、石が一つしかないために迫害されているんじゃないかって常に心配していたらしい。

 それが私が虐げられている姿を見た瞬間に心配は不安に変わって、そして息子とその姿を重ねた。

 それがきっかけ。


 もちろんイーゼルさんの中にも石なしへの差別意識は多少なりともある。

 私の顔を見ると少し嫌そうな顔をして急いで取り繕うし、長居はしないでくれとばかりにさっさと追い出す。

 売ってくれるのは廃棄予定のパンのみ。時折家の余り物とか貰い物とかをくれる時もあるけれど、実はパンは正規の値段よりも多めに請求している事は知っている。

 けれどそれでも構わなかった。

 私に食べ物を売ってくれて、私を生かしてくれるのだから。

 偽善でも自己満足でも打算でも、それでも構わない。


「さすがにパンと少しの食材だけじゃ足りないらしくてね。もともと売ってもらえるパンも少ないし。たった一年でガリガリになっちゃったわけ。……まったく、厳しい世界よね」


 鏡を見るのは辛い。

 酷くみすぼらしくなった自分がそこに映っているから。それを見る度に現実を思い知るから。

 こんな私の姿を見たらお母さん泣くだろうなとか、お父さんめいいっぱい甘やかしてくれただろうなとか、お兄ちゃん『お前を虐めた奴殺す』とか言ってバッド持ち始めただろうなとか考える。

 でも、実際私のために涙を流したり慈しんでくれたり怒ったりしてくれる人は、別の世界にいる。

 私一人がこの世界に落っこちて、もう会えなくなってしまった。


 それに何度打ちのめされたか分からない。

 何度元の世界を恋しがって嗚咽を漏らしたか分からない。


 それでも私はここで生きていくしかなかった。


「グレイさんが随分と変わり者で私を可哀想だって思ってくれるのは分かった。もちろんそこには打算込みだっていうのも承知している。でもさ、グレイさんは出来る? 皆の意識を変える事。石なしに差別意識を持たせないようにする事とか出来るの?」


 私を食事に連れて行きたいのならば、まずは私が入れる店を探す事から始めなければいけない。

 あの時、世話役の役人が私に投げつけた言葉は真理だと思った。

 『人の思想にどうこういう事は出来ない』。確かにそれはその通りなのだ。

 きっと間違っていると声を大きくして言っても、皆はそれをせせら笑って終わる。何言ってんだよ、それが当たり前だろ? って。


 さすがの石七つのエリート様がどうこう出来る範疇を越えた問題だと思う。

 きっとグレイさんが声を張り上げても結果は同じだ。


 出来っこないって思って聞いたものだった。

 けど、グレイさんはニヤリと笑って言いのけたのだ。


「出来る」


 そうはっきりと。


 その笑顔……と言っていいのか分からないほどに何か邪悪で怖いものだったけれど、を浮かべたグレイさんは、得意げにこうも言った。


「皆の意識を変える事すぐには出来ないかもしれないが、今日お前に店で食事をさせる事は絶対に出来る。俺は石七つ持ってるんだぞ。その俺が! 出来ないはずはないだろ!」


 やけくそかな?

 それとも私の話を聞いて義憤に駆られてしまったのかな?

 根拠もなく言ってるんだった笑える話だけど、でもグレイさんに『俺は石七つ持ってるんだぞ』って言われると説得力がある。


 さぁて、どうやって私にご飯を食べさせてくれるのか。

 最初は気が乗らなかったけれど、ここまで言ってくれるのであれば興味は湧く。

 やれるものならやってみろとばかりに私は挑戦的に笑った。



 で、結局。


 グレイさんはその言葉通りに私でも入れる店を見つけて、私でも店で食べれるようにしてくれた。


 どうやったかって?

 一言で言えば、力技だよね。

 まさにエリートパワーを炸裂させましたって感じ。


 詳しく言えば何のことはない、自分の行きつけのお高そうな店に行って『もちろん俺の客を断るなんて事しないよな? この店は俺の顔に泥を塗ったりなんかしないよな?』って脅しをかけただけだ。

 対応したロマンスグレーのお店の支配人はグレイさんのその勢いと形相に仰け反りながらも、『勿論でございます』と朗らかな声で言った。


 先ほどの下町の大衆食堂ならいざ知らず、ブルジョワ達が行きつけのレストランであろうここは上客である『神のいとし子』の面子は潰せないからだと私はみた。

 こういうお高いところは評判がものを言うからね。

 グレイさんの機嫌を損ねてこの店に来なくなった場合、その損失は如何ほどになるかはわからないけれど確実に痛手なんじゃないかな。

 ましてや、グレイさんの連れの入店を断ったって話が広まったら、人々はその判断をどう取るか。連れが石なしだという事を伏せてグレイさんが触れ回ればどうなるかなんて私にだって分かる。多分、店側も信用問題になるからおいそれと口は開かないだろうし。


 外の看板を見た時に知った店の名前。

 『カヴァニュー・トレ』。


 私はそこで椅子に座って、今メニューを開いていた。


 ……エリートって、怖い。


 

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