9.ハルが諦めた日の話



「これで分かったでしょ?」


 店を出て肩を怒らせて大股で道を歩くグレイさんに私は後ろから声を掛けた。

 それに対しグレイさんは何も答えず歩き続ける。耳に入っていないのかそれともわざと聞こえない振りをしているのか、苛立たし気に前髪を掻き上げただけだった。


「ねぇ、もういいでしょ? ご飯とか。私はどうせ店に入る事も出来ないんだから」


 自分で言っていて虚しいけどね。でもそれが現実だ。

 だからもうグレイさんには潔く諦めてほしかった。諦めて私を解放してほしい。いくら私でもこれ以上の辱めは耐えられない。

 ただ、それを知ってほしかったんだ。


「いや、絶対にお前にメシを食わせる」


 でも、グレイさんは納得できなかったみたいだった。

 知らなかった底辺の世界を見せつけられて、受け入れがたい現実を目の前に意地になっているってところか。

 自己満足だよ、グレイさん。

 私はもうそんな事望んでいない。

 もうそれを望む段階はとうの昔に過ぎてしまった。


「そもそも、何であいつらあんなに拒否するんだ。頭おかしいだろ」

「あれがこの世界の人の普通の反応だと思うけど?」

「俺はお前にあんな酷い事を言ったりしないぞ」

「グレイさんが変わり者だからじゃない?」


 グレイさんの質問に淡々と答えていると、彼は足を止めてこちらを振り返った。


「……お前、悔しくないのかよ」


 そう私に問うグレイさんが一番悔しそうだよ。私は苦笑いをしそうになった。


 もうね、本当にそういうのは今更なんだよね。

 今更過ぎる話で、悔しいとかそういうのってグレイさんが私の前に現れるまでは風化していたような気がするよ。それこそ、そういう感情もあったよねってレベルで。


「――――私ね、これでもちゃんと給料もらえているの。住む所もあるし職もある。この国は石なしの異世界人でもちゃんと保護して、右も左も分からない私のために環境を整えてくれた」


 話し始めてはみたものの、グレイさんを真正面に見据えながら話すのはどうにも嫌で、一人で歩き始めた。グレイさんはついてくる。


「でもね、それでも私がグレイさんの言う通りガリガリに痩せているのは、金はあっても私に食べ物を売ってくれる人がいないから」


 この世界に堕ちた時から周りの人間たちの奇異な目は気になっていた。

 それが私は石なしだから、という理由を私の世話をしてくれた役人に聞いて初めて知ったのだ。この世界は顔についている石の数で左右されるのだと。


 私は、それを軽く考えていた。

 正直、元の世界でも多少なりとも差別というのは生まれていて、学校でもスクールカーストがあったから、その程度のものだと思っていたんだ。

 けど、現実は違う。そんな生易しいものじゃなかった。


 生まれてからずっと、それこそ赤ちゃんの時から常識として教え込まれてきた石なしへの差別意識は簡単に拭い取る事など出来ない。それどころか、それがいかに理不尽で非人道的であるかという事をこの世界の人達は考えもしないのだ。

 石なしは見下して当然、蔑んで当たり前。それこそそれが細胞の一つ一つに刻まれているくらいに常識になっている。誰も疑いはしない。


 だからこそ私が一番最初にこの商店通りに食材を買いに来た時に、洗礼を受けたのだ。


「私が何を頼んでもいくら金を出すと言っても誰も首を縦に振らなかった。それどころか二度と来るなって物投げつけられて追い返された。私が近づいた途端に店じまいをした所もあったわね」


 裏事情を話せば、この商店通りを牛耳っている会長が石至上主義の人間だった。だから、商店通りで店を開いている人間は石三つ以上でなければ認められない。

 さすがに買い手を選り好みする事はなかったようだけど、私だけは例外だった。多分、誰もが会長の怒りを買いたくはなかったのかもしれない。


「それでお前は文句ひとつも言わなかったのかよ」

「まさか。言ったわよ、ちゃんと。一軒一軒回って私に食べ物を売ってくれる所を探し回った。城にも行って私の世話役の人にもどうにかしてくれるようにって頼んだけど、『人の思想をどうこう言う事も出来ないし、売買に国の役人が口を出しちゃいけないですから』って体よく追い払われて終わり。結局保護だ何だとか言いつつも、所詮は同じだって事よね」


 けんもほろろ、ってこういう事だなって呆然としながら思った。

 城門を追い出されて、途方に暮れて。

 私は改めて絶望というものを感じて、長い間そこから動くことも出来なかった。


「でもね、お腹は空くし限界はくる。だから私はプライドも何もかも捨てて会長に頼み込んだ。通りのど真ん中。あぁ、ちょうどあそこら辺ね」


 私が指さした先。

 そこには商店組合の建物があって会長はいつもそこで仕事をしていたから、待ち伏せをして頼み込んだ。

 必死に。それこそ泣きそうになりながら。

 もう飢え死にするしかないって、死にたくないと縋った。


「懸命に訴える私に、会長は言ったの。『お前の最大級の誠意ってのを見せてみろよ。異世界流でいいから、これ以上ないってくらいの態度で俺に懇願してみろ』って。……だからさ、私は地面の上で土下座して、頭擦りつけながら必死にお願いした。あっ、土下座っていうのは私の世界では恥も外聞も捨てた最上級のお願いの仕方よ。正座したままで相手に頭を下げるの」


 あの時、私は涙が止まらなかった。

 元の世界では金があれば簡単に手に入ったものがこの手にも触ることが出来ないもどかしさや遣る瀬無さ、惨めさと悔しさと。何で私異世界にきてこんな事してるんだろうって腹立たしくも思った。

 けれどもう身体は限界で、こんな所で死にたくないって強く願った私にはそんなものは二の次で、生きる事に必死だった。

 プライドも恥も全部捨ててでも生き残ってやるんだって。


「そうしたら、会長何て言ったと思う?」


 振り返って皮肉めいた笑みを浮かべる私に、グレイさんは戸惑ったように顔を歪めた。

 きっと今の私は酷い顔をしているんだと思う。

 今でもあの時の事を思うと、息が出来ないくらいに胸が苦しくなるから。


「――――それが異世界流? そんな地べたに頭付けて、随分と滑稽なもんだな。それ本当で本当にお願いしているつもりかよ」


 そう言った。

 笑って、私を小馬鹿にするように下卑た顔をして。

 それに合わせて、周りにいたやじ馬たちも一斉に笑った。合唱でもしているかのように、皆が皆大口を開けて。


「結局私が何をしようと、いくら泣いて頼もうと会長は便宜を図ってくれるつもりはなかったみたい。笑いものにして終わり。食べ物なんて何一つくれなかった」


 無駄だった、何もかも。ただ辱めて、余興の一つかのように私が泣いてお願いするのを皆で笑って楽しんだだけだったんだ。

 それに気付いた時、私は土を握り締めて悔し涙を零した。


 今思えば、あの時に私はこの異世界に希望を持つ事を止めたんだ。



「……何だよ、それっ」


 グレイさんが、吐き出すように言う。

 悔しそうに、辛そうに。

 随分昔の事だし、他人の事なのにね。

 もう私は諦めたし、傷ついてもいない。悲しんだり怒ったり、……この世界に期待したりもしなくなった。

 だからもう平気なんだよ。私は割り切って生きれるようになったんだから。


 本当、この人馬鹿だよね。あんな顔してさ。

 自分で掘り返した過去なのに、私より傷ついている。


 ――――でも、何でかな。


 そんなグレイさんの顔に、泣きそうになっている自分がいたよ。


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