8.ハルは知らしめたい



 私の意見なんて関係なかった。

 グレイさんは私の手を勝手に掴んで勝手に歩き出して、勝手に資料館を出ていってしまった。


 途中、受付にいたチェルシーがグレイさんの姿を見て尻尾を振る犬の如く擦り寄ってきたけれど、グレイさんは意にも介さずに歩き続けた。私を引き摺りながら。

 無視をされた腹いせだろう、チェルシーが去りゆく私の脛を蹴り上げてきて物凄く痛かった。涙が出るくらいに痛かった。けれどもそれに気付きもしないグレイさんは街中まで引き摺っていったのだ。


「いい加減にさ、離してほしいんだけど」


 街の中心、商店通りの入り口に差し掛かった時に私はグレイさんに言った。このまま放っといたらどこまでも引きずり回されそうだったからね。

 足を止めて引っ張られる身体を踏ん張ってその場に留めて。そんな抵抗を見せる私にグレイさんは振り返って眉を顰めた。


「手を離したらお前、逃げるだろ」

「当然」


 当たり前じゃん、そんなの。

 そもそも私はご飯を一緒に行くとか言ってないし、行くつもりもないし。もっと言えばグレイさんが強引に連れてきただけだし。むしろここまで大人しく着いてきた事に感謝の意を示してほしいものだよ。


「私、一緒に行くとは言ってない」

「そんなに嫌かよ」

「嫌」

「――――何で?」


 今まで誘いを断られた事がないのかね。グレイさんは物凄く不服そうに問い返してきた。


 『何で?』って質問自体が愚問だと気が付かないのかね。

 エリートのグレイさんと最底辺の私が食事に行って何のメリットがあるっていうの。むしろデメリットしか見当たらない。

 グレイさんはいいよ? きっと傍から見たら弱き者に手を差し伸べる聖人君子に見えるかもしれないけれど、私はそれにたかる虫だよ、虫。さらに嫌悪感が増すってもんよ。


 それが分からないんだったらきっと、私とグレイさんは分かり合えないし気持ちよく一緒に食事をすることも出来ない。


 ――――それともう一つ。

 私には、どうしてもそれが出来ない理由がある。


「ただ食事に行くだけだろ」


 むっつりとした顔で腑に落ちないとばかりにグレイさんは首を傾げた。


 『ただ』とか簡単に言ってくれる。

 私はそれが出来なくて、今まで苦労してきたというのに。


 その無神経な発言にイライラが増した私は、一旦気持ちを落ち着かせるために深く深呼吸をして踏ん張るのを止めた。私が抵抗を止めたからか、グレイさんも引っ張る力を弱める。


 いいよ。そこまで言うならば、いいよ。行ってやろうじゃん。

 それでしっかりと現実を目に焼き付けたらいいよ。


「――――分かった」


 観念したかのように私は呟く。それをしっかり拾ったグレイさんは口元に薄っすら笑みを浮かべた。

 それを見て、舌打ちをしたくなった。本当暢気なものだと苦々しい気持ちが喉の奥まで競り上がってきていた。


「俺、ここら辺の店に入った事ないんだけど、どっかいいところあるか?」

「さぁ? どこでもいいんじゃない?」


 別にどこであろうとも関係ない。どこに入ろうとも私には関係ない事だった。

 けれども私のやる気のない答えは、グレイさんに満足いただけるものではなかったらしくしつこく聞いてくる。

 魚料理がいいのか、肉料理がいいのか。それとも菜食主義なのか。デザートが食べたいというのであればそれでもいい。


 なんやかんやと一人で喋りながら歩いていくグレイさんと、それに素直についていく私。道行く人たちはそんな私たちを奇異の目で見ている。

 それに気が付かないのだろうか、目の前の人は。それとも見られる事に慣れているのか。


「どこがいいんだ?」


 そんな事はお構いなしに振り返って私に意見を求めてくるグレイさんに驚きや怒りを通り越して呆れてしまった。

 いいね、こんなに考えなしに生きられるのって。

 少しの嫉妬と僻みと。今の私を形成するそれらはいつだってこの胸の中でユラユラと揺れている。


「あそこでいいんじゃない?」


 適当に指さした店をグレイさんはしげしげと見つめる。

 そこは肉料理をメインに出している店らしく、外置きの看板には肉を使った料理の名前と、小さな肉のイラストが描いてあった。

 人はそこそこ入っていて、でも待つほどでもない。


「じゃあ、行くぞ」


 私の気が変わるのが嫌なのか、グレイさんは足早に店の方に向かっていく。


 私の腕を再び取って歩いている彼は、実に目立つ存在だった。

 真っ白で銀の刺繍が施されている聖教会の服に、褐色の肌と銀色の髪。石七つとこれらの特徴だけでも十分に目立つのに、それに加えてグレイさんは美しかった。

 スッと通った鼻梁に薄い唇。アイスブルーの瞳は怜悧ながらも銀の睫毛に縁どられ、ことさら神秘的に見せる。そのくせ身体はしっかり筋肉がついていて、女性らしさはあまり感じさせない。

 はっきり言ってね、イケメンだよ、イケメン。元の世界でだったら眩し過ぎてお近づきになれないような極上イケメン。

 その美的感覚はこちらの世界でも同じらしく、チェルシーは去る事ながら先ほどからグレイさんを遠巻きに見ている女性たちが皆顔が赤いんだな、これが。そして、一緒にいる私に敵意の視線を寄越してくる。


 グレイさん、つまりはこういう事だよ。それが真実だ。

 それが見えないんだったら、身をもって知るがいい。


 私の世界というものを。



 ドアベルが鳴り、側に控えていたウェイターがすぐさま飛んでくる。四十代くらいのおっさんウェイター。

 客が石七つのグレイさんだと分かると、おっさんはギョッと目を瞠って焦り始めた。おっさんもまさかこんなエリート様が下町のこんな薄汚れた店に来るとは思ってもいなかったのだろう。


「空いているか?」

「はいっ! どうぞどうぞ」


 脂下がった顔でおっさんはグレイさんを席に促す。一歩前に出たグレイさんに倣って私も足を踏み出した。


「おいおい。何だ? お前。誰の許可を得て中に入ろうとしてんだよ」


 けれども、おっさんが太い腕を目の前に広げて私を通せんぼしてきたために、私は店の中に入ることが出来なかった。

 おっさんの不穏な声を聞いたからか、他のウェイターもこちらにやってきて私を三人ほどで取り囲む。


「石なし風情が店の中に入っちゃダメだろ」

「立場を弁えろよ、馬鹿野郎がよぉ」


 口汚く罵るウェイターたちは、容赦ない力で私を突き飛ばした。後ろによろけて踏ん張ろうともするけれど、結局耐え切れずに壁に激突する。

 痛いなぁ……、もう。

 いつもながらのその粗野な扱いに嫌な気持ちが痛みと共に広がっていく。


「何やってんだ! そいつは俺の連れだぞ!」


 私が囲まれて突き飛ばされている事に気が付いたグレイさんが、おっさんの肩を掴んで怒鳴った。退けろとばかりにおっさん達を腕で押して私から遠ざける。


「いや、でもね、お客さん。そいつ石なしですよ?」

「だから何だって言うんだ」

「何だって……、お客さん、馬鹿言っちゃいけねぇよ。石なしだよ、石なし。そんな奴を店の中に入れるわけにはいかないんですよ。それくらい分るでしょう」


 当然とばかりに肩を竦めてそう言ってのけるおっさんに、グレイさんは思い切り顔を顰めた。嫌悪感丸出しで、怒りすら窺える。


「店が客を選ぶのか」

「石なしなんかが通う店って評判がついちまったら、商売やっていけないんでね」

「金はちゃんと払う」

「そういう問題じゃないんっすよ。石なしがこの店に入る事自体お断りだって言うんです。いくら積まれても御免だ。うちはそんな下賤な店じゃないんでね」

「…………」


 グレイさんは、――――怒っていた。

 拳を握り締めて、必死に爆発しそうな感情を抑えつけている。おっさんたちを凄い形相で睨み付けて忌々しげに前髪を掻き上げた。


「石なしなんざ、食い物食う価値すらねぇでしょう」


 ……グレイさん、これが現実だよ。

 あんたがどれだけご飯に誘っても、結局私と一緒に食べられる場所はどこにもないんだよ。誰もそれを赦さないんだよ。


 そういう世界だ、ここは。

 そういう世界で私は、石なしをやっているんだ。


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