海は空よりも蒼く

 現世に四季があるように、三途の川野にも四季はある。

 今はちょうど、朝顔の季節が終わって、木の葉が色付いてくる頃だった。向こう岸の彼岸花も、順調に増えてきている。今年も美しく、死人を出迎えるのだろう。


「暇そうだな、船頭」

 船に乗せる客もおらず、一人で暇をしているところに凛々しい声が掛かった。

何かと思えば、服も、肌から髪まで全身真っ白な、天国の使いが優雅に足を組んで船に腰掛けているのだ。

「おやまあ、天国からはるばると。仕事に関しては見ての通り」

「言わずとも分かるさ」

 人はコレを、純白の天使、とでも言うのだろう。この女が酒乱だとわかったらさぞ驚くだろうに。

「私も船頭も、あとあのいけ好かない悪魔も、死人が居ないと、仕事にならない。でも死人がでない事は喜ばしい事。実に愉快だな」

「愉快かねえ。死なない事は本当に幸せか?」

「そら愉快だろうさ。仕事がなくなれば人間は食いはぐれるだろうけど、我々は仕事が無い所で、暇を持て余すだけだからな」

 暇をしているのは、三途も天国も一緒か。

「死んでるからな」

 そんな他愛もない冗談を交わしているうちに、俺も手持ち無沙汰になって川野の平たい石を探しては川に投げた。探していた時、ふと、天国の使いが手に持っている――青い彼岸花に目が移った。

「なんだそれ」

「珍しいだろう」

 ようやく気付いたか、とでも言わんばかりの自慢げな顔で彼岸花を差し向けてくる。

「持ち物検査が厳しくなったせいで、没収されたものらしい」

「花も禁止されたのかよ」

「どうにも。生前の感情を揺さぶる物はダメなんだってさ」

「はあ。お偉いさんの考える事はわかんねえな」

 それにしたって、花の持ち込みは大抵白ユリなのに、彼岸花ときた。それも青い。

 以前に一度だけ、白い彼岸花が咲いている所は見たことがあるが、あれは死ぬべきじゃない亡者が来てしまった時に、追い返せ、というサインなんだそうだ。

 成る程確かに、その亡者は追い返したほうがいい、と思ったし、実際追い返した。

 それだから良かったものの、お偉いさんにはずいぶん怒られた。もっと日頃から選別を怠るな、なんて。

 説教は二番目に嫌いだ。

「現世からの持ち込みなんだろ。一体どんな奴が持ってきたんだ?」

「さあそこまでは知らないさ。でも死人だ。近いうちにここに来るんじゃないのかい」

 そう言うと、青い彼岸花を俺にそのまま押しつけた。

「あげる。たぶん、私の所には来ないから」

「本当か」

「知らない」

 凛々しいのか適当なのか分からない天国の使いは、そのうるわしい声で笑った。そのあと、「良い暇つぶしだっただろう、お仕事だよ」と『お客様』を示して帰ってしまった。


『お客様』を乗せて、船はゆったりと川を進んでいる。『お客様』は若い男で、小さな船だと言うのにしっかりと腰を落ち着かせて、俺が声を掛けるまでもなく殺風景な旅を楽しんでいた。

 時々、何一言も会話を交わさずに仕事が終わる事もあるが、それは口が利けない奴か俺が嫌いかここまで来ておいてまだ死にたくない奴か、なのに、この男は違った。穏やかに揺れる船に合わせて、唄も口ずさんでいる。

 最後の船旅を、ひとりで楽しんでいた。

「あんた、船乗りだったのか」

 黙っている客はそのままにしておくのだが、どうしても男が目に付いてしまい、とうとう声を掛けてしまった。

 天国の使いと直前まで話していた影響も、あるのだろうか。

 三途は天国でも地獄でもない。

 だからこそ、『お客様』には公平で、分け隔てなく、在るべきだと決めていたのに。

「よく分かったな」

 男も嬉しそうに応えた。

「そりゃあ、こんなボロ船でくつろいでいるんだ。俺だって一応は船頭なわけだし」

「船は家も同然だよ。荒れ狂う海峡だろうと、大海原だろうと、敵船の包囲網だろうと船さえあればどこだって生きていける」

「残念ながらここはあとずっと、こんな感じの川だ。海も冒険もくそったれもないぞ」

「構わないさ、船で渡るような大きな川は、行った事が無かったから。まさか死んだ後にも船旅をするとは思わなかった」

 男曰く、現世では死後の世界に向かう時、最後の旅をするというらしい。それは人によって違うのだそうだ。馬車に乗って街道を行く旅もあれば、飛行機に乗って行く空の旅、果ては、長いながい登り坂を歩き続ける旅もあるのだそうだ。

「ま、どれも全て人間が考えた作り話だろうけどね」

「そうなんだ」

 あいにく、俺は三途の事しか知らない。当然ながら死人なので、遥か昔に死んでるのだろうけど、その時どんな旅をしたのかも覚えていないし。

 酒乱の天使に訊けば、分かるのだろうか。親切な悪魔は、他の旅を知っているのだろうか。

お偉いさんが言うには、三途の船頭には好奇心も情も要らないのだそうだ。

 それは、公平さを保つため。

 死人は平等、死後の世界には文句も屁理屈も必要ないのだ。

「俺は、死後の旅は深海に行くと思ってた」

 しばらくの間があって、男が切り出す。

「深海の旅?」

 命あるものの絶えた世界の深海に何の面白みがあるのだろう。

「そりゃ、此処も一緒だろ」

「まあ確かに。でも三途は花が咲く」

 色のない世界の唯一の色。ならば深海にも何か色があるのだろうか。

「深海には、光がある。水面に近ければ、太陽の光が海の中にも届くんだ。でも俺は、深い暗い深海へ、どんどんと沈んでいく。お前の漕ぐ船と同じように」

 今日はいつになく、上手く運転出来ている。ここまで来て、大きく揺れる事もなく、一定の速度を保っていた。

「海って、青いだろ。きっとそれが色だ」

「空も青いが」

「空より青いさ。ひとつの海にも、色んな青がある。光に照らされているところは明るい青だし、底に沈んでいけばより深い青になる」

 ちらりと、男は灰色の川に目線を移す。底が見えないほど濁った川。こんな川でも、立派な船旅なんだと思えるこの男はきっと、誇り高い人間だったのだろう。船乗りの仲間だって、たくさん居たはずだ。

 そんな俺の考えを汲み取ったのか、ため息一つ吐いて男はまた、話の続きを紡いだ。

「俺は、半分の仲間を裏切って、半分の仲間を救った」

「ふうん」

「今でも仲間たちは、海の上にいる。船にいるはずだ。それならどっち付かずな俺は、きっと船から一番遠いところで死ぬ――そう、思ってたからさ」

 海は、沈んでいけばいく程、色を失っていく。

「海の青さが、好きだったんだ」

 だから自分の行き付く先は、青を失った深海なんだろう。と。

「半分の仲間のせいで、もう半分の仲間はきっとそいつらを憎むだろう。何かを失った連中にしてみれば、何かを取り留めた連中はひどく恨めしく見えるからな。もしかしたら争わなくても良かったものが、俺のせいで血が流れるかも知れないのに」

 男は感情的になる事なく、ただ、淡々と語るでもなく、物語を聞かせるような一定のペースで言った。

「原因を作った俺なんて、地獄に堕ちて当然さ」

 櫂をこぐ手が、一瞬だけ止まった。

「おう、どうした。いきなり止めたらバランス崩すぞ」

 即座に反応する男に気負いして、うろたえながらもまた櫂を動かす。それまで一定だったはずのペースが乱れた。

「悪い」

 思ってもいない事が、つい口から零れてしまう。心が乱れてしまったのは、心なんて持ち合わせていない自分と、死にたての人間と、どっちなんだ。

 それに一番は、初めて「自分は地獄行きも同然だ」と言い出した『お客様』に出会った事だった。

「他にも色々やったぞ。強盗、人殺し、略奪、人質、墓荒らしに不法侵入――」


 船に乗って来る亡者は皆口を揃えて言う。天国に行きたい。

 自分の生前の行いなど、構うものかと。

 そんな亡者ばかり見てきたから、俺も心らしい心なんて失ってしまったのか。


 だけどどうして、そんなろくでなしばかり乗る船に、この男は乗って来たのだ。

「なあ、聞きたいんだけど」

「どうした」

「あんた、どうやって死んだんだ?」

 男は俺の質問に、初めて口を結んだ。地獄に行くに値する罪は確かに多くあるし、それも笑い話にするだけの気概があるのに、自分の最期に何か深い事情でもあるのだろうか。

「人に心臓をあげた」

「は」

「目の前で弱っていくダチ公に、俺の心臓あげたんだよ」

 ようやく言い出したかと思えば、そんな事だった。確かに、それは。

「言ったろ。地獄に堕ちても当然だって」

 心がないせいなのか。返す言葉が、思いつかない。

「ダチ公は、体の弱い奴だった。弱いくせに、船乗りなんてしてるから、すぐに体が悲鳴上げたんだ。それでも、あいつに生きて欲しいって願った人が居てな」

 櫂をこぐ手を止めた。今は旅路を急ぐよりも、聞くべき話がある。

「そのせいで一人、人が死んだんだ。生きるべくして生きる人が死んで、死ぬべくして死ぬ奴が生きた。訳分からんかったよ、俺も最初は。どうしてそんな事をしたのか」

「……」

「旅をする者なら、乗り越えないといけない別れを、どうして奴は逃れたのか」

「でもあんただって、その友達だって死に別れてるじゃないか」

「お人好しの心臓で、あいつは生き延びたんだ」

「あんたと全く同じことをしたのか、その人」

「その通り。馬鹿馬鹿しいよな。死に別れたのに、あいつは、心臓と一緒に生きてたんだ」

 自分の命まで投げ出して守る命に、何の価値があるのだろう。それは生きていれば称賛を受けるものなのか。売れば、一生遊んで暮らせるほどの高価な値が付くのか。

「でも、同じ事をしちまったんだよ、俺。生きて欲しいって、願っちまったんだ。救えるものなら、救ってやりたいって、動いちまった」

 一呼吸おいて、男が言う。

「あいつが生きれば、あいつの仲間が救われる。でもそれで俺が死んだ。だから俺は自分の仲間を裏切った」

 説教は二番目に嫌いな事。

 でも一番に嫌いなのは――、命を投げ出してまで命を守った人間だ。

「そうかい。色々聞いてすまなかったな」

 止めていた船を再び動かす。あともう少しで、男の最期の船旅も終わる。

「もう一つ、聞きたい事があるんだけど」

「なんだ」

「もし、仮に。天国に行く事が出来るなら、あんた、行きたいと思うか?」

 男はきょとん、としたが、少しだけ考えると、はにかんで答えた。

「どうせお人好しのあの人も同じような都合で地獄堕ちてんだろうから、別にいいかな。地獄で酒が呑めるかどうか分からないけど、一杯やりたいからね」

 下らない理由に、俺も笑いが零れてしまった。

 公平、平等。

 この船に乗る亡者には様々な事情がある。そのほとんどが、自分勝手なろくでなしだ。

 それなら俺だって、ろくでなしの嘘つきだ。

「久しぶりに面白い話が聞けた。ありがとう」

 俺は懐に仕舞っていた、青い彼岸花を取り出すと男にそのまま押し付けた。

「気持ちばかりだけど、俺からの餞別」

「なんだ、ありがとう」

 向かい側に着いて、赤い彼岸花畑に男の足がつく。もうこれで、男が引き返す事はない。

「ああ、そうだ言い忘れてたけど」

 彼岸花の中を進んでいく男に、船の上から声を掛ける。

「その花、持ってると必ず天国に行くお守りだ。地獄に堕ちたとしても、必ず。天国は酒が美味いぞ。酒豪の天使も居るからな。俺も時々遊びに行くから、その時は付き合えよ」

 男は一瞬、足を止めたが、振り向く事無く片手だけ上げて俺に答えた。その手は既に肉が無く、骸と化している。

「意地悪だな、船頭さんよ」


 亡者の足下の彼岸花が枯れ、地獄の入り口に亡者は消えていく。最期まで、手にした青い彼岸花は美しく咲いていた。


 意地悪が何だって。当然さ、俺はあんたが嫌いだからな。

 どんなに美しい死に方だったとしても、死ぬべき人間を死なせなかった事、そしてだからな。


 今までに一度、死人を追い返した事がある。白い彼岸花が咲いた時だ。

 死人の顔も、見た目も覚えてないけど、確かに俺はあんたの「生きろ」、という声を聞いてしまったんだ。

 長々と話して、ようやく思い出した。

 その時の死人も、「仲間のところに帰りたい」って言ったんだ。

 感情に揺さぶられたのは、心が動いてしまったのは、三途の船頭おれのほうだった。

 

 三途の川の船頭は、死人に公平であるために心を捨てなければならない。

 でも実際は、公平で分け隔てなく在ればいいだけで。

「綺麗だねえ、若いの」

「そうですね、ご老体」

 花を美しい、と思えるだけ。

 アンカーのような、揺るぎのないつながりに胸を打たれるだけ。


 俺には心があるのかも知れない。



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