第5話

 学校帰り、倶楽部に参加するために街へと向かう道すがらだった。

「要するに、哲ちゃんは私に晴馬さんのことを諦めろって言いたいんでしょ?」

 遠回しな説得を続ける哲子の言葉をずっと聞き流す様子だった千世子が、自分の方から核心に触れてきた。

 そうよ、と哲子は思い切って千世子の背中に答えた。周囲に目を走らせた。幸い、大通りから伸びた枝道えだみちの上には気にすべき通行人の姿などなかった。

「おじさまがとても心配なさっていること、千世子だって知っているはずよ」

「世の中、父様の思い通りになることばかりじゃないから」

「でも、そのことが軽はずみな真似をしていい理由にはならないでしょう?」

「軽はずみな真似?」

「分かっているくせに。不用意に、私たち女の方から男性に気持ちを伝えること」

「……へえ。そんなこと言っちゃうんだ」

 千世子が立ち止まった。

 肩越しに、ぞっとするほど平坦な声で続けた。

「『は来たるべき恋のいとぐち』なんて詠んだ哲ちゃんが。『バレンタインデー』の仕掛け人が」

「だってそれは……」

 哲子は太一郎の言葉を思い出して自分を励ました。

「『それはそれ、これはこれ』だもの。教室で久里子にも言ったけれど、私はただ、新商品にたくさん売れて欲しくて、おじさまの役に立ちたくて」

「『緒恋来しょこら』を贈ろう、気持ちを伝えようって、世の女性を焚き付けるだけ焚き付けておいて、いざとなると立場を変えるんだ」

「千世子」

「哲ちゃんこそ分かってるくせに。自分で自分を追い詰めてること」

「私が、自分で自分を?」

「そう。言い訳して、気持ちに蓋をして、始める前から諦めてる」

「私は別に、何も、諦めてなんか」

「またそうやって知らんぷり。事を構える勇気が自分に無いからって、私まで道連れにしようとしないでよ」

 あざけるように言って振り向いた千世子の瞳はしかし、少しも笑ってなどいなかった。

 哲子は愕然がくぜんとした。何とも応えてみようがなかった。幼馴染の言わんとすることの意味が嫌というほど分かったからであり、進んでそちらへ水を向けられたことがあまりにも意外だったからだ。頬が熱くなった。思わず俯いた。千世子の目をまともに見られなかった。

 ややあって、千世子が気まずそうに顔を背けた。

「……意地悪言ってごめんなさい。哲ちゃん、私、先に行くね。ロッテが待ってるだろうから」

 日の傾き掛けた空に遠く汽笛が響いた。千世子の足音が聞こえなくなるまで、哲子はその場に悄然しょうぜんと立ち尽くしていた。

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