第3話

 二人ながらいわゆる『海老茶式部えびちゃしきぶ』の女学生姿、矢絣やがすりのおめし行灯袴あんどんばかまでも、哲子と千世子では自ずから趣が違って見える。

 少なくとも哲子自身は常々そう感じている。同じ下げ髪にリボンが千世子の柔和な美貌にいっそうの愛らしさを添える一方で、造作に硬さのある哲子のことはいよいよ男勝りな実際家に見せる。

 学友の一人、歯に衣着せない久里子くりこは何かの折に言ったものだ。花の綺麗と水晶の綺麗は別の物、と。そのとき哲子は何とはなしに納得し、また観念した。自分はきっと誰にも手折られない。例えば距離を置いて観賞されるようなことはあるにしても。

「今朝は何だか元気がないねえ、哲ちゃん。ひょっとしてあれかな? 恋患こいわずらいかな?」

 上目遣いで顔を寄せてくる脳天気な幼馴染を、哲子は右の肘で押し退けた。

「誰かさんと一緒にしないで頂戴。私の悩みはもっと深遠なものなの」

「またまたぁ。年頃の娘が恋で悩まなくて何で悩むの? 水虫?」

「カミツレさんに教えてあげたい。千世子のそういうところ」

 住宅地を抜け、緩やかな丘を登り、通学路をひたすら徒歩で行く。二人の編入先、清華女学院せいかじょがくいんは車での送迎が許されていない。二輪車通学さえ禁止の厳しい校風に哲子は内心驚いたものだが、相方の身体を思い遣れば、澄んだ朝の空気を吸いながらゆっくりと歩くことは悪くなかった。

 守永家が都内を離れたのには二つ理由があった。一昨年の九月に起きた関東大震災と千世子の喘息ぜんそくである。間欠的で軽度なものながら決して無視できない一人娘の持病を、転地療法で改善できないかという案は当人が幼い頃からあった。被災したことを機に、それを実行に移したかたちだ。

 海から吹く風のお陰かもしれない、一緒に越してきてからこちら、千世子の体調は傍目にもすこぶる良い。気を付けなければならないのは蒸気機関車の煙くらいのもの。しかし、それら難儀な宿痾しゅくあ煤煙ばいえんも時と場合によっては出会いのきっかけになるのだから、縁というのは不思議なものだと哲子はつくづく考える。

「あ」

 隣の千世子が小さな声を漏らした。そのたった一音に無上の喜びが籠もって聞こえた。哲子も気が付いた。角を曲がって、男子学生の一団がこちらへやってくる。弊衣破帽へいいはぼう、やたらと高下駄をがらつかせるにしてな黒いマントの男たち。

『バンカラ』そのものといった彼らの最後尾にあって、書生姿のカミツレさん――、明寺晴馬めいじはるまは哲子の目にも独特な存在感を放って見えた。目元の涼しげな、背筋の伸びた好青年だ。鶏群けいぐん一鶴いっかくという言葉がこれほどしっくりくる場面もない。

 硬派な仲間たちが少女二人を完璧に無視して擦れ違う中、晴馬だけはちらりとこちらを見て優しく微笑んだ。見ず知らずの間柄であれば見過ごしかねない一瞬の挨拶に、耳まで真っ赤になった千世子もまたあるかなしかの笑みで応えた。

 男子たちが行き過ぎ、下駄の音が完全に聞こえなくなると、千世子が立ち止まった。盛大な溜息をついてその場にくずおれた。咳をし始めた。

「ちょっと千世子、大丈夫?」

「……無理。苦しい。ああ……。晴馬さん素敵。……格好良い」

 喘鳴ぜんめいの合間に想いをこぼす幼馴染を抱きかかえて、哲子はどうしようもなく胸が詰まった。

 晴馬に対する千世子の、この強い恋慕の情を断ち切らなければならない。

 それが太一郎の意志だから。過ちを犯してからでは遅いのだから。

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