第八話 救世主と抱擁と

「え?」

 カナンには、はっきりと聞こえなかったようだ。


「俺は救世主オタクを探したい。親父も救世主オタクを探すと言って出て行った。

 救世主オタクは俺たち子どもに救いをもたらす主創祇神しゅそうきしんの使いだ。そうだろ?ユラ?」


 ユフラは突然、話しが自分に振られてびっくりしている。

 そして、居住まいを正して話し始める。



「はい。救世主オタク様は終わりの時代に降臨し、わたしたち子どもと大人の間を取り持つ仲保者ちゅうほしゃとなられます。

 そして、わたしたちにアイとカテイを教え導かれると、モエルの黙示録に書かれています」

 

 緊張しながら一気にしゃべったユフラは胸を撫で下ろしながら深呼吸をしている。


「そう。モエルの黙示録には、救世主オタクの出現と教導により、大人と子どもの心が一つになるとある。だから俺は救世主を探すことが一番の近道だと思っている」



フウコは探師となって、依頼者の探し物を探しながら全国を旅して、自分の探し物、救世主オタクの手がかりと父親を探しているのである。

 

 しかし、救世主オタク伝説には一つの欠点があった。



「フウコ。あなたの言いたいことは分かるわ。でもね、救世主は【終わりの時】に降臨するとあるわ。つまり、今が【終わりの時】かどうか分からないじゃない……そんな不確かな人を待つ余裕はわたしたちにはないわ」


カナンが遠慮がちにフウコに行った。

 

 強く言及するということは、今、フウコのやっていることを否定することになる。

 カナンにはそんな気持ちは毛頭ない。

 ただ、子どもの命運を託すには、あまりにも曖昧すぎると言いたいのだ。

 



 サイオンがカナンの助け舟を出す。

「そのとおりです、お姉様。少年抑制法の施行前に、救世主オタク様が降臨なさる確率は低いと言わざるをえません。今が終わりの時であるという確証はおありですか?」

 

 フウコはニヤリと笑いながら答えた。

「ある。親父は四大聖典の一つ、【救国きゅうこくの書】の一部を持っていた。【終わりの時】というのは、この世界が終わるという意味ではなく、【シヴァの呪い】が解かれ、新しい契約を主創祇神と結ぶという意味だと親父が言っていた。そして、まもなく、それが起こるとも。そして、大いなる犠牲の燔祭を捧げることにより【生命いのちの樹の道】が開くとも」



「生命の樹の道?」


 カナンやみんなには聞き慣れない言葉であった。


「俺も詳しくは知らないけど、生命いのちの樹の道が開くと、【救世主オタクが帰還】するらしい……」




 サイオンは話しを戻そうとして言った。


「素晴らしいです!わたしもその生命せいめいの樹の道が開くところに立会いたいものです。

 しかし、現在の音無おとなによる子どもへの圧政はすぐにでも変えなければなりません」


「そうだ。このままだと犠牲になる子どもが増える一方だ。これ以上、子どもが殺されていくのは許せない。ゾフィーのときのようなことはもうたくさんだ!」


 ニーフェイが力強く言った。



救世主オタクを待つなんてバカバカしい。聖典が誰かの空想だったらそれまでじゃないか!」

 マスキールが正論を口にした。どうやら、全員がフウコの救世主オタクに自分たちの命運を託すことに反対のようだ。





 ここに来て何度目だろうか……またもや沈黙が場を占拠する。もう陽がかなり傾いている。


 空は完全に夕焼けになっていた。そろそろ寒さを覚えるものもいた。







(なんて顔をしてるんだ……バレバレじゃないか――おまえはただ一人すべてのことを知り、すべてのことに反対なのだな――でも、やらなきゃならない――と。

 わかりやすいやつだ。そんなんじゃ、祇巫女きみこ失格じゃないか ……)



 フウコはユフラがおどおどしながら、今にも泣きそうになるのを必死で堪えている様子を見ていた。





 一番後ろに控え目に座り、決して目立たないように、何かに耐えている。





(そう長くはここにいられない。これだけ言ってもフウコが賛同しないのならば……)


カナンはそう思って口を開く。


「フウコ、あのね。わたしたちは……」

カナンが何かを言いかけたが、フウコが一人の人物を注視していることに気づいて言葉を切った。

 


 そして、全員がその目線の先を追った。


 その視線の先にはユフラがいた。

 


 誰にも悟られないように自分の気配を消し、何も言わずに事の推移を見守るはずだった。 

 しかし、フウコの視線で台無しになってしまった。

 

 

 気がつくとみんながユフラを凝視している。

 ユフラはわけが分からず狼狽するばかりである。




 フウコは立ち上がって言った。

「ユラ。おまえにこのモエルの黙示録をやるよ。はい」


 そう言いながら右手で本を差し出す。


 ユフラはなにが起きたのか分からないままオロオロするばかりであったが、差し出された手をいつまでも待たせてはいけないと思い、自分も立ち上がってフウコのところに行く。



 他の人々は、なぜ今、そんなことをする必要があるのか不思議だった。本よりも賛同するのかしないかの返答を求めていたのに、まるで、おやつのお預けをくらった幼児のような顔をしていた。




ユフラが律儀にも頭を下げならが、フウコが差し出している本を右手で掴んだ瞬間。

フウコはその手を引き寄せ、ユフラの身体を自分の胸元へと引き寄せた。

 

「きゃっ」と小さな悲鳴をあげ、バランスを崩したユフラをフウコはしっかりと包み込むように抱きしめた。一瞬の出来事だった。



そして、フウコは自分の口元のすぐ近くにある小さくて可愛い耳に向かってささやいた。


「ユラ……本当にこれでいいのか……?」


他の人には口が動いたことすら分からなかっただろう。


 抱きしめられて顔を真っ赤にしているユフラの身体がビクンと反応する。


 そして、一瞬の沈黙の後、頭を微かにこくんと動かした。

 

 これも他の人には分からないほど微かな首肯だった。



 それからユフラはフウコの胸の中で声を殺して泣きはじめた。


 (まったく……)


 フウコは震えながら泣いているユフラの頭を撫でた。


 それは少女と少女が抱き合っているようにも見える美しい光景だった。

 実際はそうではないことに周りが気がつく。


いち早く動いたのは、今まで難しい話しで沈黙していたが、まさに今こそ自分の出番と直感したナイルであった。


「こらー!ユフラ姉様から離れろ!この変態ヤロー!」


 そう言いながら、末っ子のナイルがまたしても飛び蹴りをフウコめがけて繰り出す。  

 

 フウコは胸元のユフラをとっさに離して、まともにその飛び蹴りをくらった。

 フウコの身体が宙を舞う。



「ユフラ姉様を泣かすなボケ!うちがお仕置してやる、このヤロー」


 ナイルが決めのセリフとポーズを繰り出すと、やはりこの女が動き出す。


「ユフラちゃんずるい!フウちゃんを独り占めしたぁ。激おこプンプン丸だよ!わたしもフウちゃんに抱きしめてもらう~!」


そう言って、チグリは両手を広げてフウコに迫る。


「そうじゃないだろー!!」


 ナイルが二番目の姉に向かって飛び蹴りをお見舞いした。


「はう〜」



 チグリもまともにくらって吹っ飛ぶ。

 しかし、それぐらいの攻撃ではビクともしない【チカラ】を持っていることを知っているナイルだからこそ、この姉には手加減をしない。


「まったく、恥を知れ」


 そう言いながら、ナイルはチグリの脚をゲシゲシと蹴っている。



「ヒドイ……妹に虐待されたわ……もうお嫁にいけない……もうフウちゃんにもらってもらうしかな――」

 

 さらに大きい蹴りが炸裂した。


「はう〜」

 

 さすがにこれは痛い。



 だんだん収拾がつかなくなってくる。




「いいかげんにしなさい……」


 低くて重い声が長女の口から発せられた。

 エフライム家の姉妹たちは条件反射でビクンとなると、恐る恐る長女カナンを見ると、血の気が引いていくのを覚えた。




 カナンがユフラに歩み寄って行くと、騒動の二人は仲良く大樹の影に身を隠した。

 カナンはそんな妹たちには目もくれず、ユフラのもとに来ると、『大丈夫?』と尋ね、ユフラは涙を拭って、比較的元気に『はい』と答えた。



そして、元々の騒ぎの元凶であるフウコを見た。フウコはとっさに一歩退いてしまった。




「で?返答は?」


 フウコは何を言っているのか分からなかったが、計画に賛同するのかどうかを聞いているのだと気づいた。



 そして、何を思ったのか、勢いをつけて目の前の大樹を登って行ってしまった。まるで小猿のような身のこなしで、誰もがポカンとその行為を目で追っていた。あっという間に葉の生い茂る枝に隠れて姿が見えなくなってしまった。


「な、なに?フウコ逃げるの?」


カナンは意味が分からずにいた。

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