アマデウス

 平日夜の駅前の人通り。スマホと小さな財布だけを持った身軽な男は、迷いのない足取りで人通りを横切る。杉山徹は先日30歳を迎えた。特段いつもと違うこともせず、祝福の言葉もなくその日を迎えた。

「チッ」

 はや足で駅に向かう杉山は、通行人と肩がぶつかり鋭く舌打ちをした。振り向くとスマホを見ながら下を向いて歩いていた女子高校生が、こちらを迷惑そうに振り返った。

「おい。何を見てんだよ」

 低い声で威圧すると女子高生はとたんに走り出して逃げ去った。呆れたもんだ。謝ることもできないのか。頭の中で悪態をついても腹は収まらないまま、道端に唾と共に憤りを吐き出す。

 電車は降りる人の方が多く、これから乗り込む人はその半分以下しかいなかった。適当な席に座ると、スマホの新しい通知に気が付いた。

『誕生日おめでとう』

 母親から淡泊なメッセージが1件。続いて、そのすぐ下の別の会話を開くと、最後に杉山から今朝送ったメッセージが未開封のまま、返事は来ていなかった。

『とにかく、行くから。会って話せる?』


 会話の相手の家に着く頃には、さらに夜が深まっていた。時刻を確認すると22時を少し過ぎている。杉山はマンションの玄関で彼女を呼び出したが、ドアは開かないまま反応はなかった。

 暗証番号を入力して部屋に着くまでに、メッセージを何通か送ったがまだ既読は付かないままだった。それでも杉山は彼女がメッセージを見ている事と、家にいる事を確信していた。こんなことは今まで初めてではなく、彼女はこれまで幾度も同じような手を使ってきているのだ。

 まさにインターホンを押そうとした時、通知の音がして急いでスマホを見ると杉山は顔を歪めた。

『何か欲しいものはある?』

 母親からのメッセージをそのまま無視し、杉山はインターホンを押すのをやめて合鍵を取り出し、雑な手つきでドアを開けた。

 予想通り彼女は居て、無遠慮に入ってきた杉山に驚き急に立ち上がったまま固まっていた。杉山はまず最初に彼女に何と言うか、来る道中でいくつも考えていたが、彼女の怯えた表情を見て、その中で一番酷い言葉を選んだ。

 彼女は最初は低姿勢で謝ったり、杉山を宥めるような言葉を選んでいたが、次第に涙もおさまり落ち着いてくると、はっきりと杉山に「別れて」と告げた。

「お前みたいなやつ、もらってくれる人いんの?」

 ピロン!とその場に似つかわしくない陽気な通知音が響く。同時に杉山はスマホを力任せに机に投げつけて、そのまま机を蹴り上げた。

 彼女は肩を震わせてその場で蹲っている。杉山は一瞬で荒れた部屋を見つめてしばらく黙っているうちに、次第に考えがはっきりしてきた。

(・・・タバコだ。とにかくタバコを吸わないといけない。)

 ポケットを探るとくしゃくしゃになったタバコの箱を見つけた。中には2本だけ残っている。タバコに火をつけると、彼女も落ち着いたのか、何も言わず窓を開けた。

 大きく息を吐く。白い煙と共に、頭に登った血が下がっていくのを感じる。

「・・・ごめんな」

 彼女は窓際で外を見たまま何も言わない。

 杉山はスマホを拾ってポケットにしまった。

「今話してもさ、互いに伝わんないでしょ。今日は帰るよ」

 最後に杉山が振り返ると、彼女は動かず両手で腕を抱えたまま、夜風に吹かれながら外を見つめ続けていた。


 外は冷えた風が無慈悲に吹き付けてきて、杉山は思わずぶるっと体を震わせた。勢いで家を飛び出した格好は、夜外を歩くにはまだ季節が早かったようだ。

 時計を確認すると、まだぎりぎり終電が残っている。駅までの道のりは、来た時の人通りが嘘だったように閑散としている。

「私が全部悪くていいから、徹と別れたい」

「私以外の人と幸せになって」

 杉山は頭の中でさっきの彼女の言葉を反芻していた。何度も彼女に自分の気持ちを伝えているはずなのに、なんでそんなことを言うのか杉山には理解できなかった。

「徹といると幸せだよ」

 いつか彼女に付き合ってテーマパークに行った時の笑顔の彼女がフラッシュバックした。本当に同じ人物だろうか。ポケットから最後の1本のタバコを探り当てて火をつけようとすると、ライターが切れて何度試しても火が付かなかった。

 杉山は舌打ちして、向かいの道路のコンビニに向かって進路を変える。道路に踏み出すと、脇道を勢いよく左折してきたバイクと道の真ん中で丁度出会った。

 急ブレーキの音と大きな衝撃の音。静まった街中にそれは響いて、時間をおいて救急車の音と、パトカーの音。終電を下りた人々は、悲劇を横目に目を伏せながら通り過ぎていく。

 杉山のひび割れたスマホには開かれなかったメッセージが1件のみで、その後も彼女から連絡が入ることはなかった。彼女が杉山の最後を知ることはきっとなく、彼の死を悲しむ人はきっといないだろう。

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