叫び
ある日友人に旅行に誘われた。行き先は山陰、彼女の故郷である。温泉や観光地を巡って息抜きしようというのだ。会社を休んで女二人で物見遊山、それは凡庸で忙しない毎日に辟易していた私にとって大変魅力的な提案で、断る理由などなくすぐに了承した。
東京生まれでずっとコンクリートと人工物に囲まれて暮らしていた私は、初めての山陰に心躍らせていた。地図でいうと本州の左端の方だよ、と彼女は雑に説明してくれた。彼女にどうして故郷を旅先に選んだのかと聞くと、渋い顔をして答えなかった。大学の時から地元の話は嫌がっていて、彼女から家族などの話を聞くことはめったになかったのだ。
「切り離せないからね」
ぽつりとこぼす彼女に、なんと返そうか逡巡しているうちにタイミングを逃して何も言えなかった。コーヒーを差し出す彼女に「ありがとう」としか言えず、それきりその話題は出なかった。そして、目的地が近づくと私はにじみ出る異国情緒の虜になってしまった。
飛行機の窓から見える大地の緑よ!閑散とした空港よ!胸いっぱいに吸っても吸い足りない食べログ星5の空気たちよ…
平日だからか人は少なく、空は広くて空気も綺麗。観光なら新大久保に行くよりも断然こっちのほうがいい。日本に観光に訪れる外国人も、煩雑とした東京じゃなくてこっちを日本の代表として見て帰ってほしいものだ。
「まずは国宝を見せてあげよう」私の様子に満足げな彼女は、得意げに松江城に連れて行って遊覧船に乗せた。堀川では観光客など意に介さない様子で、鴨たちが水面に揺れていた。私は鴨と一緒に水に揺られるのが気持ちよくて、夢うつつで彼女を見るとどうやら彼女も同じように、優しい表情で頭を揺らしていた。突然ばたばたと飛沫を上げながら鴨が飛び立つと、私達は急にたたき起こされるように驚いて、顔を見合わせて大笑いした。彼女はレンタカーを用意してそれから宍道湖、出雲大社、美術館、ロングドライブで鳥取砂丘…、時間を惜しむように私を連れまわしてくれた。
何もかも新鮮なその土地はまるで異国で、彼女とその地に立っている事に現実味が沸かずふわふわとしていた。彼女は旅の間、ずっと私の写真を撮り続けていた。
「見せて」
いや、と彼女は笑う。私も断られるのは分かっていた。彼女はいつも、撮った写真を見せてくれないのだ。
旅行の間、1日だけ彼女の実家に泊まらせてもらった。夕方、家の周りの田んぼでひっきりなしに鳴いていた蛙の声は、夜には無かったことのように静まり返っていた。
「雨が降る時蛙が鳴くんよ」
雨の音だってうるさいが、蛙の大合唱はこんなにうるさいものだったとは。そう伝えると、彼女は田舎を舐めてたねと笑った。彼女の家の周りは田んぼか畑しかなくて、街灯もまばらで自動販売機もなかった。その分夜空は星がきれいだが、数少ない街灯の下で見る彼女はいつもと違って見えた。
「ね、ちっちゃい時の写真見せてよ」
「いやだ。というか、残してないけん」
「うっそ。アルバムとかあるでしょ」
彼女はこれだけ、と言って猫の写真を持ってきた。実家にいたころ彼女が初めてカメラで撮ったものだという。布団をめくられて嫌そうな顔。眠そうに顔を前足で拭う姿。彼女の足を掴んで立ち上がり、何かを訴えて開かれた口。写真はいろんな角度からいろんな場面の猫を映していた。写真を見つめていると、シャッターを切る彼女と自分が重なるような気持ちになった。
「なんか…」
「ん?」
どうにかその感覚を言語化しようとしたが、何といえばいいのかわからずしばらく考えこんでしまった。彼女は黙って待っていた。
「大好きだったんだね、この子のこと」
じんわりと胸があったかくなるような視線。この猫にレンズ越しに向けられた視線からは、愛おしくて仕方がないのだと言葉よりも強く伝わる。彼女は嬉しそうに頷いた。
旅行はあっという間だった。東京に帰ってくると、それまでのふわふわした異世界は夢だったとでも言うように、忙しない日常に引き戻される。旅行の後だと、東京はなんて非自然的なんだと実感した。街の緑は景観のために人為的に植えられたもので、夜になっても明りは灯り続けている。馬鹿げた大音量の広告や人々の会話の大合唱が街に鳴り響き、耳を澄ましても生き物の生きている音を感じることは無い。
こんな自然の中で育ったら、都会が嫌にならないのかと彼女に聞くと、そんなことはないと即答された。
「うるさすぎて何も聞こえないのがいいんだよ」
しかし旅の余韻は忙しさにかき消されて、だんだんと記憶は薄れていった。それから私は付き合っていた恋人と結婚することになったり、仕事で急に大きなプロジェクトの責任者になったりと、彼女に連絡を取る暇もなく数年が過ぎていった。
その後、旅行以来一度だけ彼女に連絡を取った出来事があった。
週末に街を歩いていると、一緒にいた旦那がジャズクラブを見つけて、何気なく入ってみることにした。
相変わらず東京の週末は賑やかだが、その建物に入って扉が閉まった瞬間、周りの音は急に消えてしまった。そこには自分たちの足音と、かすかなカトラリーのぶつかる音だけが響いていた。都会のBGMに慣れてきっていた私は、音が止まってからやっとBGMが流れていた事に気付いた。
箱の中では、街の喧騒も聞こえなければ、生き物の声なんてもってのほかだ。まるで分厚いガラスが二層になって分断されている水族館のようだ。
だんだんと耳が慣れてきて、よく聞くと客の小声の会話や、厨房の水音のような細かい音が聞こえてくる。彼に連れられて奥へ進むと、壁際の席を案内された。二人でアイスコーヒーを頼み、彼にさっき思った水族館の話をしようとした時、急に照明がアンニュイな揺らめきに変わった。
スポットライトの当たる店の中央へと一人の女性が歩み出る。客はみんな彼女に注目し、誰もかれも息を飲んで幕が上がるのを待つ。一音、ピアノの音が空間を満たすように広がっていく。再び静寂が訪れるのを待って、ガタイの良いその女性はピアニストに目配せをすると、大きく息を吸った。
その歌声は想像していたよりも力強く、そして低く、一瞬で客席を震わせた。私は急に脳みそを揺らされたような衝撃を受け、あの旅行の日がフラッシュバックした。
彼女の鼻歌が聞こえる。
レンタカーの助手席で、私は次の目的地の道案内と睨み合っていて、あまり彼女の話を聞いていなかった。聞き返すと、彼女は慣れた道だから案内は切っても大丈夫だと言った。車内には懐かしい音楽が流れていて心地よい。ハンドルを握る彼女も上機嫌だ。
「なんだっけ、この曲まえに教えてくれた…『ナチュラル・ウーマン』?」
「そうそう。アレサ・フランクリンの」
彼女がよく聴いていた曲だ。車は山道をうねうねと蛇行している。道路の両側に木が生い茂っていて、日中なのに暗い。こんな細い道で、対向車が来たらどうするんだろう。大体田舎の道はそんな道が多くて、自分で運転できる気がしない。
「それで、なんだっけ?」
「うん、あのね、行きたいところがあってさ」
どこ?と聞くと、彼女はしばらく答えずに、一瞬だけ車内に沈黙が流れた。
「イグアスの滝って知ってる?」
すぐに調べようとしたが、圏外だったので私は素直に知らないと白状し、その滝について教えてもらった。
「今度行こうよ、絶対。次の旅行はそこだね」
私が言うと彼女はうん、と言ってそのまま黙ってしまった。その時私が何を考えていたかは、よく覚えていない。その時向かっていたのも滝だったので、きっと彼女は滝が好きなんだな、とかそんなことを考えていた気がする。でも私はその時の彼女の表情と、手にしていた電波の繋がらない携帯の冷たさを、なぜか鮮明に覚えている。それから目的地に着くまで、彼女はほとんど喋らなかった。
その滝は彼女の地元では有名らしく、普段は観光客もままいるのだが、私達は有給取得の平日サラリーマンだったので、ラッキーなことに貸し切り状態だった。地面に穴を穿つように落ち続ける巨大な水。滝を一目見ると私達はさすがにテンションも上がり、学生みたいにはしゃいでいた。
都会はうるさい、田舎は静かだなんて言ったが、それは全部嘘だ。
水面にたたきつけられる水の音なのか、上空から降る流水の音なのか。滝はうるさすぎて、すぐそばの彼女が何を言っているのかもわからなかった。私の声も彼女に届かず、その状況が可笑しくて私達は苦しいほど笑った。
彼女は笑いすぎて涙目になっていていたが、息を整えたと思うと、滝に向かって何か言っていた。必死に、叫ぶように、彼女は声を振り絞っていた。水の轟く音と混じり合い、私の耳に届いたそれは、歌声だった。彼女は、泣きながら歌っていた。
全く別の場所で歌う彼女たちの歌声は、しかし同じ叫びに聞こえたのだ。彼女はあの時、歌っていたのではなく叫んでいたのではないだろうか。
それは自然に抗う叫びのようで、脈々とつづく切り離せない水の流れや、彼女たちを追い詰める落水の轟音から逃れるように、都会の水槽の中に逃げ込んできたのではないだろうか。
私は耐えきれずに幕間で席を立ち、急き立てられるように彼女に電話を掛けたが、つながらなかった。
その後の彼女の消息は大学時代の友人を通して一度聞いたきりだ。実家で見合い結婚をしたのだと言う。戻れるのならば、あの旅行の日々にと願うが、私は彼女に何と声をかければいいんだろうか。
彼女は行けただろうか。イグアスの滝へ。
―――この作品はセバスティアン・レリオ監督『ナチュラルウーマン』(2017)へリスペクトを込めて勝手に書かせていただきました。
あとがき
叫びというのは、ムンクのあの絵画である。絵の人物が叫んでいると思われがちだが、実は自然の叫びを聞いて不安と恐怖におののく人の絵だ、という解説を目にした。まあでも、それはこの話とは全く関係がない。ムンクが言う「自然を貫く果てしない叫び」というのは自然の叫びと訳していいんだろうか。自然の時間は雄大すぎて、人間が感じ取れることは無いと思う。彼が内面を描いたというのならば、あの絵画に描かれた叫びとは、巨大な自然に不安や恐怖を感じた人自身の心の叫びが、こちらを圧倒する巨大な自然の叫びとなって体現されたように感じていて、やはり叫んでいるのは絵の人物なのではないかと私は思う。
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