闇に包まれたヘレネ
風の様に現れた一人の青年は、少し薄汚れたマントを纏っており、フードで顔が見えない様に隠しています。
城前に駐在する騎士に王様への謁見を申し出ました。
青年はこの国の住人ではありません。しかし王様とは親しい関係にある様です。
その為、直ぐにお城の門を潜る事が出来ました。
「久しいな、……カストル。もう二度と会えないと思っておった……」
玉座に座る王様――テュンダレオスは、カストルと呼ばれた青年を笑顔で迎えました。
マントのフードを脱げば、少し長くてくせっ毛のある灰色の髪と、光が灯った灰色の鋭い目付きに顔立ちの整ったその顔はジェミニ帝国の王子です。
テュンダレオスとは親戚の関係にあり、カストルは幼少期の数年をこの国で過ごしていました。
現在では、双子の関係にあるポリュデウケスと協力して帝国の繁栄に勤しんでいます。
「申し訳ありません、テュンダレオス様。……言い訳にしかなりませんが、私もポリュデウケスと国の統制に努めるのに精一杯でした。しかし今回の騒ぎを知って、ポリュデウケスが『お前一人でも良いからディオスクロイ王国の様子を見に行って欲しい』と」
「忙しい時に遠路遥々からご苦労だった。今日はもう休まれては?」
カストルは首を横に振りました。
「いえ、城下街では冬の女王様の事で騒がれているので、一刻も早く太陽の塔に向かうべきかと。今は落ち着ける様な状況ではありません」
「……そうか。では早速、塔に向かうとしよう」
テュンダレオスは玉座から立ち上がり、カストルと騎士たちを何人か連れて太陽の塔へ向かい始めました。
※ ※ ※
太陽の塔に住む女王様は、塔の頂上近くの階層にある部屋で暫くの期間を過ごしています。
太陽の塔はお城に比べて少し階層が高く、長く続く螺旋階段を上がらないといけない為に時間が掛かります。二人の背後にはテュンダレオスがお城から連れて来させた騎士たちが付いていましたが、何度か言葉を交わしながら階段を上がり続けました。
「……テュンダレオス様。“数日前からセントエルモの火が一つしか見えない”という話を耳にしましたが」
「ん?」
「今回の様な騒ぎの――前例はあったのでしょうか?」
テュンダレオスは振り返る事も、立ち止まる事も無く答えます。
「……そうだな、歴代の王から語り継がれている事例がある。国の民たちも恐れていたそうだ。色んな人たちが犠牲になったからな」
「……」
カストルからはテュンダレオスの顔色を窺う事は出来ません。しかしテュンダレオスの何処か少し震えていた調子の声で、恐怖を感じている事を知ります。
カストルは何の言葉も返せませんでした。人の痛みは、自分にも同じ痛みが無いと理解出来る筈が無いのです。
カストルが言葉を選び出す前に、テュンダレオスは同じ調子で言葉を続けました。
「……聞かされたあの頃を思い出すと、夜は眠れなくなりそうだ。出来れば私の代で起こって欲しくない……。この大変な時期に……」
テュンダレオスの言葉の途中、二人の足は止まりました。どうやら女王様の居る階層に辿り着いた様です。テュンダレオスが左横に振り向くと、大きな扉が一つありました。
カストルはずっと俯いたままで居ました。テュンダレオスは彼の方に振り向く事も無く、扉のノブに手を掛けます。
テュンダレオスが扉を開いた先は、塔の中とは思えない程に広い世界がそこにありました。
部屋の色は全体的に、薄暗い赤と、金色というよりは光沢の弱い黄色で統一されており、茶色の大きなテーブルと幾つかの大きな椅子、他にはクッションを載せたソファに、天蓋付きベッドなどの家具が幾つか並べられていました。
天井には一つの大きなシャンデリアがつり下げられており、部屋の中心から花の様に模った模様と、暗い赤が拡がっているカーペットは、部屋の床全てを埋め切れず、淵では光沢の弱い黄色で区切られています。また部屋中心に置かれたテーブルから左へ少し離れた位置には、数々の本たちを敷き詰めた大きな書棚が一つあり、そして部屋の奥にある唯一の窓から右の辺りに化粧台が置かれていました。部屋の入り口である扉から反時計回りで順に、少し先にタンス、間隔を殆ど作らずにクローゼットがあり、天蓋付きベッドはタンスから先の位置にあります。
お城から付いて来ていた騎士たちを部屋の入り口に駐在させて、テュンダレオスは部屋へ一歩踏み込むと、直ぐに立ち止まりました。カストルもその姿を見て立ち止まります。
「何だ……?」
「どうされました?」
「部屋が薄暗い……。まさか」
どうやらテュンダレオスから見れば、部屋はいつもと違う状況だった様です。彼は部屋を見回し、ベッドの傍で靴が揃えられているところを見つけると、彼は慌ててベッドへ向かいます。カストルもそれに付いて行きました。テュンダレオスが強引にベッドのカーテンを開けます。
「こ、これは……!」
「何だ!?」
二人が冬の女王様――ヘレネと対面した時、彼女の身体全身は“闇”に包まれていました。
そんな彼女の状態を見て、テュンダレオスは心乱れるも落ち着きを取り戻そうとして、しかし震えた声で言いました。
「……“ナイトメア”か」
「……?」
“ナイトメア”。それはその名の通り、悪夢を意味します。
ヘレネは悪夢の世界に囚われ、思い通りに動く事が出来なくなっていたのです。
彼女を包む“闇”はそれを示していました。
「……何であれ、兎に角起こさないと不味いです!」
カストルは知っていました。
どんな理由でも女王様は太陽の塔での滞在期間を過ぎたら、一刻も早く太陽の塔から離さなければいけないのです。
セントエルモの火が見える七日間は、女王様の交替が可能な期間であって、その期間が過ぎてしまうと、太陽の塔に居る女王様は“塔から出る事が出来なくなる”のです。
即ち“その季節、天候が続いて行く”事にもなり、……それは“永遠に”続いていき、彼女が命尽きると“塔の魔力”となってしまいます。この状況に陥ると彼女が命尽きるまでは、太陽の塔へは誰も入る事が叶わなくなり、どうしようもありません。
カストルはヘレネを起こそうと、彼女の肩に触れようとします。
「……無駄だ。今の彼女は起こす事が出来ぬ。彼女に触れようとしても――」
「ぐっ!?」
テュンダレオスから否の言葉が出ようもカストルは彼女に触れてしまい、後ろへ少し吹き飛ばされて床に尻餅をつきます。
テュンダレオスはこの状況に悲観している様子でした。しかし先程まで震えていた筈の声は何故か落ち着いている様に感じます。まるで全てを受け入れたかの様に。
「……その闇に拒絶される」
「……くっ」
カストルは膝をついて立ち上がる前で項垂れました。
「……どうすれば。どうすれば良いんですか?」
「助け出すには方法が……無い訳では無いが――」
「教えて下さいっ! このままでは彼女がっ!」
カストルは直ぐに立ち上がり、テュンダレオスの両肩を捕まえて大きく揺らしました。
それにテュンダレオスは抗わず、彼に訊ねます。
「……ヘレネをそんなに助けたいのか?」
カストルはテュンダレオスの肩揺らす手を一度止めましたが、溢れる気持ちをそのままにして答えました。
「それはもちろんの事! テュンダレオス様は『彼女を助けなきゃ』と思わないんですか!? この国の大切な人であり、そして国の危機でもあるのですよっ!?」
「……私は。仕方のない事だと思っている」
「し……」
カストルはまたテュンダレオスの両肩を大きく揺らします。
「し、仕方のない事で片付けられる事ですかっ!?」
「……落ち着け、カストル。興奮し過ぎだ」
テュンダレオスは正義の英雄である様な眼差しで、王の威厳を発したかの様にカストルの目を見ます。
カストルは金縛りに遭ったかの様に動きを止め、ハッと気付いてテュンダレオスから離れました。
「……失礼致しました」
「……無論、私も助けたいと思っておる」
「ならっ!」
「……カストル」
テュンダレオスはカストルを背後に、部屋にある唯一の窓へ寄り掛かりました。
「この世には敵わない理が一つでも二つでも幾らでもある。我々はそれを逆らう事は許されない」
「……何ですか? これは神の意向であり、それ故にヘレネの今の立場も“合理的”であると?」
「そうだ。これは社会の生き様であり、この世界を生きて行く上で重要な試練の一つなのだと……」
「……不合理だと思います」
「なに?」
テュンダレオスはカストルの方へ振り向きました。
「どうしてこうなるのかの理屈がよく分かりません。めちゃくちゃ不合理です」
「……それなら太陽の塔のこの部屋、そして魔法がこの世にある事も“不合理”になるだろう?」
カストルは床へ俯いていましたが、話をはぐらかそうと過去の会話を振り返って、ある事に気付きます。
彼は顔を上げ、テュンダレオスを見て、その思った事を口にしました。
「……でも、方法はあるんですよね? 助け出すには方法が無い訳では無い、とあなたは先程仰ってました」
カストルは真剣な眼差しでテュンダレオスの目を見つめます。
「そういえば言ってしまったな……」
テュンダレオスはバツが悪そうに少し笑って、ある言葉を口にしました。
「……“メモリア”」
「メモリア?」
「そうだ」
闇に対抗する方法――
それはその人の記憶の世界に旅立ち、原因を探り、“書き換える”しかありません。
そこで必要になるのが“メモリア”。それは記憶そのものと呼ばれています。
魔法ではあるが、魔法ではない。今でもカテゴリが何ともはっきりしない術を行う事で、人の意識の世界に飛び込み、歴史を“書き換える”のです。
「……しかしメモリアで“他人の記憶に干渉する事は禁じている”。これはもう――」
「……は、私だけの不合理では無いと思います」
「ん?」
カストルは小声ながらも、テュンダレオスの言葉に口を挟みました。
そして声を大きくして言葉を続けます。
「……国がずっと冬に包まれる事、彼女が死を選ばないといけない事も“国全体にとって”の不合理な事です。私だけにとっての不合理な事ではありませんっ!」
「……カストル」
「……いくら規律だからといって、王国の決めた規律だからといって、国が亡ぶのはおかしいです。規律を守る為に滅ぶなんて……、おかしいですよ……っ! 国を護る為に規律があるのではないんですかっ!」
カストルのあまりの迫力に、テュンダレオスはついに俯きました。
「……ふむ、ここまで責められると、もう何も……そうか」
テュンダレオスは何かを決心したかの様に、この部屋の場外――部屋の入り口前へ目を向けました。
そこに立っていた騎士たちは皆、確り仕事をしているぞと云わんばかりに背筋を伸ばして立っていました。
「……シャルル」
「……え? あ……、は、はいっ!」
部屋の扉の前に立っていた、金髪と碧眼の騎士がビクッとして返事をします。カストルや国の騎士たちそれぞれの目から見て、綺麗に整えられている様な金髪は後ろでは一つに縛っている様に見え、またその顔が乙女の様に線が細い為もあって、優男というよりは女性のそれみたいです。
「シャルル、こちらへ」
「し、失礼致します……」
シャルルと呼ばれた先程の騎士は、ぎこちない態度でカストルとテュンダレオスの方へ近付きました。
「……カストル。貴殿がそう思っているのなら、貴殿の改め“国全体にとって”の不合理を合理的に覆してみよ」
「……!?」
シャルルがある程度の距離を残して立っていると、テュンダレオスは彼を迎える様に一度目を向け、カストルの方へ向き直ると言葉を続けます。
「彼はシャルル。ついこの間、見張りとして配属された、他国から遣わされて来た兵だ。彼を連れて“ヘレネの記憶”の世界へ旅立て」
「へっ!? 王様っ!?」
驚いたのはテュンダレオス以外の皆、いや一番唖然としているのはシャルル……なのかもしれません。
見習い騎士が突然、重要な任務に出る様な事は誰もが驚くでしょう。
他の兵を遣わせるのなら、他国からやって来た経歴の分からない者よりも、自国で生まれ育って就いた者、或いは知と力の資質を大きく具えていると分かる者を選ぶのが道理と考えるのではないでしょうか。
それ以前に、国で禁止されている行為を行う事に、彼は赦したのです。
他に解決方法が分からない為、テュンダレオスは焦っていたのです。
「それってつまり……?」
「不合理なモノには、不合理なモノをぶつければ良い。……私も頭がおかしくなったかな」
テュンダレオスは言葉を続けます。
「事が無事に解決するまでの間、カストルとシャルルの二人はメモリアでヘレネ――もとい冬の女王の記憶に干渉する事を許可する」
カストルは驚きを抑えて訊ねました。
「……良いのですか?」
「……メモリアの術は、私が行うのだ。禁じている術を行う事も、何もせずして国が滅んでしまっても、私の責任だ。……大きな変わりは無い。国の為なら、私も覚悟を決めてやろう」
カストルとシャルルは深々と頭を下げました。
「……有り難く存じます、テュンダレオス様。……シャルル。今回の同行、宜しくお願い申し上げよう」
「と、突然の旅の同行を、恐縮に思います。よ、宜しくお願いします、カストル様」
挙動不審が激しかった訳ではありませんでしたが、シャルルの声は震えていました。
しかしカストルは笑顔で右手を差し伸べ、シャルルは頬を染めつつも笑顔で彼と握手を交わします。
「時間が無いとは云え、準備も整えねば何も出来まい。今日は一度身体を休めておくと良い。旅の始まりは明日の早朝、この場所からだ。それまでに支度を整えよ」
「はっ!」
先程の言葉とテュンダレオスに敬礼をしたのは、カストルとシャルル二人同時でした。
※ ※ ※
旅の支度が整い、ついに旅立ちの時が来ました。
ヘレネの眠っている様子は、昨日と大きな変わりがありません。
カストルとシャルルは、テュンダレオスの前に立ちます。
「……二人共に揃ったな?」
「はいっ!」
「これより“メモリア”の術を行い、“冬の女王ヘレネの記憶”の世界へ二人を送り込む。……向こうで何が起きるかは此方では分からぬ。しかし状況に応じて対処せよ」
テュンダレオスは一つ一つ呪文を唱え始めました。彼はディオスクロイ王国の王様であり、ある時は一人の騎士でもあり、またある時は一人の術師でもあったのです。その為、彼の異名では“魔法騎士”と呼ばれていました。術士としての力は、太陽の塔の魔力には及びませんが、国の誰もが恐れる程に大きな力を持っていたと云われています。
するとヘレネの身体から、彼女と同じ様に闇に包まれた一つの球体が浮かび上がります。
「これが――」
「そうだ、“
すると球体から、得体の知れない異空間へと引き寄せられそうな歪みが生じました。
カストルとシャルルはそれぞれ右手を伸ばします。歪みからは粒状の光が現れ、二人を連れて行く様に伸び始めました。
「では、テュンダレオス様。行って参ります」
「……歴代の女王たちの加護があらん事を」
カストルとシャルルは軽く一礼すると、光が二人の身体全身を包み込み、異空間の歪みに引き寄せられる様に消えて行きました。
カストルは異空間を突き進む中、ふと考え込みます。
「そういえば、春の女王様の事は未だ何も聞いていないな……」
それは国の誰もがふと思い出した様に、疑問に感じた事でした。皆、冬の女王様の事で頭がいっぱいになっていましたが、春の女王様の姿を未だ誰も見ていないのです。
「……今回の旅で何か分かるだろうか」
「どうされました?」
「……なに、ただの独り言だ」
こうしてカストルとシャルルの旅は始まりました。
何故、冬の女王様は闇に包まれているのでしょうか。
何故、春の女王様は姿を現さないのでしょうか。
(To be continued......)
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