第4話 実はわたくし……
俺の名は工藤誠一郎。
猫を助けたら地球を出禁になったので異世界に来た二十六歳のおっさんさ。
勤め先をリストラされた事はあったが、よもや地球をリストラされる羽目になるとはな……。
だがまあそこは日本男児、後ろを振り返るべからず、と言うやつだ。
俺が光の門を抜け、最初に降り立った場所は整備された街道だった。
時刻は夜半頃だろうか、草むらから虫の鳴く声がリーリーリーと聞こえる。
空を見上げると左半分が原型を留めていない崩れた月があった。
微かに欠けているので満月ではないのだろう、さしずめ十六夜といった所か。
星は地球よりも多く、天の川のような星団の帯が何条も走っており、天体望遠鏡を覗き込んだかのように錯覚してクラクラした。
「さて、どっちに進むかな」
近くに落ちていた小枝を投げて決める。
先端が向いたほうに進むってのを一度やってみたかったんだ。
月明かりが照らす中、俺は初めて訪れる異世界というものに感動を覚えつつ、結構楽しんでいた。
数時間歩いて空腹を覚えたのでポケットからキューブを取り出し、中に入って木の実を一つ齧ってみる。
「な!? なんだこの美味さは!!」
木の実本来の美味さなんだろうか? それともミュシャの祝福のお陰か、あるいはその両方か。
俺は余りの美味さに気絶してしまった。
目が覚めるともう一つも瞬く間に食べてしまう。
種に残った僅かばかりの果肉を歯でこそいでから、ようやく冷静さを取り戻しシオの言葉を思い出す。
(食べてしまっても種から核を取り出して食べてしまわない限り、貴方の時間感覚で六十時間ほどでまた生ります)
次食べれるのは六十時間後か、そう思いながら種を木の近くに埋めておく。
これで大丈夫だよな?
後は、少し寝ておくか。
整備された街道がある位だから、道なりに進めば街があるだろう。
街に着いたらまず毛布を買おう、そう思いながら柔らかい下草をベッドにして眠りについた。
目が覚め外に出てみてから気がついたが、キューブが地面に転がっている。
そりゃあそうか、持ってた人間が中に入る訳だからそうなるか。
入るにしても場所も気をつけないと厄介だな。
後は盗難や紛失にも気をつけないとな、などと考えているとキューブがコココッと震えた。
そう言えばシオもキューブだったし、これももしかしたら小さいけど神様なのかな?
「君も神様なのか?」
(わ……わたくしは分類上シオ様の眷属、いわゆる『天使』となります)
「天使……俺の考えてた天使と違う。けど君も話せるなら最初から言ってくれれば」
(話せる……と言いますか、テマリ様からの祝福が無ければ成立していない会話ではあります。あと皆様の会話に割り込む勇気は……わたくしにはありませんでした)
キューブは天使であるらしかった。
俺の考えている天使とのギャップの差もさることながら、カタンコトン・ココッと揺れるだけのキューブと会話する俺は傍から見ればかなり奇異だろう。
近くに誰も居なくて良かった。
それからキューブと少し談笑した。シオによって救済された魂から生まれた天使であること、今年で六周期目(六年目なのかな?)であること、シオの命によって小世界を管理していること、そして名前が無いこと。
「名前が無い?」
(はい便宜上、『果物と井戸の小世界管理者』と呼ばれることはありますが……)
「なんというか凄く事務的な呼ばれ方だね。でもずっとキューブと呼ぶのも親しみが無いよな。……もし良かったら一緒に君の名前を考えないか? 旅の相棒をずっとキューブとは呼びたくは無いし」
(えっ? えええええっ!? よ、よろしいんですかっ?)
天使の喜びようは半端なものではなかった。
全身をカカカカカッと震わせ、今にも……今にも割れそうな勢いだ。
「何か案とか希望はある?」
(ええっと、今のわたくしには性別が無いのですが、できれば柔らかい名前が良いです)
そう言いつつも天使は自分の名前に拘った。
候補をいくつか挙げるとその名前を吟味し、俺にその名前の由来について質問を投げかける。
納得出来なければ次の候補を早く早くと催促し、合わせて二十程も言っただろうか? 遂に天使の琴線に触れる名前が見つかった。
「ヒナツが駄目なら……じゃあ、セラなんてどうかな?」
(可愛い響きですね。その名前の由来をお聞かせ下さい)
「セラフィムってのは熾天使と言って燃え盛る炎の天使なんだ」
(ええ)
「元々は六枚の翼を持つ稲妻の精で、それが形を変え、後世に天使として表現された。そのセラフィムからとってセラ」
(気に入りました。今日からわたくしの事はセラと呼んで下さい!)
「良かった。俺の事はセイと呼んでくれよな?セラ」
(うふふ、一文字違いで名前の双子の様ですね)
名前の双子、というのがよく分からなかったが、こうしてキューブは『果物と井戸の小世界管理者』では無く、今後セラと呼ばれることになった。
◆◇◆
赤龍エルシデネオンは、およそ五百年ぶりとなるウィタスへの『来訪者』を感じ取り、眠りより目覚めた。
数にして十にも満たないだろう……もしかしたら一人か二人かも知れない。
かつては神の次席を与えられ、亜神級とまで言われた彼の超感覚は、信じられない程に錆び付いてしまっていた。
本来であれば、彼はその者たちを出迎えに行き、歓迎の意を表さなければならなかった。
異界からの来訪者に食料を与え、住居や衣服を提供する。
頃合を見計らって、自活できるよう技術者を派遣するのだ。
しかし彼はそれをせず、顎を宮殿の床に押し付け、また眠り始める。
(今更どの様な事が起きようとも、もうこの世界は変わらぬのだ)
赤龍エルシデネオンは眠り続ける。
自身を愛した神々の夢を見ながら……自身が愛した青龍の心を抱きながら。
彼が選んだのは逃避。
彼は空漠の宮殿で眠り続ける。
◇◆◇
【告:人口が一定量まで達しましたので『システム:魔王』が起動します】
『私』はその人工的な音声で覚醒した。
何十年ぶりかに呼吸をし、長らく味わうことの無かった肉体の感覚を楽しんだ。
「今回」の肉体は人間型であるらしく、角も無ければ鱗も無い。
前回得た巨人型:サイクロプスの肉体は素晴らしく豪腕であったが、いかんせんオツムの出来が悪く、作戦らしい作戦など立てた事がなかった。
流石に「ひだり」「みぎ」「つっこめ」「しね」だけでは配下の者達も大変だっただろう。
だが王都に進軍し、勇者と対峙した時に一度だけ「いっきうち」と言った。
……その後の記憶が無いところを見ると、予定通り勇者に討伐されたのだろう。
しかし、『私』はクスクスと笑った。
敗北などどうでも良いのだ。
たった五つの言葉で世界中に死を撒き散らしたのだ……これほど楽しいことは無い。
勇者には勝てぬ。
システム上そうなっているのだ。
世界を蹂躙し、勇者に討伐される……出来レース。
「一度くらい勝ってみたいものだがな」
『私』はそう呟くと転移の為の詠唱を開始した。
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