第7話 忘却の霧

 その猛々しい雄たけびを。

 知らぬはずの「本当の」声を。


 ――知ろうとなんて…――


「危ない!!」


 地響きを立てながら野獣が向かった先はラ・ベルであった。

 野獣の目は赤く血走り、怒りに震えるように獣の上唇がわなわなと震えている。そして、振りかざす鋭い爪。


「っ!」


 ラ・ベルがいた場所を野獣の爪が空を切る。


「あちゃーカオステラーは仙女ちゃんだけじゃない感じかな?」

「思うにやはり野獣さんも一枚噛んでますね」

「ファム!シェイン!考察してないで野獣を止めるわよ!」


 素早くヒーラーにコネクトしたレイナが野獣の防御力を下げる。


「図体がでかいと気絶させるのも一苦労しそうだな…」

「僕が足を狙うからその隙に!」


 タオとエクスも改めてコネクトし直し、素早く野獣の足元に駆け出した。

 野獣はそんな一行に目もくれずラ・ベルを追いかけ回していた。


「ちっ!しつこい!そんなにあの女が大事なら一緒にあの世に送ってあげるわよ!!」


 ラ・ベルの叫びと共に、ラ・ベルの手にすらりと刀身の長い剣が現れた。


「え?まさか…ラ・ベルもカオステラーの力を?」


 困惑するレイナを他所に、ジャックにコネクトしたエクスが野獣の脛に一撃を与えた。野獣がバランスを崩して前に倒れこむ。


「タオ!今だ!」

「おう!」


 重たいはずの斧を振りかざして代用ウミガメにコネクトしたタオが野獣の頚に斧の柄を叩きつけた。


「ぐぉぉ…グルル……」


 タオの一撃が見事に入り、野獣が膝をつき、気を失う。はずだった。


「死ね!」

「!!」


 ラ・ベルが倒れ込む野獣の心臓に大剣を突き刺す。虚ろになりかけた野獣の目が大きく見開く。そして、


「っがふっ!!そん…な…」


「なんてことだ…」


 ラ・ベルの大剣は野獣の心臓を貫き、その血が刀身を伝いラ・ベルの手に注がれ、野獣の鋭い爪がラ・ベルの背中から同じく心臓を突き刺すように腹の方まで貫いていた。ラ・ベルの足元にはどちらの血であるか分からないほど、赤く、そして赤い薔薇が咲くように美しく広がっていた。


「ああ…」


 誰のものと分からないため息が聞こえたかと思うと、野獣から光が溢れ、そこには美丈夫な男が現れた。野獣の、本当の、姿だった。ただ、すでにその命は消えていくばかり。閉ざされた目は開くことなく、大剣の柄まで力なく下がり、ラ・ベルに覆いかぶさった。


「ああ…」


 今度はラ・ベルがしっかりと呟いた。野獣だった王子の重さにゆっくりと膝をつく。先ほど自分を刺した野獣の手は、突き刺した傷を覆うように、優しく背中を抱いている。


「なんでよ…ああ…なんてことなの…馬鹿なの?…貴方のぬくもりなんて知りたくなかったのに!」


 そうつぶやくごとにラ・ベルの口からは赤い血があふれ出す。ラ・ベルの命も残り僅か。


「レイナ!今だったらまだ間に合うんじゃ!?」


 エクスがレイナに調律を促す。死んだ者は調律しても生き返らない。調律した後は別の誰かが代役となって主役を務める。それが想区の決まりだ。今なら野獣もラ・ベルも調律した後の世界で生きられるかもしれない。

 しかし、レイナは首を横に振った。


「できるわけ…ないじゃない…」


 レイナは泣いていた。いや、本当に泣いていたのは、ラ・ベルだった。

 冷めていく王子を抱きながら、と泣いていた。


「みんな…意地が悪いだけだったのかぁ…どうしようもないね。エクス君、今回はもう少し見逃してあげて。きっとこのまま調律しても誰も幸せにならないから」


 ファムは「どうして?」と迫りそうなエクスを制止した。

 

 運命の書に書かれていた通り、見も知らず人とと結ばれる運命にあっても不安は消えなくて、芽生えると分かっても愛されることに疑問が募り、自分が愛されるか分からない、愛される資格などないと自己嫌悪して。そして見失った。とは何かを。


「仙女ちゃんは、分かっていたんでしょ?こんなに分からなくなるなら愛なんていらないって自分の殻に閉じこもっちゃった二人のこと。だからこんな真似…」


「…半分」


 いつの間にか傷も癒えた美しい仙女がふわりと起き上がっていた。


「半分だ。妾もほんの少しだけ情が移ってしまった。だからこんな事態になった。人間とは哀れで愛おしい。妾のようなものがこんな感情に振り回されるなど笑われてもおかしくない。現に妾はこの森に縛り付けられている」


「じゃあ、僕があの森で見たのは…」


 エクスがそういうと仙女は哀愁の顔でほほ笑んだ。仙女の魂はこの二人今の主役が消えるまで森に縛られる。


「ああ、一つ言っておくが、妾のためではない。この二人がこのまま元の世界に戻っても…この話は先ほどその娘がしたのだな。さて、妾は次の主役に優しい仙女として現れよう」


 そういって仙女が消える。あたりに霧が立ち込める。森で発生していたこの忘却の霧は仙女が放ったものだった。


「ラ・ベルは!?」


 せっかく愛を取り戻したのにと焦るエクスにレイナは涙を拭きながら答えた。


「私、聞いたのよ。野獣が人に戻ってラ・ベルに倒れこんだ時「愛してる」って。二人は不器用だけど結ばれたのよ。こんなの本当は嫌だけど…どちらかが生きていて、どちらかが死んでしまったら本当にこの世界は崩れてしまう気がしたの。ごめんねエクス。だけどもう、調律するわ」


 エクスとレイナの視線の先には、二人がやっと気づいた愛を手放さないように固く抱き合い時を止めていた。


 レイナが呪文を唱え光が空間を満たす。

 仙女の霧が、空間に残る当時の二人の記憶だけを消し去る。


 もう一度、この世界が、美女と野獣の世界として始まるために…。

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