10-7 勝鬨

 大光寺は色めき立った。二倍以上の大浦軍に勝利したのだ。この勢いのまま、大浦城へ攻めかかろうと多くの者が唱える。しかし滝本は冷静だった。


“為信という男は運が強い。大浦家もすべての力を出し切ったわけではない”


 そのように諫めたが、従わない者もいた。田舎館の千徳政武である。いまこそ本家の浅瀬石千徳を倒し、わが領地へと組み入れようと考えた。


 こうして攻め込んでみたのはいいものの、大浦の援軍が到着して返り討ちにされた。これ以降、千徳分家は勢いを失う。



 ……そのようなこともあったが、滝本はとりあえず安堵していた。為信はしばらく攻めこんではこれまい。信直公が九戸らを鎮めれば、次には津軽へ援軍が来る。それまでの辛抱……。



 収穫の秋を迎え、また冬が来る。大光寺では新たなる時を祝おうと、いつもより増して盛大に正月を祝った。前年に為信を退け、滝本の津軽における地位は高まった。近い将来、津軽郡代の襲名も夢ではない。

 滝本は“いやいや” と話をそらす。私はあくまで家来の一人。大光寺の遺子を守っている城代に過ぎぬ。分はわきまえておる……。





   …………







 天正四年(1576)正月。大浦軍は再び、大光寺城へ攻めかかった。


 雪は横なぶりに吹く。逃げようにも、どちらが東か西か分からぬ。酒に酔いつぶれ、抵抗することなく殺される者。なんとかよろめきながらも立ち上がり刀を振るうが、腹わたに何本もの槍で刺されて絶命する者。……外に出ても疲れ果て、凍死する者。



 城代、滝本重行。大光寺の遺子を胸元に抱え、東へと逃げた。山を越え谷を越え、三戸を目指す……。この人物は為信生涯の敵であり、今後も六羽川合戦などで幾度となく為信を追い詰めることになる。




 こうして為信は、大光寺城を落とす。


 南部からの謀反は成った。


 津軽為信と名乗りはじめたのは、この時よりである。それは津軽郡代ではなく、津軽の王者として。

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