その2-1 信じろって言われてもね?
何言ってんだこの人? 前から変な人だとは思っていたが、とうとう頭がイカれたんじゃないか?――
鳩が豆鉄砲を食ったような表情とはまさしくこのような顔を指すのではないだろうか。
ここは日本でも地球でもない、異なる次元の世界――淡々と、しかし大真面目にそう述べたササキを凝視しながら、一同は絶句していた。
「なんだその顔は……私の話が信じられないかね?」
そんな皆の心の声をなんとなく悟ったのだろう。ササキはややもって溜息混じりな吐息を漏らしつつ少年少女らを一瞥する。
「たりめーだ。そんな漫画みたいな話、はいそうですかって信じられるかよ」
無論と言わんばかりに、
隣に座っていた日笠さんも少年に続けてコクコクと小刻みに頷いて同調する。
「私もカッシーと同意見です。そんな突拍子もない事をいきなり言われても信じられません」
此処は別世界です。
そう言われて「はぁそうですか」とバカ正直に信じられるほど流石に子供じゃない。他の三名も各々同意するように頷きながら懐疑的な視線をササキへと向けていた。
だがその反応も『想定内』――そう言いたげにササキは自嘲の苦笑を浮かべる。
「まあ無理もないだろう。私だってこんな非現実的な仮説を信じたくはないさ。まるで三流SF小説の冒頭文のようなこんな仮説などな」
「なら――」
「――が、しかし、あらゆる事象がそれを証明しているのだよ」
「あらゆる事象?」
「例えば私のスマホだが、ここに来てからずっと圏外だ。GPS機能さえ動かない」
そう言って、ササキはスーツの内ポケットから自分の携帯を取り出し起動させる。
表示された画面の右上に見えたのは、やはり先刻確認した時と同じ『圏外』の二文字だ。
「ふむ……依然として変わりなしだな」
ササキは少し残念そうに口の中で小さな唸り声をあげる。
「……んなもん、俺の携帯だってさっきから圏外だぜ?」
「私のもです。こんな山奥ならそれも仕方ないのでは?」
だからなんだ?――ササキの言わんとしていることがわからず、カッシーと日笠さんはほぼ同時に反応を見せる。
「いいや、私の携帯は少しばかり特殊でね」
「特殊……って?」
「うむ衛星携帯を使用している」
「なんですそれ?」
「人工衛星を経由して通信を行う携帯だ。通話可能範囲は世界全域……まあ、適当にその辺を飛んでる衛星を少しばかり拝借して繋げているのでリーガルではないのだが――」
「……」
あの……なんでそんなやたら高性能な物を持っているんですか?――と、尋ねるのは野暮だろうか。
もしかしてもしかして自作? まあこの人ならあり得ない話じゃない。
だが
それってなんだかちょっと……いやちょっとじゃないな、とても違法なことやっている気がするのだが。
やっぱりやめておこう。突っ込むのはやめておこう。うん、後半は聞かなかったことにしよう――
日笠さんは一瞬でそう悟り、それ以上言及することをあえて避けることにした。
まあとにかく、彼の持つ携帯が高性能だということはわかった。
そんな高性能の携帯でも電波が繋がらない=だからここは地球ではない――そう言いたいのだろう。
でもそれだけじゃ、ちょっと根拠としては弱いのではないだろうか。
何故なら――
「それってよぉ、たまたまとかじゃねーの?」
と、話を聞いていたこーへいが、まさに彼女が謂わんとした疑問を口にする。
そう、たまたまということもありえるのだ。運悪く手頃な衛星が近くにいない。そう考えることだってできないだろうか。
はたして、クマ少年のその反論を受け、だがササキは首を振ってその意見を否定する。
「諸君らは、地球の周りにいくつ人工衛星が飛んでいるか知っているかね?」
「んなもん知るかよ」
「百個くらいですか?」
「約三千五百だ」
投げやりに答えたカッシーと、やや思案した後に答えた東山さん。そのいずれも誤りだと首を小さく振りながらササキは即答する。
もちろん全てが携帯中継用の衛星ではないが、しかしそれだけ飛んでれば、たとえここが辺境のそのまた辺境の地であったとしても、どれかには繋げることができるはずだ。
だがついぞ先ほど確認した結果も、依然として『圏外』。
この事態が何を意味するか?雲一つない紺碧の空をゆっくりと仰ぎ、ササキは無念そうに嘆息する。
「恐らく、この空の彼方の、そのまた大気圏のさらに上には一つも衛星が飛んでいない。だから私のこの携帯ですら圏外なのだ」
「――だから私達が今いる此処は、地球とはまったく異なる別世界……ササキさんはそう言いたいのね?」
「その通りだ」
今や高校生ですら一人が一台スマートフォンを持つこの情報時代。そして、世界中の国々が宇宙をも支配下に置こうと躍起になって進出している。
そんな情報化社会のこのご時世に、衛星が一つも飛んでいない空などありえるだろうか。だからこそ我々がいるこの場は地球ではありえない――自らが辿り着いた結論を代弁したなっちゃんに向けて、ササキは頷いてみせる。
だがしかし。
「どうだかね? ただ単にササキさんの携帯が壊れてるって可能性は? カッシーやまゆみの携帯だって、ここに来てから調子悪いんでしょ?」
話していたほうが気が紛れるのだろう。先刻までの暗い表情を隠すように、その口元に悪戯っぽい微笑みが浮かべ、なっちゃんはササキの仮説を真っ向から否定する。
「そういえば、時計が止まってたな」
そそくさとポケットから携帯を取り出してカッシーは確認する。
待ち受け画面に表示されていたデジタル表記のその時刻は午前十一時五十二分。やはり目が醒めた時確認した時間から一分一秒たりとも進んでいない。
フリーズしたかな? そう思ったがネットワークを使用するアプリ以外は一応動作するようなのだ。流石に通話はできないものの、どうやらフリーズを起こしているわけでもないらしい。
何とも奇妙で不思議な現象だ――カッシーは憮然とした表情で小さく鼻を鳴らす。
「うむ、私の携帯も止まっている」
「私のも止まっています」
ササキと日笠さんも携帯を確認しながら、ほぼ同時に少年の言葉に反応していた。
だが腕時計は正常に動いているようだ。念のため、と右手に付けていたそれに目を落とし、時を刻み続ける秒針を目で追いながら日笠さんは不可解なこの現象に改めて首を傾ける。
現在の時刻は十三時三十二分。もしこの時刻が正しいとすれば、あの異変から一時間半近く経過していることになるが――
「会長。やっぱり私たちの携帯が壊れているだけじゃないでしょうか?」
なっちゃんの指摘もあながち間違いではないように思える――と、小さなうなり声を上げつつ状況整理にいそしんでいた東山さんはそう言ってササキを見上げる。
それでもササキの表情は変わらない。
まだまだ根拠はあると言いたげに。徐に微笑みの少女を振り返りササキは改まったように咳ばらいを一つ吐いた。
「……先に言っておく茅原君」
「なに?」
「私は議論をしたいわけではないのだ。信じてもらうわけにはいかないかね?」
「突拍子もない法螺話に付き合ってほしいんだったら、もっと説得力のある根拠を示してほしいわ」
「……なるほど、君は聡明な女性だと思っていたが、しかし
空気が凍る。
途端、微笑をそのままに沸き起こる暗雲のような怒気をその瞳に生み出した美少女に気付き、隣にいたこーへいはさりげなく視線を逸らした。
「……現実逃避? 私が? 聞き捨てならないんだけど?」
髪をかき上げ右耳にかけながら、なっちゃんは小さく小首を傾げる。
だがササキは動じない。少女の視線を真っ向から受け止めて、彼はさらに話を続ける。
「君も薄々感じているのではないかね? だが認めてしまえば不安に押し潰されてしまう。だから――」
「――わかったように私を語らないでよ。頭のネジが一本外れた生徒会長の脳内妄想を信じろって言われてもね?」
食い気味に毒を放ち、なっちゃんはにこりと笑った。
ササキはピクリと眉を動かし、不快を隠さずその顔に露わにする。だが即座に平静さを取り戻し、彼は左手の人差し指を空へと向ける。
「ではさらに問おう。茅原君だけではない、皆にだ。今上空を飛んでいるあの鳥だが……君はあの鳥が如何程の大きさであると思う?」
はたして、彼の指した遥か上空には二羽の鳥が仲良く旋回しているのが見えた。
「……何が言いたいわけ?」
「まずは答えてくれたまえ」
なんてことはない、先刻から飛び回っている鳥だ。どことなく鳶に似ているようだが――誘導されるがままに空を見上げ、しかし質問の意図がわからず、不可解そうに細い眉を寄せたなっちゃんに対し、ササキは顎をしゃくって先を促した。
「さあね……一メートルくらい?」
専門家ではないから正確な数値などわかるわけがない。それが一体何だというのだろう――回りくどい質問に苛立ちを覚えながらも、なっちゃんは適当に答える。
「十二メートルだ」
はたして、ササキはゆっくりと首を振りながらその答えを口にした。
「……は?」
空を見上げてたいた少年少女達は、ほぼ同時に間の抜けた声をあげて、上空から生徒会長へと視線を戻す。
「じょ、冗談だろ?」
「冗談ではない。あの鳥は君らが想像しているよりずっと高くを飛んでいるのだ。だから小さく見えるだけだ」
そんな大きな鳥などいるわけがない――そう言いたげに目を見開き、絶句する彼等に対し、だがササキは真顔で再び首を振ってみせた。
あの鳥が飛んでいる高度は約千メートル。それに加えて角度が分かれば大きさはわかる。計測した結果、あの鳥の全長は十二から十三メートル。小型の飛行機並みの体長だ。
動いているから正確な計測は難しかった、故にもしかするともっと大きいかもしれない。
「化石から見つかった最大の鳥で七メートルから七.五メートル。世紀の大発見だな
余談だが『コノヤロー』は彼の口癖だ。饒舌になればなるほど、彼の口から出てくる煽り文句。
そんな彼のモットーは『迷わず行けよ。行けばわかるさ』。それはさておき――
「まあ、もっとも、
「……」
「今度は、
ササキはじっとなっちゃんの顔を覗き込む。
まさしく彼の言う通り。
あなたの計算ミスじゃないかしら? 小学校から九九を覚えなおして来たらどう?――と、毒舌全開で普段の彼女であれば反論するであろう。
だがその一言が言えず、なっちゃんは悔しそうに言葉を詰まらせていた。
そう。
この生徒会長については、それは
そう断言できるほどに、この生徒会長の頭脳は、ネジ一本どころか十本外れているレベルで、類まれな計算能力を保持していることを、彼女だけでなくここにいる全員が良く知っているからだ。
この生徒会長の得意分野は物理と情報工学。それも並みの高校生レベルではない。
なにせ自分で考え自分で行動できる
そしてその確たる証拠である、とある打楽器パート所属の少女を音瀬高校交響楽団の部員であるならば誰もが知っているからこそ、この生徒会長が凡愚な計算ミスなどするはずもないことをよくわかっている。
ササキの話は終わらない。
しばし待っても『微笑みの毒舌少女』から明確な返答がないことを傍目で確認したのち、彼はやれやれとため息をつくと話を続ける。
「ではもう一つ証拠を示そう。緯度を測ってみたのだがな――」
「緯度って、あの北緯とか南緯とかのですか?」
「そうだ。経度と異なり比較的楽に測れるのでな。そうしたら中々興味深い結果が出たぞコノヤロー? ここの緯度は北緯三度、ほぼ赤道直下に近い」
「赤道……って――」
「んー、そのわりにゃあやけに涼しくね?」
赤道に近ければ近い程、気候は温暖湿潤或いは熱帯が主な気候となる。
にも拘らず周囲の気温と湿度、それに群生する樹木から見て、恐らくここは亜寒帯冬季少雨気候に近い気候と生態に見て取れた。
「つまりこれが何を意味するか。赤道に近いというのにこの涼しさ、そしてこの景観……君達は何故だと思うかね?」
「山の上だから?」
「残念ながらここはそれほど高度にはないようだ。気圧も低くないし、空気も言うほど薄くはない」
東山さんの発言に、ササキは人差し指をチッチッ、と左右に振って反論する。
勿論、彼女の言うとおり赤道に近い地域でも気温が低く、場合によっては降雪する地域は存在する。
例えばアフリカのキリマンジャロの山々などが有名だ。
だが今いる場所はそこまで高度の場所とは思えない。気圧も空気も薄く感じられない。それなりに山岳ではあるだろうが、せいぜい海抜千メートルもいっていないだろう。
結論を述べれば赤道に近くこの海抜程度で亜寒帯冬季少雨気候の地域など、
それでも緯度は北緯三度を示している。
さてこれが。
この事実が。
何を意味するか?
「緯度が正確に計測できない――そう言いたいんでしょ?」
皮肉にも彼の問いかけにそう答えたのは、それを真っ向から否定したいはずの少女だった。
やはり君は聡いな茅原君。話が早くて助かる――悔しそうにそっぽを向いたなっちゃんに向けてにやりと不敵な笑みを浮かべ、ササキはその通りと頷いてみせる。
「正確に計測できない? 会長、どういうことですか?」
「太陽の軌道が微妙に地球と異なる。ついでに言うとおそらくこの星の大きさも地球と異なると思われる。だから地球を基準とした緯度の計測方法が通用しないのだコノヤロー」
即ち、北緯三度という計算結果自体が信用ならない数値ということになる。
恐らく三度どころではなく、ここはもっと高い緯度に位置する場所だろう。
日笠さんの質問にそう答えると、ササキはなっちゃんを見下ろしその双眸を細める。
その目はこう尋ねていた。
まだ続けるかね?――と。
「茅原君、やはり私の計算ミスとでもいうか?」
「……」
「では、他にも事象をあげようか? たとえば、そこの植物を先ほど調べてみたがシダ科の植物にしては葉の形が珍しい。これもまた世紀の大発見だろうな」
「……もういい」
「それに我々が出てきたこの建物を形成している材質だが――」
「――もういいって言っているでしょ? このドS!」
矢継ぎ早に判明した『事実』を淡々と述べていくササキを遮るようにして、なっちゃんは珍しく語気を荒げる。
その口元からは彼女を象徴するような微笑は完全に消えていた。
代わりに浮かんでいたのは、苛立ちと怒りを含んだ悔恨の感情だ。
「目を背けたいのはわかる茅原君。だが先刻も言った通り、君は薄々気づいているのだろう?」
「……うるさい」
本当にこの人は。
判ったように人の心境を雄弁に語るのが本当に腹立つ。
しかもそれが的確で、当たっているのがなお許せない――
なんとかして言い返していやりたいのに!
だがそれがいかに不毛なことであるかに、
彼が述べた『事実』と『根拠』が恐らく正しいということを、自分は理解してしまっているのだ。
聡明で頭の回転が速い彼女だからこそ、もう反論することはできなかった。
少々意地が悪すぎたか――
俯いてしまった少女に気付き、ササキは眉根を寄せ歯切れ悪そうに小さく息を吐く。
そして腰の後ろで手を組むと、改まって一同を振り返った。
「証明は以上だ。ここは日本ではない。ここは地球ではない」
『……』
「……だがそれは茅原君だけでなく君達全員、気づいていたのではないのかね?」
はたして、ササキのその問いかけに一同は無言という態度で意図せず応えることとなる。
そう――
目を覚ましたあの時から。
音楽室が消えていたあの時から。
心の隅で生まれたその『不安』はどんどん大きくなっていた。
即ち、ここは日本ではないのでは?――という漠然とした不安。
皆大なり小なりそれを感じ取っていた。
でも認めたくなかった。認めたらそれに押し潰されてしまう気がしたのだ。
だからあえてその不安から目を逸らしていたのだ。
ここにいる誰もが。
全員が。
と――
「一ついいか?」
重苦しい沈黙を破って言葉を放った少年を向き直り、ササキは先を促すように僅かに首を傾げた。
「んじゃ、なんで俺達
少年=カッシーは頬杖をつくのをやめ、見据えるようにして生徒会長へ尋ねた。
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