その9-2 タダノコウコウセイ

同時刻。

チェロ村 広場―


 斜陽の紅い光はこの世界も変わらない。

 空を紅く染め、連なる山脈も、小さな藁ぶきの家々も、そしてこの広場も朱に染めている。


 その広場に、木のぶつかり合う乾いた音を木霊させ、二人の人物が踊るようにして剣を交わし合っていた。

 軽快に連なって響き渡るその剣戟の音色はまるで演奏のようだ。


「しっかしすげーなあ、びっくりしたぜ?」

「なにがさ?」


 薙ぎ払うような一撃を放ちながらヨーヘイが話しかけると、カッシーはその一撃を辛うじて受け流し、素早く突き返した。

 だが青年はその突きを落ち着いた剣さばきで受けとめて、にへらと首を傾げる。

 フンと、少年は悔しそうに鼻息を吹かして口をへの字に曲げた。


 つい先刻のことである。

 音楽会は途中で中止となり、特にする事のなくなったカッシーが柵に腰かけボーっと広場を眺めていると、ヨーヘイが声をかけてきたのだ。

 なんだカッシー暇なのか?よければいっちょ、模擬戦でもしてみるか?――と。

 特に断る理由もなかったカッシーは、まあいいかと二つ返事でその誘いに乗っていた。


 そして今に至る、というわけだ。

 初めは遊び半分で打ち合いをしていた。

 しかしいつの間にか白熱し、二人ともかれこれ二十分はぶっ続けで剣の撃ち合っている。

 額を流れる汗は既に幾筋にもなっており、少年はすっかり上がってしまった息を整えるために必死に呼吸を繰り返していた。

 そんな少年を涼しい顔で見据えながら、ヨーヘイは憮然とした表情で話を続ける。

 

「さっきの宿での一件だ。なんだよありゃ?異世界からきたお前らが、魔法を使えたなんて知らなかったぜ」

「魔法? んなわけねーだろ、俺だってびっくりしてるんだ」

「なんだ、じゃあ使えないのか?」

「あたりまえだっつの!」


 と、返答するや否や、気合の籠った掛け声とともに、カッシーは肩越しに構えた木剣を繰り出した。

 しかし少年の渾身の一撃は空しく空を切り、半身をずらして回避したヨーヘイの脇を通過していく。


 残念でした♪――

 軽々とした身のこなしで、ふわりと少年の横へ入り込むと、ヨーヘイはそのガラ空きとなった彼の胴めがけて横薙ぎの一撃を繰り出した。

 何とかその剣筋を追いかけると、カッシーは慌てて剣を引き、ギリギリではあったがその一撃を受け止める。

 カコン――と乾いた木の音がまたもや広場に木霊した。


「やるじゃん」

「まだまだっ!」

 

 いっ!――と八重歯を剥き出して吠える様にそう言い放つと、少年は低く飛び退いて間合いを取る。

 しかし虚勢を張ったもののもう限界だ。息が続かない。腕も痙攣してきた。

 こう見えても少年は中学まで六年間剣道を習っていた。

 だから多少ではあるが剣の使い方を知っているつもりだったのだ。

 しかしこうも体力が落ちていたとは――文化系クラブの辛い所だ。

 やはり三年のブランクはでかかった。

 対して、余裕の表情で剣を構え直した、垂れ目の優男との差はもはや歴然だった。

 根本的に身体の造り方が異なるし、剣の腕も雲泥の差。

 先刻から少年はまるで赤子の如くあしらわれて、防戦一方だった。


 肩で荒い呼吸を繰り返しながら、それでも負けるものかと、意地っ張りな少年は気合で剣を構える。

 大した根性だ――

 と、苦笑を浮かべ、ヨーヘイは瞬時に間合いを詰めると、上段から剣を振り下ろした。


 早い。今のは目で追えなかった。

 勘を頼りにカッシーは慌てて額の上で真一文字に剣を構える。

 運よく剣の腹でヨーヘイの一撃を止めると、少年は身を乗り出して『辛うじて』だが、鍔迫り合いに持ち込んだ。


「てっきりおまえの世界の奴等は、みんな魔法が使えるのかと思ったんだけど――」

「ウギギギギ……そんな非科学的な事……できるわけない……だろっ!」

「そうか、そりゃ残念だ」

「うちらは……ただのっ!……高校生だっ!」

「『タダノコウコウセイ』ね……で、そのタダノコウコウセイってのは魔法は使えないが、奇跡は起こせると?」

「ぐぐぐ……だから……それについては……俺等もさっぱりなんだって!」


 くそ、このままじゃ押し負ける――

 身長も体重もどう見ても相手ヨーヘイの方が上、こりゃ判断を誤った。

 相も変わらず余裕の表情で自分を見下ろす青年を睨み上げ、カッシーは悔しそうに口の中で唸る。


「まあ、そっちの世界のことはよくわからんが、こっちにゃ『魔法』はちゃんと存在するぜ」

「ふぬうぅぅぅ……冗談だろ!?……魔法が存在するって?!」


 と、言い放ち、八重歯を剝き出しにして気合でヨーヘイを押し返すと、カッシーは返す一撃で起死回生の袈裟斬りを繰り出す。

 が、しかし。案の定、その一撃は青年の放った剣戟によってあっさりといなされる。


「冗談じゃないさ。でも、ほとんどの奴は使えないけどな。うちの村じゃ、マキコさんが簡単な魔法を使えるくらいだし」


 魔法ってマジか。まるでRPGじゃねーか。

 だがそれは置いといて悔しい。とっても悔しい――

 力量差は重々承知だ。それでも一太刀食らわせてやると、少年は更なる闘志を目に浮かべ、ヨーヘイを睨みつけた。

 まったく負けず嫌いな奴だ――

 少年のその視線に気づき、青年はにへらと笑うと剣を構える。


「しかし、マジでありゃ何だったんだ?医者がサジ投げてたぺぺ爺の古傷が治ったんだぜ?」

「さっきも言ったが、俺達にもまったくわからん。むしろ俺達の方が教えてほしいくらいだっ!」

「そっかそっか……まあとにかく感謝してるぜ。おまえらにはな」

「どういたしましてだ」


 礼を言われても困る――カッシーは下唇を突き出しながらぶっきらぼうに返答した。

 と、そんな二人のやり取りを、面白そうに眺める少年が二人――


「しっかしさ、カッシーもよーやるねー」

「ムフ、アイツどー見ても、もうバテバテなのにネー」


 近くの柵に腰かけ観戦していたこーへいとかのーは、各々呆れと感心が入り混じった感想を口にする。

 少年カッシーが超がつくほどの『負けず嫌い』で『意地っ張り』なのは、この三年の付き合いでわかってはいた。

 そしてそれはこっちの世界に来ても、どうやら変わらないようだ。

 まさに三つ子の魂百まで――クマ少年は感心するようにのほほんと溜息をつくと、煙草を咥え、懐から取り出したライターを取り出した。

 だが――


「いたいた。中井君!」


 と、背後からやや怒気をはらんだ少女の声が聞こえて来て、こーへいは煙草とライターをお手玉しながら、慌てて胸ポケットにしまう。

 彼が振り返った恐る恐る先に見えたのは、案の定音高最強の風紀委員長の仁王立ちした姿だった。


「おー、委員長」

「委員長はやめて」


 と、被せ気味に彼の言葉を遮って言い放つと、東山さんはスタスタと歩み寄り、腰に手を当てながらこーへいを見下ろす。

 こーへいは誤魔化すように、にんまりと猫口を浮かべ、何か用か?――と、言いたげに彼女に向かって首を傾げてみせた。


「こんな所で何油売ってるの?」

「んー、負けず嫌いカッシーの健闘を応援してた」

「柏木君の?」


 眉間にシワを寄せた彼女へ向けて、こーへいは広場指すように顎をしゃくる。

 東山さんは広場を向き直ると、そこで模擬戦を続けるカッシーとヨーヘイに気づき、なるほどと納得したように頷いた。


「んで、なっちゃんはへーきか?」

「気を失っただけみたいだから別状はないみたいだけど……今ヒロコさんに見てもらってるわ」

「そっかー、そりゃ心配だな」

「それより暇なら準備を手伝ってよ。明日ここを出発する予定でしょう?」


 と、浮かべていた眉間のシワを深いものとし、東山さんはギロリとこーへいとかのーを睨みつける。

 なっちゃんは眠ったまま。日笠さんはササキを訪ねて行ってしまったし、おまけに男子三人は姿が見えない。

 まったくみんなどこへ行ったのだ?――と、東山さんは捜しに来ていたのである。

 だが、お気楽極楽クマ少年と天然ナチュラルバカ少年はそんな彼女の怒りに全く気付かず、のほほんとお互いの顔を見合わせた後、ほぼ同時に口を開いていた。


「えー、めんどぉーい」

「ムフ、おまえ一人でやれヨーミケン女ー」


 ――と。

  

 刹那。

 ケタケタと馬鹿にするような笑い声をあげていたかのーの身体は、予想通り砂埃を舞い上げながら広場を滑っていくハメになった。

 無論東山さんの放った強烈な正拳突きを食らってだ。

 すさまじい衝撃音が広場に木霊して、カッシーとヨーヘイは繰り出そうとしていた剣をピタリと止める。

 そして滑っていくかのーを目で追うと、ほぼ同時に顔に縦線を描いていた。

 そんな二人を余所目に、東山さんはパンパンと手を払うとクマ少年を向き直る。

 

「まったくあのバカは……さ、行くわよ。手伝って中井君?」

「へいへーい……」

「なあ、『タダノコウコウセイ』てのは、やっぱり奇跡の使い手なんじゃねーのか?」


 なんだあの子。どうなってんだよ?――

 小柄な少女が放った見事な一撃を目の当たりにして、ヨーヘイは口の端を引き攣らせながら尋ねる。

 カッシーは困ったように頭の後ろを掻くしかなかった。


「い、委員長は特別なんだっつの……」

「柏木君もその辺にして手伝って!」

「くそっ、わかったよ」


 悔しいけど手も足もでなかった。けど、辞め時だったかもしれない。

 東山さんに止められ、渋々ながらカッシーは構えを解く。

 少年が剣を腰にしまってぺこりと一礼したのを見て、ヨーヘイもふぅと息を吐きながら構えを解いた。


「なかなかやるじゃんカッシー。ま、水入りで『ひきわけ』って事にしとこうぜ?」

「よく言うよ、全然本気出してなかったくせにさ」


 汗だくで未だ呼吸が整わず肩で息をしている少年と、涼しい顔で額の汗を拭う青年。

 実力の差は一目瞭然だ。どう見たって軽くあしらわれている感じだった――

 カッシーは不満そうに口を尖らせる。

 そんな少年に向かって、ゆっくり首を振るとヨーヘイはにへらと笑いかけた。


「冗談抜きで中々いい剣筋だったぜ? 『ケンドウ』だったっけ、その剣術?」

「ああ。でもスポーツみたいなもんだし。実戦なんてしたことない」

「スポーツで剣術ね……いいな。おまえの世界は平和なんだなあ」


 皮肉でもなんでもなく、心の底から飛び出した思いを口にして、ヨーヘイは羨望の眼差しを少年に向けていた。

 青年が振るう剣は戦うための『すべ』であり、そして誰かを戦禍から護るための『すべ』でもあった。

 自分の剣術とは重みが違う。そりゃかなわなくて当たり前か――

 それに気づいたカッシーは返答に困って仕方なく無言で頷いてみせる。


 そして少年は朱に染まる村を一望した。

 昨日この村に到着した時と変わらず、村の所々には倒壊した家々が今も横たわっている。

 その倒壊した家の一件の前で、手を繋ぎ佇む子供が二人見えた。

 悔しそうに悲しそうに、お互いの手を繋ぎじっと燃え尽きた家を見つめる二人は兄弟なのだろうか。

 親はどこに?これから彼等はどう生きていくのだろうか――

 次々と沸き起こる疑問に、しかし答えを出せぬまま、ただただ少年には見つめることしかできないのだ。


 ふと思った。

 自分達の目的は元の世界に戻ることだ。

 そのためにはぐれた仲間を捜すことが現状の『最優先事項』だ。

 それはわかっているのだ。

 だが昼間、宿屋に集まった怪我した村人達を見て、そして今、こうして改めて活気のない村の様子を眺めて彼は考える。

 

 この村を放って、ヴァイオリンに向かってよいのだろうか――と。

 自分に何ができるかなんてわからない。

 正直齧った程度の剣術の腕しかない自分では、戦になれば到底戦力にもならないだろう。

 だとしても。

 今心に浮かぶこの葛藤が、ちっぽけな自己満足の正義感だと笑われても。

 異世界に放り出された自分達を匿ってくれたこの村の人々を置いて、自らの都合でヴァイオリンへ行くのは間違っているのではないだろうか――

 

 

「ヨーヘイ……」


 今も変わらず佇む子供二人を見据え、カッシーは傍らの青年の名を口にする。

 

「ん?」

「盗賊って、最近出始めたのか?」

「……ああ、ここ数週間で頻繁に村を襲ってくるようになった」


 少年の視線の先にいた子供達に気づき、青年はにへら笑いをスッと消すと静かに頷いた。

 主な狙いは村の食糧。夜に襲撃を仕掛けてきては村の食糧を荒らし、めぼしいものを略奪して去っていく。

 恐らくは最近になってこの近くに、ねぐらを構えたのだろう。

 ヨーヘイの返答を聞いて、カッシーは拳を握りしめると乾いた広場の地面へと視線を向ける。


「その……何か俺にできることはないか?」


 なんとも歯切れの悪い、迷いがありありと見て取れる声色だった。

 こんな自分にはたして何ができるか、自分でもわからないのだ。考えても皆目見当もつかない。

 それでも力になりたい。世話になった恩返しがしたい――

 それが少年の、嘘偽りのない気持ちだった。

 そんなカッシーの言葉を聞いて、ヨーヘイは一瞬驚いたように目を見開いたが、ややもって首を振ってみせた。

 

「気持ちはありがたいが、これはうちらの村の問題だ。俺達が何とかするよ」


 自分達の村は自分達で護る。そうやってこの村は代々在り続けて来たのだ。

 いやチェロ村だけではない。地方の小さな町や村は、皆そうやって在り続けている。

 それがこの世界の常なのだ。護れなければ滅びるのみ――

 それはこれからも変わらない。


 それにしても、こんな子供にまで心配されるとは――と、青年は自嘲気味に苦笑していたが。

 

「カッシー、おまえはおまえのやる事があるだろ? ぺぺ爺から聞いたけど、明日ヴァイオリンに向うんだってな?」

「うん」

「仲間、見つかるといいな……頑張れよ」


 そう言って、ヨーヘイはまるで弟を可愛がるかのように少年の頭を乱暴に撫でた。

 その優しい眼差しの青年を見上げ、カッシーは何か言おうとしたが、言葉が出てこずに仕方なく口をへの字に曲げる。

 

 自分は何がしたいのだろう。

 そうだ、残って何ができる?

 彼の言う通り、素直に自分達の目的を優先して動くべきじゃないか?――

 

「柏木君、まだなの?」


 時間切れだった。

 東山さんの呼び声が聞こえて来て、カッシーは彼女を振り返る。


「今いくよ委員長」

「それじゃあまたな、カッシー」

「ああ、また明日」


 にへらと笑う青年へ小さく頷くとカッシーは歩き出した。


 斜陽は紅い光と共に、山脈の向こうへ沈みかけ、東の空は既に星が瞬きだし、深い藍に包まれている。

 

 


 この世界に飛ばされて三度目の夜が始まろうとしていた。

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