その9-1 動いたんです

一時間後。

チェロ村、ペペ爺の家―



「――なるほど、それは災難だったなコノヤロー」


 事の顛末を日笠さんから聞き終え、ササキは興味深げに感想を漏らした。

 その間も手は休むことなくZIMA=Ωの修理を続けている。

 傍らに立ちその作業の様子を眺めていた日笠さんは、ササキが漏らしたその感想に同意するようにして頷いていた。


「それで演奏どころじゃなくなって、会はそこでお開きになりました」

「茅原君はどうした?」


 ササキは目を細め、ドライバーでネジを回しながら話の続きを促すように尋ねる。


「ヨーヘイさんやカッシーに手伝ってもらって、私達の部屋に運びました。今は恵美とヒロコさんに看てもらってますけど、まだ意識は戻ってなくて……」

「ふむ、ぺぺ爺さんは?」

「足が治っておおはしゃぎです。外を歩きまわってますよ」


 さっきこの家に来る途中に出会った、喜びのあまり元気溌剌に縄跳びをしていたぺぺ爺の姿を思い出し、少女は顔に縦線を描いた。

 なるほど――と、相槌を打ち、ササキは外したネジをテーブルに置くと、日笠さんを向き直る。


「ちょっとそこのレンチをとってくれないか?」


 促されるまま、日笠さんは無言でテーブルの上にあったレンチを取ってササキに手渡した。

 礼を言ってそれを受け取るとササキは修理を続ける。

 しばしの沈黙。

 聞こえてくるのはササキが生み出す修理音のみだ。

 小さな溜息をついて少女はテーブルに腰かけ、暇を持て余すようにして足をぶらぶらとさせる。


「会長、どう思いますか?」

「何がだ?」

「チェロが光った事です」


 意を決したように少女は口を開くと、先刻起こった信じられない事象に関する率直な意見をササキへと求めた。

 楽器が光る――こんなこと初めてだった。

 それだけでなく、演奏を聞いていた人々の怪我が治ったのだ。

 治療不可能と思われていたペペ爺の足の怪我ですらである。

 どうしてこんなことが起こったのか、少女には皆目見当もつかないでいた。


「楽器が光って、その光が止んだと思ったら、ぺぺ爺さんや村人の怪我が治ったんですよ?村の人は奇跡だ奇跡だっておおはしゃぎ。私達はやれ恩人だ、やれ神様だって拝まれちゃうし――」

「クックック、神様か。よかったじゃないかコノヤロー」

「よくありません。私達だって何が起きたんだんだかさっぱりだし、なのにかのーなんかつけあがって、大威張りですよ?」


 自分達にだって理解不能な事象だったのだ。

 それを神様扱いされたっていい迷惑に他ならない。

 まるで他人事のように言い放ったササキを睨みつけ、少女は端正な眉根を寄せて不満そうに俯いた。


「なんにせよ煙たがれるよりかはマシだろう。これでこの村にいやすくなったじゃないか」


 ササキはそう言って仰向けになると、Ωの下に潜り込んだ。

 そして持っていたペンライトで底を照らす。

 ちなみにこのペンライトはササキがブレザーのポケットにしまっていた携行品である。


「それはそうですけど……」

「何が不満なのかね?」

「会長は不思議に思わないんですか?怪我が治ったんですよ?こんなの常識じゃ考えられません」


 超常現象的な信じられない出来事が現に起こっているのだ。

 なのに何故この人はこう悠長にしていられるのだろう――日笠さんは苛立たしげに溜息を吐く。

 音高で一、二を争う美少女が可愛く膨れ面を浮かべていることに気づくと、しかしササキは可笑しそうにくぐもった笑い声をあげた。


「クックック……常識ね」

「何がおかしいんです?」

「日笠君、我々がこの世界に飛ばされた時点で、既に非常識じゃあないか。今更何を言っている」


 そんな事いわれたって、はいそうですかと素直に受け入れるのは、土台無理な話だ。

 先入観や固定観念はそう簡単に捨てきれるものではない。

 ましてや彼女は七人の中では最も常識人であり、それ故に破天荒な皆をまとめるために苦労が耐えない立場でもあるのだ。


「この世界はまだ我々の常識では理解できない事がたくさんあるのだよ」

「……だから納得しろと?」

「そう言っているのではない。だがこれから先、このような事態が起こる度に、いちいち驚いていたら身が持たないだろう?」

「はぁ……」


 と、わかったんだかわからないんだか、曖昧な返事をして、日笠さんは困ったように天井を見上げた。

 そんな少女をZIMA=Ωの筐体の隙間からちらり伺った後、ササキはふむ――と口の中で唸り声をあげる。

 そしてそそくさと這い出ると、彼はちょっと伸びてきた顎ひげを撫でる。

 

「だが話自体は実に興味深いな。楽器が光ったか……」


 パンツについた埃を払いながら立ち上がると、彼はおもむろにΩのスイッチを入れた。

 球体装置は低い音をたてながら起動音をあげる。

 よし、成功だ。ジェネレーターと、起動装置はなんとか動くようになったようだ――

 ササキはにやりと笑ってΩをボディをポンポンと叩いた。


「直ったんですか?」

「いや、動くようになっただけだ。音響装置自体はまだ直っていない」


 一通り起動することを確認すると、ササキはΩのスイッチを切った。

 余韻を残して球体装置は活動を停止する。

 ふう、と一息ついてから、ササキはネクタイを締め直し、椅子にかけてあったブレザーの上着を羽織った。


 またしばしの沈黙。

 

「あの……会長」

 

 ぼんやりとΩを眺め、日笠さんは思いつめた表情でしばらく黙っていたが、やがて意を決したように再び口を開く。

 なんだね?――そう言いたげに、ササキは首を傾げてみせた。


「実は私もやってみたんです」

「何をだ?」

「楽器を……『鳴らす』だけじゃなくて、ちゃんとした『曲の演奏』を……」


 そう言った少女の顔は心なしか青ざめて見えた。

 ササキを訪れるつい数十分前のことだ。

 彼女はカッシーやヨーヘイがなっちゃんを運んでいった後、誰もいなくなった宿の一階で自分のファゴットを吹いてみたのである。

 今思えばそれは好奇心もあったからだろう。

 そして目の前で起こった奇跡のようなあの事象を解明したいと思う気持ちもあった。

 僅かに俯き、思いつめる様に虚空を見つめる少女を眺め、ササキはほう――と、関心を示す。


「なんの曲を演奏したんだ?」

「曲っていっても一節ですけど……『魔法使いの弟子』」

「前座曲か」


 日笠さんは無言で頷いた。

 魔法使いの弟子。ポール=デュカス作曲の交響詩だ。

 この世界へと飛ばされたあの日、卒業演奏会の前座曲と読み合わせをしていた曲でもある。

 曲の一部にファゴットのソロがあり、はたして彼女が試しに演奏していた自らのソロパートであった。

 

「それでどうなった?」

「……やはり、ファゴットが光りました」

「それだけか?」

「いえ……動いたんです」


 顔を上げ、日笠さんは自分がついさっき見た、ありのままのを、包み隠さず話し始めたのであった。

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