その8-2 無伴奏チェロ組曲第1番
みんな適当に合わせてね――と、日笠さんは振り返って小さな声でそう言うと、コホンと咳払いして話を続けた。
「ペペ村長をはじめ、皆様には我々の研究に協力頂き、誠にありがとうございます。おかげさまで社の調査は順調に進んでおります」
よくもまあ咄嗟にここまで舌が回るものだ。
事情を知っているヨーヘイとぺぺ爺、そしてマキコさんは、日笠さんの見事なアドリブに感心する。
「さて、ヨーヘイさんから説明あったとおり、私達は多少ですが演奏の心得があります。そこで本日は僭越ではございますが、本学で開発したこの新しい楽器の演奏を披露することで、調査に協力頂いた皆さまへのお礼に変えられないかと考えました」
そこまで言って、日笠さんはカッシー達が手に持つ楽器へと手を翳した。
「これらの楽器は単体で奏でる事も可能なのですが、本来はもっと大勢の奏者により同時に演奏する代物なのです。しかし、ご覧の通りここには私達六名しかおりません」
村人達は興味深く、なるほどといった感じで頷いている。
「そこで、今回はこの楽器の紹介と簡単な独奏を披露させて頂くことと致しました。新しく開発したばかりの楽器のため、奏者もまだ練習不足で拙い演奏となるかもしれませんが、どうか皆さん最後までご鑑賞ください」
にこりと笑って日笠さんはお辞儀をする。村人達は盛大な拍手と共にそれに応えた。
流石部長、やっぱり頼りになるなあ――カッシー達は淀みなく咄嗟のアドリブをやりきった日笠さんに思わず尊敬の眼差しを向ける。
そんな部員の視線に気づいて、席に着いた日笠さんは、ややはにかみながら、照れ隠しにペロリと舌を出して見せた。
「こんなところかな」
「日笠さん助かった、ありがとう」
「どういたしまして。後は打ち合わせ通り行きましょ」
「わかった」
そんなわけで、何とか危機を脱することができた六人の楽器紹介がスタートする。
まずはカッシー。
「えっと、皆さんはじめまして。柏木悠一です」
少年はぎこちなく椅子から立ち上がると、セリフ棒読みってな感じで挨拶をする。
「わ、私が持ってるこの楽器はトランペットといいまして、その金管楽器の一部なんですけど――」
「トランペットっちゅーのか」
「管国にそんな名前の街がありゃせんかったか?」
「ラッパにそっくりじゃな」
「ああ、ラッパの一種です」
たちまち村人から口々に声があがり、カッシーはコクンと頷いて説明を付け加えた。
「アンタが名づけたのか?」
「は? いやまあ……そんな感じですかね」
と、少年は無愛想全開で適当に相槌をうった。
すぐ後ろから日笠さん達の溜息が聞こえてくる。
何だその溜息は!――だが状況が状況だ、カッシーはぐっと堪えて話を進めた。
「とりあえず聴いてみてくれますか?」
少年はそう言ってトランペットを構えると、マウスピースに口をつけ、静かに息を吸い込んだ。
澄んだトランペットの音色が部屋に響き渡り、その大きく勇ましい音色に村人達の間からどよめきが起こる。
刹那。妙な違和感を覚えてカッシーはピクリと眉を動かす。
見間違いだろうか。今楽器が光ったような――
この世界へと飛ばされるきっかけとなった、あの出来事の時と同様に楽器が光ったように見え、少年はトランペットに目を落とした。
じんわりと淡くて鈍い光が手元から見えて、やはり間違いないと確信すると。
カッシーは二小節のファンファーレを吹き終え、すぐさまマウスピースから口を離して楽器の様子を再度確認する。
だが愛用のトランペットは、いつもと変わらない金色のボディのままだった。
やはり気のせいだったのだろうか――少年は怪訝な表情を浮かべつつ、ぽりぽりと鼻の頭を掻く。
「あ、すいません。えっと今のは『マーラー交響曲一番』って曲の一節なんですが――」
『???』
「……って言ってもわかんないよな。ま、まあとにかくこういう音が出る楽器です。ありがとうございました」
そう言って少年がぺこりとお辞儀すると、村人達は満足気に彼を拍手で称えたのであった。
その後、音楽会は順調に進行していった。
村人達は初めて見る楽器が放つ、綺麗な旋律と音色に都度驚きと感嘆の声を上げっぱなしであった。
こーへいのヴァイオリン、東山さんのヴィオラ、日笠さんのファゴットに、特に凄まじい爆音を放ったかのーのシンバル。
村人達はどの楽器にも興味津々といった様子で音楽会中、まるで新しい玩具を見る子供のように目を輝かせ続けていた。
そしていよいよ大取、なっちゃんのチェロで締めとなる。
「ではこれで最後となります。取りを務めますのは私達の楽団――コホン、失礼。調査員の一人である、茅原夏実によるチェロ独奏です」
日笠さんの紹介を受け、なっちゃんは軽く会釈をして村人達を一瞥した。
「こんにちはチェロ村の皆さん。私は茅原夏実といいます。今から私が演奏する楽器は、弦楽器の一種で『チェロ』という名前の楽器です」
「チェロじゃと?」
「俺達の村と同じ名前だな」
数奇な偶然かそれとも意図的なものなのか――村人達は村と同じ名前の楽器を興味深げに眺めながら、口々に声をあげる。
「して、どんな音がするんじゃ?」
「じゃ、今から演奏しますね」
なっちゃんはそう言って椅子に腰掛け直し、両脚の間にチェロを構えると、徐に弓をあてがった。
そして深呼吸をすると弓を弾いて演奏を始める。
途端、暖かいチェロの調べが静かに部屋を包みこんでいく。
響き始めたその旋律を耳にして、カッシー達は顔を上げた。
ヨハン=ゼバスティアン=バッハ作曲 『無伴奏チェロ組曲第一番』――
彼女の十八番でお気に入りの一曲だ。
響き始めたチェロの重厚にして美しいその調べに、村人達の間から溜息が漏れる。
ふと思った。
いや、気持ちに余裕がなかったから、考えられなかっただけかもしれないが。
今こうして、扱い慣れた愛用のチェロを再び奏でる時間ができて、少女は考えてしまったのだ。
また
何度となく弾き続けて来た大好きなその調べを生み出しながら、脳裏にふと慣れ親しんだ音楽室の風景を思い描き――
少女は思わず熱くなってしまった目頭を堪えるようにして、静かに瞼を閉じた。
どうしてこうなったのだろう。
みんな元気だろうか。
私達は……元の世界に戻れるのだろうか。
少女の切なる想いは、チェロの調べに乗って部屋に響き渡っていく。
それは望郷の念。それは友達を憂う友情。
元の世界に帰りたい。
そしてまたみんなと演奏をしたい。
堪えきれず、少女の目の端から熱い滴がこぼれ落ちる。
と――
異変が始まる。
少女の切なる想いに応えるように、チェロが淡く優しい光を灯しだしたのだ。
聴こえて来る優しい調べにうっとりと聞き惚れていたカッシー達は、その異変に気づくとはっとしながら顔をあげた。
なんだろう――奏者であるなっちゃんも、突如輝きだした楽器を気づいて目を開ける。
徐々に光を強めるチェロに恐怖と好奇心の両方を覚えつつ、しかし少女は演奏を続けた。
いや、続けさせられた――といった方がよいだろうか。
暖かい光だった。
この光は悪い光ではない――彼女はそう感じていた。
少女はその光に惹かれる様に再び目を閉じ、そのまま流れに身を委ねたのである。
彼女の身体はその意思を離れ、まるで楽器に操られるようにして一心不乱に曲を奏でていった。
『奇跡』が起こった。
突如客席から上ずった悲鳴が上がり、村人達は一斉にその方向を振り返る。
見えたのは右足を抑え、うずくまって震えている老人の姿――
「あなた、どうなさったのです?」
「な、なんじゃい? 古傷が熱いっ!?」
心配そうに寄り添ったマキコに向かってぺぺ爺は叫ぶ。
と、時を同じくして、右腕を包帯で巻いていた若者が呻き声をあげつつ蹲った。
「傷が……!」
「なんだこりゃ?!」
彼だけではない、客席のあちらこちらから悲鳴があがる。
声をあげるのは、誰もがみな怪我を負っていた者達ばかりだった。
彼等は熱を帯び始めた患部を抑え、一斉にくぐもった呻き声をあげはじめたのである。
途端に松ヤニ亭は騒然となった。
「おいっなっちゃん、演奏やめろっ!」
未だ止めることなくチェロを奏で続けるなっちゃんに向かってカッシーが叫ぶ。
だがもう止まらない。
何かに支配されるようにチェロを奏でる彼女には、もはや何者の声も届かない。
まばゆい光はチェロだけでなく少女をも包み、ついには会場を覆い尽くした。
「おおおお……熱いぞいっ!?」
「あなた、しっかりしてっ!」
ペペ爺が堪えきれずに車椅子から転げ落ち、床に蹲る。
怪我をしていた者達も患部を抑えて身を丸めている。
明らかに異常事態だ。
「こーへい、かのー。手伝ってくれ!」
意を決したカッシーが立ち上がり、強引になっちゃんの身体を抑えた。
呼応してこーへいがさらに後ろから少女の右手を抑え、かのーがチェロを引っ手繰る。
演奏は強制的に中断された。
同時に部屋の中を照らしていた眩いばかりの光が一瞬にして消えていく。
チェロの調べが消え去り、静まり返った部屋の中で、なっちゃんは意識を失うと、ガクンと前のめりに倒れた。
「なっちゃん!?」
カッシーは慌ててその身体を受け止める。
少女は目を閉じ、真っ白になった生気のない顔に珠のような汗が浮かべ、胸を上下させていた。
と――
「ぺっ、ぺぺ爺さんっ?!」
今度は何だっつの?!――
やにわに背後から聞こえて来た新たな悲鳴に、少年は振り返る。
だが視界に映ったその『状況』に彼は思わず目を見開き、言葉を失った。
少年の視界に見えたその『状況』。
それは、やはり少年同様に目を真ん丸くして言葉を失い――
呆然と『立ち』尽くす、ぺぺ爺を見つめている村人一同の姿だった。
「マキコさん。ワシ……た、立っとる?」
一斉に注目される中、当の本人はなんとも間抜けな顔のまま、マキコを振り返った。
マキコは口に手を当て、老人の様子をまじまじと見つめつつ、ポロポロと涙を流しながらその場にへたり込む。
そんな生涯の伴侶に――
車椅子がなければ移動すらできなかったその老人は、『自らの足』で歩み寄って手を差し伸べた。
「痛くないんじゃよ。右脚が痛くないんじゃよ」
「あなた……」
「あの時マーヤを庇って負った矢傷がないんじゃ」
「お、俺もだ! 右腕が治ったっ!!」
「俺も怪我が治ってる?! どういうことだ?」
時を同じくして客席の所々から歓喜の声があがっていく。
呆然としていた村人達はややもって我に返ると、お互いを抱き合い飛び跳ねながら大歓声をあげていた。
「おーい、なんだ一体?」
「……どういうことなの?」
「俺に聞かれてもわかるかよ……」
唖然としながら、だがカッシーは訳が分からず首を振る。
その後はもう、音楽会どころではなかった。
怪我が癒えて大喜びの村人達。
意識を失って倒れてしまったなっちゃん。
事態が把握できず、取り残された少年少女達は、ただただ呆然とその光景を見ていることしかなかったのだった。
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