第三章 闘う者達

その10 い い わ け な い だ ろ !


 深夜。

 チェロ村『松脂亭』男子部屋―

 

 なんだこの音――

 昨夜は明らかに聞こえなかった音が聞こえてくる。

 馬の蹄が地を蹴る音。

 人の悲鳴のような声。


 だがやけに耳朶に響くその音に、少年は目を開けると上半身を起こし、周囲の様子を窺う。

 まだ夜明けには早いはずだ。

 なのに何故だろう、やけに窓の外が明るい。

 早暁にしては不自然な朱の色だった。


 と、今度は不意にガラスの割れる音が響き、少年は思わず身を竦ませる。

 気のせいと片付けるには、どうにもはっきりと見て取れる違和感のオンパレードだ。

 もしや、これは――


「カッシー……起きてっか?」

「……こーへい」


 やにわに頭上から聞こえてきたその声に、カッシーはベッドの脇から顔を出して上を見た。

 自分と同じく、ベッドから身を乗り出して外の様子を窺っているクマ少年の姿がぼんやりと見え、少年は暗闇の中、なんだ?――と、小首を傾げる。


「なんか騒がしくね?」


 口調は相変わらず呑気だが、こーへいのその表情は怪訝そうだった。

 彼の勘は明らかに異常事態を訴え、警鐘を鳴らし始めている。

 

「ドゥッフ、何スか一体。ウルサクテ眠れないヨー」


 同じく目を覚ましたかのーが、大欠伸をしながらぴょんと上半身を跳ね起こした。

 ササキはベッドにはいないようだ。彼はまだぺぺ爺の家から戻っていないのだろうか。

 だがいずれにせよ、何かが外で起こっているのは間違いないようだ。

 意を決すると少年はベッドから飛び出し、手早くスニーカーを履きだした。

 

「おーい、どこ行く気だ?」

「下行って様子見てくる」


 嫌な予感がする。頭の中でリフレインするのは、夕刻ヨーヘイから聞いたあのことだ。

 手短に返答するとカッシーは扉を開けて廊下へと足を踏み出した。

 既にランプの灯りは消えており、廊下も薄暗い。

 手探りで階段をゆっくりと降り、最後の階段を飛び降りて一階へと着地したカッシーは居間の様子を一瞥した。

 ランプも暖炉の灯りも消えているのに、部屋は外から差し込む薄暗い朱によってぼんやりと明るい。

 と、窓際に息を殺すようにして外の様子を伺っていた、見覚えのある女将の姿に気づき、カッシーは彼女へと歩み寄る。

 

「ヒロコさん?」


 やにわに、女将の身体がびくりと跳ねた。

 背後から突然呼ばれたせいで、吃驚したのだろう。

 慌てて振り返ったヒロコは、しかし声の主が少年であることがわかると、ほっと胸を撫で下ろしていた。


「なあ、外で何が起こってるんだ?これってもしかして――」


 だがカッシーの言葉は、ヒロコは『静かに』と口に手を当てる行為ジェスチャーによって半ばで遮られる。


「下に降りてきちゃ駄目。すぐに戻りなさい」

「どういうことだよ?」

「盗賊がまた襲って来たわ」


 やはり――予想通りの返答が返ってきて、だが少年の胸の動悸は途端に早く鳴りだした。

 情けないほどに身体が緊張してくるのがわかる。

 カッシーは腹に力を籠め、足を踏み出すとヒロコの傍らからそっと窓の外の様子を窺った。


 視界に映った村の広場は、人馬の怒号が飛び交う戦場と化していた。

 暴力的な炎が所々で揺らめく中、悲鳴、罵声、倒壊……様々な音が入り混じり村の中で木霊している。

 そして、所狭しと馬を走らせ、手に持つ剣を振り回しながら我が物顔で暴れまわる人影がいくつも見えた。

 あれがどうやら盗賊達のようだ。


 カッシーは表情を強張らせ、眉を顰める。

 嫌な汗が噴き出してきた。口の中が急激に乾きもしだした。


「カッシー……?」


 と、背後から不意に名前を呼ばれ、先刻のヒロコとまったく同じ仕草で、カッシーはびくりと身を竦ませてしまった。

 だがすぐに声の主が、馴染みの少女であることに気づいて彼は振り返る。

 案の定、その視界の先に見えたのは剣呑とした表情を浮かべ、こちらの様子を窺っている日笠さんの姿であった。


「何が起きてるの?」

「なんでもない。日笠さん部屋に戻っててくれ」

「嘘よ、なんでもないわけない。もしかして盗賊が襲ってきたんじゃ――」

「大丈夫よ、村の青年団がきっとなんとかしてくれる」


 奴等は適当に暴れて食料を奪ったら引き上げていく。前回もそうだったのだ。

 それまでじっと隠れていれば問題ないはず――

 少年をさらに問い詰めた日笠さんの言葉を遮り、ヒロコは安心させるように強気な笑みを浮かべてみせた。

 それでも日笠さんは不安に顔を曇らせ、階段の途中から心配そうにヒロコの顔を見つめていたが。


「さ、カッシーもマユミちゃんも部屋に戻りなさい。鍵を閉めて絶対に部屋から出てはだめよ」


 だが、背中を押すようにして奥へと促したヒロコを、カッシーは戸惑うように振り返る。

 身体は竦んでいる。心臓なんか情けないほどにドキドキいいだしてる。

 これは現実。現実に起こっていること。夢でも映画でもないのだ。

 

 そう分かった途端このありさまなんだ。これで、何ができるってんだ――

 カッシーは知らず知らずのうちに拳を握りしめていた。


「カッシー、行きましょ」


 少女の心配そうな声が、彼を我に返らせた。

 カッシーは顔を上げ、日笠さんに頷いてみせる。

 

 刹那――

 

 瞳に映った少女の顔が、みるみるうちに驚愕の色を浮かべ青ざめていった。

 なんだ?――と、カッシーは日笠さんの視線を辿り背後を振り返る。

 そして窓の外に見えた、獲物を見つけたハイエナのように部屋の中を覗き込む盗賊に気づき、硬直してしまった。

 

 見つかった?!――

 

 やにわに窓ガラスが割れ、少年の傍に立っていたヒロコの身体が勢いよく吹っ飛んだ。

 飛び散る硝子の破片から、反射的に顔を庇いながら、カッシーは後ろにしりもちをつくように転倒する。


 顔を覆う腕の隙間から見えた窓から、にょっきりと伸びた足が。

 たった今窓を砕き、ヒロコを蹴り飛ばした足が――

 

 ゆっくりと窓の桟をまたいで部屋の中に侵入してくるのが見えた。


 日笠さんの押し殺すような悲鳴が聞こえた。

 床に倒れ込んだヒロコの苦しそうな呻き声も聞こえた。

 

 中へと侵入した盗賊は、濁った瞳で倒れているヒロコを嬲るように見下ろしている。

 その右手に握られていた、剣の刀身が外の炎を反射して鈍く光っていた。

 

「ヒヒヒ、獲物発見~!」


 癇に障る甲高い笑い声と共に、盗賊は未だ起き上がらないヒロコめがけてゆっくりと歩きだす。


「ヒロコさん!」


 震える脚に喝を入れ、少年は起き上がるとあらん限りの声で叫んだ。

 

 もう一度自分に問いかける。

 本当にこれでいいのか?――と。


 自分に何ができる? あいつらと戦えるのか?

 馬鹿を言うな、『タダノコウコウセイ』なんだぜ?

 見ただけで足が竦んでいるんだぜ?

 逃げたって誰も文句いわないさ。ヨーヘイだって言ってた。

 

 おまえはおまえのやる事があるだろ?――って。

 

 でもこれが自分の望むことなのか?

 自分のしたいことなのか?


 違うよな。

 今までだってそうだったろ?

 意地っぱりだっていわれようが、我儘だっていわれようが

 後でああしとけばよかった――って、後悔するのが嫌だから自分で決めた道を進んできたんだろ?

 

 ならもう一回問うぜ柏木悠一。

 この状況でも村を見捨てて――



 自分のことだけ考えてればいいのかよ?



「い い わ け な い だ ろ ボ ケ っ !」

 


 身体が自然に動いていた。

 頭で考えるよりも早く、少年は床を蹴り飛び掛かっていた。


「うおおおおお!」


 不意に真横から飛んできた少年のタックルをまともに受け、盗賊は低い呻き声と身体をくの字にして身悶える。

 カッシーはそのまま盗賊を押し切り、背後に見えた宿屋の入り口目がけて、自分もろとも体当たりした。

 衝撃で鍵が弾け飛び、扉が勢いよく外側にこじ開けられると、少年と盗賊は戦火の中へと放り出される。

 地面をゴロゴロと転がり、もんどりうって倒れた二人は、乾いた砂を巻き上げながらほぼ同時に呻き声をあげていた。

 ゲホゲホ、と咳込みながら強かに打ち付けた背中をおさえ、カッシーは立ち上がる。


「こんのガキィィー!」


 と、怒りに打ち震える罵声が聞こえて来て、彼は慌ててその声のした方向を向き直った。

 額に青筋を浮かべて剣を振り上げる盗賊の姿が見えて、彼は思わず身構える。


 どうする? この後どう動く?――

 

 弾む息を懸命に抑えながら、少年は入口越しに宿の中の様子をちらりと窺った。

 倒れたヒロコが起き上がる気配は未だない。

 階段の半ばで茫然とこちらを見つめ佇む少女の様子も見える。


 なら自分がするべきことは一つ――

 カッシーは意を決したように盗賊を睨み付ける。


「こっちだボケッ!」


 と、一声あげるとカッシーは踵を返し、盗賊を誘うようにして広場の中央へと逃げていった。

 怒りに我を忘れた盗賊はまんまとその挑発に乗り、剣を振り上げたまま、少年を追いかけていく。


「カ、カッシー!?」


 何考えているの!?――

 広場へと駆けていく少年を見て、日笠さんは慌てて階段を降りると、少年を追いかけて外へ飛び出そうとした。

 しかし、少女のその手をがしりと掴み、ようやく意識を取り戻したヒロコが強引に引き戻す。

 そしてふらふらと小走りに入口に近づくと、急いで扉を閉めて日笠さんを振り返った。

 外の喧騒が遮られ、部屋の中に余韻を伴って静寂が舞い戻る。

 

「通してください、カッシーが!」 

「あなた死にたいの!? 外へ出てはだめ!」


 すがるようにして詰め寄った日笠さんの言葉を遮って、ヒロコは必死の形相で忠告すると、彼女は、落ち着きなさい――そう言いたげに少女の肩を揺さぶった。

 やにわに、彼女の額から血が流れ落ち、頬を伝ってぽたぽたと床に赤い染みを作る。

 先刻盗賊に蹴り飛ばされた際、怪我をしたのだろう。

 真っ赤に流れるその血を眺め、顔面蒼白で日笠さんはその場にへたり込んでしまった。


 と――

 

「おーい、なんだ今の悲鳴?」

「ドゥッフ、カッシードシタノー?」


 騒ぎを聞きつけたこーへいとかのーがドタドタと階段を降りてくるのが見えて、日笠さんは向き直る。

 その後ろには、剣呑とした表情を浮かべた東山さんの姿も見えた。

 三人はへたり込む日笠さんと額から血を流すヒロコに気づくと、状況を察し途端に表情を強張らせる。


「まゆみ、一体何があったの?」

「盗賊が襲ってきて、カッシーが……囮になって外に」


 ダメだ。落ち着かなきゃいけないのに、声が震える――

 それでも伝えなければと、目に涙をいっぱいためて、やっとのことでそう言い切った日笠さんを見て、三人は各々呆れと驚きの入り混じった表情を浮かべていた。

 そんな彼等を余所目に、ヒロコは壊れた鍵の代わりにロビーにあったテーブルを引き摺ってきて扉と窓を封鎖していく。

 そして一通り戸締りを確認した後に、大きな息を吐くと日笠さん達を向き直った。


「ヒ、ヒロコさん、お願いします! 通してください!」

「気持ちはわかる。でもあなた達を外に出すわけにはいかない」


 追いかけていけば、ミイラ取りがミイラになる――

 碌な装備もない彼等を見ればわかりきったことだ。

 強引に押し通ろうとした日笠さんに向けて、ヒロコは両手を広げて扉の前に立ち塞がった。

 

「けれどカッシーが――」

「あの子はヨーヘイがきっと何とかしてくれる。あなた達は早く部屋に戻りなさい。絶対に部屋から出てはダメ」

「ヒロコさん!」

「お願いだから……!」


 やる時はやる、意外と頼りになる幼馴染の姿を思い浮かべ、ヒロコは震える声でそう答えると、首を振ってみせる。

 これはどう足掻いても外には出してはくれなそうだ。

 四人は困ったように顔を見合わせた。


「まったく柏木君は……」

「まあ、今に始まったことじゃないからなー?」


 あいつの無鉄砲さは毎度の事でもう慣れた――

 こーへいはやれやれと肩を竦め、猫口を浮かべながら東山さんを振り返る。

 

「どうあってもダメですかヒロコさん?」

「ダメよ!」

「だ、そうよ、中井君?」

「んじゃー、仕方ねえなあ?」


 ダメ元で確認してみたが、やっぱ無理。

 ならばしょうがない、こちらにも考えがある――と。

 こーへいはにんまりと笑みを浮かべ、東山さんの意思を確認するように首を傾げる。

 剛腕無双の風紀委員長は、そんなクマ少年を真っすぐに見据え、眉間にシワを寄せつつ無言で頷いてみせた。


「いこうぜ委員長。プランBってか?」

「ええ!」


 頭の後ろで手を組みながら、こーへいはのっしのっしと階段を登っていく。

 東山さんもその後に続いて歩き出した。

 一人取り残された日笠さんは、あっさりと引き返していく二人を見て、しばらくぽかんとしていたが、ややもって我に返ると急いでその後を追いかける。


「ちょ、ちょっと待ってみんな!」

「日笠さん、早く来いってばよ?」


 既に部屋に入ろうとしていたこーへいは、階下の彼女を覗くとそれだけ言って構わず部屋に戻っていった。

 日笠さんは仕方なく階段を登り、足早に部屋に入る。


「みんな、どういうつもりよ」

「んーなにが?」

「だってカッシーがまだ外に……早く助けないと!」

「誰も助けないなんて言ってないわ」

「だよなー?」

「……え?」

「んー、まあ見てろって」


 腕まくりをして窓を開ける東山さんに、近くにある棚を引きずって窓辺に寄せ始めるこーへい。

 一体何をするつもり?――

 日笠さんは訳がわからず戸惑うばかりだ。


「あの女がいるカラ下は無理ディース。だって外出れナイデショー?」


 と、いつの間にか屋根に登っていたかのーが、窓の外から逆さまに中を覗き込みつつケタケタと笑って言った。

 このバカ少年は本能で察したのだろう。二人が何か面白いことを企んでいる――と。

 一早く気付いた彼は、真っ先に部屋に戻り、さっさと屋根に登って待機していたのである。


「要はよー、外出なきゃいいんだろ?」


 にんまりと猫口を浮かべ、こーへいはかのーに向けて、ケースに入ったシンバルを投げ渡した。

 ぱしっとナイスキャッチすると、かのーはご機嫌そうにケタケタ笑いながら屋根の上へと姿を消す。


「だったら内から応戦するのみよ!」

「う、内からって――」

「さ、まゆみ、ぼさっとしてないで手伝って」

「え?え?」

「さーてと、おっぱじめようかねー委員長?」

「ええ、いつでも!」

「ブフォフォフォー! ハデにイクディスヨー!」

「えええ!?」



 訳が分からず、日笠さんはただただ、目をぱちくりとさせるのみであった。

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