その11-1 コル・レーニョ盗賊団

深夜。

チェロ村 広場―


 悲鳴、怒号、馬の嘶き。

 そして家が燃え爆ぜる音、剣戟の音、壮絶なその音の合唱は、初めて聴くものばかりで、どれも少年の想像を超えていた。

 これがいくさ。そしてこれが生死を賭けた世界――

 緊張が限界を超えて感情が麻痺してしまったように、少年は朱に染まる広場を眺めつつ無表情でその場に立ち尽くしていた。

 だが――


「待てやこのクソガキィ!」


 殺意を隠すことなく下卑た怒声に乗せ、こちらへ一直線にかけてくる盗賊の姿に気づき、カッシーの思考は有無を言わさず現実に引き戻される。

 

 冗談じゃない。絶対待ってたまるかっつの!――

 踵を返すと必死で少年は走り出した。


 息が簡単にあがる。脚が情けないほどに震えて力が入らない。

 様々な負の感情に包まれた熱気が、途端に彼の麻痺していた感情を呼び醒ましたために、『怯え』と『恐れ』が全身の力を奪っていく。

 徐々に少年と盗賊の距離は縮まりつつあった。


 不意に悪寒が少年の第六感を刺激する。

 ぞくりと背筋が冷たくなり、刹那、地震のような馬蹄の音が前から迫ってくるのが聞こえて、カッシーは息を呑んだ。


 生まれて十七年と半年。馬に蹴られて死んでたまっか!――

 少年の中の本能がパンパンに張ったふくらはぎを、それでも無理矢理収縮させ、彼の身体を横っ飛びさせる。


「イィィィィャッホーーーーッ!」


 一瞬の後に、彼のほぼ真横の地を馬の蹄が磨り潰すように踏みしめ通過していった。

 すれ違い様に馬上からベロリと舌を出してカッシーを挑発し、その盗賊は下卑た笑い声を広場に響かせ遠ざかっていく。

 間一髪。土まみれになった肌を洗い流すかの勢いでどっと嫌な汗が吹き出してくるのがわかり、少年は荒い息を繰り返した。


 が、一難去ってまた一難――

  

「見つけたぜ! 手間ぁとらせやがってこの野郎!」


 無慈悲な怒声が直ぐ近くから耳朶を打ち、カッシーは目を見開いた。

 酸っぱい生唾を飲みこんで、なんとか立ち上がった少年の視界に見えたものは、剣を振り上げこちらに迫る先刻の盗賊の姿――


 逃げるしかない――

 焼け付く喉も未だ整わない息にも構わず、少年は足を踏み出す。

 だが、途端ふくらはぎに走った激しい痛みによって、少年は前のめりに勢いよく転倒し、地べたに伏した。

 限界は思いのほか早く訪れた。

 どうやら攣ったらしい。意志とは無関係に小刻みに痙攣するふくらはぎを抑え、カッシーは歯を食いしばる。


「死んじまえやクソが!」


 炎に揺らめく影が少年を包むように覆い、彼ははっとしながらその影の主を見上げた。

 傍らにまで迫っていた盗賊の持つ凶刃が、今にも空を切って少年へ振り下ろされようとしている。


 何とかなると思った。うまく立ち回って、逃げ切れると思ってた。


 これが現実――そう思いつつも。


 意地っ張りな我儘少年は、諦めずに迫りくる刃から目を逸らそうとはしなかった。



 と――

 

 

 カエルが潰されたような盗賊の断末魔が広場に響き渡る。

 不意に真横から射貫くように繰り出された蹴りによって。

 見事に顎を蹴りぬかれた盗賊は、地面をもんどりうって転がると、白目を剥いてピクリとも動かなくなる。

 

「何やってんだこんな所で!」


 あっけにとられてきょとんとする少年に対し、その蹴りを放った張本人は険しい表情で怒鳴りつけた。


「ヨーヘイ……」


 覗き込むようにして自分を睨みつける青年を見上げ、カッシーは安堵のあまり全身の力を抜けていくのを感じながら、後ろに手をついてへたりこむ。

 助かった。寸での所で死なずに済んだ――そう思った途端に再び少年の身体を震えが襲った。

 しかし気を抜いている場合ではないと歯を食いしばり、カッシーは笑う膝に力を籠めるとなんとか自力で立ち上がる。

 と、ヨーヘイはそんな彼の胸倉を掴み強引に引き寄せた。

 初めて見る青年の険しいその表情に、カッシーは思わず身を逸らす。

 

「大人しく部屋に隠れてろ! 死にたいのか?」

「仕方ないだろ! ヒロコさんが危なかったんだ」

「ヒロコが?」

「宿も襲われた。だから盗賊を引き離そうと思って――」

「……余計な事を」

「……は?」

「これは村の問題だって言っただろう! よそ者が首を突っ込むなっ!」


 カッシーの言葉を遮るようにして、ヨーヘイは大声で言い放った。

 つい夕刻優しく笑ってくれた、にへら顔の青年からは想像できないほど厳しく、そして辛辣な口調。

 だがしかし――

 

 身体を襲う恐怖を振り払う様に、全身の毛を逆立てる程の勢いで額に青筋を浮かべ―― 

 意地っ張りな少年は負けじとヨーヘイを睨み返す。

 

「ざけんなボケッ! じゃあなんでその『よそ者おれたち』を助けてくれたんだよ! なんで俺達の話を信じてくれたんだよ!?」


 自分の胸倉を掴む青年の手を振りほどき、カッシーは食って掛かるようにして彼に顔を近づけた。

 そして大きな鼻息を吹かし、冗談じゃないと大声で問い詰める。

 情けないが大声で言い返さなければ、すぐにでも恐怖でまたへたり込んでしまいそうだ。

 隠れてればよかったって今さらだけれど少し思ってる。

 

 しかしそれでも。

 自分の気持ちに嘘をつくより、よっぽどマシだ――


 こ の 村 お い て 逃 げ 出 す よ り よ っ ぽ ど マ シ だ ! 

 

「よそ者とか関係ないとか言ってる場合か! 村がやばいんだろ?」

「……おまえなあ――」

「世話になっておいてなあ、今更自分可愛さにこの村ほっとけるかっ!」


 一度決めたことは意地でも曲げない意地っ張りなこの少年は、全身の血が逆流するような憤りと共にヨーヘイに嚙みついた。

 その見事なまでの逆ギレを受け、ヨーヘイは呆気に取られて口をパクパクとさせていたが、やがてやれやれと深い溜息を一つ吐く。


「そういう立派な台詞は、一人前に剣振れる奴がいうことだ」

「うっ、うるさい!」


 まさに正論。

 痛いところを突かれて少年は悔しそうに口をへの字に曲げる。

 それを見て、こんな状況にも拘わらず、ヨーヘイは愉快そうに口元を緩ませた。


「このお人好しめ。わかってんのかよ? おまえらの世界とは違うんだぜ?」

「知ってるよ、さっきちょっとだったけど思いっきり味わせてもらった……」

「なら――」

「けどだからってな、自分が納得いかないことを、仕方ないで済ますのは嫌なんだっつの!」


 まだ動揺もしている。心臓も高鳴りっぱなしだ。

 けどやってやる!――

 カッシーはパンパンと自分の頬を叩いて気合を入れると、真っ直ぐにヨーヘイを見据える。


「我儘なやつ……」


 にへらと苦笑を浮かべ、彼は近くに刺さっていた、誰のものともわからない剣を抜くと少年に投げ渡した。

 あたふたしながらも何とかそれをキャッチして、カッシーはうっと呻き声をあげる。

 初めて握った真剣はずしりと重い。今まで竹刀しか持った事のないカッシーは、その重さに剣呑な表情を浮かべた。

 

「木剣とは訳が違うぜ? 覚悟はいいか?」

「わ、わかってる」

 

 上ずった声で返事をすると少年は腹に力を籠め、両手でしっかり握り剣を構える。

 よし――と頷き、ヨーヘイは腰に差していたブロードソードを抜き放つと、広場の中央を見据えた。


「ありがとよカッシー。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうとしようか」


 刹那、ヨーヘイはにへら笑いを顔から消し去ると、打って変わって真剣なものへと変化させる。

 前方を睨む青年の双眸に、蹄の音を轟かし馬に乗った盗賊がこちらに襲い掛かってくるのが見えた。

 きた!?――

 ごくりと息を呑んでカッシーは剣を持つ手に力を込める。


「イイイイイッヤホオォォォォォォウウ!」


 でかい!間近で見ると馬ってこんなでかいのか?!――

 荒れ狂う嘶きをあげて突進してくる馬に、思わずカッシーは目を見開いた。

 と、呆気に取られて早速怯むカッシー目がけ、馬上の盗賊が容赦なく剣を振り下ろす。

 慌てて剣を頭上に振り上げ、少年はその一撃を受け止めた。

 甲高い金属音を発して、二つの刃が逆方向に弾き跳ぶ。


 なんつー重い衝撃、手が痺れる――

 後ろに倒れ込みそうになり、カッシーは両足に力を籠めて辛うじて踏み止まった。

 刹那、隙ができた盗賊目がけて、ヨーヘイが高々と跳躍して跳びかかる。

 

「てああっ!」


 不意に真横から突き飛ばされて、盗賊はもんどりうって馬から転げ落ちた。

 低いうめき声を上げて地に倒れたその盗賊の頭を、ヨーヘイはとどめとばかりに蹴り上げる。


 耳が痛いくらい心臓の音が身体の中で響いている。

 未だ痺れる両手を見つめ、呆けたようにカッシーが佇んでいると、その頭にぽんと手が乗せられた。

 我に返った少年がその手の主を見上げると、そんな少年に向け手の主である青年はにへらと笑ってみせた。


「その調子で頼むぜ、けど決して俺の傍を離れるなよ?」


 そう言ったヨーヘイにコクンと力強く頷き、カッシーは再び剣を構える。

 と、戦火の中を青年団の団員達がこちらへ駆けてくるのが見えて、ヨーヘイは手を振って彼等を出迎えた。


「団長!」

「おうおまえら。どうだ、様子は?」

「おかしいんだ、奴ら退く気配が一行ない」

「なんだって?」


 煤塗れに汗まみれの顔を困惑に歪め、青年達は感じていた違和感をヨーヘイへと報告する。

 戦闘が始まって早一時間。前回の襲撃の際は既に去っていてもおかしくない頃合いだった。


 青年達の言葉を受け、ヨーヘイはひくりと鼻を動かしながら広場を一瞥する。

 確かに統率なく適当に暴れて、本能の赴くままに適当に村の倉庫漁って去っていく盗賊達が、今夜に限って全く帰ろうとする素振りを見せようとしない。

 それどころか、金品食糧に目もくれず村人達を執拗に追い立てる盗賊達が目立つ。


 これはもしや――

 様子を窺っていた青年の頭には、とある一つの結論がまとまりつつあった。

 あまり考えたくない最悪の結論ではあるが。


 それは――


「もしかして、こいつら村を潰す気か?」

「ご名答だぜ、青年団長殿」


 と、渋い顔で呟いたヨーヘイの言葉に、期せずして返事が返ってきて、彼は露骨に不快感を露にした。

 そして聞き覚えのあるそのダミ声の主を振り返り、彼はやれやれと溜息をつく。


 青年を追って振り返ったカッシーの視界に映ったのは、盗賊達を後ろに従え、葦毛の馬の上からこちらを見下ろしている茶髪の男の姿だった。

 ひょろりと高い上背に、痩せ細った身体。だが目だけはまるで空腹の痩せ犬のようにギラギラと輝いている。

 その左腕には、『蜷局を巻く蛇』が描かれた布が巻きつけられていた。


「よう、ブスジマ。相変わらず冴えないツラしてんな」

 

 ヨーヘイは面倒くさそうにぼりぼりと頭を掻きながら、馬上のその男を睨みつけた。

 だが、皮肉を込めて放たれたヨーヘイの言葉に、ブスジマ――そう呼ばれた茶髪の男は、にやりと余裕の笑みを浮かべてみせる。


「ヨーヘイ、あいつ誰だよ。知り合いか?」

「ユウキ=ブスジマ。コル・レーニョ盗賊団の頭だ」

「コ、コル・レーニョ?!」


 とことん音楽関係の名前ばっかだな、ってこの際もうどうでもいいが――

 今度は音楽用語の盗賊団まで登場してきて、カッシーは笑えないと言いたげに口をへの字に曲げる。

  

「今日はお別れを言いに来たんだよ、ヨーヘイ君」

「挨拶なんぞいらないから、二度と来ないでくれないか?」

 

 馬の鬣に肘をつき、妙に馴れ馴れしく話しかけてくるブスジマを辟易した表情で眺めつつ、ヨーヘイはしっしっと手を振った。

 だがブスジマは構わず話を続けていく。


「ヒッヒ、聞くところによるとおめーらヴァイオリンに俺達の討伐を依頼したらしいじゃねーか?」


 途端に青年の顔つきが変わった。

 神妙な顔つきでブスジマを見据え、ヨーヘイは片眉を吊り上げる。


「……どこでその情報を?」

「うちらの情報網をなめてもらっちゃ困るねえ、確か……あー、五日前だったっけか?」

「大した地獄耳だ」


 と、苦々しく唸り声をあげたヨーヘイを見て、ブスジマはほくそ笑んだ。

 何の話だ?――

 話がさっぱり見えてこないカッシーは、答えを求めるようにちらりと横目でヨーヘイを見る。

 

「討伐依頼?」

「おまえ達が村に来るちょっと前に、ぺぺ爺がヴァイオリンに依頼をだしたんだよ。『盗賊討伐』のな」

「それじゃ――」

「ああ、近いうちに騎士団が到着することになってる」


 それまではなんとか青年団で防戦するつもりだったのだが――

 しかし既に敵の耳にその情報が入っていたのはとんだ誤算だった。

 

「ま、この村漁るのも飽きてきたところだ。騎士団の来る前にトンズラしようと思ってねえ」

「いい考えだ。是非ともそうしてくれよ」

「だがその前に、告げ口するような悪い子はお仕置きが必要だろ?」

「はっ、どっちが悪い子だか」

「まあそう言うわけで死んでくれ。この村の奴等、みんな残らずな?」


 ペロリと舌をだし、ブスジマは喉を掻き切る仕草をして、甲高い笑い声をあげた。

 何か来る――持ち前の直感で感じ取ったヨーヘイは咄嗟に剣を構える。

 はたして、ブスジマの手が天高く掲げられた。


「ヒャハハハ! せめて楽に死ねますようにぃ?!」


 刹那。

 張り詰めていた空気が弾け、両者は堰を切ったように動き出す。

 青年団は鬨の声と共に、決死の覚悟で突撃を開始した。


 だがしかし――

 

 待ってましたとばかりに、盗賊達は一斉に懐からボウガンを取り出して構える。

 懐に隠せるほどの小型なショートボウガンだ、威力も低いし致命傷にはなりにくい。

 だが至近距離からこの数のボウガンを撃たれたら、流石に回避することは無理であることは明白だった。

 吶喊を開始していた、青年達は慌てて防御の構えを取るが時すでに遅し――


 引き金は無情にも引かれ、雨のようなボウガンの矢が四方八方から彼等に襲い掛かる。

 そんな最中、何も反応できずただただ佇んでいたカッシーは、やにわに眼前に広がることとなった惨状に目を見開いた。

 

 少年のその耳には、次々とあがる若者達の悲鳴が聞こえていた。

 少年の見開かれたその瞳には、矢に穿たれ、次々と倒れていく若者達の姿が映っていた。


 呼吸だけが苦しいくらい溢れてくる。したくないのに肺が息を押し上げてくる。

 思考が止まり、何も考えられない。

 ショートした機械のように動きを停止させ、何をすればいいのかわからず、少年は眉をハの字にして歯を食いしばっていた。

  

 そんな中少年目がけて。

 狙いを定めて放たれた一本の矢が迫る――


「……え?」


 鋭利な鏃が、肉を貫く鈍い音が耳に聞こえた。

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