その19 魔法使いの弟子

同時刻、チェロ村広場―


 ヒロコが燃え盛る炎に水をかけると、一瞬にして水は一瞬にして蒸気に変わって辺りに立ち込めた。

 火の勢いは弱まる気配はない。まさに焼け石に水とはこのことだ。

 それでも水をかけ続けるしか手立てはない。


「つぎっ!」


 ヒロコは悔しそうに後ろの女性に桶を手渡すと、代わりに水の入った桶を受け取った。

 だがそこを狙い澄ましたかのように、数人の盗賊が女性達に襲いかかる。


「イヤッホォォォウ!」

「きゃあっ!」


 振り下ろされた剣を慌てて避けた女性は思わず桶を落とし、水は乾いた地面にみるみるうちに吸いこまれていった。

 間髪入れずに第二撃を放とうとした盗賊へ、そうはさせじと東山さんが飛びかかる。


「そこっ! 邪魔するんじゃないっ!」


 だが盗賊は剛腕無双の少女がやってくるのに気付くと、戦おうとはせず一目散にその場を離脱していった。

 そしてある程度距離を置くと、様子を伺うように再び女性達と対峙する。

 

「大丈夫ですか?」

「ええ、ありがとう」


 心配そうに尋ねた東山さんに女性は青ざめた表情で礼を延べると桶を拾った。

 悔しそうに眉間にシワを寄せ、東山さんは唸った。

 こうヒットアンドアウェイを繰り返されてはたまったものではない。

 東山さんが深追いすると別の盗賊が女性達を襲いかねないので、彼女もここを離れるわけにはいかなかった。

 さっきからこれの繰り返しで、遅々として消火活動が進まない。


「イインチョーヘルプミー! こっち手伝って!」


 と、バカ少年の悲鳴が聞こえてきて、東山さんは眉間のシワをより深いものとした。

 彼女が振り返った先では、真っ青な顔をしたかのーが盗賊達に追われているのが見える。

 まったくしつこい奴ら――少女は拳を握りしめ盗賊達へと駆け出した。


 懸命に水をかけ続けながらヒロコは赤く染まったチェロ村を一瞥する。

 このままじゃまずい。彼女は口惜しそうに下唇を噛んだ。



 と――。


「お~~~い委員長ー! かのー!」


 呑気な声で名前を呼ばれて東山さんは振り返った。

 その足元には顔面をボッコボコにされて気を失った盗賊達と、ついでに勢い余って殴られたかのーが転がっていたことを追記しておく。


「中井君?」


 青年団と盗賊が戦いを繰り広げる広場を、なんとか潜り抜けながらこちらにやってくるクマ少年の姿を発見し、東山さんは何事かと眉根を寄せた。


「どうしたの?」

「話は後だ、ほいっパスッ!」


 と、東山さんの問いに答えるより早く、こーへいは手に持っていた物を彼女に投げ渡した。

 少女は見事にキャッチして渡された物に目を落とす。


「これ……私のヴィオラ?」

「ほらよ、かのーも!」


 そういいながらこーへいは未だ伸びているかのーに向けてケースに入ったシンバルを投げた。

 シンバルはかのーの腹の上にちょうど落下し、バカ少年は短い悲鳴と共に目を覚ます。


「グフ!? な、何ディスカー?!」

「いいから二人ともついてきてくれ」

「えっ? ちょ、ちょっと――」


 言うが早いがこーへいは踵を返し、来た道を駆け戻っていってしまった。

 無理言わないでよ、私がここを放れたら盗賊達が――東山さんはズンズン駆けて行くこーへいを呼び止めようと口を開きかけた。

 だが、そんな彼女の考えを読み取ったように、ヒロコがにこりと笑って東山さんの背中をポンと叩く。


「エミちゃん、ここはいいからいきなさいっ!」  

「でも私が離れたら――」

「大丈夫、盗賊くらい私達でなんとかするわ」

「おーい、はやくこいって委員長ー」

「ムフ、イインチョーおいてくディスよー!」


 再びこーへいと、もうけろりと回復したかのーの声が聞こえてくる。

 意を決したように東山さんはヒロコに向かって一礼した。


「どうか無事で!」

「あなたもね」


 あの子達ならきっとなにとかしてくれる、そんな気がする――

 根拠はない。けれど、あの子達の目はまだ諦めていなかった。

 駆けていく東山さんの後ろ姿を見つめながらヒロコはそんな事を考えていた。


「イヤアアアアッホオゥーーー!」

「――さぁて」


 だが剛腕無双の少女が場を離れる否や、早速襲ってきた新手の盗賊達に気付き、ヒロコは負けじと袖まくりをした。

 村の女性達は、手にしたフライパンやら箒を構え、気合新たに身構える。


「まったく、弱いとみるとすぐさま襲ってくるなんて姑息な奴等ね! かかってらっしゃい!」



♪♪♪♪



チェロ村、広場中央――


「ふっ!」


 気合一閃。

 ヨーヘイは剣を振りかざし襲ってきた盗賊を斬りつけた。

 盗賊は音もなくその場に倒れると動かなくなる。


「気張れみんな! 俺達が負けたら村は終わりだっ!」


 と、新手の盗賊を睨みつけながら、ヨーヘイは周りの若者達に檄を飛ばした。

 そして剣を素早く振り上げ、目の前の盗賊をあっという間に薙ぎ払う。

 戦況はまったくもって芳しくない。負傷者は増えつつあるし、消火活動も思うように進んでいないようだ。

 このままでは、火にまかれて燃え死ぬか、或いは盗賊達にやられるのが先か――


「こりゃあ、もってあと少しかな」


 ヨーヘイは悔しそうに眉尻を下げると炎に包まれた生まれ故郷を一瞥した。


「いやあ~~頑張るねえヨーヘイ君」


 だが聞こえてきた覚えのある声に、彼のそんな思考は一気に吹っ飛ぶ。


「ブスジマっ」

「お~~恐い恐い」

 

 振り返ったヨーヘイに対して、ブスジマはゲラゲラと笑いながらからかうように舌を出してみせた。

 彼の後ろには盗賊達がずらりと並んでいる。その数少なめに見積もっても十数名。

 まだこれだけいたのか――

 ヨーヘイは厄介そうに舌打ちする。

 

「まあこんなド田舎の村にしてはよくやったほうだ。褒めてやるよ。だが、残念だったなあ?」


 と、首を掻っ切る真似をしてブスジマは剣を構えた。


「もうこの村は終わりさ。騎士団が来た頃には既に廃村だ」

「てめえだけはゆるさねえっ! 刺し違えてでも倒してやらあ!」


 ヨーヘイは吠えるようにそう叫ぶとブスジマに向かって剣を構えた。

 まだ動ける若者達が、その言葉に賛同するようにして各々武器を構える。

 だが人数差は歴然だった。


 どう見ても分が悪い。恐らくこれで決着がつくだろう。

 だが玉砕だって構わない。なんとかしてあのにくったらしい笑い顔に一太刀浴びせてやる。

 ヨーヘイはにへらと笑って、ブスジマ目掛けて突撃しようと剣を振りかぶった。

 


 と――

 

 


 その音色は、澄んだ水が流れるような涼しさと共に、突如として村に響き渡った。

 戦場と化した広場に、場違いな程見事な、清らかで堂々とした音色だった。

 ヨーヘイもブスジマも、青年団も盗賊達も、この場に似合わないその音色に動きを止めて思わず周囲を見まわした。

 やがて盗賊の一人が、目を見開いてその音色の主を指差す。


「おかしら、あれだ!」

「……なんだぁありゃっ!?」


 盗賊が指差した方向へ顔を向けるや否や、ブスジマは何とも素っ頓狂な声をあげた。


 丁度広場の端にあたる馬小屋の前だった。

 まだ比較的延焼が進んでいないその場所で

 少年少女は各々が所持する「楽器」を奏でようとしていたのだ。


 燃え盛る炎が煌煌と村を照らすその中、勇ましく山の麓に響き渡るトランペットのBの音。

 それに合わせ、少年少女はチューニングを開始する。


「Aじゃないと凄い違和感があるなコノヤロー」

「オーボエないんですから我慢して下さい。みんな準備いい?」


 タクトをピコピコしながら、ササキが納得いかなそうにぼそっと呟いたが、日笠さんはそんな事どうでもいいじゃないと口早に返答していた。

 と、そこにタイミングよく戻ってくるこーへいと東山さん、そしてかのー。


「日笠さぁーーん! 委員長とかのー連れてきたぜっ!」

「恵美ごめんっ! もうチューニングする時間ないけどいい!?」

「それはいいけど、一体どうするつもりなのまゆみ?」

「そうね、そろそろ理由を話してもらえる?」


 まだ何をするつもりなのか、何も説明を受けてない。東山さんとなっちゃんは同時に日笠さんへ尋ねた。

 しかし日笠さんは切羽詰った表情で首を振って一同を見渡した。


「多分、見てもらった方が早いと思うの」

「んー、そんないきなり言われてもよー?」

「ドゥッフ、訳わかめディスよ」

「もし成功すれば、この状況をきっと打開できるはず。お願い、私を信じてほしい…みんな協力して」


 何を考えているのかさっぱりだった。

 しかし日笠さんの目は真剣そのものだ。


 彼女は何かを掴んでいる。

 この状況を何とかできる何かを掴んでいる。

 ならさ――


「やってみよう」

「カッシー……」

「もう覚悟は決めてるんだ。今更後に引けるか!」


 カッシーはそう言って手にしたトランペットを口に当てた。

 それに続いて皆も意を決したように各々の楽器を構える。


「信じてるわよ、まゆみ」

「ありがとうみんな!」

「でよー、なに演奏するんだ?」

「前座曲、今度の卒演の――」

「――『魔法使いの弟子』のこと?」

「ムフン、あれヤルノー? イイヨー!」


 途端ににんまりとして、かのーは持っていたシンバルをくるくると回し構えた。

 シンバル大活躍のあの曲なら、いつでも来いといった感じで彼はぷくっと鼻の穴を膨らませる。

 と、話を聞いていたササキはそこではっと顔を上げ、にやりとほくそえんだ。


「なるほどそういうことか。わかった日笠君やってみよう。冒頭は割愛だ。君の入りからでいいな?」

「はい、構いません」

「よし諸君、ファゴットソロからだ。準備はいいかコノヤロー」


 すっ、とササキがタクトを振り上げる。

 カッシー達は無言で頷くと静かに楽器を構えた。



 日笠さんは目を閉じる。

 火の燃え盛る音も、風の音も、悲鳴も、剣戟も一瞬全て無音になったように感じた。


 もしあの時起こったことが私の見間違えじゃなければ。

 きっと奇跡は起こるはず。

 お願い、どうか力を――


 炎揺らめく広場にて、彼女の愛用のファゴットは曲を奏で出す。

 八分の三拍子のリズムにのって、おどけたようなファゴットの旋律が周囲に響き始めた。

 それに合わせてチェロのピチカートが曲を彩りを付けていく。


「な、なんだあいつら!?」


 この状況で演奏を始めたカッシー達を見て、ブスジマは呆れた顔で呟いた。

 見た事も聴いた事もない曲と楽器だ。一体何をするつもりだあの小僧ども――


「おかしら、なんだか様子が変ですぜ!!」

「あん?」


 と、ふと何かに気がついた盗賊が、気味悪そうに眉を顰めてブスジマを見た。


「あいつらたった七人しかいないのに……やけに音が大きくないですかい?」

「音ぉ!?」


 ブスジマは声を裏返して聞き返した。だが言われてみればと耳を澄ます。


 そう、わずか七人。

 しかも辺りは戦場の喧騒が鳴りやまぬこの状況で、しかしその音色は周りの音を凌駕するように、はっきりと聞く者達の耳に届いていた。

 例えるなら、まるで周りの音が楽器を畏れるように、火の音も、馬の嘶きも、そして剣撃の音も、全て鳴りを潜めてしまっているのだ。


「これは一体」


 何かが起こり始めている。あの時と同じ空気の様子を感じ取り、ヨーヘイの記憶に音楽会で起こった奇跡が鮮明に甦っていた。

 若者達も気づいたようだ。

 機を伺うように神経を研ぎ澄ましながらヨーヘイは頷いた。


「団長、これは――」

「あいつら何かしようとしてる。みんな剣を構えろっ!カッシー達を援護するっ!」


 見え始めた一筋の希望に、ヨーヘイは剣を構え青年団に号令を下した。

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