その7-1 オラトリオ大陸
チェロ村、ヒロコの宿屋
翌朝―
山の麓に広がる森から鳥の囀りが聞こえてくる。
「……やっぱ夢じゃなかった」
窓から見える景色を眺めながら、カッシーはがっくりと肩を落とした。
きっとこれは悪い夢で、寝て起きたら寮の布団の中でした。めでたしめでたし!――
そんな淡い期待を持って目を覚ました少年の視界に映ったのは、昨夜寝る前に見たのと変わらない二段ベッドの上段だった。
やはりこれは夢ではない。
現実。
そう、紛うことなき現実。
自分は異世界に飛ばされたのだ。
非常な現実に、カッシーは寝癖のついた髪をガシガシと掻きながら溜息を吐く。
部屋の中を見渡すと、対となっている二段ベッドでそれぞれ、ササキとこーへいがまだ眠っていた。
そういえば、
もぬけの殻となったササキの上段にあるベッドを見ながら、カッシーは首を傾げる。
「フォォー! グッモーニーンカッシー」
やにわに窓の外から声がしたかと思うと、乱暴に窓が開き、噂のバカ少年がひょっこりと屋根上から顔を覗かせた。
「おまえはどこ登ってんだ」
「起きるのオソーイ。暇だから景色見てたディス」
「おめーが早起きすぎんだボケッ!」
器用に一回転して、しゅたりと部屋の中に着地したかのーに、カッシーは思わずツッコミをいれる。
と、足音が聞こえて来たかと思うと部屋の扉がノックされ、二人は入口を向き直った。
静かに開いた扉から、宿屋の女将が顔を覗かせ、彼女は二人に気づいてにこりと微笑む。
「あら早起きね。もう少し寝ててもいいのに」
「あっと……おはようございますヒロコさん」
この人何て名前だったっけ――と入って来た小柄な女性を見つめ、カッシーは頭の中で即座に検索を開始して該当した名前を口にした。
「よく眠れた?」
「ムッフー、爆睡!」
「そうよかった。あともう少しで朝食の支度ができるからもうちょっと待ってね」
「やったー、カッシーメシだメシー!」
叫ぶが早いが、かのーは上機嫌で部屋を飛び出していく。
気楽なもんだあのバカは――
やれやれとカッシーは溜息をついた。
バカ少年が去ると部屋には静寂が舞い戻った。
開きっぱなしの窓から、再び鳥の囀りが聞こえて来て、少年は再び外へ視線を向ける。
やはりこれは現実なのだ。
今日も外はいい天気。
この世界へやって来たあの日と変わらない、雲一つない蒼い空が広がっていた。
♪♪♪♪
ヒロコの宿屋
一階食堂―
ヒロコが汲んできてくれた井戸水で顔を洗い、身支度を整えたカッシーが一階へ降りると、東山さんが朝食の支度を手伝っているところだった。
「あら、おはよう柏木君」
「おはよ委員長……じゃなくて東山さん」
てきぱきと食器を配膳していた東山さんはそう挨拶をすると、浮かない顔のカッシーに気づき首を傾げた。
「元気ないわね。どうしたの?よく眠れなかった?」
「いや筋肉痛で……」
「だらしないわね。鈍ってた証拠よ」
「いきなりあんな距離歩けるほど、現代人の身体は丈夫じゃないんだっつの」
「私は平気だけど?」
そりゃ委員長ならそうだろうよ――当然の如く断言した東山さんに、カッシーはぼそりと呟いた。
とんでもない剛腕に抜群の運動神経。この風紀委員長の身体はどうかしてるのだ。
東山さんは少年のぼやきが聞こえなかったらしく、不満気に八重歯を覗かせた彼を訝し気に眺めていた。
もっとも、聞こえていたら少年がどうなっていたかはわからないが。
そこにヒロコが入ってくると、既に配膳が終わったテーブルを眺め、感心したように東山さんを向き直る。
「ありがとうエミちゃん、助かったわ」
「他に何か手伝う事はありますか?」
「ううん、大丈夫。今朝食持ってくるから座って待っててちょうだい」
ヒロコはそれだけ言って再び奥に消えていく。
食堂はカッシーと彼女の二人きりとなった。
「そういや日笠さんとなっちゃんは?」
「まだ寝てるわ。流石に疲れたんだと思う」
昨日はほんといろいろあった。特に日笠さんは人一倍頑張ってたし仕方ないか――
河原での出来事を思い出し、カッシーは憮然とした表情を浮かべつつ一人納得する。
それからさらに十分後。
ササキ、こーへい、日笠さん、そしてなっちゃんも降りて来た。
気になっていた日笠さんであるが、杞憂だったようだ。
彼女はカッシーが心配そうにこちらを見ているのに気づくと、いつも通りの笑顔を浮かべてそれに応えていた。
最後に、落ち着きなく村の中を散策していたかのーも戻ってくる。
全員揃ったところにタイミング良くヒロコが朝食を運んできた。
焼き立てのパンにいろんな具を挟んだサンドイッチと、コーンたっぷりのポタージュスープだ。
いただきますの挨拶もおざなりに、彼等は朝食にかぶりついた。
そして朝食後――
「それで、どうしよっか?」
ヒロコが運んできてくれた紅茶を飲みながら、日笠さんは皆に尋ねる。
どうしよう?とはもちろん今後のことだ。
とりあえずこの村への滞在許可を貰うことはできたが、これからどうするかを具体的に決めていない。
「ムフン、とっとみんなを探しに行くディスヨー!」
「おまえな……軽く言うけど、俺達この世界の事何も知らないんだぜ?」
「カッシーの言う通りね。社でも提案したけど、まずは情報収集が先決だと思う」
頭の後ろで手を組みつつ、椅子を漕ぎながら無責任に言い放ったかのーをカッシーが制すると、ようやく目が覚めて来たなっちゃんが賛同するように口を開いた。
ちなみに彼女は朝に弱く、寝起きはこの中で一番悪い。
つい先程まで不機嫌そうな顔のまま、一言も話さずに黙々と朝食をとっていた程だ。
「んー、情報収集ねえ?」
「確かに右も左もわからないんじゃ探しようがないわね」
「なら、ぺぺ爺さんにもう一度会って話を聞いてみるっていうのはどうかな?あの人なら色々知っていそうだし」
では――と、話をまとめるように提案すると、日笠さんは皆の顔を確認するように一瞥する。
確かにあの老人ならこの世界について詳しく教えてくれそうだ。
特に異論はないとカッシー達は彼女の提案に賛同する。
「会長もそれでいいですか?」
「異論はない。私もあの老人に色々尋ねたい事がある」
「じゃあ、十分後ここにまた集合ってことで、みんないい?」
というわけで。
再びロビーに集合した一行は宿を後にしてぺぺ爺の家へと向かったのだった。
♪♪♪♪
チェロ村。
ぺぺ爺の家―
「おお、これはこれは。おはよう皆の衆」
やにわに入口の扉が開き、どやどやと押しかけて来た少年少女達に気が付くと、老人は真っ白い筆のような眉を上げて、彼等を一瞥しながら歓迎の言葉を口にした。
「おはようございますペペ爺さん」
「昨日は、よく眠れたかの?」
「はい、おかげさまでぐっすり」
「して、こんな朝からこの爺に何かようかの?」
大挙してやってきた少年少女達の様子を見て、慧眼なこの老人は何かあると既に察していたようだ。
日笠さんはペペ爺の問いかけに一度頷いてみせると、話を切り出した。
「なるほど、仲間を探しに行きたいと……」
少女の話を聞き終え、ぺぺ爺は感心したようにふぅむ、と口の中で唸ると納得したように深く頷いた。
「しかし、探すにしてもこの大陸はかなり広いからのう」
「た、大陸?あ、あのそういえばこの世界ってどんな感じですか?」
「……そういえば、あんた達は異世界から来たんじゃったの」
まずはそこから説明せねばなるまい――
と、ペペ爺は傍らに佇んでいた女性を振り返り小首を傾げる。
「マキコさんや、すまんが地図をもってきてくれんかの?」
マキコ――そう呼ばれた女性は、わかりましたと頷いて奥の部屋に消えていった。
そういえばこの女性はぺぺ爺の奥さんだそうだ。
昨日の夕食の際、ヒロコが話してくれた十五も下のペペ爺の伴侶の事を思い出しながら、日笠さんは奥へと消えていった女性の帰りを待つ。
ややもってからマキコは羊皮紙で作られた大きな巻物を持って部屋へとやってきた。
ペペ爺はマキコから差し出されたその巻物を、礼を言ってそれを受け取ると、封を解いてテーブルの上に広げてみせる。
それは歪な楕円形をした大きな大陸が描かれた地図であった。
約二メートル四方の羊皮紙に描かれた、その年季を感じる地図を見下ろして、七人の少年少女は各々感嘆の声をあげる。
「これが、私達のいる『大陸』の地図ですか?」
「さよう、このチェロ村がある『オラトリオ大陸』の地図じゃ」
先刻目の前の老人が口にした言葉を思い出しながら、日笠さんが尋ねると、はたしてその通りとペペ爺は頷きながら答えた。
オラトリオ――クラシックの楽曲の一種だ。
また音楽に関係する地名が出て来て、カッシーは昨夜のことを思い出しながらササキを様子を窺った。
「ペペ爺さん、この地図の縮尺はどれくらいですかコノヤロー?」
ササキはそんなカッシーの視線に気づかず、興味津々と言った様子で食い入るように地図を見続けていたが、徐に顔をあげると老人へと尋ねる。
ペペ爺はその問いを受け、しばらくの間口の中で小さく唸り声を生み出しながら思案していたが、やがて答えを口にした。
「ざっくりとじゃが、百万分の一程度かのう」
「百万分の一って、どれくらいかしら?」
「この地図が二メートル四方くらいだから、えーっと――」
「――この大陸はおよそヨーロッパ大陸と変わらない広さということになるな」
カッシーがぶつぶつと呟きながら暗算をする隣で、ササキが一瞬にして答えを導き出すと、その答えに辟易したように彼は口の端を歪ませる。
と、一同は顔に縦線を描きつつササキを向き直った。
「会長、それ本当ですか? 計算間違ってません?」
「概算だが間違いない。私の計算を疑う気かコノヤロー?」
「おーい、マジかよ? 広すぎだぜ」
「ブッフォー、ムリムリ」
「ま、ご覧の通りじゃて。あんた達、仲間を捜すにしてもなにか手がかりはあるのかの?」
「いえ……それが全然で――」
「ふーむ、それではなかなか厳しいかものう」
「で、ですよね……」
これは想定外の広さだ。一行は各々唸り声をあげ、考え込んでしまった。
この世界の製図技術がどの程度のレベルかはわからないが、羊皮紙に描かれた大陸の端々の凹凸や、細かく記された地名の記述から見て、信頼に足る精度であることはなんとなくだが感じ取れる。
若干の差異はあれど、ササキのいう通りこの大陸はかなりの広さを有しているに違いないだろう。
端から端まで当てなく探すとしたら、いくら時間があっても足りないのは目に見えていた。
「とりあえずだけれど、大きな街に行ってみるのはどう?」
と――
薄い唇の下に指を当て、可愛い唸り声をあげて思案していた『微笑みの少女』が、何かを閃いたように表情を明るくし顔をあげる。
少女の意図するところがわからず、残りの少年少女達は首を傾げて彼女を見た。
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