その6 読んでみたまえ
その日の夜。
チェロ村、ヒロコの宿一室―
むかしむかし、ヴィオラむらにマーヤというおんなのこがいました。
マーヤはミカミおとうさんと、としのはなれたいもうとと、さんにんで なかむつまじくくらしていました――
ベッドに横たわるカッシーの顔を携帯の画面が青白く照らしている。
その画面に表示された妹からのメールを読みながら、少年は無言で親指を動かし画面をスライドさせた。
絵本を書いたから読んで感想聞かせてほしい――そう記されたメールと共につい先日届いていた、妹お手製の物語だ。
タイトルは『マーヤの大冒険』――幼稚園の友達をモデルにした冒険活劇らしい。
妹は最近、読書と創作に夢中のようで、長編短編問わずたどたどしい文章ではあるが、度々自作の物語を送ってきていた。
今回も多分に漏れず、メールにはクレヨン画の画像と、テキストファイルが添付されていたのだ。
しかし見事に携帯を使いこなしている。我が妹ながら最近の五歳児は恐ろしい――
そんなジジ臭い感想を心の中で抱きつつ、だが少年は画面から目を離すと、懸念の表情を顔に浮かべて一息つく。
舞の奴、大丈夫だろうか――と。
ヨーヘイがこの部屋を去った後、疲れもあって各々部屋で微睡んでいると、時刻はあっという間に夕刻になっていた。
夕飯の支度ができたわ――と、呼びに来てくれたヒロコに案内され、一階の食堂へと向かうと、彼等を出迎えてくれたのは、パンにスープ、山菜のサラダといったヒロコお手製の手料理であった。
質素なものではあったが、なにも食べていなかったカッシー達にとっては御馳走と代わりない。
いただきますの挨拶もおざなりに、彼等はも凄まじい勢いで食事にかぶりついていた。
特にこーへいとかのーは獣並の食欲で、あっという間にテーブルに並んだ料理を平らげてしまい、お代わりを要求していたほどだ。
ヒロコは目を丸くしてその光景を見ていたが、嫌な顔一つせず、大笑いしながらお代わりをもってきてくれた。
食べ物のありがたみを再認識しつつ、二日ぶりのまともな食事でお腹いっぱいになると、途端に襲ってきたのは疲労と眠気である。
限界だった彼等は、今後のことは明日決めることにして、早々に解散の運びとなっていた。
嗚呼、ベッドがこんなにありがたい物だったとは!もう河原で寝るのは金輪際勘弁だ――
自室に戻って早々、ふかふかのベッドに飛び込んでまともな寝床のありがたみを一頻り堪能すると、カッシーはややもって妹からのメールのことを思い出し、彼女から届いていたメールの履歴を眺めていたのであった。
そして今に至るというわけだ。
話を冒頭に戻そう。
最後のメールを見る限り、妹は既に駅に到着して自分の迎えを待っているようだった。
だが来るのは明日のはずだ。自分が日付を間違えていたのかと思い、念のため彼はカッシーはメールの履歴を遡って、母親とのやりとりを確認してみたが、やはり妹が来る日は明日で間違いなかった。
では何故妹は一日早く来たのだろう。
親は知っているのだろうか。まさかあいつ一人で駅まで?――
そこまで考えてからカッシーは心配そうに顰め面を浮かべた。
実家から音瀬駅までは少し離れてはいるが、電車一本で着くことができる。
五歳とはいえ、何度か遊びに来ている彼女なら、その気になれば一人で来ることができるかもしれない。
まあ、身内がいうのもなんだが、妹は年の割にはかなりしっかりしている賢い子だ。
自分が迎えに来ないとわかれば、親に連絡するなどして対応するとは思うが。
とはいえ、メールの着信から既に二日近い時間が経過している。
せめてこの妹からのメールに返信ができれば――
そう考え、彼はダメ元で返信してはみたが、案の定送信すらできなかったのは言うまでもないだろう。
当たり前だがこの世界にメールサーバーなど存在しないのだ。
途方に暮れながら、カッシーは小さな嘆息を漏らす。
上の段からこーへいの鼾が聞こえてきた。反対側のベッドから、かのーのそれも聞こえてくる。
既に二人とも爆睡のようだ。
やれやれ、お気楽なもんだっつの。こういう時はこいつらの性格が羨ましい――
気を紛らわすように、カッシーは絵本の続きを読もうと再度携帯の画面に視線を移した。
あるひ、マーヤがたきぎあつめから いえにもどると いもうとのすがたがみえず ミカミおとうさんがたおれていました。
まっさおになって マーヤがかけよると ミカミおとうさんはいいました。
わたしはもうだめだ。いもうとはさらわれてしまった。おまえも ここにいてはあぶない――
ミカミおとうさんは そういって さいごのちからをふりしぼり マーヤにてがみをわたしました。――
五歳にしてはよくできた文章だ。こりゃ将来は作家になれるな。
ややシスコンの気がある少年は、一人鼻の下を伸ばす。
傍から見たら変質者と疑われかねない気持ち悪い笑みを浮かべながら。
――ミカミおとうさんはいいました。
マーヤ このてがみをもって チェロむらのぺぺじいさんを たよりなさい。かれなら ヴァイオリンじょうにかおがきく。ぺぺじいさんに おねがいして ヴァイオリンじょうにいくのです――
そこまでいって ミカミおとうさんはこときれてしまいました。 マーヤはかなしくて おおきなこえをあげてなきました。――
ち ょ っ と 待 て。
画面をスライドして続きを読んだカッシーは、その内容に思わず息を呑んだ。
そして何かの間違いではないかと、表示されている文字を何度も何度も読み返した後、彼は目を見開く。
『チェロむら』『ぺぺじいさん』それに『ヴァイオリンじょう』――どれも今日の会話の中で聞いたことのある単語であった。
なんでだ?どういうことだよ?――
わけがわからず、だがとにかく先を読もうと少年は指で画面をスライドさせる。
しかし――
突然画面が真っ黒になり、中央に現れたのは電池に斜線が入ったアイコンマーク――
「おいっ!」
思わず声をあげてカッシーは携帯を揺さぶり、食い入るようにして画面に顔を近づけた。
だが携帯は電池のアイコンを二、三度点滅させると、それっきり電源を落とし、うんともすんとも言わなくなる。
無念。バッテリー切れ。
「だーもう!」
枕に顔を埋め、カッシーは悔しそうに唸り声をあげた。
フガッ――と、こーへいがその声返事するように、一際大きい鼾をあげる。
どういうことだこれは。
絵本の中に出てきた登場人物や地名が、自分が飛ばされたこの世界のものと一致していたのだ。
偶然にしては出来過ぎではないだろうか。
続きを読めば何かわかるかもしれないが、しかしそれはたった今不可能となった。
この世界に携帯を充電できる術があれば話は別だが、今のところそれは望み薄だろう。
この村の環境を見る限り、この世界に『電力』というライフラインはまだ存在していないようだし。
昨日あの社でライト機能を使い過ぎたのが仇になった。
持ち主としては、電池残量は残り少なかったのに、ここまでもった
だがしかし。
ああ、気になる。すっごく気になる。
妹よ、お前やっぱり文才があるぞ。だってこんなに続きが気になる絵本、兄ちゃんは初めてだ――
場違いなシスコン魂を胸に抱きカッシーは枕から顔をあげた。
「まったく君は、寝てても起きてても五月蠅い奴だなコノヤロー」
と、皮肉がたっぷり籠った声が聞こえて来て、カッシーは吃驚しながら上半身を跳ね起こす。
視界に映ったその声の主は、部屋中央のテーブルで静かに紅茶を飲みながら本を読んでいた。
てっきり自分以外全員就寝したと思っていたのだが――途端に憮然とした表情になると、カッシーは頬杖をつきながらその
「ササキさん、まだ起きてたんスか?」
「ヒロコさんから絵本を借りてな。読んでいた」
そう言ってササキは手にしていた本をカッシーへ見せる。
絵本?怪談話じゃなくてか?――
カッシーはふとそう思ったが口には出さなかった。
テーブルの上に置かれたランプの灯りが、揺らめきながらササキの顔を下から照らしていたせいで、元々胡散臭い彼の表情はさらに怪しさを増していたのだ。
「眠れないなら読んでやるぞンー? 『私はミッフィー。ウサギなのー。あ~~の~~ね~~、今日はね~~――』」
「やめてくれ、別にいい」
カッシーは即座に否定した。
とても低くていい声なのだが、ヒゲが濃くて睫毛の立派な男に朗読されても嬉しくない。
ましてやそんなウサギの話なんかどうでもいいのだ。
しかしササキはお得意の含み笑いを浮かべつつ、パタンと絵本を閉じるとカッシーを向き直る。
「そうか、では少し聞きたい事がある」
「なんスか?」
「今の私を見て、何か感じた事はないか?」
「気持ち悪かった」
「……そう言う事ではない」
即答したカッシーに対し、やれやれ眉間に指を当て、ササキは話を続ける。
「今の私を見て何か『不自然な点』はなかったか? と聞いている」
「不自然な点?」
カッシーは困った顔を浮かべて首を傾げた。
別におかしな点なんて特になかったはずだ。
目の前の怪しい男が絵本を読んで、自分がそれを聞いていた。
でもそれだけだ。まったくもって普通のことじゃないだろうか。
強いてあげるとすればだが――
「……やっぱり気持ち悪かったくらいかな?」
「柏木君。君はもう少し物事を多面的にとらえる訓練をした方がいい」
「うっさいほっとけ」
この人いつもこうだ。
要点を言わずにこっちの反応を楽しむような、謎かけめいた事を言ってくる――
こめかみを指でトントンと叩いて見せたササキに対して、カッシーは額に青筋を浮かべながら反論した。
「で、なんなんだよ結局」
「私が『本を読んでいる』という事だコノヤロー」
きっぱりとササキは言い切った。
訳が分からず、カッシーは思わずきょとんとしてしまった。
ついにこの人頭おかしくなっちゃったのか――と、思いながら。
だがササキはいたって真面目な顔つきだった、彼はじっと返答を待つようにしてカッシーを見つめている。
ややもって少年の様子から彼が理解していないことを悟ると、ササキはまたもや溜息を吐いた。
「では、私は『本を読める』といったらわかるかコノヤロー?」
「読める?」
「私はこの世界に来て、『全く知らない村』と『全く知らない通貨』を見て、『完全に別次元の世界』に来たという事を認識したうえで、だがしかし、私は『この世界の言葉を話せている』し、『この世界の文字も読めている』――と言えばわかるか?」
「あ……」
カッシーはようやく理解したと言いたげに目を白黒させる。
やっとわかったか――ササキは含み笑いを浮かべた。
「今朝から我々はこの世界の言葉を話している。理解もできている。では私達が話しているのは何語だ?」
「日本語……?」
「そうだ日本語だ。そして彼等も日本語で話している。ヨーヘイもぺぺ爺さんもな。どうかね?不自然極まりない話ではないだろうか」
テーブルの上にあった紅茶を口に運び、喉を湿らせると、ササキは手元にあった絵本をカッシーに投げ渡した。
「読んでみたまえ」
投げ渡された絵本をキャッチして、カッシーはぱらぱらとページを捲り中身に目を通す。
ややもって彼は食い入るようにして絵本に顔を近づけ、そこに書いてあった文字を読んで目をまん丸くした。
「どうかね柏木君?」
「……『あ~~の~~ね~~、私今日はお使いに行ったの~~ニンジンをね~~』」
「声に出して読まなくていい……」
「これ日本語じゃねーか?!」
「そうだコノヤロー」
ササキは頷いてみせる。
概念的に文字が理解できるというわけではなく、文字そのものが我々が慣れ親しんできた『日本語』そのものだった。
これが何を意味するか――ササキはさらに少年へ話を続ける。
「柏木君、君も薄々は気づいているのではないか?」
「なにを?」
「『この世界は、我々の世界と酷似している部分がある』――ということにだ」
自分達とそっくりな『東洋系』の顔をした人々、『日本人』とそっくりな名前。そして我々の楽器とまったく同じ『地名』――
偶然とは考えづらい一致ではないだろうか。
今日一日で起こったことを振り返り、ササキは考えていた疑問を口にした。
言われてみれば確かにそうだ――
カッシーはなんとなくもやもやとしていた疑問が鮮明になり、なるほどと納得する。
「じゃあ、やっぱりここは『地球のどこか』なんじゃないか?」
「それはない。仮説の段階だが、かなり自信を持っていえる」
この世界は我々の住む『日本』でも『地球』でもない。それだけは確かだ。
「だが、似通っている部分があるのだ。この世界は、なんというかこう――」
「こう、なんだよ?」
「――誤解される事を恐れずに言えば、『劇の中』のような――」
正直に感じたこの世界の第一印象を言葉にしようとしたが、適切な表現が浮かばない――
ササキにしては珍しく言葉を探すようにして、やや間を置いてから彼はようやく『劇の中』と表現していた。
そうまさしく『劇の中』だ。
我々『日本人』とそっくりな人種が、『強引』に文化も環境もまったく異なる世界で暮らしている。
知れば知るほど、ササキはそのような印象をこの世界から受けてやまないのだ。
「ササキさん、ちょっといいか?」
『劇の中』――
期せずしてササキの口から出た言葉に、カッシーははっとして顔をあげる。
連鎖するように少年の脳裏に浮かんだのは、先刻読んだ妹作のオリジナル絵本のことだった。
意を決したように、カッシーは『マーヤの大冒険』の内容をササキに伝えた。
「――なるほど、君の妹が作った絵本の設定がこの世界と酷似していると?」
「ああ、ぺぺ爺さんの名前や、チェロ村が出てきた」
「それで続きはどうなるんだね?」
「それは、携帯のバッテリーが切れて読めてない……」
電源の落ちた携帯の画面をササキに見せながら、カッシーは悔しそうに口を尖らせる。
少年の話を聞き終えたササキは、興味深げに何度も頷くと、頬杖をついたまま思案を始めた。
「……我々がこの世界に飛ばされたのは、偶然ではないのかもしれん」
「どういうこと?」
「別次元に飛ばされたのは偶然の結果としても、この世界に飛ばされたのは必然的だったのではないか――ということだコノヤロー」
「……難しくてさっぱりわからん」
話が飛躍してきてついていけなくなってきたために、カッシーは考えることを放棄し、バフっとベッドに寝転がった。
だが一つ言えることがある。
それは――
「けどさ……」
「ンー?」
「この世界とうちらの世界がどう関係してて、どうして俺等が飛ばされたのかがわかっても――」
「……そうだな、帰る方法がわからなくては意味がない」
そう、元の世界に戻る方法がわからなきゃ根本的な解決にはならないのだ。
まさしくカッシーが言おうとしていた言葉を口にして、その通りだとササキは頷いた。
流石の天才会長も今はまだその方法はわからない。
「柏木君、君の携帯私に預けてもらえないか?」
「どうする気だ?」
「データを吸い出すことができれば、『
「……できんのかよそんなこと?」
「方法を考えてみる。だが期待はするなよ?」
カッシーは手に持っていた電源の落ちている携帯を眺めた。
確かに話の続きは気になるところだ。
ササキの言う通り何か手掛かりがわかるかもしれない。
それに電池が切れてはいかに携帯でもただの箱。持っていても意味がないだろう。
だがこの怪しい生徒会長に預けていいものだろうか。
思案した挙句、結局カッシーは持っていた携帯をササキへ投げ渡した。
「いいか? ぜっっったいに他のところは弄るなよ? 見るのもダメだからな!」
「クックック、わかっている」
飛んできた携帯をキャッチすると、ササキは苦笑しながらそれをテーブルの上へ置いた。
それでもさらにもう二、三度念を押してから、カッシーは大きな欠伸をして布団を手繰り寄せる。
流石にもう限界だった。
睡魔が押し寄せてきている。
「……もう寝ましょうよササキさん」
「先に寝たまえ。私はもう少し起きている」
「それじゃ」
「ああ、おやすみ」
そう言ってササキはランプの灯りを消した。
光源は暖炉の火のみとなり、部屋は薄ぼんやりと柔らかい照らされる状態となった。
寝るには丁度良い明るさだろう。
すぐに少年の寝息が聞こえてきて、ササキはやれやれと溜息を吐いて窓の外を見た。
清みきった夜空には昨夜と変わらない、満天の星が煌いていた。
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