その3-1 見つけてみせる

 光を放つ集落を目指し一行は道沿いに山を下る。

 移動は順調だった。

 決して整備された良い道とは呼べなかったが、幸いにも道は途切れることなく続いていたのである。

 途中分かれ道がいくつかあったが、こーへいの動物的勘のおかげで、特に行き止まりに突き当たることもなく道を進んでいた。


 クマや狼などの危険な動物と鉢合わせることがなかったのも僥倖といえる。

 もっとも、はたしてこの世界にクマや狼がいるのかは不明だが。

 

 そして出発してから六時間が経過した頃。

 あたりはすっかり闇に包まれ、西の空が僅かに朱に染まる刻。

 

 轟音――

 それは水の落ちる音だった。

 目の前には天辺が見えない程はるか上から注ぎ降る水のカーテンが靡いている。

  

 かのーが偶然発見した滝であった。

 相変わらず集団行動ができないこのツンツン髪の少年は、他を待たずにどんどん先に行ってしまい、数時間程姿を見せなかったのだが、つい三十分ほど前にひょっこり姿を現したかと思うと、ついて来いとカッシー達を手招きしたのであった。

 そのまま歩くこと十分程。

 急に森が拓け、足元が土から小石の敷きつまった河原になったと思ったら、現れたのがこの滝だったのだ。


「かのー、あなたよくこんなとこ見つけたね」

「ムフ、ノド乾いたカラー水の臭い嗅いでたら見つけタヨー」

「おまえは犬か……」


 とはいえ、今回ばかりは褒めざるをえない。

 皆飲まず食わずで移動ずくめだったので、喉がカラカラだった。

 水は澄んでおり、冷たかった。この際汚いとか文句を言える状況ではない。

 ようやくありつけた水で、喉の渇きを満足するまで癒すと、カッシー達は倒れるようにしてその場に座り込んだ。

 日はとうに暮れてしまっている。


「すごい……」

「……ああ」


 何とも神秘的な光景だった。

 月の光が滝の生み出す飛沫に反射して、周囲を幻想的に照らしている。

 まるで御伽噺に出てくるようなそんな景色に、少年少女は山下りの疲れを忘れ、しばしの間その光景に見惚れていた。

 

 誰が言うともなく今日はここまで、という事になった。

 ただここでは滝の音が煩過ぎる。

 悲鳴をあげる脚に鞭打って彼等は立ち上がると、やや下流まで移動して、そこで一晩過ごすことにしたのであった。

  

 ちなみにさんざん迷ったが、出発の際楽器は持っていくことに決めていた。

 三年間(人によってはそれ以上)苦楽を共にしてきた愛着のある楽器だったし、置いていくのは偲びなかったのが主な理由だ。

 流石にティンパニーなどの大型打楽器と、ZIMA=Ωは重くて持っていけなかったので、仕方なくそのまま建物の中に放置してきている。


 盗まれないかが少し心配だったが周囲に人の気配は全くなかったし、恐らく大丈夫だろう。

 どこかに落ち着くことができたら必ず取りにいかねば。


 ちなみにかのーに至っては自分のシンバルの他に、蝉取りのため、今朝その辺で拾っていたらしき棒まで持ってきていた。

 どうやらティンパニーの間に挟んであったおかげで一緒に異世界に飛ばされてたらしい。

 自分の身長よりも長い円柱形のその棒を、道中喜々として振り回すかのーを見ながら、まだ虫獲りする気かこいつ――とカッシーは呆れていたが。

 

 そしてさらに数十分後。


 こーへいのライターで点けた焚き火を囲み、七人は食事を取りながらおもいおもいに休息を取っていた。

 食事といっても、ササキがたまたま持っていたカロリーメイトが二欠片と、日笠さんが持っていた飴玉三つ。

 これを七等分だ。

 味わうようにゆっくりと食べたが、それもあっという間に腹の中に消えてなくなる。

 

 心底疲れた。ひもじい。

 一体何キロ歩いたのだろう。身体中が悲鳴をあげている。


 カッシーは履いていたスニーカーを脱いで裸足になると土踏まずを摩った。

 他の皆も疲労を色濃く顔に浮かべ、何も話そうとしない。


「ねえねえ、みんな花火やろーゼー!」

 

 ただ一人かのーバカを除いて。


 着ていた黒いサマーパーカーの内ポケットから何本か花火を取り出して、キャッキャとはしゃぎ声をあげるバカ少年だったが、疲労がピークに達しているため誰もツッコミを入れようとしなかった。

 唯一、風紀委員のプライドからか東山さんだけは、学内にそんなものを持ち込んで――と、注意を促したが、やはり彼女も疲れていたようで、それ以上は何も言わなかった。

 なお、カッシーに至っては苛立ちを通り越して割と真剣に、もしかしてこいつバカだから身体が疲労を感知できないのだろうか――と、憐憫の眼差しを向けていたほどである。

 

「――それよりなっちゃん、あなた大丈夫?」


 と、そんなバカ少年を放置して日笠さんはぐったりと横たわって微動だにしない微笑みの少女を向き直り、心配そうに声をかけていた。


「だめ……死ぬかも」


 蚊の鳴くような声でなっちゃんが返答する。彼女が担当するチェロは大きい部類の楽器だ。それだけに楽器を担いでの長時間移動は相当堪えたのだろう。いつもは毒舌の冴える美少女も流石に疲労困憊のようで、今は死んだ魚のような目で虚空を眺めながら無表情で力なく首を振るだけだった。

 

「腹減ったーあれだけじゃ全然足んねーよ」

「言うなこーへい。余計に減ってくるだろ……」


 先刻三十秒で終了した食事が最後の晩餐だったのだ。

 もう食料はない。

 早いところどこかで現地調達しなければ、それこそ餓死してしまうだろう。

 明日からの食料事情を考えると頭が痛い――鳴りやまない腹の虫を必死に抑えながら、カッシーは途方に暮れたように月を見上げた。

 

「何してるんです会長?」


 と、一人黙々とメモ帳にペンを走らせているササキに気づき、日笠さんは尋ねる。


「今日の移動距離から、目的地までの残距離を算出している」


 はたして、ササキは何行もの方程式をメモに刻みながら彼女の問いに答えた。


「そんなこと……できるんです?」

「概ねだがね」


 この世界が地球と同じように、太陽が東から登り西へ沈んでいるかもわからない。太陽の位置から現在地を割り出すことは不可能だ。

 故に移動の際にメモしてきた定点を座標に換算して繋げながら目標までの残距離を算出するという方法を彼は用いていた。これならばひどく手間のかかる方法ではあるが、一応斬距離の算出は可能である。


 数分後。

 はたとペンを止めると、ササキはよしと頷きながら顔を上げていた。

 

「正しい方角に進んでいると仮定して、今日のペースで行けば残り半日といったところか」

「ほ、本当ですか会長?」

「計算が間違っていなければな」


 正確な距離と方角が全く分からず道なりに移動していた一同には嬉しい情報だった。

 あと半日ならなんとかなりそうだ――モチベーションを持ち直したカッシーは静かに心の中で気合を入れる。


「おー、もうちょいじゃね?」

「ソンジャぱーっと花火で気合いれようゼー!」

「誰がやるかボケッ! 一人でやってろバカノー!」

「ドォッゥフ!?」


 やはりどうしてもツッコミを入れてしまう悲しい性。

 カッシーが放った強烈な頭突きをくらって、かのーは盛大に吹っ飛ぶ。が、しかし正真正銘最後の気力で放った一撃と同時にカッシーもそのまま河原に横たわった。


「うおぉ……くっそ」


 空腹と疲労のため、冗談抜きで体力の限界だった。カッシーは、眉根を寄せて弱々しく唸り声をあげる。

 日笠さんはそんな少年に気づくと、苦笑しながら皆を一瞥した。

 

「今日はもう休みましょうか」


 明日も移動は続くのだ。しっかり休まないと。

 日笠さんの提案に反対する者など、もちろんいるわけがなく。

 野宿という決して良い環境ではないにも拘わらず、限界に達していた少年少女らは、あっという間に泥のように眠りに落ちたのだった。

 

 

♪♪♪♪


 どれくらい寝てたのだろうか。

 空はまだ暗いし、月はさっきより天高く昇っている。


 カッシーはむくりと上半身を起こした。

 ふと目が覚めてしまった。

 身体はへとへとなのに何故だろう。

 なんとなく、虫の知らせ的な直感が働いたともいえる。

 でも一番の原因はやはりこの寝心地の悪さだろう。

 ああ、柔らかいベッドが恋しい。河原の石では背中が痛すぎるのだ。

 くぐもった呻き声と共に少年は腰をさすりつつ周囲を見渡す。

 ほとんど消え入りそうな焚き火の燻りの周りで皆が大爆睡しているのが見えた。

 

 だが――

 

 しっかり者のあの『元部長』の姿が見えない事に気づき、カッシーは口をへの字に曲げる。そしてガシガシと寝ぐせのついた髪を掻くと、焚き木を継ぎ足し、皆を起こさないようにそっと立ち上がったのであった。



♪♪♪♪



 そのしっかり者の元部長は、焚き火からやや離れた川の畔で一人佇み夜空を眺めていた。まさに降ってきそうなほど満天の星空の中、月が一際煌々と輝き全てを照らしている。

 絶景だ。これが本当に『キャンプで』だったらどんなによかっただろう――やや肌寒い風が吹き、日笠さんは靡く髪を抑えると、消え入りそうな吐息を漏らした。

  

「日笠さん」


 刹那、自分を呼ぶ声がして少女は振り返る。

 そしてこちらへと歩み寄ってくる、顔なじみの少年の姿に気付くと、彼女はそれまで浮かべていた憂いの表情を潜めた。

 代わりに彼女は弱々しい笑みを浮かべて少年を出迎える。

 

「カッシー、寝ないと明日バテるよ?」

「なんか目が冴えちゃってさ、そっちこそ大丈夫なのかよ?」

「そうだね、私ももう少ししたら戻るつもり」


 僅かな思案の後、日笠さんは小さく頷きながらカッシーの問いに答えた。

 そして正面へ向き直ると、少女は川の流れを見つめながら再び物思いに耽る。

 カッシーも彼女の視線を追いかけるように川へ向き直ると、鼻息を一つついてポケットへ手を突っ込んだ。

 二人とも何も話さない。

 周囲に聞こえるのは川のせせらぎのみとなる。

 と――

 

  

「ごめんね……」



 唐突に、少女は震える声でそう謝った。

 その意外な言葉に小さく鼻を鳴らし、カッシーは日笠さんを向き直る。

 月光の下佇む彼女の姿は、本当に綺麗だった。

 だが、月が落とす青白い光の下で、少女の逆卵形の輪郭に包まれた細い眉も、薄い唇も、潤む瞳も。

 その全てが『後悔』と『憂い』の色を浮かべているに事に気づいて、少年は見蕩れていたのを誤魔化すように口をへの字に曲げた。


「ごめんね、ってどういうことだよ?」

「……会長にあの装置の使用を許可したのは私なの」


 懺悔するようにそう告げて、日笠さんは視線を川面へ落とす。

 練習の休憩中に、彼女はササキへ尋ねていた。

 この丸いのはなんですか?――と。

 

 本当はあの場で一度、全員に確認を取るべきだった。

 でもただの音響装置と彼は言っていた。それに会長も自分達のために協力してくれている。

 問題もなさそうだし大丈夫だろう――

 そう思い、日笠さんは自らの判断で了承してしまっていたのだ。

 

 それがまさかこんな事態になるとは。


「あの時私が断っていれば……それか一度皆に相談してから了承していれば、こんなことにはならなかったかもしれない」


 私のせいだ。

 私のせいでみんな見知らぬ世界へ飛ばされてしまった。

 私のせいでみんな散り散りになった――

 昼間カッシーがササキに詰め寄った時、彼女は自分も責められているような錯覚に陥り、乱れる呼吸を必死に抑えていたのだ。

 

 自責の念に駆られて俯く少女をじっと見据え、カッシーは首を振る。

 

「よせって、日笠さんのせいなわけないだろ?」

 

 こんな事態、誰が予測できただろう。

 できてたらそいつは予知能力者か、或いはよっぽどいかれた頭の持ち主だ。

 そもそも今の話を聞いた上でも、この非常事態の原因が目の前の少女のせいだなんて、カッシーはこれっぽっちも思っていなかった。


 フォローするようにそう言葉を発した少年に対し、だが日笠さんは涙で潤んだ瞳を向けて寂しげに微笑んで見せる。

 その瞳は未だに自らを責め続けているのがはっきりと見て取れた。


 元々、人一倍強い責任感の持ち主なのはわかっていた。

 わかってはいたが、けど気にし過ぎだぜ部長。いや元部長か――

 もどかし気に後ろ頭を掻きながら、カッシーは手ごろな石の上にどっかと腰を下ろす。

 そして、間を持て余すように足元にあった小石を拾って掌で転がし始めた。


「そりゃさっきはさ。その……カッとなったっていうか。どうすりゃいいんだって思って、ついササキさんに当たっちゃったけど――」


 まあ、正直言えば今でもあの件は納得はしていない。

 あのクソ会長は本当にむかつく奴だ。

 だが納得はしていないが、ササキにも他意がなかったことは十分にわかっている。

 自らも納得させるようにたどたどしく言葉を紡ぎながら、カッシーは手の中の小石を川に向かって投げた。

 小石は水面をぴょんぴょん跳ね、川の中ほどでぽちゃり、と姿を消す。


「あー、その……ありゃ事故だった」

「事故?」

「そ。事故。だから日笠さんも気にすんなよ」


 そう、あれは事故だ。不幸な事故。カッシーはそう思うことにした。

 だから納得はしていないが事故なのだから誰のせいでもない。

 鸚鵡返しに尋ねた日笠さんに、カッシーは頷きながら答えた。


 だが日笠さんはカッシーから視線を逸らし、また俯いてしまう。

 不器用で口下手なこの少年が必死にフォローしてくれている。

 気にするなと彼は言ってくれた。

 嬉しかった。


 しかしそれでも。


「不安なの」

「何が?」


 今度はカッシーが鸚鵡返しに尋ねる番だった。

 日笠さんは少年を向き直る。

 

「もし皆が見つからなくて……このままもう帰れなかったらって――」


 最後の方はもはや言葉にならなかった。

 月光に照らされた青白い少女の頬を、瞳から溢れ出た涙が伝っていく。

 嗚咽を堪える長い沈黙。

 鼻を啜る音が聞こえた。

 

「どうしようって思うと……私の……私のせいで――」

「見つけてみせる」


 少女の言葉を遮るようにして、カッシーは答える。

 断言だった。

 決して自信に満ちた声色でも、力強い口調でもない。

 自然体だったその言葉に、日笠さんは目の前の少年の瞳を、呆けたようにじっと見据えてしまった。

 こうと決めたら意地でも曲げない、負けず嫌いな少年の『決意』を浮かべたその瞳は、大丈夫だ――と少女に語っている。

 

「日笠さん。俺らさ、今までだってトラブル結構あったろ?でもなんとかなったしさ」


 そうだ。

 部員を人質に取られて廃部を脅迫されたこともあったし。

 粘着ストーカーにあわや刺されそうになったことだってあった。

 嫌な思い出が脳裏をよぎり、カッシーは少し青ざめたがすぐに首を振って気を取り直す。

 

 だがそれでも今まで部は続いていたのだ。

 うちの部員どもは悪運だけはやたら強い。アクの濃い奴らばっかだし。

 みんな、なんだかんだでしぶとくやってるんじゃないだろうか――

 少年はそう信じてやまない。

 

「だから今回もきっとなんとかなるって」


 八重歯を覗かせ、不器用に笑いながらカッシーは言った。

 と、そこまで言ってから、何だかすごくくさい台詞を言ってしまったのではないかと恥ずかしくなり、少年は浮かべていた笑顔をひっこめた。

 そして顔を真っ赤にしながら口の中で唸ると、また足元の小石を拾い立ち上がる。


 少年が考えていることが手に取るようにわかって、思わず日笠さんはクスリと笑ってしまった。

 けれど、少年のそのぎこちない笑顔は懐かしかった。


 思い出した、一年生の時だ。

 部を作ろうと思い立ったは良いものの、全く人が集まらず半分諦めかけた時があった。

 その時も目の前の少年は、なんとかなる――と、日笠さんを励まして諦めずに部員を探したのだ。


 その後、本当にぎりぎりだったが入部希望者が見つかり、部発足の規定人数を満たすことができた彼等は、晴れて音瀬高校交響楽団を立ち上げることができたのである。


 彼はあの時から変わってない。

 いつだってこうと決めたらその信念に向かって一直線。

 心を覆っていた不安が晴れていくのを感じて、日笠さんは涙を拭いながら心の中で少年に感謝する。

 

「とにかくさ、今どうすりゃいいか? それはわかったんだ」

 

 カッシーは大きく振りかぶった。

 さっきは川の真ん中あたりまでだった。

 でも今回はしっかりと立ち上がって、そして大きく振りかぶり――手首で投げる!


「なら行動あるのみだって、日笠さん」


 絶対みんな見つけてやるんだ――

 少年の決意を乗せ、勢いよく放たれた小石は、水面を蹴ってまるで兎のように跳ねていく。

 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……

 

 見事に川を渡り切り、小石は向こう側の茂みの中まで飛び込んで――

 

 

「いてっ!」



 と、ついでに誰かの悲鳴まで生み出してからその姿を消した。

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