その1-2 どこだここは?

 二日前――


 どこだここは?

 

 柏木悠一かしわぎ ゆういちは八重歯を覗かせ諦観とともに頬杖をつく。


 丘の上から一望した世界に広がっていたのは一面の『大自然』だ。

 鬱蒼と茂った背の高い木々の群れ……右を見ようが左を見ようが、何処を見ても樹、樹、樹、あと山――やや不貞腐れ気味に少年はため息をつく。


 どうしてこうなった?

 もう一度思い出してみよう――


 俺の名前は柏木悠一、みんなからは『カッシー』って呼ばれてる。

 都内某所にある『私立音瀬高等学校』通称『音高』に通う高校三年生。

 所属部は『音瀬高校交響楽団』通称『音オケ』。所属パートはトランペット。


 成績は中の中、運動神経は割といい方だと思う。

 身長はちょっと低めだが、見た目はまあ悪くない部類に入ると自分では思って――


 ――って、そこまで入念に思い出さなくてもいいか。

 別に記憶喪失なわけではないしな。

 もっと最近からでいい――


 やや切れ長の目の奥に依然として『動揺』と『困惑』の色を浮かべながら、少年は無造作ネープレスにまとめた髪をガシガシと乱暴に掻く。

 

 事の発端はつい数時間前に起きた事件のせいだった。

 その日、彼は茹だるような真夏日の中登校し、音楽室へ向かっていた。

 理由は他でもない。三年生全員で企画した卒業演奏会の練習のためだ。

 練習は順調に進んでいた。至って普通の譜読み合わせだった。


 問題はその後だ。

 丁度メイン曲の四楽章に入ったあたりだろうか。

 突然よくわからない真っ白な光に包まれて、意識が遠のいた。


 目が醒めたらここにいた。厳密にいえば、傍に見える建物の中にいた――

 少年は振り返り、風化しかけた円柱の群れに囲まれた、はたして建物と呼んでよいかもわからない、を視界の端に捉える。

 

 途方に暮れた少年は、特に具体的な対策も方針も思いつかぬままに、とりあえず周辺を調べて回ってみたが、結局それも徒労に終わっていた。

 辺りを調べれば調べるほど、ますますもって疑問は膨らむばかりだったからだ。

 即ち、ここは何処だ?――という、シンプルな疑問。

 わかったことといえば、ここはどこかの山の上、それもかなり人里離れた場所のようだ――ということだけ。


 そして今に至る。


「どーなってんだこりゃ」


 胡坐をやめて足を放り投げ、草の上に寝転ぶとカッシーは誰に言うともなく呟いた。


「さてねえ、キャンプに来た覚えはないけどな?」


 と、同じく彼の隣で胡坐をかきながら、ぼんやりと景色を眺めていた少年が、のんびりとした口調で相槌を打つ。

 その鷹揚な表情に、カッシーのような『動揺』や『困惑』の色は毛ほども見えない。

 

 彼の名は中井晃平なかいこうへい。通称『こーへい』。

 音瀬交響楽団2ndヴァイオリンパート所属の、カッシーと同じ三年生。

 常にのほほんとした緩い表情。オールバックにまとめた髪と浅黒い肌。太い眉とつぶらな瞳。

 そしてそのがっしりした柔道体型のおかげで、森のクマさんを彷彿させるおおらかさを遺憾なく放っているこの少年は、『超』がつく程のマイペース人間である。


 こいつは何時でも何処でも『平常運転』だな――

 目だけをクマ少年に向けつつ、カッシーは口をへの字に曲げた。


「んー? どしたカッシー?」


 その視線に気づき、こーへいは猫の口のように上唇を尖らせ、咥えていた煙草をピコピコと上下させながら首を傾げる。


「おまえ、この状況理解してるか?」

「んー、まあなー?」

「じゃあちょっとは驚けよ」

「んだなー……おっ?! おおー!? なんだこりゃ!? おーい、カッシーこりゃやばくねー?」


 言葉とは裏腹に普段とまったく変わりのない、のほほんとしたおおらかな口調。

 こんなもんでいい?――そう言いたげに、とってつけたようにわざとらしく驚いてみせてから、こーへいはカッシーを見下ろした。


「……なんか俺だけテンパってるのバカバカしくなってきた……」

「んー、そっかー?」

「ああ……」


 空へと視線を移し、カッシーは双眸を細める。雲一つない紺碧の広がる中を、二羽の鳥が甲高い鳴き声をあげながら旋回しているのが見えた。

 そのうち、その紺碧に飲み込まれそうな錯覚に陥り、少年は思わず身震いしながら上半身を跳ね起こす。


「なあ……どこだここは?」

「んー、俺に聞かれてもな?」


 と、困ったように眉尻を下げこーへいは返答する。

 彼にだって見当がつくわけない。当然だ。彼もカッシーと同じで目が覚めたらここにいたのだから。

 

 まあ、カッシーだって問いかけてみたものの、答えを期待していたわけではない。ただ口に出さずにはいられなかっただけだ。拭えない不安を必死に押さえつけながら、少年は再び頬杖をついた。

 

 再びしばしの沈黙。

 涼しい風が丘の上を凪ぎ、肌寒さを感じてカッシーは両腕をさする。

 季節は八月上旬。夏真っ盛りだったはずだが、ここは随分と涼しい。

 周囲の様子から見るに、山の中――それもそれなり高度のようだし、気温が低いのかもしれない。


 と、やにわに立ち上がったこーへいが、咥えていた煙草に火をつけて、ぷかりと紫煙を燻らせた。

 このクマ少年は一年生の頃から喫煙者だ。

 もっとも、人物に見つかるといろいろと面倒なので、陰でこそこそと喫煙を続けていたが。

 にも拘わらず、こんな真昼間から煙草を呑みだすとは、やはり見た目まったく変わらないがこいつも無意識に動揺しているということだろうか――

 つぶらな瞳でぼんやりと山々を眺めるこーへいを眼だけで見上げ、カッシーは何となく思った。


 だがしかし。

 

「まあさ、カッシー」

「ん?」

「なんとかなんじゃね? きっと――」


 やにわにそう言ってこーへいはにんまりと笑いながら、カッシーへ首を傾げてみせた。

 

「根拠は何だよ?」

「んー……そりゃ勘かな?」


 カッシーはがっくりと肩を落とす。

 前言撤回。やっぱりこいつは平常運転だ。


 とはいえどうしたものか。

 わかってることは少ない。

 一つ、ここはどう見ても音高じゃあない。ついでにいえば音瀬町でもなさそうだ。

 二つ、あの変な建物の中で目を覚ました時、確認できた部員は自分を含めだけだった。

 はたして、あいつらは一体何処に行ったのか?

 そう、は一体何処に――

 

 最後、三つ目、これが一番の問題だ――

 と、何とも渋い表情を浮かべ、カッシーはダメ元でポケットをまさぐり携帯を取り出した。


 だが表示された画面の右上に映っていたのは、『圏外』の二文字。目が覚めていの一番に確認した時から変わっていない。

 やはり携帯も繋がらないか。これでは助けも呼べそうにない。


 これはまずい。大丈夫かな――

 パスコードを入れて、SMSを開くとカッシーはそこに表示されたメッセージを見て眉根を寄せる。


 送信者:柏木舞

 『いま えきにつきました。おにいちゃん どこにいるの?』――


 今年で五歳となる妹から届いたメッセージだった。

 全部ひらがななのが初々しい。重度のシスコンである少年は思わず顔を綻ばせたが、すぐに真顔に戻る。


 どういう事だ。俺、日にち間違っていたか?――と。

 妹が遊びに来るのは明日と母親から聞いていた。何かの行き違いか、連絡を見落としていたか。

 まさか、あいつ一人で来たのか? さすがに誰かが付き添っているとは思いたい。 

 とにもかくにも、もう駅まで来てしまっているようだ。早く迎えに行かねばならない。


 なのに。

 なのにだ。

 いかんともし難いこの状況はなにが一体全体どうなってんだ?!――

 

「どこだここは――」

 

 困った時に口をへの字に曲げるのは彼の癖だ。

 はたして、これでもかというくらい口を曲げながら、再度カッシーは呟いた。

 と――


「あ、いた! カッシー!」


 丘の中腹からそんな声が聞こえ、カッシーはから下をのぞき込む。

 見えたのは制服に身を包んだ、セミロングの少女だった。

 顔見知りの少女だ。自分と同じく、目が覚めたらここにいた部員の一人――


 彼女の名前は日笠ひかさまゆみ。音瀬高校交響楽団に所属する三年生。ファゴットパート所属。カッシーの同級生だ。

 しっかり者でとにかく面倒見が良い、皆のまとめ役。彼女なしでは部はまとまらないと言っても過言ではない、創設から在籍するメンバーのうちの一人である。

 均整の取れた身体、すらりと伸びた手足、とモデルのようなスタイルの良さと整った顔立ちの少女で、ついでに言えば生徒会副会長も兼務する、非の打ち所がない少女だ。


 話を戻そう。


「どうした部長?」


 やや声を張って、カッシーは少女へと返事をする。

 そんな少年を見上げながら、だが少女は双眸を細め不満そうに薄い唇をすぼめてみせた。


「その呼び方やめてくれないかな。もう部長じゃないから。ちょっと前にも言ったはずだよ?」

「……あー悪い、じゃあえっと……どした日笠?」


 慌てて訂正し、カッシーは先を促した。

 しかし改めて呼び直されなお、少女は不満げな表情を湛えたままだった。


「? なんだよその顔」

「別に……」


 後輩に限らず、同級生の男子に至るまで、彼らは皆一様に少女のことを『さん』付けで呼んでいる。

 それはもちろん、容姿端麗、才色兼備な彼女に対しての尊敬の念からであるのだが、当の本人はその呼ばれ方が他人行儀な感じがしてあまり気に入っていない。


 カッシー達オケの同級生に対しては特にだ。

 もう三年も一緒にいるというのに、未だにさん付けってどうなの?――と、拗ねるように少年を見上げていた日笠さんであったが、状況を思いだし、すぐに気を取り直すと話を続ける。



「会長が一度集まってほしいって」

「ササキさんが?」


 返事の代わりに日笠さんは頷いた。

 一体何の用だろう――カッシーはへの字に曲げたまま短く鼻息を一つ吐く。

 

 だが、ならこの状況を何とかしてくれるかもしれない。

 胡散臭いし信用ならないが、とんでもない頭脳の持ち主であることを、この三年の付き合いで少年はよく知っている。

 それに気になることが一つあった。

 彼が、練習が始まる前に持ち込んでいた、あの


 意識を失う寸前、彼にはあの球体こそが眩ゆい光を放っているように見えたのだ。

 あれが怪しい。あのわけのわからん装置が怪しい。

 そもそもありゃ何なんだ?

 丁度いい、本人に聞いてみるに限る――


「わかった、すぐいく」


 そう返事をしながらカッシーは立ち上がる。


「それじゃさっきの建物の前で待ってるから」


 日笠さんはそう言って先に丘を降りていった。

 小走りに少女が駆けていくのを見届けると、カッシーは傍らのクマ少年を向き直る。

 彼も異論はないようだ。ちょうど、煙草の火を揉み消して立ち上がるところだった。

 ポイ捨てすんな! と、普段なら怒るところだが、まあこの際目を瞑ろう。


「行こうぜ、こーへい」

「へいへーい」


 カッシーは臀部に付着した草を軽く払って歩き出す。

 そそくさと二人は日笠さん追うようして丘を降りていった。

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