エピローグにしてプロローグ③~Allegro. atacca

経過時刻不明。

場所特定できず――


 どれだけの時が流れたのだろう。

 頭が痛い。身体もだるい。

 耳がキンキンする。

 でも――

 

 でも、生きているようだ。


「うっ……」


 まだぼんやりとする意識の中、カッシーは掠れた呻き声と共に起きあがった。

 随分長い間意識を失って倒れていたようだ。全身凝ったように痛い。


 念のため右手を動かしてみる。

 彼の意思に従って、右手は従順に握る、開くを繰り返してくれた。


 よし、身体の感覚は戻っている。さっきのように全く自由が利かないという事はなさそうだ――

 身体をしげしげと眺め、彼はほっと安堵の表情を浮かべる。

 

 身体が自由に動く。まあ、当たり前といえば当たり前のことなのだが。

 じゃああれはなんだったんだろう?――

 その場に胡坐をかくと、彼は先刻自分の身に降りかかった不可解な現象を思い出して首を傾げた。


 それにしてもやけに周囲が暗い。

 照明が落ちたのは覚えているが、にしたって暗すぎじゃないだろうか。

 今は何時だ? こう暗くちゃ腕時計も見えない――

 仕方なくカッシーは、ごそごそとポケットをまさぐって携帯を取り出す。


 画面が指に反応して明るくなる。壊れてはいないようだ。

 時刻は十一時五十二分。

 

 ――おかしい。

 時間にしてまだ二、三分しか経っていないことになる。

 結構長い間意識を失っていたと思ったのだが。

 しかしその齟齬の原因はすぐにわかった。

 携帯の画面に映った時刻は、いつまで経ってもその数字を変えようとしなかったのだ。

 故障か? でも画面は映るし、指には反応している。

 そこまで考えてから、彼は画面に表示されていたメール通知テロップに気がつき、パスコードを入れてメニューを開く。


 刹那。

 我儘少年は吃驚して目を見開いた。


「……駅に着いたって、どういうことだっつの?!」


 うそだろ? 明日じゃないのか?

 メールをななめ読みして彼は目を白黒させる。


 もしかすると来る日を間違っていたのだろうか。

 とにかくこうしてはいられない。メールの内容が事実ならば妹は駅で待っているはずだ。

 急いで迎えに行かなければ――

 カッシーは慌てて立ち上がると、携帯のライト機能をONにして足元を照らした。

 

 と――

 

 そこで、違和感に気づき、カッシーは踏み出そうとした足を止める。

 ライトに照らされて現れたのは彼が愛用している銀色のトランペット。

 いや問題はそれではない。それが落ちていた床のほうだった。

 その床は、見慣れた音楽室のタイルなどではなく――

 それはそれは武骨な石畳であったのだ。


 なんだこりゃ――

 意を決すると、彼は手に持った光源を、足元から周囲へと向けた。

 か細いライトが映し出したその光景は、無機質な灰色の壁に覆われた、窓一つない空間だった。

 嫌な汗が噴き出してきて、我儘少年は生唾を飲み込む。

 途端、脳裏にふつふつと沸き起こってきたのは、様々な疑問だった。


 どこだここは? 椅子は? 譜面台は?

 いや、それも問題だがみんなは?みんなは無事なのか?――と


 小さな楽団ではあったが、音楽室にはそれなりに人がいたはずだ。

 なのにこの真っ暗な空間は静かすぎる。明らかに人の気配が少なすぎる。

 

「おい、誰かいないか?」


 居ても立っても居られなくなり、カッシーは叫んだ。

 返事はない。静寂。

 だが彼は構わず再度叫ぶ。


「おーい! 誰かいないか?」

「――ゲホッ、ゲホッ」


 と、咳き込む声が聞こえてきて、カッシーは即座にライトを向けた。

 光の中に見えたのは、黒いファゴットと共に床に横たわる、ウェーブのかかったセミロングヘアの見覚えのある少女の姿――

 少年の表情が僅かに緩まる。


「日笠さん!」


 床に倒れていた少女――日笠さんの名を口にして駆け寄ると、カッシーは彼女を慎重に抱き起こした。

 真っ白な肌が埃で汚れてはいるが怪我はないようだ。

 少女はうっすらと目を開け、カッシーに気がづくと僅かに顔を傾げた。


「……カッシー?」

「日笠さん大丈夫か? 怪我はない?」


 日笠さんはしばしの間、ぼんやりと焦点の合わない目でカッシーを見つめていたが、やがて意識がはっきりしてきたのか、彼女は二、三度瞬きをすると勢いよく上半身を跳ね起こす。


「……みんなは?!」


 開口一番そう言って、彼女はカッシーの顔を覗き込んでいた。

 まず初めに部員の心配をするところがなんとも彼女らしいといえば彼女らしい。

 そんな感想を思い浮かべながら、だがカッシーは口をへの字に曲げつつ、その問いかけに首を振ってみせる。

 我儘少年のその反応を見て、日笠さんは懸念の色を隠すことなくその顔に浮かべながら、静かに嘆息した。


「ここは一体どこなの?」

「わからない。音楽室じゃないみたいだ」

「――その声……まゆみと柏木君?」


 と、会話を遮るようにして、数間先の闇の中から新たな声が聞こえてくる。

 誰だろう――二人は期待と困惑の色を瞳に浮かべ、その声のした方向を向き直った。

 地に置いた少年のライトが薄ぼんやりと周囲を照らす中、その光の範囲に姿を現したのは、意志の強そうなきりっとした眉を持つ、ミディアムショートヘアの小柄な少女と、クマのように体格のよい、穏やかな顔つきの少年だった。

 二人は傍らにやってくると、嬉しそうに顔を綻ばせる。


「恵美、こーへい! 二人とも無事? 怪我はない?」

「まーなんとかなー? しっかしひどいめにあったぜ」

「そっちも無事のようね」


 カッシーの腕から飛び出して、日笠さんは心配そうに尋ねた。

 東山さんとこーへいは各々問題なしと答える。

 二人ともやはり顔が少し煤けていたが、大きな怪我はないようだ。

 セミロングの少女はほっと息をつき、そして端正なその顔に安堵の表情を浮かべた。


「他のみんなは?」

「ごめんなさい、私も中井君もついさっき目が覚めたばかりで」

「にしてもよー? どこだここは?」


 音楽室じゃないみたいだ――クマ少年は薄暗い周囲を一瞥しながら、眉尻をさげて呟く。

 ただその語り口はまったくもって緊張感のない、のほほんとした口調であったが。

 勿論その呟きに答えることができる者はこの場にいない。

 ここがどこかなんて誰もが知りたがっている疑問なのだ。

 と、日笠さんは意を決したように立ち上がると、ポケットにしまっていた携帯を取り出し、ライトをONにする。


「みんな手伝って。他に誰かいないか手分けして探すの」


 まだ他にもいるかもしれない。

 少女の言葉に残りの一同は頷くと、やにわに散開し捜索を開始した。

 

 そして。

 日笠さんの提案で捜索を開始して五分後――


「う……」


 確かに聞こえた女の子の声。

 懸命の捜索を続けていたカッシーは動きを止めて耳を澄ました。


「誰かいるのか? いるなら返事してくれ!」

「――カッシー?」


 数秒の間の後、弱々しい反応が返ってくる。

 闇の中から聞こえた声はやはり聞き覚えのある部員の声だった。

 カッシーが急ぎ声のした方向にライトを向けると、光の下に長い髪の少女の姿が露になる。


「なっちゃん、怪我はないか?」

「大丈夫よ、ちょっと耳鳴りがするけれど」


 なっちゃんは眩しそうに一瞬顔を背けたが、自分を見て安堵の表情を浮かべる少年と、彼の声を聞きつけ駆け寄って来た皆の姿に気付いて、いつもの微笑を口の端に浮かべてみせた。

 これで五人目。しかし、雲行きは怪しい。


「……他に誰かいた?」


 一度集まった皆に向けて日笠さんは尋ねた。

 彼女のその問いに誰もが力なく首を振って答える。

 たった今合流したばかりのなっちゃんは皆のその反応を見て、不安そうに微笑みを消していた。


 少しの間だが、探索してわかったことがある。

 この部屋はそれ程広くないということ。

 暗いとはいえ、手分けして探せば隅から隅まで探しきるのに十分はかからないだろう。

 にも拘らず、やっと見つけ出せたのは一人だけというこの結果――

 気まずい静寂が場を支配し始める。


 と――


「誰かいるか! 助けてくれっ!」


 六人目の声が聞こえ、カッシーは声のした闇に目を凝らした。

 日笠さんは声のした方向へ、慌ててライトを向ける。


「ここだっ!」


 低いがやたら良い声が助けを求めるように再度部屋に響いた。

 カッシーは日笠さんが照らした光を頼りに声のした方向へと駆け寄る。

 と、そこは元々指揮者台のあった場所。

 て、ことはこの声の主は――


「ササキさん!」


 無残に煙をあげる黒焦げの球体に押し潰されるようにして、その声の主である指揮者コンダクターは倒れていた。

 カッシーは慌ててその球体をどかすと彼に向けて手を伸ばす。

 差し伸べられた手を掴んで、ササキはなんとか這い上がると二、三度咽ながらその場に座り込んだ。


「会長、大丈夫ですか?」

「問題ない。少し擦りむいたがな」


 吃驚しながら駆け寄ってきた日笠さんに、ササキは自らの身体を確認しながら答える。

 右手を少々擦りむいてはいたが、他に大した怪我はなさそうだ。

 と、そこで傍らに見えた球体の残骸に気づき、彼はなんとも渋い表情を顔に浮かべながら唸り声をあげた。


 失敗したか――と。

 

 それなりに自信のあった発明であったが、予想だにしていなかった結果となったわけだ。

 だが発明に失敗はつきものだ。気持ちを切り替えねばなるまい――

 ササキは溜息を一つ吐くと、日笠さんを向き直る。

 

「日笠君、他のみんなはどうした?」

「それが私達だけしか――」

「いないのか?」


 日笠さんは形の良い眉を思わずハの字にしながら、答える代わりに力なく頷いた。

 ふむ、と声をあげササキは明らかにおかしい周囲の様子を眺めつつ腕を組む。


「では、外は探してみたかね?」


 しばしの思案の後、ややもって彼は再度尋ねた。

 意外な質問に、日笠さんは一瞬動きを止める。


「外……ですか?」

「そうだ」


 ササキは頷いた。

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