第3話 宿
煌々と輝く城、しかしてそれは青年の言っていた宿だった。青年の背丈よりも高い門、そこから100メートル程先にそびえるその宿は、周りに点在する家々を10戸並べたところできかないほど大きい。白塗りで左右対称に造られたその建物は5階建てだろうか。たくさんある窓は縦に5つ並んでいて、横の数も数えようとしたが多くて断念した。そもそも私はまだ、そんなに数が数えられない。代わりに目を遣った建物の中心には重厚な両開きの扉があり、側に二人のドアマンが控えていた。
宿の敷地内には建物と門までの道を照らすために照明が光っており、宿に宿泊している人間もまだ大勢起きているようで、無数の窓からも明るい光が漏れている。よって煌々と輝く城と化していたのだが、突然現れたその異質な存在に、私はただただ圧倒されるだけだった。おまけに暗闇を歩いてきた目には宿の光が強すぎて、私はチカチカを抑えるために目を瞬かせた。
しかし、私がたじろいでいるのもお構いなしで、青年は門の中へと入っていく。それによって、彼と繋いだ手をそのままにしていた私も、引っ張られてずんずん進んでいく。木々の合間を歩いていたときも感じたが、この青年の歩みには迷いがない。
私と青年が扉へ近づくと、私達が歩くスピードを緩めず中へと進めるタイミングでドアマンが扉を開ける。スーツの青年はともかく、どこの誰とも知れない、小汚い子供である私に対しても、彼らはにこやかに笑いかけた。
「おかえりなさいませ」
宿に入るなり、黒髪をオールバックにした壮年の紳士が、心地よい声音で私たちに話しかける。ただいま帰りました、と笑みを変えずに青年が答え、そのまま赤い絨毯の上を、豪奢なシャンデリアの下を進む。明るく広々としたホールでも青年は迷いなく歩き、紳士はその後ろをついてくる。
「畏れ入りますが、この子に水と軽食と、あと湯浴みをお願いできますか。身なりを整えていただきたいのですが」
青年が前を向いたまま紳士に言う。紳士は軽く頭を下げて、かしこまりました、と静かに答え、やがて私たちが行き着いた壁のボタンをカチリと押した。ポーンと軽い音がして、エレベーターの扉が開く。
私は未知の四角い小さな部屋が現れたことに驚いたが、その驚きを十分味わうことなく、青年に引っ張られてその中へ入る。紳士は外で、エレベーターの扉が閉まるまで頭を下げていた。
ゴォン、と音がしてエレベーターが動き始め、体にかかった圧力に恐怖した私は、思わず両手で青年の手を握りしめた。
「大丈夫だよ。重くなったりふわふわしたりするけど、体には影響ないから」
そう言って微笑む青年を見上げ、おそらく大丈夫だろうと体の力を抜くと、また奇妙な圧を感じ、エレベーターが停止した。再びポーンと軽い音がして、滑らかに扉が開く。
扉が開いた先に広がる廊下も、ホールと同じく赤い絨毯が敷いてあり、歩くとふかふかと心地よかった。青年は私の手を引いてひとつきりしかないドアに近づき、懐から取り出した黒いカードをドアノブ付近にかざす。ピピッと電子音がした後にドアノブに手をかけ、私の心中とは正反対に躊躇いなく開けた。
青年に手を引かれて入った室内は、落ち着いた色合いで統一してあるものの、アンティークと思われる調度品や私が走り回れるだろう広さから、相当高価な部屋だと分かる。今いる部屋以外にも部屋があることは、左右にドアがあることと、この階にドアがひとつしかなかったことからも推測できる。つまりワンフロアがすべてこの青年の部屋ということだ。
つい一時間前まで狭くて暗い檻の中だけで生きていたというのに、比べ物にならないくらい広くて明るい世界を一気に見せられて、私はもはや驚くことしかできなくなっていた。だから部屋に入ったあとも、どうしたらいいか分からなくて立ち尽くすしかなかった。
と、その時、コンコンというノック音がドアの外から聞こえてきた。私は立ち尽くしてボーッとしていたので、いつもなら気づくはずの人が近づいて来る音にも気づかず、ノック音にかなりビックリした。
「あ、来たね」
しかし青年は嬉しそうに振り返り、私の手を離してドアに向かう。急に手を離された私は少し焦ったが、青年は数人の女性を連れてすぐに戻ってきた。
「この子です。お願いします」
そう言って青年が私を指し示すと、女性たちがゾロゾロと私に近づいてくる。皆ニコニコしているが、揃いのお団子ヘアに黒いワンピースと白いエプロンという格好が、どこかの組織のような印象を抱いて不安になった。その不安のまま青年を見上げると、青年はやはり変わらぬ笑みを湛えていた。
「大丈夫だよ。キレイにしておいで」
しかし、このあと私は約5年の人生で最大の苦難に立ち向かうこととなった。
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