おくるおもいはこなとなる
あのあと、同じバス停から通っていることがわかって、私は密かに先輩が乗っている今までの私の時間よりも早く出るバスと同じバスに乗れるように家を出る時間を調整したのだ。そしてそれから、部活の大会前を除いてほぼ毎日、先輩と登校している。もちろん学校に着けば別れてしまうから、それまでの二十分間だけしか一緒にはいられない。でも、私には十分な時間だった。学校で見かける先輩の周りには、男女問わずいろんな人がいる。人気者の先輩を、この時間だけは占領できるのだ。これ以上の贅沢は、きっとない。
「今日、いつもと髪型違うね」
甘い声に顔を上げれば、すぐ近くに先輩の整った顔。あまりの眩しさに目をそらしたくなるのを必死でこらえて、私は微笑む。
「バレンタイン、なんで」
いつもは下ろしたままの髪を、今日は耳の下で二つ結びにした。こういう変化にすぐに気がついてくれるから嬉しい。
私の言葉になにかを察したようで、先輩は優しく微笑んでくれる。
「うまくいくといいね」
ちくり。胸を針で刺されたような痛みが走る。うまくいくはずがない。そんなこと、わかっているから。
だけど、笑わなきゃ。先輩には、笑顔以外、見せたくない。笑顔の私以外、知られたくない。
「……似合ってますか?」
勇気を振り絞って問う。すべてはあなたのために。人が浮気するとき、そのときの恋人とは真逆のタイプを選ぶものだという。先輩の彼女さんは、綺麗な、とても綺麗な美人さんだ。それなら私は、可愛くなりたい。見た目だけ着飾っても無駄だってわかってるし、見た目だけでほいほい誰かに惚れてしまう人は嫌だけど、でもそれでも、見た目だけでも、と思わずにはいられなかった。女の武器の一つである、上目遣いを使っての問いかけ。
「もちろん。可愛いね」
「ありがとうございます……!」
嬉しくて、頰が緩む。同時に胸は高鳴るのに心は痛む。その痛みに蓋をして、私は幸せに浸る。
もうすぐ、バスは学校の近くに着く。幸せな二十分は終わる。紙袋を持つ手は、少しずつ、震え始める。そして。
「——高校前ー——」
「着いたね。行こうか」
「はい」
先輩の言葉に頷いて、私たちは立ち上がり、出口まで歩いて定期券をタッチし、バスを降りる。バスは音を立てて去っていった。
「おはよう薫くん!」
「杉田くん! 渡したいものがあるんだけど!」
たくさんの女の子たちの声が、薫先輩を呼ぶ。
「おはよう。……それじゃ」
私に手を振って、そちらに迎いかける先輩の袖を慌てて掴んだ。
「どうしたの?」
驚いたように目を見開く先輩。足が震える。でも、決めたんだ。渡すのなら、このときだって。先輩と一緒の登校は、今日で最後にしようと決めていた。だから終わらせるのなら、この大勢の前で。ちゃんとふられようと思ったのだ。そしたらきっと諦めがつくからって。
「こ、これ!」
紙袋の中に入れていた箱を取り出して先輩に渡す。
「い、いつもお世話になってるお礼と……その、先輩、大好きです……っ!」
怖くて俯いてるし、手は震えてる。最悪だ。だけど、これが今の私の精一杯。祈るように、両目をギュッと閉じる。祈ったところで、現実になることなんてないと知りながら。
ふっと両手から箱が消える。代わりに上から声が降ってくる。
「ありがとう、美味しくいただくよ。本番、頑張ってね」
「……はい……」
去っていく足音。顔は、上げれなかった。笑顔の私じゃなかったから。
これでいい、これでいいんだ。
先輩が私のこと、後輩としか見ていなくても。
どれだけ頑張ったところで、先輩にはたったの一人しかいないんだとしても。
この一年間のうちの二十分。それだけで幸せだった。
そう、必死に言い聞かせる。それなのに。
「……ほんと、鈍いんですから」
先輩の最後の一言が、小さな針になって抜けてくれなかった。
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