第4話『おっさん、ボコる』

「トシキよ、試合場を使うのは初めてかの?」


 秘蔵の酒というワードに釣られて今にも飛びかかってきそうなガンドを一旦宥めたあと、バイロンは敏樹に訊ねた。


「ええ、まぁ」


「説明は必要か?」


「じゃあ、お願いします」


 <情報閲覧>を使えばわかりそうな情報ではあるが、こういう場合は年長者を立てるのがアラフォー社会人の処世術である。


「ふむ。まずこの訓練場に回復や治癒を促進する魔術が施されているのは知っておるか?」


「そのようで」


 これに関してはギルド登録時に簡単に説明されている。


「この試合場はな、まずそれらの効果が訓練場の他の場所に比べてかなり高められておる」


「ほうほう」


「さらに、斬撃や刺突は打撃に変換され、その打撃に関してもある程度衝撃が和らげられ、逆に防御力は上昇されるようになっておる。わかりやすく言えば、武器に柔らかい布を巻いて、鎧を着込んでポカポカと殴り合うような感じかの」


「そう言われると緊張感なくなりますね」


「普段使っておる武器で思いっきり戦っても死人が出んようにという配慮じゃな。試合場におるかぎり即死でなければ死に至ることはまずない。そして即死もしづらいようになっておるんじゃよ」


「そりゃ至れり尽くせりでありがとうございます」


「魔術に関しても同じじゃな。魔法耐性を上げた上で、魔術効果もある程度減衰されるようになっておる」


「じゃああまり細かいことは気にせず、普段どおり戦えばオッケーってことですかね?」


「そういうことじゃな」


 かなり高度な技術がつぎ込まれた試合場という場所だが、その動力源として冒険者たちが納品する魔石が使用されている。

 では動力源さえあればこういった施設はどこにでも作れるのかというと、そういうわけでもない。

 訓練場レベルならまだしも、試合場レベルの高機能な施設となると、設置する場所の地形効果などが非常に重要となってくるのだが、それを説明し始めると長くなるので、”特定の場所にしか設置できない”という認識だけ持っておいていただくことにしよう。

 裏を返せば、冒険者ギルドというのは、こういった施設を設置しやすい場所を基点に建てられているのである。


「話は終わりましたかな?」


 バイロンの説明が一段落ついたところで、ガンドがうずうずした様子で斧槍ハルバードを構えた。


「儂からはの。他に質問は?」


「ないです」


「ふむ。では勝敗の条件じゃが……、降参か気絶したほうが負けということでいいか?」


「私はそれで構いませんよ」


「うーん……」


 条件に関してはバイロンが提示したものに即同意したガンドに対し、敏樹は少し悩む素振りを見せた。


「降参は無しで、ギルドマスターの判断か気絶ってことでもいいですかね?」


「ふむう……、儂はかまわんが」


 バイロンは訝しむような視線を敏樹に向けた後、ガンドの方を見た。


「私はなんでも構いませんよ!!」


 ガンドはさっさと始めろとばかりに鼻息を荒げている。


「ではその条件でよいか……。トシキ、準備を」


「はいよ」


 そう答えた敏樹の両手に片手斧槍ハンドハルバードが出現する。

 それを目にした野次馬の間で、軽いざわめきが起こった。

 《収納》という魔術があるこの世界で、突然手元に武器が現れたことに対して驚く者は少ない。

 つまり野次馬の間でざわめきが起こったのは、敏樹が取り出した武器に意外性があったからであろう。


「ほう、変わった武器だな」


 ガンドは目を細め、敏樹の武器を凝視した。


「斧槍か?」


「まぁ、一応」


 柄の長短の差はあれ、自分が持つものと同じタイプの武器なのだから興味が高まったのだろう。

 先程まで垂れ流されていた”さっさと打ち合おう”という雰囲気が幾分抑えられ、ガンドは興味深げに敏樹を観察し始めた。


 お互いの装備だが、ガンドは胸から胴を覆う金属製の胸甲と革製の篭手に脛当てという軽装であった。

 武器は先述したとおり長柄の斧槍で、敏樹の片手斧槍に比べて斧頭が二回りほど大きい。

 対して敏樹の防具は、ガンドとほぼ同じような軽装であり、胸甲が革製であるということと、頭に鉢金を巻いているという差はあるものの、双方とも平均的な冒険者の装備であった。


「では2人とも、準備は良いかの?」


 バイロンが敏樹とガンドの方をそれぞれ見ると、2人はお互い見合ったまま無言で頷いた。


「よろしい。では、始めっ!!」


 バイロンの合図とともに、2人は同時に踏み込んだが、先制したのは敏樹の方だった。

 開始の合図とともに振り上げられた右手の片手斧槍が、ガンドの脳天をめがけて振り下ろされる。

 予想以上の踏み込みの速さと、躊躇なく振り下ろされる攻撃に若干驚きながらも、ガンドは斧槍の刃で敏樹の初撃を受け止めることに成功した。


「ぬおっ!?」


 敏樹の体格と通常の斧槍に比べてふたまわりほど小さい斧頭、そして速さを重視したであろう踏み込みから、その攻撃はそれほど重くないと予想していたガンドは、まず初撃を跳ね返して隙を作り、反撃するかあるいは体勢を立て直すつもりだった。

 しかし敏樹の攻撃は予想以上に重く、ガンドは自身の踏み込みの勢いを完全に殺されてしまった。

 ガンドが完全に止まったことを確認した敏樹は、さらにガンガンと右手の片手斧槍を何度も打ち下ろした。

 

「ぐぬぅ……」


 敏樹の猛攻に辟易したかのような表情でガンドが呻く。

 敏樹はさらにガンドの脇腹をめがけて左の片手斧槍を薙ぐように振るう。

 しかしその直前、ガンドは振り下ろされた右手の攻撃を受け流し、その勢いのまま敏樹の顎を狙って石突を跳ね上げた。

 敏樹は追撃をやめ、咄嗟に身を退いて石突の攻撃をかわした。

 石突を跳ね上げ斧頭を地面すれすれまで下げたガンドが、それを予備動作とするように、弧を描いて斧槍を振り下ろす。

 十分な予備動作を経て放たれたガンド渾身の一撃が、敏樹の脳天に襲いかかる。


「んなっ!?」


 しかしその一撃は敏樹の右手の片手斧槍によってあっさりと振り払われた。

 渾身の一撃を軽く払いのけられたガンドの上半身が無防備にさらされる。

 そこへ敏樹は素早く踏み込み、みぞおちをめがけて左手の片手斧槍を突き出した。


 本来であれば金属製であろうがその胸甲を貫き、致命傷を与える一撃である。

 しかし試合場という特殊な環境のため、敏樹の放った痛烈な刺突は打撃へと変換され、その威力は減衰された上、ガンドの側の防御力は逆に上昇している。


「ごふぅっ!!」


 にも関わらず、ガンドは身体をくの字に曲げてうめきを上げた。

 その光景に、野次馬たちの間から驚きの声がちらほらと上がる。


「せいっ!!」


 そんなことはお構いなしとばかりに、敏樹は下がったガンドの頭部をめがけ、右手の片手斧槍を思いっきり振り上げた。


「ぶふぉっ……!!」


 その一撃を顔面でもろに受けたガンドは、その衝撃で盛大にのけぞってしまう。

 敏樹はさらに踏み込み、今度は左手を横薙ぎに振り、ガンドの脇腹に一撃を加え、続けて跳び上がると、振り上げた右手の片手斧槍を側頭部に叩き込んだ。


 ガンドの巨体がぐらりと揺れ、そのままゆっくりと倒れ伏した。


「う……うぅ……」


 それでも意識を失わなかったのは、試合場の効果のおかげか、ガンドの頑丈さのおかげだろうか。

 しかし意識を保っていると言っても、実戦であればすべて致命傷になる攻撃であり、勝敗は誰の目にも明らかだった。


「ぐぅ……、ま、まいった……」


 ガンドはよろよろと上体を起こし、何とか膝を立てたところで自らの敗北を宣言した。

 顔面を強打したせいでガンドの鼻は曲がり、ドクドクと鼻血が流れ、打撃を受けた側頭部は青あざが出来た上でパンパンに腫れ上がっていた。

 金属製の胸甲も、攻撃を受けた部分がべっこりとへこんでいた。

 うつむきがちのガンドの目からは、既に戦意が消え失せているようで、その様子をみたバイロンが、軽く頷き、一歩前に進み出る。


「ではこの勝負、トシキの勝――」


「まだまだァ!!」


 試合終了を告げようとしたバイロンの言葉を、敏樹が遮った。

 ガンドとバイロン、そしてその場にいた全員が、驚いたように敏樹の方を見た。

 いや、ただ一人シゲルだけは、特に驚いた様子もなく、鼻をほじりながら様子を見ていたが、とにかくその場にいたほぼすべての者が敏樹の言葉に驚いたのだった。


「いやいやガンド先輩、この程度じゃ終われんでしょう?」


「あ、いや……、しかし……」


「ほら、怪我だってもうすっかり良くなってるじゃないですか」


 即死でなければなんとかなる、というだけあって、試合場の回復効果というのはかなりのものであるらしい。

 鼻血は止まり、どういう原理か曲がった鼻も元に戻っていた。

 側頭部の腫れも引き、わずかに残っていた青あざも、見る間に消え去っていく。


「だが、私は降参を――」


「いや、降参は無しですよ」


「そ、そうかもしれんが、ほら、いまバイロンさんが――」


「すまん、勘違いじゃ」


「――は?」


 ガンドは驚いたようにバイロンの方を見た。


「お主が降参したもんじゃから、つい試合を止めようとしたが、降参は無しっちゅうのを忘れとったわい。いやぁすまんすまん」


 バイロンはわざとらしく申し訳無さそうな口調でそう言った後、ガンドと同じく自分の方を向いている敏樹を見て軽く頷いた。


「いや、しかし、その……、こっちは負けを認めてるわけだし、これ以上の勝負は無意味ではないかな?」


 ガンドとしては渾身の一撃を軽くあしらわれたことで、敏樹に勝てる見込みはないと思っている。

 受け止められるなり受け流されるなりしたのであればまだしも、あの攻撃をガンドがのけぞるような形で弾き返すには、威力はもちろんのこと、完璧なタイミングで刃同士が打ち合わねばならない。

 その神業のような打ち返しを、おそらく敏樹は狙ってやったのだということをガンドは肌で感じていた。

 そんな相手に勝てるわけがない。

 負けるとわかった勝負を続けることに意味を見いだせない彼は、何とかこのまま試合を終了させたいと思っていた。


「はぁー……、鈍いなぁおっさん……」


 そこで敏樹は盛大にため息をついた。

 そして再びガンドに向けた表情からは、先程までの慇懃な様子が消え去っていた。


「俺の女にちょっかいかけといて、ただで済むと思うなよって話なんだよ」


 そのセリフにガンドの顔が引きつり、野次馬たちがざわめく。

 興味本位で集まったような連中である。

 酔ったガンドの喧嘩を買うというのは、この街ではそれほど珍しいことではない。

 それでも人の喧嘩というのはそれなりの娯楽にはなる。

 今回もいつものように喧嘩を買った身の程知らずが、ガンドにのされて終わり、という結末を予想してきてみれば、なんとあのガンドに負けを認めさせる程の実力者だった。

 聞けばまだ冒険者になったばかりなうえに、ギルドマスターの覚えもいいらしい。

 敏樹という冒険者に対する興味は尽きないところである。


 ――その敏樹なる冒険者がいう「俺の女」とは一体どんな女性なのか?


 野次馬たちの視線がまるで犯人探しでもするかのように、試合場周りを行き交う。

 酒場でのやり取りからどうやら敏樹と知り合いらしいジールの見ている先に、やがて野次馬たちの視線が集まった。


「むぅ……」


 その場にいるほとんどの人間の視線を集めたロロアは、しばらく固まった後、シゲルの陰に半ば身を隠し、マントのフードを被って俯いた。


「(ちょっとー、トシキさぁん……)」


 真っ赤になった顔をフードで隠し、声にならない声で敏樹に抗議しながらも、公衆の面前で『俺の女』宣言をされたことに、つい口元がニヤけてしまうロロアだった。



「人の連れにちょっかいかけといて、さらに喧嘩まで売ってんだからさ。こっちが遠慮する必要はないよな」


 敏樹は冷たい笑みを浮かべ、ガンドに告げた。


「あ、いや、あの時は、その、酔ってたから……」


「それが? 大事なのはそっちからちょっかいかけといて逆ギレして喧嘩売ったってことだろ? アンタが酔ってたかどうかなんて、俺は知らないね」


「う……」


 覚悟が決まらない様子でガンドがもじもじしているところへ、パンパンと柏手が響いた。

 その場にいた全員の視線が、その音の発生源であるバイロンに向けられる。


「試合はまだ終わっとらんぞ? 再開の合図が必要かの?」


 その言葉に観念したのか、ガンドが斧槍を構え直す。


「……かかって来い」


 そして覚悟を決めた様子のガンドが、敏樹をじっと見据える。

 敏樹は特に構えることなく、片手斧槍を持ったままの両手をだらんと下げたまま、ガンドの方を向いていた。


(こっちから仕掛けるか……? いや……)


 隙だらけに見える敏樹だが、おそらく自分から仕掛けても先程と同じように軽く弾かれてしまうのがオチだろうと考えたガンドは、とにかく耐えることを選択した。

 先程は敏樹の攻撃の重さを軽く見積もっていたが、今度は違う。

 なんとか敏樹の攻撃を耐え続け、その中で反撃の機を伺う。


(踏み込みの速さはわかっている。決して反応できない速度じゃ――え?)


 先程まで間合いの外でただ立っているように見えた敏樹が、瞬きすらしていないというのに、気がつけば目の前で右手を振り上げていた。


「んぐぉっ!?」


 それでもなんとか反応できたガンドは、さすが戦闘力評価A-というべきか。

 しかし、多少反応が遅れたとはいえ覚悟を持って敏樹の攻撃を受け止めたガンドの斧槍は、あっさりと弾かれてしまう。

 そして無防備になった自分に対して再び片手斧槍を振り上げた敏樹の姿を確認した直後、ガンドは頭に衝撃を受けてそのまま意識を失った。

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