第3話『おっさん、提示される』

 ガンドが去った後の酒場は微妙な空気に包まれていた。

 その場にいた多くの酔客は、ガンドの言葉に煽られるように敏樹らへ悪感情を乗せた視線をぶつけていたが、ジールの擁護があったことと、ガンドの普段の酒乱ぶりを思い出したことでそれらの視線は幾分か和らいだ。

 ガンドの煽りに乗ってしまったことを恥じている者も少なからずいたようである。


「トシキさん」


 そんな微妙な雰囲気の中、ジールが少し心配げな表情で口を開いた。


「ん?」


「ガンドさんな、ああやって揉めて喧嘩ふっかけることがよくあるんだが、勝負が始まる頃にはちゃっかり酔いを覚ましてるんだわ」


「あー、そんな感じだろうね。あんだけ息巻いといて2時間後に勝負ってのが……、ねぇ?」


 敏樹の言葉に、ジールが軽く肩をすくめた。

 しかし、次の瞬間には真面目な表情になった。


「でだ。あの人は今Cランク冒険者なわけだが、酒の席でのトラブルが多いせいで昇格できないだけで、”酒をやめたらAランク”と言われるほどの実力の持ち主なんだよ」


「へぇ……。それはそれは」


 敏樹の口角が徐々に上がる。


「だからよ。さっきはしょーもない小悪党みたいな感じになってたけど、勝負の時はあんま油断しないようにな。まぁ、俺がどうこう言うのもおかしな話なんだがよ」


「ああ。わざわざありがとね、ジール」


「気にすんなよ。同じ街で活動する冒険者同士、気分良く仕事したいからな」


「ふふ。アンタやっぱいい奴だな」


「うるせー」


 少し照れながらそう答えたジールは、ふとシーラの方に視線を向けた。

 シーラはいつの間にか運ばれていた料理を一心不乱に食べており、敏樹とジールの方を気にしている様子はなかった。


「ふぅ……。じゃあ、また後でな」


 何に対してか、軽くため息をついたジールは、相変わらず酔いつぶれて寝ているランザのいるテーブルの方を向いた。


「後で?」


 敏樹の言葉に、ジールがちらりと振り返る。


「見に行くに決まってんだろ? 結構ギャラリー集まると思うぜ?」


「マジかよ」


「おう、マジだマジ。そこである程度実力見せときゃ、後々なにかとやりやすくなるんじゃねぇかな」


「そういうもんかねぇ」


「そういうもんだよ」


 敏樹はジールが自分の席に戻るのを見送った後、運ばれていた料理に手を付けた。



**********



 食事を終えた敏樹らは、前日分の報酬の受け取りや、狩った魔物の納品を行った。

 これにより、シゲルがGからFランクに、シーラ達は3人ともFからEランクへと昇格した。

 それを機に、敏樹はシーラ達とのパーティを解消した。


「トシキさん、ロロア、ありがとね。明日からはウチらだけで頑張ってみるよ」


「おう。頑張ってな」


「3人とも無理しないでね」


「大丈夫だって。2人のお陰でだいぶ強くなれたから」


 シーラは尻尾をパタパタと振りながら、ニッと笑った。


 そうこうしている内に2時間が経過。

 ガンドとの約束の時間となった。



 訓練場。


 それは各地の冒険者ギルドに大抵は併設されている、その名の通り訓練のための施設である。

 ここヘイダの訓練場は冒険者ギルドの地下に接地された屋内施設であり、そこでは多くの冒険者が、己の能力を高めて依頼でのリスクを軽減すべく訓練に励んでいた。


「市民体育館ぐらいか? バレーコート4面ぐらい……いや、もうちょいいけるか……?」


 というのが敏樹が受けた訓練場の広さに対する感想である。


 訓練場には疲労回復や怪我の治癒を促進するための魔術が施されており、効率よく訓練ができるようになっている。


 そんな訓練場の一角にある、試合場と呼ばれるところで、熊獣人のガンドが敏樹を待ち構えていた。

 そして30名ほどの野次馬が既に試合場を囲んでいた。

 その中に、もちろんジールの姿と、なぜか酒場にいなかったモロウの姿があった。

 ランザの姿が見えないのは、まだ酔いつぶれているからだろうか。


「うむ、時間通りだな」


 ガンドは試合場の中央で胡座あぐらをかいており、膝に長柄の斧槍ハルバードを横たえていた。

 そうやって静かに座り、敏樹を迎える姿は、まるで別人のようであった。


「先程は迷惑をかけてすまなかったな」


 敏樹の方を見たガンドが、ロロアやシーラ達に気付く。


「おお、お連れの方々も、ご迷惑をおかけしましたな。申し訳ない」


 そう言って、ガンドは胡座をかいたまま床に拳を着き、軽く頭を下げた。


「うわー、これはこれで面倒くさいなぁ……」


 思わず敏樹の口からつぶやきが漏れたが、ガンドの耳には届かなかったようだ。


「さて、そちらが良ければ早速始めたいのだが」


 ガンドは横たえていた斧槍を右手に持って立てると、それを軽く支えにしながら立ち上がった。

 改めて近くに立つと、ガンドの身体の大きさに圧倒される。

 身長は2メートル程度だろうか。

 肩幅は広く、腕や足は丸太のように太い。

 短く手入れされた濃い灰色の髪と髭が顔をぐるりと囲んでおり、頭からは短い耳が生えていた。

 顔の大きさに対して少し小さく鋭い目が、威圧感を増しているように思える。


「これこれ、待て待て」


 敏樹とガンドが向き合っている所に、それを窘めるような声がかかった。

 声の方に視線を向けると、訓練場の入口からギルドマスターのバイロンがスタスタと歩いてくるのが見えた。

 杖を片手にしっかりとした足取りで歩いていることから、彼の杖が歩行補助のためのものではなく、魔法や魔術の発動体であるということがわかった。

 バイロンは険しい視線をガンドに向けていた。


「あ、ギルドマスター……」


 バイロンの視線を受け、ガンドがバツの悪そうな表情を浮かべる。


「ガンドよ、またやらかしたそうじゃの」


 ガンドの傍らに到着したバイロンが、呆れた表情を浮かべた。

 バイロンの身長はガンドの胸のあたりまでしかないので、近くに立てばどうしても見上げるような形になってしまう。

 だが、それでもガンドはバイロンの視線を受けて少し縮こまっており、一見してどちらの格が上なのか、ということが容易に理解できた。


「いえ、その……」


「毎度毎度酒に飲まれおってからに……」


「面目ない……」


「そう思っておるのなら、酒をやめればよかろう」


「いや、それでは生きている意味がありませんので」


 ガンドがまるで”息をしなければ死んでしまうでしょう?”とでも言わんばかりの、あまりにも自然な口調でそう答えたので、バイロンはそれ以上諭すのをやめた。

 そもそも同様のやり取りはこれまで何度も繰り返しており、最初から意味が無いことはわかっていたのである。

 それでも敢えて酒を断つよう勧めたのは、ガンドが酒のせいで随分と損をしているにも関わらず飲酒を止める気がない人間だということを敏樹にわからせるためであった。

 その意図を、”酒に飲まれてのことであり、根は良い奴なので大目に見てやってほしい”と取るのか、”救いようのない阿呆なので何を遠慮する必要もない”と取るべきか悩ましいことではあるが――


「トシキよ、この阿呆に勝ったらCランクに昇格じゃ」


 どうやらバイロンの意図は後者にあったようである。


 おお、と低いどよめきが野次馬の間に広がった。

 その驚きの声にはいくつかの種類があり、まず第一に敏樹が既にDランクであることに対するもの、ギルドマスターに名前を覚えられているということに対するもの、そしてギルドマスター自らが程度の低い私闘に立ち会うことと、それをもってランクアップ試験にしてしまったこと、そして敏樹がガンドに勝利する可能性を示唆していること等々。


 ガンドはこれまで、酒の勢いで人と争ったことが何度もあった。

 それこそ数え切れないほどに。

 酔った勢いのまま酒場で大暴れし、多くの人に迷惑をかけたこともある。

 酔いが醒めて肝を冷やし、謝り倒すというのは毎度のことだったが、それでも酒をやめるという選択肢はなかった。

 

 ある日、いつものように酒の勢いで暴れていた所、ギルドマスターに着任したてだったバイロンに取り押さえられたことがあった。

 取り押さえられたというか、死ぬ寸前までボコボコにされた。

 以降、酔った勢いで暴れようとした時、本能が死の影を察知するようになった。

 そこでガンドは、その場で暴れるのではなく時間を置いて酔いを醒ましてから暴れることにしたのであった。


 そうやって何度も、多くの人に喧嘩を売ってきた。

 ガンドの強さはこの街では有名である。

 なので、酒の勢いで喧嘩を買った者に対して、周りの人間がガンドの強さを説明し、思いとどまらせるということが多くなった。

 訓練場で待ちぼうけを食らうことなどは日常茶飯事であったが、それでも勝負を受ける者というのは腕に覚えがある、ということが多い。

 そういう強者との戦いは、ガンドにとって望ましいものだった。

 とはいえ、シゲルのような、明らかに自分より格上とわかる相手には例え酔っていても喧嘩を売らない辺り、彼の器の小ささを示しているのであるが。


 今回、自分より下のランクである敏樹に喧嘩を売ったガンドだったが、訓練場に顔をだすことはあるまいと予想していた。

 しかし敏樹は時間通りに現れた。

 それだけでなく、ギルドマスターがその勝負に立ち会うと言うではないか。


「つまり、このトシキという冒険者は、私に勝てる可能性があるということですかな?」


 バイロンが<鑑定>持ちであることはガンドも知っている。

 そのお眼鏡にかなったということは、そういうことなのだろう。


「さぁの。儂にはようわからん」


「は?」


 しかし、バイロンの答えは意外なものであった。

 余人ならいざしらず、<鑑定>を持つバイロンであれば、戦闘力評価を比較することで、双方の実力差はある程度わかるはずである。


「一応聞いておきますが、彼の戦闘力評価は……?」


「儂がみる限りはCじゃな」


「C? いや、たしか私はB+ではなかったですかな?」


「……ふん、A-じゃわい」


 ガンドを一瞥したバイロンが、不機嫌そうに鼻を鳴らしながら告げた。


「おぉ……」


 以前見てもらった時点より自身の評価が上がっていることに、ガンドは喜びの声を漏らすと同時に戸惑いを覚えた。

 主評価は1つ違えば勝負にならないと言われている。

 ガンドの場合、副評価が-とはいえ、曲がりなりにもA評価を受けているのである。

 主評価が2ランクも違っていれば、それこそ一方的な蹂躙になってしまうのではないか。

 酔った勢いのまま暴れるのならまだしも、すでにガンドの酔いは醒めており、その上での尋常な勝負ということであれば、相手はそれなりに強者である方が望ましい。


「お主が何を考えておるのかはわかるがな、手を抜くことは許さん」


「いや、しかし……」


「というわけで、お主にも褒美を用意しよう。勝てば儂の秘蔵の酒――」


「やりましょう!!」


 バイロンが言い終えるが早いか勢い良く返答したガンドは、腰を落として長柄の斧槍ハルバードを構えた。


「ではトシキよ、尋常に勝負といこうではないか!!」


「あー、いや、まぁそれは別に良いんですけど……」


 ガンドの様子に戸惑った敏樹がバイロンに目を向けると、彼はやれやれとばかりに肩をすくめ、首を振るのであった。

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