第二章 冒険と生活

第1話『おっさん、諦める』

 翌朝、まだ暗い内に敏樹は目覚めた。

 昨夜、吐いて泣きじゃくるほど乱れていた精神が、今は嘘のように整っている。

 すっきりとした目覚めだった。

 それはロロアが慰めてくれたおかげなのか、”心身を万全の状態に保つ”という効果のある<無病息災>のおかげかは定かではないが、敏樹はロロアのおかげだと思うことにした。


「くぁ……」


 布団から腕を出し、あくびをしながら身体を伸ばした。

 すると、口元に付着し、パリパリに乾いていた吐瀉物がボロボロと落ちた。


「おっと……」


 今さらではあるが、敏樹は《浄化》で口元を綺麗にした。


「昨日はゲロまみれでやっちゃったか……。ごめんな……」


 隣で寝息を立てるロロアを見ながら、敏樹は呟いた。

 昨夜は随分と情けない姿を見せてしまったが、自分の弱さを知ってもらえたのは決して悪いことではなかったように思う。

 そして、自分が弱いままのただのおっさんであることを再確認できたことも。


『ひそひそ話の声をマイクで拾っていくら増幅しても叫び声にはなわらんのだぜ?』


 ふと、敏樹は学生時代に聞いた友人の言葉を思い出した。

 それは音楽をやっていた友人で、なんの楽器を担当していたのか忘れたが、やたら”デカイ音”にこだわる奴だった。

 そいつに「どうせ音響で音デカくするんだから、そんな頑張らなくてもよくない?」と訊いたときに返って来たのがそのセリフだった。

 小さい音をマイクで拾って音響機材を使っていくら増幅しようとも、スピーカーからは小さい音が大音量で流れるだけであって、大きい音に変わるわけではない。

 

 当時は「ふーん」と聞き流していたが、今それを思い出すということは、自分の強さもそういうことなんだろう。

 弱い者が力を得たからといって強くなるわけではない。

 力を持った弱い者が出来上がるだけなのである。

 では強くなるためにはどうすればいいか?


「それがわかったら苦労しないよなぁ……」


 敏樹はそう呟き、軽くため息をついた。


 隣では相変わらずロロアが寝息を立てていた。

 敏樹は布団から出していた腕を戻し、ロロアに抱きついた。


「ん……」


 身じろぎはしたが、ロロアが起きる気配はなかった。

 直接肌と肌がふれあい、ロロアの体温が伝わってくる。

 他者の温もりを感じることで、より自分の生を実感できるような気がした。



**********



「シゲルー、起きとるか―」


 日の出より少し前、薄っすらと明るくなり始めた頃、敏樹は再び起き、ロロアも目を覚ました。

 ロロアが身支度を整えている間に、敏樹は向かいのシゲルの部屋を訪れ、ドアをノックしていた。


「おーう」


 ドアの向こうからシゲルの声が聞こえ、こちらに近づいてくるのがわかった。


「えーっと、これをこうして……あれぇ?」


 ドアノブをガチャガチャとしていたシゲルは上手くドアを開けられないようだったが、10秒ほど悪戦苦闘した末にようやく開いた。


「お、開いた開いた」


 ドアが開いた向こうには、トランクス一丁のシゲルがいた。

 浅黒い肌の鍛え上げられた身体に、生成りのパンツだけという姿は、なかなか画になるものであった。


「気に入ったか、それ」


 と、敏樹がトランクスを指して問う。


「ん? おう。悪くねぇなぁ」


 部屋の中を覗いてみるが、特に散らかった様子はない。


「部屋、きれいに使ってるな」


「親父があんま物に触るなって言うからよぉ。ちゃんと言いつけ守ったぜぇ?」


「うん。偉いな、シゲルは」


「へへ……、だろぉ?」


「ベッドの寝心地はどうだった?」


「おう、あれな。すげー気持ちよかったぜぇ」


 どうやらベッドはお気に召したようである。


「よし、じゃあ服着て出てこい」


「へーい」


 シゲルが部屋に戻り、しばらくしたところで敏樹の部屋のドアが開いた。


「お待たせしました」


「親父ー、お待たせ」


 ロロアが身支度を整えて出てくると、その直後にシゲルも身支度を終えたようだった。



 1階のロビーに降りると、シーラ達がいた。

 まだ早い時間ではあるが、この時間帯から活動を始める冒険者は多い。

 敏樹らが泊まっている『深緑のそよ風』はそこそこグレードの高い宿屋なので、利用者の中に冒険者は少ないが、それでもゼロではない。

 シーラ達以外にも、冒険者と思しき者がちらほらとロビーで待ち合わせしているようだった。


「トシキさん、ロロア、おはよう」


「おう、おはよう」


「おはようございます」


「トシキさん達も早朝の便に乗る?」


 早朝の便とは、昨日ヌネアの森へ行った討伐用の馬車の件である。

 昨日は装備を整える必要があったので昼の便に乗ったが、魔物は夜の内に増えるので早朝の便のほうが獲物は多いのである。


「一応そのつもり」


「やった! じゃあ今日も付き合ってもらっていいかな?」


「もちろん」


「たぶん、今日あたりでランクアップ出来るはずだから、そしたらあたしらだけで活動できるようになると思う」


「わかった」


「ところで……」


 そこでシーラの視線がシゲルを捉える。


「ああ、こいつな。改めて紹介しとくわ。こいつはシゲル。俺の……子分だな」


「子分、ねぇ」


 ここで言う子分とは、手下というよりは義理の子という意味合いのものになるだろうか。


 それぞれ簡単な自己紹介終えた敏樹らは、早速冒険者ギルドへ行った。


「いやー、高ランク馬車がスッカスカで困ってたんですよ―。助かります―」


 敏樹らは商人ギルドの責任者らしき男に随分と感謝された。

 この討伐用の乗合馬車は、基本的に当日受け付けで冒険者を集めている。

 事前に人を集めて受付しておき、当日は現地集合という風にした方が冒険者側も当日の手間が減るし、商人ギルド側は事前に適切な数の馬車を用意できるのだが、なにせ冒険者という連中はいい加減な者が多い。

 何度か事前受付を試みたが、結局定着せず、効率は悪いが当日来れる者を集める、というのがもっとも現実的な方法となっているのだった。


「では出発しまーす」


 この便のEランク以上用馬車には、敏樹らとシーラ達の6名のみだった。

 いまさらシーラ達がこの森の魔物に遅れを取ることは無いと思われるので、シーラ達が魔物の多い北側、敏樹らは南側を担当することになった。

 一応<情報閲覧>で広範囲に検索をかけ、シーラ達の行動範囲にイレギュラーな個体がいないことは確認しておいた。



 オークが振り下ろした斧の一撃を、トンガ戟の耕作用刃の背が押し返す。

 ガキィと金属同士がぶつかり合う鈍い音が響いた後、押し負けたのはオークの方だった。

 渾身の一撃をたやすく弾き返されたオークはバランスを崩してのけぞり、無防備になった胸をトンガ戟の先端につけられたダガーナイフの刃が貫く。

 勢い良く突きこまれたトンガ戟のナイフの刃が根本まで胸に刺さった後、そのまま耕作用刃の背がオークの身体を押し、オークは後ろに吹っ飛ばされた。

 胸を貫かれたそのオークは、ナイフを刺された傷口からドクドクと血を流しながら数回痙攣し、動かくなった。


 突きこまれたトンガ戟が右手一本で薙ぐように振り抜かれる。

 弧を描くように振られたトンガ戟の耕作用刃は、後方から近づきつつあったオークの顔をごっそりとえぐったが、先端のナイフがオークの頭に当たる。

 それは何とか頭皮を裂いたが、頭蓋骨に当たったところでナイフの刃が根本からずれてしまった。


「シゲルー、どうだ、その武器の使い心地は?」


 シゲルはトンガ戟をめり込んだオークの頭から引き抜いた。


「んーどうだろ?」


 そう呟きながらシゲルはトンガ戟を振り上げ、顔をえぐられながらもまだ息のあるオークの脳天めがけて耕作用刃を振り下ろした。


「「あっ……」」


 振り下ろされたトンガ戟は、耕作用刃がオークの脳天に半ばまで突き立った後、シゲルの力に耐えきれなかったのか、柄の部分が裂けるように割れてしまった。

 脳天に耕作用刃を突き立てられたオークはその場で膝を着き、力なく倒れた。


「悪ぃけど親父よぉ、こりゃ使い物になんねぇぜ」


 その言葉には耐久力として使えないという意味はもちろん、武器としても使い勝手が悪いという意味も込められていた。

 トンガ戟は敏樹が考案したオリジナルの武器だが、所詮は素人が有り物を苦し紛れに組み合わせた使った物である。

 鍬と槍という古来より伝わる道具を組み合わせて武器として使えるのであれば、もっと以前に実用化されていたはずであろう。

 現時点で使われていない物の多くは、過去に誰かが使おうとしたものの、結局使い物にならなかったという事が多いのである。

 武器を手に入れづらい現代日本でならともかく、普通に槍や戟、斧槍が手に入るこの世界において、わざわざ実用的でない武器を使う意味はない。


「オレぁやっぱこっちの方がいいかなぁ」


 シゲルの手には既に槍が握られていた。

 敏樹は既に<格納庫ハンガー>にシゲルのスペースを作り、共有を許可していた。

 その槍は元々シゲルが持っていた物で、あまりできの良いものではなく、手入れもほとんどされていなかった。

 少し錆び、刃こぼれもあったが、<格納庫ハンガー>の修繕機能のお陰で錆は落ち、刃こぼれの部分は研ぎ直されていた。

 最初その状態を見たシゲルは随分と喜んだものであるが、おそらく武器としての限界は近いので、新しい物を買ってやる必要があるだろう。


「んー、残念」


 自分より戦闘のセンスが高そうなシゲルならもしやと思ったが、むしろセンスが高いからこそ彼はトンガ戟を使い物にならないと評した。

 自分が戦いに身を置くようになって初めて自作しただけに、トンガ戟はかなり思いい入れの強い武器ではあるのだが、どうやら使用は諦めたほうが良さそうである。


 敏樹はオークのの元へ歩み寄ると、耕作用刃の根元部分を持ち、頭を足で抑えてトンガ戟を引き抜いた。

 その瞬間、オークの身体がビクンと跳ねたが、それ以上は動かなくなった。


「おつかれさん」


 敏樹はそう呟いた後、トンガ戟を<格納庫ハンガー>に収納した。

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