第24話『おっさん親になる』

 オークブラックは戸惑っていた。

 意識が戻れば敵が倒れているはずだった。

 たとえ自分が力尽きることになろうとも、その姿を見るためにすべての力を出し尽くしたはずだった。

 しかし今、敵は自分の肩に手を置き、不敵に笑っていた。


「お、切れたみたいだな」


 オークブラックの<死物狂い>が切れたおかげで<魔力吸収>に対する抵抗が一気に下がり、多くの魔力が自分の中に流れ込んでくるのを敏樹は感じた。

 無論、魔法に対する抵抗も下がっているので、適度に四肢を凍らせた後、回復にしばらく掛かりそうなのを確認し、敏樹はオークブラックの肩から手を離した。


とどめはこれで刺してやるのが礼儀かな」


 あのまま魔法で完全に凍らせてしまっても良かったが、オークブラックとは命がけで矛を交えた仲である。

 物理攻撃で止めを刺してやるのがなんとなく礼儀のような気がしたので、敏樹は片手斧槍を構え、振り抜こうとした。


「マッデェッ!!」


 片手斧槍の刃がオークブラックの首の皮一枚切ったところで止まる。


「……今の、お前か?」


 敏樹は少し驚き、かつ不審な表情を浮かべ、オークブラックを見た。

 オークブラックは縋るような、それでいてどこか恨めしそうな視線を歳期に向けていた。


「オデ、ジヌ、ナイ……」


「はぁ?」


「オデ、ジヌ、ナイ!!」


「……俺、死ぬ、無い……か? この期に及んで死ぬのが怖いってか?」


 オークブラックは敏樹の言葉を理解したのか、ほとんど動かない首を必死で横に振る。


「ダダガウ、アル、ジヌ、アル。ダダガウ、ナイ、ジヌ、ナイ!!」


「戦って死ぬならいいってこと?」


 オークブラックは首を縦に振った。


「いや、戦って、俺が、勝ったの。わかる?」


「ダダガウ、ナイ! オマエ、ズルイ!!」


「あぁ? もしかして、魔法がずるいってこと?」


 オークブラックは首を縦に振る。


「だったらお前のアレはどうよ。<咆哮>」


 オークブラックは意味がわからないという視線を敏樹に向ける。


「お前、途中で叫んだよね?」


 オークブラックは首を縦に振る。


「あれって、相手の動きを止めるんだよね?」


 オークブラックは首を縦に振る。


「俺の魔法と、何が違うの?」


「ウ……」


 手段は違えど相手の動きを封じるという点では、共通している部分があることに、オークブラックは気付いたらしい。


「オマエ、ズルイ、ナイ……」


「お、わかってくれたか。じゃあ……どうすっかな……」


 先程までは止めを刺す気まんまんだったが、こうやって言葉を交わしてしまうとやりにくくなってしまうものである。

 山賊のときと違ってこのオークブラックに対してなにか思うところがあるわけでもなく、ただ強そうなのがいたから手合わせをしてみた、という程度の感覚なのだ。


「お前ってさぁ、人とか襲うの?」


 と訊いてみたところで、オークブラックは首をかしげるばかりである。


「んー会話がめんどくさいなぁ……。あ、そうだ!!」


 敏樹は<管理者用タブレット>を<格納庫ハンガー>から取り出し、目の前のオークブラックをパーティーに加えた。


「おわっ、ポイントすげぇ溜まってんじゃん」


 そう呟きながら、【スキル習得】にて『大陸共通語』の『会話』を習得させる。


「これでちっとはマシになるかな」


 オークにも言語とまではいかずとも、喚き声である程度の意思疎通が出来る文化があるのではないか、そして<言語理解>で全言語を習得した自分だからこそ、その意図を汲み取れているのではないか、と敏樹は考えた。

 しかし、オークの言葉には語彙が少なく、それで満足に意図を伝えることが出来ないのではないだろうか。

 なら、大陸共通語を覚えさせれば、もう少し会話がスムーズに運ぶ可能性は高くなるのではないか。

 あるいは今このオークブラックが発しているのは大陸共通語、ないしは人類圏の他の言語かもしれない。

 その場合、オークの口の形のせいで発音が難しいという可能性もある。

 スキルで言語を覚えれば、敏樹が水精人の言葉を流暢に話せたように、発音の方の問題はクリアできるはずである。

 すべて敏樹の勝手な推測ではあるが。


「では改めて……。お前って、人とか襲うの?」


「人? 人、なに?」


「俺みたいな格好の奴」


「俺、弱い奴、戦う、ない」


 どうやら発音の方は改善されたが、語彙や話法については如何ともしがたいようである。

 それでも随分とマシにはなったが。


「今まで俺みたいな格好のやつとは戦ってない?」


「戦う、ない」


 どうやら過去に人を襲ったことはないようである。

 どうもこのオークブラックは戦闘狂で、しかも強い相手と戦うのが好きなようだ。

 であれば、このままこの森の奥に放っておいても問題はないのかもしれない。


 敏樹は魔法を解いた。


「おお……体、動く」


「じゃあさっきの勝負は、俺の勝ちってことでいいな」


「うん。俺、負け」


 自らの負けを認めたオークブラックは、これ以上何かを仕掛けてくることはなさそうである。

 というか、先程の戦いも敏樹の方から仕掛けたものであるし。


「よし。ほんじゃあ俺は行くわ。元気でな」


「待て!!」


 敏樹が踵を返そうとすると、オークブラックに呼び止められた。


「何?」


「俺も、行く」


「……ついて来るの?」


「うん。俺、お前、一緒、行く」


「いやぁ、無理じゃねぇかなぁ」


「一緒、行く!!」


「だから、無理だって。諦めろ、な?」


 敏樹はオークブラックの肩を掴み、しっかりと目を見据えて力強く訴えた。

 本来であれば言葉を尽くして説得するところだが、オークブラックに難しい会話は理解できまい。

 であれば、態度で示すしか無い。

 敏樹にじっと見据えられたオークブラックの顔には、諦めのような表情が浮かんだ。


「わかった……。じゃ、名前、くれ」


「ん?」


「俺、名前、ない。お前、強い。名前、くれ」


「んー、よくわからんけど、それで納得してくれるのか?」


 オークブラックは首を大きく縦に振った。


「そうだなぁ……」


 敏樹はオークブラックの肩を掴んだまま、少し考えた。

 そしてオークブラックの黒い肌が目に入る。


「……シゲル?」


 特に深い意味はないが、その名前がふと頭に浮かんだ。


「よし、お前は今日からシゲルだ!!」


「シゲル……シゲル……。わかった、俺、シゲル!!」


 オークブラックがそう宣言した瞬間、敏樹の意識が暗転した。


「あ……ぐぅ……」


「……シキさ……!!」


「ロロ……ア……?」


 薄れゆく意識の中で駆け寄ってくるロロアの姿が見えたような気がした。



**********



「ん……んん……」


「あ、トシキさん、気が付きましたか?」


 ぼんやりと意識が戻り、目をあけるとロロアの顔が見えた。


「トシキさん、大丈夫ですか?」


「ロロア……なんで……?」


 どうやら今、敏樹はロロアの膝枕に頭を乗せて横たわっているようだった。


「ごめんなさい。凄い叫び声が聞こえたから心配になって」


 それはオークブラックの<咆哮>だった。

 最初は心配になりつつも踏みとどまったロロアだったが、二度目の雄叫びを聞いていてもたってもいられなくなり、気配を殺しつつ慎重に近づいていたである。


「私が来たときには戦いも終わってたみたいで、少し安心してたんですが、いきなりトシキさんが倒れたから驚いちゃって」


「だよなぁ。いきなりぶっ倒れるんだもんよぉ。オレもビビっちまったぜぇ」


 その時、敏樹の耳に、どこか聞き覚えのあるハスキーな男の声が届いた。

 敏樹は咄嗟に立ち上がり、片手斧槍を取り出して声の主とロロアとの間に割って入った。


「おお、元気になったみたいだなぁ」


「お前、オークブラック?」


 そこには先程まで戦っていたオークブラックがいた。

 姿形は変わらないが、どこか雰囲気が異なる様子だった。


「おいおいなんだそれぇ。オレにゃあシゲルっつー立派な名前があるんだからよぉ。そっちで呼んでくれよ、親父よぉ」


「は、親父?」


「あんたぁオレに名前くれただろ? だったらオレの親父じゃねぇかよ」


「なんだそりゃ……」


 多少呆れながらも、敏樹はシゲルに敵意がいないことを悟り、片手斧槍を収納した。


「トシキさん、もう大丈夫ですか?」


 ロロアも立ち上がり、敏樹に寄り添うように並んだ。


「ああ……。しかし、なんで俺はいきなり倒れたんだ?」


 敏樹は<情報閲覧>で自分の状態を過去に遡って確認した。


「魔力枯渇?」


 シゲルとの戦いの最後に、敏樹はかなり大量の魔力を吸収しており、相当量のMPを保有していたはずである。

 それが一気に枯渇する事態が発生していたのだった。


「考えられるとしたら、名付け……か?」


 『魔物 名付け』で検索した所、どうやら名付けというのは魔物を従属させるための方法のひとつであるらしいことがわかった。

 名前を与えることで対象の魔物を従属させることが出来るが、その際に大量の魔力を持っていかれるらしい。

 魔物は名付けと同時に能力や知性が上がることがあり、その上げ幅は与える魔力によって異なるのだとか。

 もともとシゲルの魔力を大量に奪っていた敏樹にしてみれば、それは持ち主に返したようなものではあるが、それでも一旦は敏樹が保有していた魔力なので、与えたということになるのだった。


「なるほど、だからお前流暢に喋るようになったのか」


「へへ……。なんか知んねぇけど、親父が名前くれてから、頭ん中が妙にすっきりしてんだよなぁ」


 少し照れたような様子を見せていたシゲルだが、ふと真顔になり、今度は伺うような視線を敏樹に向けてくる。


「でよぉ……、やっぱオレ、親父と一緒に行きたいんだけど、ダメかなぁ?」


「ん? んー、その姿がなぁ……」


 そう言いながらも、なんとなく憎めない存在になってしまったシゲルのため、いろいろと検索をかけていたところ、敏樹はひとつの方法を発見した。


「人化……?」


 竜や悪魔など、高位の魔物は自由に姿を変えることが出来るらしい。

 その中で、人に姿を変えることを特別に<人化>という。


「あった、<人化>」


 敏樹は<管理者用タブレット>でシゲルの習得可能なスキルに<人化>があることを確認した。

 シゲルはもともとオークブラックという変異種であるが、それはおそらく最上位種であるオークエンペラーと同等の強さを誇る存在である。

 その上名付けによって高い知性を得ていたので、<人化>を習得出来るようになっているのだろう。


 <人化>スキルだが、レベルが高いほど人に近づき、人化した際の能力の減衰が少なくなる。

 この世界の人類種は多種多様であるため、人に近づくというのがどの程度のものなのかは判断はつかないが、人化した時に能力が下がりすぎるのもよくあるまい。

 死と絶望を身近に感じ、名付けという未知の経験を得たシゲルはそれなりにポイントを所有していたが、レベルマックスで<人化>を習得するとほぼゼロになる。

 そのポイントを他のスキル習得に割り振れば、飛躍的に強くなれることは間違いない。


「なぁ、シゲルは強くなりたいのと俺についてくるのとどっちがいい?」


「親父についていくのがいい」


「でも、それを諦めるんなら物凄く強くなれると言ったら?」


「そんなもん親父についていって稽古つけてもらやぁいいじゃねぇか」


「……お前頭いいな」


 これは敏樹にとっても悪くない話である。

 シゲルを相手に模擬戦などをすれば、お互いにとっていい刺激になるだろう。


「よし、じゃあ待ってろ」


 敏樹は<管理者用タブレット>を操作し、シゲルに<人化>をレベルマックスで習得させた。


「おお? 親父ぃ、何か変な気分だぞ?」


「おう。とりあえずあれだ、人になりたいと思ってみろ」


「ヒトに?」


 シゲルは敏樹を一瞥した後、目を閉じて何かを念じるような素振りを見せた。

 すると、シゲルの体が光を放つ。


「おおっ!?」


「わぁ……」


 感嘆の声を上げる敏樹とロロアの前に、褐色の肌をつ偉丈夫が現れた。


「ん? おお? オレ、なんか変わったか?」


「お、おう」


 シゲルは不思議そうに自分の手足を見ていた。


「お前、なんか色薄くなったな」


 元の肌の色は真っ黒だったので、敏樹の予想としては元の世界で言うところのアフリカ系な雰囲気になると思っていたのだが、肌の色は濃い目の褐色で、顔もどちらかというと東洋系に近いように見える。

 オークにしては細身だった体格はそれほど変わらず、肌の色と顔の形が変わったという印象だ。


「お前、どんな感じで<人化>したんだ?」


「ん?、いや、ヒトっつってもよぉ、オレぁ親父しか知らねぇから、親父みたいになりてぇって思ったんだよ」


「それでか……」


 言われてみれば、顔も敏樹に似てなくもないのかもしれない。

 遠い親戚と言われれば、ああなるほど、という程度の類似性なので、他人の空似以下ではあるのだが。


「しかし、ますますシゲルっぽくなったなぁ」


「そうかぁ? へへへ……」


 敏樹の感想に意味もわからず照れるシゲルであった。


「あ、そうだ! ロロア!!」


 その敏樹の声には、わずかに怒気が含まれていた。


「ハ、ハイ?」


「……なんでここにいるの?」


「いえ、だからその、なにか凄い叫び声が聞こえて……心配になったっていうか……」


「ああ、そう言えばさっきそんなことを……」


 敏樹はロロアを抱き寄せた。


「ありがとね」


「あ……、いえ、その……」


「でも、危ないからさ。次からは隠れておくか、出来れば逃げてよ」


「……嫌です」


「でも、ロロアに何かあったら――」


「嫌です」


 そう言ってロロアは、敏樹しがみついた。


「……そっかぁ、嫌かぁ。じゃあしょうがないかぁ」


 微妙に甘い空気が流れる中、その空気を打ち破ったのはシゲルだった。


「なぁなぁ親父よぉ?」


「ん?」


「そのメスは親父のつがいか?」


「へ? 番って――」


「んー、まぁそんな感じかな」


 ロロアがうろたえる中、敏樹は案外平然と答えた。


「あの、トシキさん!?」


 その敏樹の答えに、ロロアはさらにうろたえた。


「そうかぁ。親父の番ってことは母ちゃんってことか?」


「母……えぇ!?」


「いや、俺は確かにお前の名付け親だけど、ロロアはお前を産んだわけじゃないしなぁ」


「あの、私は、別に、なんと、呼ばれても……」


 ロロアは何を夢想しているのか、ぼうっと頬が赤くなる。


「まぁロロアがそれでいいならそれでいいか」


「よしっ、じゃあ母ちゃんはこれかから母ちゃんな!!」


「え? あ、はい、よろしく……シゲル、さん」


「おいおい、母ちゃんがさん付けなんておかしいだろぉ?」


「あ、そっか……。その、よろしくね、シゲル……ちゃん……?」


 なんとなく呼び捨てにするのが忍びなく、ロロアはちゃん付けでシゲルの様子を伺ってみた。


「んー、何か締まらねぇけど、悪くねぇな。じゃあ、よろしくな、母ちゃん!!」


 そこで敏樹がパンっと手を叩いた。


「さて、ひとつ確認しときたいんだけど、俺が気絶して目覚めるまでどれぐらい経ってる?」


「すぐでしたよ?」


「ああ、すぐに起き上がったぜ」


「なるほど……」


 魔力枯渇に陥った場合、魔力が3割ほど回復した時点で目覚めると言われている。

 敏樹の場合は<無病息災>のお陰で、今なお1秒に1%は回復するようになっている。

 このペースはどうやら保有魔力量にかかわらず一定であるらしかった。

 であれば、単純計算で30秒もあれば復活出来るというわけである。


「みんなを待たせてるし、急いで戻ろうか」


「そうですね」


「俺も行っていいんだよな?」


 少し不安げな様子でシゲルは尋ねた。


「その格好……」


 シゲルは現在、腰に革一枚巻いただけの格好である。

 下帯などは身につけておるまい。

 ギリギリセーフと言えばセーフなのだが……


「これ羽織っとけ」


 敏樹は<格納庫ハンガー>からマントを取り出し、シゲルに投げてよこした。

 <格納庫ハンガー>の中には敏樹の着替えもあるのだが、サイズが合うまい。

 身長差は20センチほどで、腕や足は敏樹に比べ、シゲルのほうが二回りほど太い。

 伸縮性のあるジャージであれば着れなくもないだろうが、出来の悪い体育教師のようになりそうなので、サイズに関係なく体を覆えるマントを選択した。


「ありがとよ、親父。でも、これどうやって着るんだ?」


「シゲルちゃん、これは、こうやって」


 と、ロロアがシゲルのマントの装着を手伝ってやる。


「おう、ありがとよ、母ちゃん」


 その呼び名にまだなれないのか、ロロアは少し照れながらも、シゲルの手伝いをしていた。

 そうやって甲斐甲斐しく世話をする姿を見ていると、なんどなく親子に見えなくも――


「いや、見えんな」


 見えないようである。


 マントを装備したシゲルは、首周りが少し窮屈そうではあるが、一応膝のあたりまで体を覆うことが出来た。


「へへ……オレ、いまどんな恰好なんだ?」


「ほれ」


 敏樹は姿見の鏡を出してやった。


「へええ。オレってこんな顔してたのかぁ」


「いや、元々そんな顔じゃなかったけどな」


 支度を整えた3人は、シーラ達が待つ馬車の元へと急いだ。

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