第8話『おっさん、集落の異変に気付く』
敏樹が水精人の集落を訪れてから、10日近くが経過していた。
その間敏樹は、ロロアの案内で集落の水田や酒蔵などを案内してもらったりしながらまったりと過ごした。
集落の住人たちは、最初の内こそ敬遠していたが、グロウやゴラウが親しく接していたことと、グロウの許可を得て清酒を振る舞ったことで距離が縮まり、今は誰からも気安く声をかけられるようになっていた。
その間も何度か元の世界に戻り、清酒を購入したり、清酒の製造方法を調べて伝えたりしていた。
異なる世界の技術を伝えることで、この世界にどういった影響があるのか知れたものではないが、あまりそこに気を使いすぎても楽しくなかろうと思い、敏樹は割り切ることにしたのだった。
ロロアは相変わらずフードを目深にかぶっていたが、口元を隠すのはやめていた。
敏樹とロロアは共に食事を摂ることが多く、その際には口元をあらわにしなくてはならない。
見たところ、少なくとも鼻や口に目立って醜いところはなかった。
肌は透けるように白く、滑らかで、鼻筋は通っており、口はやや大きいが、元の世界の人間にもいる程度のものであり、口元を見る限りでは醜いどころか美人なのではないかと、トシキは考えていた。
ただ、水精人の多くはロロアが口元を露出させていることをあまり快く思っていないようだった。
「価値観の違いじゃない?」
それが敏樹の出した結論だった。
精人の美的感覚としては、獣の因子が強いほど美しいと感じるので、トカゲっぽい=美しいとなるわけだ。
ならその逆は?
「というわけで、ヒトである俺的には、たぶんロロアは美人なんじゃないかと思うわけよ。少なくとも醜いってことはないはず」
「からかわないでください……」
何度か敏樹はフードを取るよう説得したが、残念ながらロロアは応じてくれなかった。
夜、本人の許可もあることなので、襲いかかればいいだけの話だが、残念ながら敏樹は腑抜けなのでそれも出来ないのだった。
溜まった欲求は<拠点転移>で実家に帰った際、お宝ファイルの詰まったHDDをPCに繋いで処理する、というなんとも情けない日々が続いていた。
いつものように実家に帰った後、24時間のクルータイムを経て異世界に戻ったときのことである。
グロウとロロアの許可を得て、彼女のテント近くの空き地を拠点に設定していた敏樹は、いつも出迎えてくれるロロアの姿がないことに気付いた。
こちらにいる時はともかく、実家に帰った時は毎回24時間きっかりに近い時間で戻っていたので、ロロアの方もおおよその時間を把握しており、いつもテントの外で出迎えてくれていたのだった。
「ロロアー?」
なんとなく集落の様子がいつもと異なることを感じながら、ロロアのテントを覗いたが、その姿はなかった。
敏樹は集落の長であるグロウの家を目指して歩いた。
ここ数日で随分と打ち解けたはずの住人から、何故かこの日は剣呑な視線を向けられることが多かった。
「ああ、トシキ殿……」
グロウの家の前には息子のゴラウが立っていた。
彼は特に剣呑な態度を見せなかったが、しかしかなり憔悴しているようだった。
「父さん、トシキ殿が――」
「通せ!!」
なにやら刺々しい叫びが、扉の向こうから聞こえてきた。
「あの、トシキ殿、どうぞ」
「ああ、うん」
グロウの家の中には10人ほどの水精人がおり、その半数ほどが敵意むき出しの視線を向けていた。
残りは戸惑っていたり、申し訳なさそうにしていたりという具合だ。
よく見れば、敵意を持っているのはここ数日あまり交流のなかった者たちだということがわかった。
中央奥に座るグロウだけは、無表情のまま鋭い視線を向けていた。
「皆、すまんがトシキと2人ににしてくれんか?」
問いかけではあるが、その口調は命令と言ってよかった。
何人かは異を唱えようとしたが、グロウの視線で抑え込まれ、渋々と言った感じで応じ、家の中には敏樹とグロウの2人だけになった。
全員が家を出たのを見計らい、グロウが立ち上がった。
そして敏樹の近くまで歩み寄ると、その場で膝をついて頭を垂れた。
「頼む……。ロロアを……、孫娘を助けてやってくれ……!!」
外に漏れないよう押し殺した声で、しかし悲痛な叫びとしてグロウは敏樹に訴えた。
**********
精人は人よりも優れた能力を有している。
身体能力は人類随一の獣人に勝り、魔法に関してもエルフを遥かに上回る使い手である。
だが、精人は人類に勝てない。
まず第一に数である。
精人は人間に比べで数が圧倒的に少ない。
次に技術。
人は身体能力の差を、高い技術力によって開発・生産された武器や防具で埋めることが出来る。
そして魔術。
例えば敏樹が使っていた『炎矢』
あれを魔法で再現しようとすると、十倍以上の魔力を消費しなくてはならない。
魔法に比べて十倍、下手をすれば百倍以上も効率化され、かつ誰でも習得でき、誰が使っても効果がさほど変わらない。
それが魔術である。
数と技術と魔術で圧倒されれば、精人に為す術はない。
しかしそれでも人類は精人を敬い、友好的な交流を続けていた。
この水精人の集落も、つい少し前までは、近くの街へ酒や米を卸し、人の街からも行商人が訪れ、互いに交流を図りながら豊かな生活を送っていたのだ。
しかしある時、交易路となっていた街道に山賊が現れた。
森の野狼と名乗るその山賊団は、人間も精人も構わず襲った。
やがて交易が途絶えると、今度は精人の集落を襲うようになった。
街を襲えば官憲や軍が現れるからであろう。
水精人の皮は工芸品や防具の素材として優れ、精石は魔石に比べて魔力密度が高く、また身体能力と希少価値が高い彼らは奴隷としても有能なので、水精人1人で100人からなる山賊団がひと月は暮らしていけるだけの利益を得ることが出来た。
そこで森の野狼は、月に一度のペースで数人の水精人を連れ去っていたのだった。
連れ去られた水精人は奴隷として死ぬまで使い潰され、死ねば素材として売られるのである。
「なるほど、野狼ね……」
最初に敏樹が訪れた時のヒトに対する敵愾心はここに起因していたようである。
これまでロロアが山賊団に目をつけられなかったのは、顔をすべて隠していたからであった。
しかし、ここ最近は顔を覆う布を外していることが多く、たまたま徴収に来ていた山賊の目に止まり、連れ去られたのだった。
今回は定期徴収ではなく、臨時で来た者だったので、連れて行かれたのはロロア1人。
もともと集落内であまり好まれていなかった唯一の獣人であるだけに、彼女を助けようなどと言い出す者はこの集落にはいない。
無論、長であるグロウとてそんなことは言えないだろう。
ロロアに限らず、連れ去られたものを助けるというのなら、これまで家族を捧げてきた者たちが黙っておるまい。
「ロロアを助けたら、そのままここには戻らず街へ逃げてくれ」
「いや、それは……」
「頼む!! 儂は長という立場のせいで、あの娘に……、孫娘であるあの娘になにもしてやれなんだ……」
それは懺悔のような言葉だった。
「40年……!! 40年もの間、儂はあの娘をここに縛り付けていたのだ。しかし、獣人とはいえロロアは水精人の因子を持っておるから、まだまだ人生は長い。だから頼む!! 幸せにしてやってくれなどとは言わん。ただ、自由になるための手助けをしてやってくれ……!!」
「そんな気合い入れて頼まなくても、ちゃんと助けますから。とりあえず頭を上げてください」
敏樹はこの時点で<情報閲覧>を使い、ロロアの無事を確認している。
まだしばらくの猶予はありそうなので、とある協力を依頼することにした。
「すまん……、恩に着る。よそ者のお主にこんなことを頼むなど、お門違いだとはわかっているのだが」
「まぁ、でも、いずれここから出すつもりではあったんですよね?」
「それは……」
「だから大陸共通語を学ばせていたのでは?」
「む……、バレておったか」
「そりゃまぁ。一生ここで暮らすんなら、別に覚える必要もないことですし」
「……あの娘の言葉は、変じゃないだろうか?」
「問題ないですよ」
「そうか……」
敏樹の言葉に、グロウが微笑んだように見えた。
トカゲ頭は表情が読みづらいので何とも言えないが。
「ああ、そうだ。ひとつだけ確認が」
「なんだ?」
「山賊団、潰してしまってもいいんですよね?」
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