第7話『おっさんとロロア』
「トシキ、サマ。ドウゾ、ナカヘ」
「えっと、お邪魔します」
敏樹は招かれるまま、ロロアのテントに入った。
テントと行っても支柱や骨組みはしっかりとしており、広さは10畳程度、高さも一番高い所で2メートルほどはあるので、住居として特に問題はなかった。
中にはカンテラのような照明器具があり、以外に明るかった。
地面には継ぎ接ぎされた大きな革のラグマットが敷いてあり、ロロアがその前でサンダルのような履物を脱いでいたので、敏樹もそれに倣って靴を脱いだ。
その様子を見て、ロロアは少し安心したような態度を見せた。
「ドウゾ」
と出されたのは、グロウの家で用意されたような革のマットではなく、薄い袋状に縫製した革の中に藁を詰めてクッション性をもたせた座布団のようなものだった。
米を栽培していると言っていたので、藁を手に入れるのは容易なのだろう。
「ナニカ、ヨウジ、アリマス?」
座布団に座った敏樹にロロアが問いかけた。
「えーっと、そうだなぁ。ヒトの言葉って、喋れる? 大陸共通語とか」
「はい。大丈夫です」
随分と流暢な喋り方になった。
<言語理解>を持つ敏樹には、どんな言葉も日本語に聞こえるのだが、口調や訛まで再現されてしまう。
ロロアの顔は布に覆われて見えないが、その形はヒトに近いように見える。
もしヒトの言語を喋れるのであれば、そちらのほうがいいのだろう。
「じゃあ、俺と話す時はそっちでお願い」
「わかりました」
ロロアはフードで顔を隠すように俯いていた。
どうやら見られたくなさそうなので、敏樹もあまりそちらに目を向けようとはしなかった。
「お食事はどうしますか?」
「ん? そういや酒しか飲んでないな」
ろくに食事も取らず、度数の高い酒を飲んでいた敏樹だったが、全く酔う気配がなかった。
実は酒酔い状態というのはバッドステータスに相当するので、<無病息災>により無効化されているのである。
特に酒好きではない敏樹にとって、いくら飲んも酔わないというのは案外メリットであった。
「簡単なもので良ければ用意しますけど?」
「じゃあお願い」
ロロアの手を煩わせるのもどうかと思わないでもないが、せっかくなのでこちらの世界の料理を味わってみたいと思い、お願いすることにした。
「ちょっと待っててくださいね」
そう言い残し、ロロアはテントを出た。
たしかテントの近くに小さな
おそらくそこで簡単な料理をするのだろう。
「残り物を温め直したもので申し訳ありませんが」
と、ロロアが木製のトレイに載せて運んできたのは、小さな土鍋のようなものだった。
フタを開けると、そこには茶色いお
見た目はいまいちだが、鼻をつく香りは悪くない。
「これは?」
「お粥です」
どうやら見た目通りお粥らしい。
土鍋の他には陶器の小瓶と、水の満たされたコップと、木製のスプーンが載っていた。
まずは水を飲む。
「美味っ!!」
ただの水だというのに、なんともいえずまろやかな口当たりの、そしてさっぱりとした喉越しの、なんとも言えない飲み心地だった。
「ふふ。水精人の皆さんが魔法で作った水ですから」
ロロアは少し嬉しそうに言った。
続けて、お粥を口にした。
見たところ玄米粥であり、ドロドロに柔らかくなった米の食感と、プチプチとした玄米特有の食感とが混ざっており、舌触りは悪くない。
塩がしっかりと効いているが、塩以外の調味料も、どことなく馴染みのあるものだった。
少し苦味とクセのある風味だが、味は上々だ。
「これも、美味いね」
「よかった……。この集落でまともに食事をするのは私だけだから」
先ほどからロロアの口調が少し気安いのは、敬語をあまり習得できていないからである。
人によっては無礼に感じるかもしれないが、敏樹にしてみれば距離が近づいたようで、居心地は格段に良くなった。
先ほどから気になる言葉がちらほらあるが、敏樹は先に食事を済ませることにした。
今度は陶器の小瓶を手に取る。
小瓶には木製の栓で閉じられていた。
「これは?」
「ゴブリンソースです。味を整えるのに使ってください」
小瓶の栓を取って匂いを嗅いでみる。
「醤油……?」
ほのかに漂う香りは醤油のそれに近いが、それ以外にも少しクセのある匂いが混じっている。
食肉として好まれるオーク肉と違い、ゴブリンの肉は臭みがある上に硬いので、一般的には乾燥させた上で粉砕し、肥料や飼料にされることが多い。
臓物はなおのこと食えたものではなく、食中毒の原因ともなるが、同じく乾燥させて粉砕することで、害獣よけの薬剤となる。
その臓物の中で最も毒性や臭いが強いのが肝臓なのだが、その肝臓を1年ほど食塩に漬け込み、塩を取り除いて
そのゴブリンペーストを湯で溶かせばゴブリンソースになる。
非常にクセの強い調味料だが、この世界では一般的に好まれるものだ。
敏樹の感想としては、苦味と臭みのある醤油といったところか。
ロロアが作った玄米粥には既にゴブリンソースが入っていたが、さらに追加することでより味が濃くなり、深みが出たように感じた。
ただ塩辛いだけでなく、苦味があるおかげで飽きずに食べることが出来た。
「ごちそうさまでした」
ロロアはコップだけを残し、他の食器を一旦テントの外に出した。
そして、水差しを持って再びテントに戻ってきた。
敏樹のすぐ近くにかがみ、空になったコップに水を注いだ後、少し離れた場所に座り直した。
「あ、どうも。ロロアさん、ご飯は?」
「私はもう済ませました。あと、私のことはロロアと呼び捨てにしてください」
「あ、はい、ロロア、ね」
敏樹は少し姿勢を正してロロアに向き直る。
「ねぇ、ロロア。いくつか聞きたいことがあるんだけど」
「なんでしょう?」
敏樹は水の入ったコップを掲げた。
「これ。さっきロロアは”水精人の皆さんが魔法で作った水”って言ったよね?」
「はい」
「じゃあさ、ロロアは水精人じゃないってこと?」
「はい。私は獣人ですから」
この世界には二足歩行で、ある程度の知性や社会性を持った人型の存在が何種か存在する。
まず大別すると、ゴブリンやコボルト、オークのような『魔物』、ヒトやエルフ、ドワーフ、獣人といった『人間』、そしてこの集落にいる水精人のような『精人』の3種となる。
それらの違いだが、体内に魔石を持っているのが『魔物』、何も持っていないのが『人間』、そして体内に精石というものを持っているのが『精人』である。
精人は、『地』『水』『火』『風』各属性を司る精霊に近い存在だと言われている。
「なるほど。じゃあこの集落に人間は……」
「私だけです」
「だから食事をするのがロロアだけなんだ」
体内に魔石を持つ魔物と、精石を持つ精人は、空間にある魔力をその核となる石が取り込み、生命活動に必要なエネルギーに変換するので、食事は不要だ。
ただ、娯楽としての飲食を楽しむことはあり、グロウら水精人にとってのどぶろくがそれに当たる。
また、この世界における獣人だが、『獣の因子を持ち、かつ体内に魔石や精石を持たない者』というのがその定義となる。
そしてここでいう『獣』は『人間以外の生物』であり、それには哺乳類だけに限らず、爬虫類や魚類、鳥類から虫に至るまですべてが『獣』として扱われる。
精人はどの種族も獣の因子を持っている。
一部の獣人は、精人と人間が交わり、精人としての血が薄まったことによって生まれることがある。
実際ロロアの母はこの集落に生まれた精人であり、父はたまたまここを訪れたヒトの冒険家だった。
精人として獣の因子が強く出るかどうか、例えば門番の二人のように、より蜥蜴に近い姿になるか、人に近い姿になるかは運によるところが大きいらしい。
獣の因子が強く出ている者どうしが交わったほうが、より強い因子を持つ子が生まれやすいということはもちろんあるが、絶対ではない。
そして、精人にとっては獣の因子が強く出るほど、気高く、強く、美しいと言われる。
ロロアの母はどちらかと言うと人に近い姿だったようで、そうするとどうしても集落内で侮られることが多くなる。
そんな中、ロロアの父であるヒトの冒険家と出会い、恋に落ち、駆け落ち同然で集落を出たのだとか。
それから数年後のある日、瀕死の父親が集落を訪れ、グロウに生まれたばかりのロロアを預けて事切れた。
精人として獣の因子が弱かった母と、獣の因子を一切持たないヒトの冒険家であった父の間から生まれたロロアは、精石を持たない獣人としてこの世に生を受けた。
以来およそ40年の時を、腫れ物のように扱われならこの集落で過ごしてきたらしい。
話し相手に飢えていたのか、最初は遠慮がちに話していたロロアだったが、相槌を打ちながら誘導してやると、色々と話してくれた。
敏樹は今でこそあまり人と関わることのない在宅業務を行っているが、高卒から体を壊して実家に帰るまでの十数年の間、フリーターや派遣として職を転々としており、サポートセンターや営業なども経験していたので、コミュニケーション能力はそれなりにあるのだった。
「いけない。もうこんなに真っ暗……。ごめんなさい、私ばかり話して」
ロロアの家を訪れた時はまだテントの隙間から見える外の様子は夕暮れ時という頃合いだったが、今や完全に夜が更けてしまっている。
「いやいや、楽しかったよ」
「あの、すぐにお休みの準備をしますね。えっと、寝具は私のを――」
「あ、大丈夫。あるから」
敏樹は<
「すごい。《収納》ですか?」
「まぁ、ね。ロロアは魔術は使えないの?」
「魔術は、人の技ですから……」
才能と努力で使えるようになる魔法と異なり、魔術は正式な手順を経て習得する必要がある。
そういった施設や道具がない場所では、魔術を覚えることは出来ないのである。
「私たちも、魔術が使えれば……」
そのつぶやきには悔したと、恨みのようなものが含まれているように感じた敏樹だったが、深くは追求しなかった。
「あのさぁ、なんだったら俺、外にテント立てるけど?」
少し重くなった空気を変えようと、敏樹は意識的に明るい声を出した。
「そんな!! 長に怒られます」
「いや、でも、ねぇ……?」
「やはり、私のような醜い女と同じ場所で、というのは嫌でしょうか? なら私が外で――」
「あー!! 違う違う!! そんなんじゃないって。その、あれだよ。俺、男だよ?」
「それがなにか?」
「襲っちゃうかも」
冗談めかして言ったものの、ロロアの体が発する匂いは女のそれであり、例えローブで姿を隠していようと抑えきれるものではない。
ここで重要なのは容姿云々ではなく、ロロアが女であり、敏樹が男であるということだ。
「ふふ……。私のような者を襲っていただけるのでしたら、喜んで受け入れますよ」
冗談とも本気とも取れないロロアの口調に、敏樹は言葉をつまらせた。
「ごめんなさい。冗談です。でも万が一のことがあっても私は気にしませんし、長も……、私ならそうなってもいいという判断を下したから、トシキさんをここによこしたんだと思います」
「あ、いや、うん。なんか、その……ごめん」
「いえ、気にしないでください」
結局2人は何事もなく朝を迎えた。
大下敏樹、案外腑抜けである。
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