第229話 海の向こうの島国で・空色の宴

西暦864年3月


2億年前の銀河から移住した異星人である高天原族王子、ニギハヤヒは


「長すぎる寿命と強すぎる身体能力を持つ我々がその力を発揮するとたちまち人間社会の均衡を崩してしまう…

だから決してこの島から出てはいけませんよ」


と60年ごとに若返って兄ニニギと自分たち兄弟の元に帰ってくる元女王の祖母、天照が厳に禁じていたことを敢えて破り、祖母が休眠期に入った隙に自分で拵えた帆掛船で海を渡りダブリン島(現アイルランド)と呼ばれる島に漂着した。



砂浜で気を失っていた自分を助けてくれた14才の若き領主、ロバート・ナイジェル・ヴィロンに連れられて彼が治めるマルベリー荘という小さな森で囲まれた集落。


この島で自分は逃げてきたゲルマン人奴隷、マーリンと名乗り、30代半ばくらいの農夫、リーアムが営む農場で働きながら寝起きしてする事にした。


ある日、狩人が巣を取ろうとしてミツバチに刺され過ぎて苦しんでいる処を調合した薬草ですっかり治してしまったのを機に、


ゲルマン人の貴族の家で子弟たちの教育係をしていた知的奴隷マーリン。


とマルベリー荘の中で自分の虚名がひとり歩きしてしまい、住人が怪我や病気をする度呼びつけられ、刃物で付いた傷を酒で洗って針と糸で縫い、咳き込んで苦しむ子供に沸かした鍋の蒸気を吸わせて息を楽にしてあげる手伝いを何度かしている内に、


島の医者より効果の高い彼の癒す力に人びとは彼を、


大陸の知識を持ち込んで来た知恵者の魔法使い、マーリン。


と1200年先まで残る彼の伝説の基礎を作り上げてしまったのだった。


この地に来て10ヶ月になるニギハヤヒは月に一回の頻度で領主ナイジェルの石造りの小さな城に呼び出されて一緒に狩りをしたり、


ボードの中央に王と家臣の人形、四辺に侵略者の人形を立たせ、ボードの片側まで逃がすか、王をつかまえることで勝ちとされたタヴルゲームを食事も忘れる程何度も遊び、

(毎回ニギハヤヒが勝つのでナイジェルがムキになるからだ)


小国の王と異国の奴隷という垣根を越えて同い年の友として打ち解け合ってしまった。


こうして季節は巡り、ダブリン島特有の暗く湿った冬を越えて季節は春。


住人共有の倉庫の検品まで任されるまでになったニギハヤヒは一部の品が半分以上無くなっている事に気づいた。


薬草のウォード(タイセイ)と塩。


どちらも貴重品なので住人たちに聞いてみると女性たちは「知らないよ」と眼に悪戯っぽい光を宿し口をつぐみ各家庭の作業小屋に籠り、男たちは一日の食事を一回にする断食に入り「さあ、知らないな」となんだか苛ついて答える今日この頃。


「…明らかに僕にだけ秘密の何かをやっている。ねえ、僕を取って喰ったりはしないよね?」


とこの日は久しぶりに舟で漁に出て、予想以上に魚が入っていた仕掛け網を引き上げながらニギハヤヒは十八才の漁師の青年、コルムに尋ねるのだった。


「まさか!今さらドルイド(ケルト人の古代信仰、人を生贄に捧げる習慣があった)じゃあるまいし!」


とコルムは赤色のちぢれた髪ごとかぶりをふって一笑に伏した。


ニギハヤヒことマーリンにとって不安な半月はまたたく間に過ぎ、いつものように働き疲れて夕食を摂り、そのまま倒れ込むように寝床に熟睡した翌朝、


「…ねえ、ねえ!マーリン起きて!聖パトリックのお祭りよ!」


と農園主リーアムとエリン夫妻の次女で今年14才になる長女、エーファの…


青く晴れた空の色に染まったドレスとクローバーを編んで作った冠を被ったその姿に原因不明の動悸を覚えた。が、


「今日は聖パトリックのお祭りだから貴方も一緒にお祝いしましょうよ!」


と続いてなだれこんで来たエーファと同じ衣装の近所の娘たちに手を引かれるままニギハヤヒはカソリックのアイルランドの守護聖人、聖パトリックの命日であるこの日をお祝いするために特設の舞台の上でバグパイプやハープを演奏する狩人たちが羽織る肩掛けも、各家庭の窓から吊るされた幾何学模様のタペストリーも、みんなみんな、


晴れた日の青空と同じ色に染まっていた。


「空色は西ローマ帝国(ウェールズあたりか)からキリスト教を伝えに来た聖パトリックの色なのよ」


「聖パトリックは元々お隣の島グレード・ブリテン島の出身なんだけどこの国の海賊に捕られられて六年間羊飼いの奴隷をしてたの」


「ある時『アイルランドにキリスト教を広めなさい』という神の思し召しを聞いて命からがらこの島から脱走して故郷に戻ってガリア(フランス)に渡って修道院に入ったの」


「400年前にローマ教皇(43代ケレスティヌス1世)の命でこの島にやって来てキリスト教を広めたんだけど…彼、他の宣教師と違っていにしえのドルイドの教えを否定しなかったのよ!」


「自分を奴隷としてこき使った人達の国に舞い戻ってキリストによる救済を広めるだなんて変わってるわよね!」


「うん、変わってる。キリストの教えはは所々どうかと思う事もあるんだけどみんな聖パトリックが大好きだからキリスト教徒やってるし、毎年彼の命日であるこの日をみんなお祝いするの!」

 

と銀髪銀目の秀麗な容貌をしたニギハヤヒに娘たち5、6人が群がって口々に聖パトリックの伝承を説明すると、


「だから、神聖ローマ帝国から逃げてきた奴隷のあなたでも今日はこの日を楽しんでいいのよ!」


と近所の年頃の娘たちに半ば強引に舞台に立たされたニギハヤヒは彼女らの父親が奏でる何処か切ないバグパイプの演奏に合わせてぎこちなくステップを踏んで踊り回り、


「いいぜいいぜぇー!下手でもまずやってみる事が肝心だ!マーリンは美男だから何やっても様になる!」


と舞台下でビールの杯を掲げる男たちの歓声を浴びた。


踊り疲れると今度は狩り仲間の少年たちに舞台から引き下ろされ、冬の間に干した獲物の臓物のシチューとハチミツ酒をふるまわれて喉が渇いていたニギハヤヒは口当たりが良く甘い酒をがぶ飲みし、目眩を起こしてテーブルに突っ伏してしまった。


「こおらっ、お前たちミード(ハチミツ酒)は意外と強いんだから飲み慣れてないマーリン酔い潰すんじゃないよっ!」


と羽目を外した子供達を叱る親たちもビールの杯を片手にした説得力の無い姿。


3枚葉のクローバーを父と子と精霊に例えた聖パトリックを讃えて皆クローバーで編んだ冠や首飾りで我が身を飾る空色の衣の人たちの陽気な宴はこの日のお昼過ぎに領主でマルベリー荘の王ナイジェルの、空色の衣に本物の王冠を被った姿に一同はひざまづいて場はしん…と静まり返る。


その光景にことし15の若き王は、


「厳粛にするのはよせよせ!今日は聖パトリックの名のもとに人生を楽しむがいい!」


と手を振ると領民たちは拍手と歓声を上げて彼を出迎え、王自身も重い王冠を従者のディアミドに預けて若者たちの宴席に座り、


若者たちから農作や狩猟の成果、この時代ダブリン島に次々と入植し、島の東端の海岸を牛耳ってしまっている北欧からの移民、ヴァイキングの脅威が迫っていないか。などの近況を


「最近、どう?」


から始まる軽い口調で若者たちの心を開き、


「こっちはイングランドと接しているからまだヴァイキングの郎党は見ていませんね。でも警戒は怠っておりません」


と領地管理の重要な情報から「漁師のコルムの奴、エーファと相思相愛なんだけれどエーファの親父さんが『まだ大人の男になってない奴に娘をやれるか!』って認めてくれないんですよ…」


と若者たちの恋愛事情まで聞き出してしまうのだ。


私と同年代位の少年なのになんという人心掌握に長けたお方か!


(私は1500年生きてるけど)


とニギハヤヒは驚嘆の目でナイジェルを見つめた。その直後、二人の視線は交錯し王は匿っている奴隷の肩を抱いて「すっかりここでの暮らしに慣れたようだな。智慧者の魔法使いマーリンよ、ここのミードは格別に美味だと評判なんだ、飲め飲め!」


とやっぱり酒を勧め、夕方頃には二人は周りの男達と共に酔い潰れて地面に倒れてしまった。


「やれやれ、ゲール人の男たちはどうしてこう飲んだくれなんだろうねえ…」


と酔いが覚めかけた妻たちが祭りの始末がてら夫の両脚を持って我が家に引きずって行く光景の中、一人だけ最初から一滴も飲んでいない王を守る役目の従者、ディアミドが主の体を抱きかかえてから、こっそりとニギハヤヒの衣服の胸元に何かねじ込んでから馬車に乗って城に戻って行った…


翌朝、締め付けるような頭痛と共に二日酔いで目覚めたニギハヤヒは服の胸元に差し込まれた羊皮紙を広げると


10日後の新月の夜、迎えを寄越すので我が城に来られたし。


マルベリー国王 ロバート・ナイジェル・ヴィロン


というヴィロン家の印章である四つ葉のクローバーが隅に押されている国王からの正式な勅書を戴いた。


と気づいたニギハヤヒは二日酔いなどいっぺんに醒めた。慌てて家主のリーアムに勅書を見せると彼も農作業で汚れた手を慌てて衣服で拭ってからゲール語で勅命が書かれたその羊皮紙を手に取り…


「なるほどね、おいマーリン、おまえ相当王様に好かれちまったんだなあ…」


と本気で驚いてニギハヤヒを見つめた。


1日の仕事が終わり、日が沈む前にリーアムの妻エリンはニギハヤヒは納屋の大桶を沸かした湯を入れた、急ごしらえの浴槽に入るよう指示された。


「正式謁見なんだから体を清めて用意した服に着替えるんだよ!」


と言われ、とっておきの香油で頭皮と髪を揉んで汚れを取り、数種類の香草を入れた湯で体を丁寧に洗い、浴槽から出ると籠の中には昨日の祭りの衣装で余ったウォードと塩で染めた空色の布地で上着とズボンが用意されていた。


これは王からの呼び出しを知らされたエリンが急いで縫ったものに違いない。


察したニギハヤヒは感謝しつつ柔らかい綿の衣服に身を包み、洗い髪を丁寧に束ねて待っていると夜の9時過ぎ、馬車に乗って迎えに来たディアミドがすっかり見違えた少年の姿を見るなり、


「素晴らしい…さすがはこの君、ですな」


と滅多に笑わない四十がらみの従者は顎髭に手をやり一瞬だけ笑顔をひらめかせた。


ディアミド…「この君」って確かに言った⁉︎


いいや、自分が他民族の王子だってここの人たちは一切漏らしていない。

馬車の中で不安に駆られながらニギハヤヒは押し黙っていた。


新月の夜、森の一番奥の木々の中に隠れるように石で作られた城塞、マルベリー城は佇んでいた。


「まあそんなに怖がらなくていい。我が主と領民たちは一年近い暮らしで貴方を信用して良い相手だと心を許したから月に一回だけの秘密の会合に貴方を招待したんだ」


闇夜に秘密の会合だなんてますます怪しいではないか。高天原族特有の能力でニギハヤヒも人の心は読める。一年前から出会った人々全ての心を読んできたけれども皆、穏やかな気性の小国の領民で後ろ暗い秘密を持っている人など居なかった。


…いや、もしやたばかられたのは私の方か?


「この星の西の果てに何処の宇宙から来たかも解らない特殊な力を持つ少数民族が隠れ住んでいる。シッダールタ坊や(ブッダのことだ)が『観音族』と名付けて現世での救済を手伝わせているその一族だけには気をつけなさい。私達高天原族の読心が効かないから」


と生まれ故郷の日の本から出航する直前、大叔父ツクヨミが忠告してくれた観音族って…


燭台を掲げるディアミドの案内で城の入り口から真っ直ぐ続く廊下を歩き、謁見室に通されると


「室内を照らせ」

と召使に命じたディアミドの一声でたちまち部屋の壁にランプが掛けられ、


急にまばゆくなった視界に飛び込んだ光景は玉座で重そうな王冠に少し顔を顰めるナイジェルはじめ、従者ディアミド、友達だと思っていた漁師のコルムら16、7人の大人と少年少女が室内に集まっていて—


皆…皆が茶色、赤色、オレンジと白のストライプに染まった長髪を宙にたなびかせて顔に白い産毛を生やし、紅い瞳で自分に注目するマルベリー荘の人々だった。  


「その通り!極東から来た勇敢な王子ニギハヤヒよ。…いや、『この星の外』から来たと言った方が正しかったかな?一年近く君に黙っていて本当に悪かったね。なにしろ僕たちも異形の少数民族なもので警戒心が強いんだ」


息を呑むニギハヤヒに向かって赤と白のストライプの長髪をたなびかせるナイジェルは悪戯っぽく笑い、玉座から立ち上がってやっぱり煩わしそうに王冠を取ってニギハヤヒに握手を求めた。



宇宙最強の戦闘民族、高天原族と宇宙最強の超能力民族、観音族が初めて正体を明かし合ったのだ。


9世紀半ばの新月の夜。海の向こうの島国で親愛なる友と邂逅。


宇宙民族学者 ニギハヤヒ・アメノオトヒコ








 













































































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