第228話 海の向こうの島国で・極東から来た王子

遥か昔、スサノオの娘ウカヒメは智持の二番目の子を取り上げた。


「さあさ、抱いてあげて下さい智持さま。賢そうな男子おのこですよ」


とこれまで千人以上の赤子を取り上げ、母親に赤子を抱かせるウカヒメも肉体的には80代となり、かつての美しさを残したまま顔中に皺を刻んでいた。


生まれた男児は「心身とも強い子に育つように」という父オシホミミの願いを込めて高天原語で


ニギハヤヒ


と名付けられた。


ヒトの大人の三倍ほどの大きさの白い狐が我が懐にウカヒメを抱いて温め、懸命に舐め続けている。


それは八岐大蛇が跋扈していた時代から生き続けてきた九尾の狐、葛葉が我が主の死を自分なりにのやり方で留めようとしているのだ。


葛葉の唾液でびしょ濡れになったウカヒメは三百年連れ添った相棒の顎を撫で、


「…もう、何もしなくてもいいから」と皺の寄った顔で力無く笑い、「ニニギ様とニギハヤヒ様の事を頼むわね」と言い残して目を閉じ、そのまま眠るように息絶えた。



「ウカさま…今度はいつ起きますか?ウカさまぁ…」


とウカの体に白狐の大粒の涙が流れ、それは一粒ごとに器で水をかけるように目覚めぬ主の顔を濡らし続けた。


紅い瞳からあんなにも美しい涙が零れ落ちるなんて…


それは天孫ニニギの200歳年下(地球人年齢で二歳)の弟、ニギハヤヒの最初の記憶。



「おい!生きてるのか⁉︎しっかりしろ!」

と何度も水をぶっ掛けられてニギハヤヒは意識を取り戻した。


目を開けると自分の周りには秋の紅葉に近い赤い髪と茶色の瞳をした男たちが良かった、生きてた!


と表情を緩める屈強な男たちの中から飛び出して来た一人が


「お前、髪と目の色からしてゲルマン人か?こんな孤島に漂着とは逃げて来た奴隷なんだろ?」


と布を被せてくれた。丁度自分と同じ年頃の14、5才位の少年だった。


どうやら彼らは自分の胸の渦巻状の痣を見て刺青を入れられた奴隷。と判断したようだ。


ニギハヤヒは自分で拵えた帆掛船が三ヶ月かけて大きな海を渡り、やっと何処かの陸地に漂着した事だけは理解した。


砂浜の方を振り返ると木造の船は漂着前の大波でばらばらになっていた。


「ちょうどこれから馬車で故郷に向かう処だ。まずは着替えて水を飲んで休め。パンは少しずつ齧れよ。飢えた奴がっつくとすぐ死んでしまうから」


少年の指図で4人の男たちはてきぱきとニギハヤヒに服を着せ、水の入った皮袋とパンを渡して馬車の荷台に乗せてくれた。



相手の勘違いを好都合と捉えたニギハヤヒはごとごと揺れる荷台の中で硬いパンを齧り、口に含んだ水で柔らかくしてから少しずつ飲み下して行く道中、助けてくれた少年と二言三言言葉を交わした。


「僕の名はナイジェル。僕たちゲール人(ケルト人の一派)の英雄の名前さ!君の名は?」


先程の男達の会話でこの地の言葉を習得したニギハヤヒは自分が長いこと憧れて超えて来たものから


「僕の名はマーリン(海)」


と名乗ることにした。


西暦862年。


アイルランド島東端の首都ダブリンから島の西端の領地まであと少し、という所の海岸で高天原族の王弟ニギハヤヒと当時のコナハトの一地域(現メイヨー県あたり)の若き領主ロバート・ナイジェル・ヴィロンは出会った。


「さあさあマーリン、しっかりお食べ!」


馬車から降りてまずはナイジェルの領地マルベリー荘のとある農家に連れてこられ、湯気の立つ豚の血の腸詰め(ブラッドソーセージ)を目の前にでん!と置かれた時はさすがに


私に血の煮こごりを食えというのか⁉︎


と面食らったニギハヤヒだが、


「うちの領主さまはあたしら農奴から食い物をあまり取り上げないお優しいお方なのさ」


という農婦の言葉を受けて有り難く頂くことにした。両端を持って一口齧り付くと完全に火を通してあるので生臭くなく、こってりとした奥深い味わいに思わず「美味しい」と唸ってしまった。


だろー?と農家の夫婦は得意顔をし、

「もし、うちの農場で働いてくれるのならここで寝起きしてもいいし、訳ありなら匿ってやれ。との領主さまの仰せさ。どうするね?」


「やります、ここで働かせていただきます」


と二つ返事でニギハヤヒはリーアムとエリン夫妻が営む農場に身を寄せる事となった。


季節は初夏、まず朝は早く起きて牛や豚に餌をやり、野原には高天原族の好物である新鮮なベリーがたわわに実っている。


それらを籠に摘んで採集しながらつまみ食いし、口中に広がる甘みを楽しみながら自分はなんといい人たちに巡り合った事だろう…


と海路の旅の途中襲って来たヴァイキング30人全員を櫂一本で気絶させる大立ち回りをしたり、寒さで凍えそうになったら海岸のアザラシを狩り、獲物の腹の中で暖を取った過酷な旅を思い返した。


「俺は龍族だからひとっ飛びで海を越え、この星の隅々まで見て来たけど…この島から出るのはあまり関心しないな」


と育ての親の一人で釣りの師匠でもあるコトシロヌシは「争い絶えず人々の心の安寧少ない外国になんて憧れるな」と釣り糸を垂れながら度々忠告してきた。


が、智持ゆずりの頭脳とオシホミミゆずりの好奇心を持つこの子が探究心を抑えられずいつか自ら旅立ってしまうだろう…


全ては自分の目で見て確かめるがいいさ。


と強引に止めようともしなかった。



コトシロヌシの兄者よ。外国とつくにの人々の暮らしはそう悪いものではないですよ…


と過去にゲルマン人に伐採され尽くした地に再び木を植え、森を作ったここマルベリー荘の領民は気性は明るいがとんでもない秘密を隠している事を間も無くニギハヤヒは知ることとなる…



















































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