第170話 パンドラ4

リュ・ワンフェイ宇宙飛行士43才、天体物理学者。


中国系アメリカ人の彼はれっきとしたNASAの民間宇宙飛行士であり、今年8月末に一年半の国際宇宙ステーションでのミッションを終えて無事地上に帰還した。


が…

「ワンフェイ、残念ながら君に次の地球外でのミッションは無いよ」


と上司に呼び出されてにこやかに戦力外通告された。いわゆるリストラである。


「な、何故ですか!?ミッション中の私にミスは無かったはずです。データの取り扱いは慎重な方だし、クルーとの関係も円滑にするよう努めてきた。それなのに」


上司は無言で手元のICレコーダーの再生ボタンを押し、


「私は無神論者だ。だが、私は天使を目撃した!」


と言うワンフェイ自身の音声を流すと、


「非常に残念だが、ミッション中に幻覚症状を訴えた君を宇宙に出すことは出来ない。悪いが、これは厳然としたNASAのルールなんだ」とでかい鼻の上に乗っている老眼鏡をずり上げながら宣言し、


「ワンフェイ、君には選択肢が無数にある。今は家族の元で心身癒すことだね」

と背を向けてからもう行っていい。と手をひらつかせて合図した。



「不思議なことに、私もその時対話したオペレーターも当時の記憶が無いんです。子供の頃から夢見て努力し続けてやっと勝ち残って得たキャリアをたった一言の妄言で失ってしまったんだ!

二か月の地上生活回復トレーニング中、ランニングマシーンの上で私は泣いた…」


と焼き立てのエッグタルトを一気に12個ほおばって咀嚼し、それをコーヒーで流し込んで「うまい!」と叫んでからカウンターに突っ伏し、しばらく絶望と無念とやるせなさを坩堝るつぼに突っ込んで濃縮したような憤懣やる方の無い嗚咽を数分間洩らした。


それを隣で見ていたウリエルは


あ、ヒューストンの音声データを消すの忘れてた。


と日本時間で2013年8月8日に地球降下した夜のことを思い出し、ワンフェイの身に起こった不幸に少しは済まない事をしたな。と思い、


「まあ米現政権下で宇宙計画を放り出され、民間企業に身売りされて先細る未来が見えているNASAだからな、抜けられて却って良かったのではないか?ワンフェイどの。人生はこれからだ」


と流暢な英語で語りかけ、嘆いている不惑の男を慰めるとワンフェイは顔を上げて失敬、と糊の効いたハンカチで涙と鼻水を拭うと急に晴れやかな顔になり「ありがとう若者、よく考えてみるとそうだな」とウリエルに強くハグした。

「若者、名は?」

「ウ、ウリエル・マッケンジー…」


第一時的接触、つまりアメリカ式のハグに慣れていないウリエルは身を強張らせておっさんの抱き付きに耐えた。


うっわ、情緒不安定なおっさんがやってきたな。


とワンフェイの愚痴を興味深げに聞いていた聡介は、俺30過ぎたけどさ、

10年後こんなおっさんにはになりたくねえな。と硬直する大天使とリストラされた元宇宙飛行士の抱擁から顔をそむけた。


落ち着きを取り戻したワンフェイはスーツのポケットから悟の兄の名刺を取り出して、悟の目の前で裏返した見せた。裏面には手書きの英語でメモされたこの店の連絡先と、


どぶROCKのケール青汁割り高麗人参カクテル


という味を想像するだけでも鳥肌が立つこの店の裏メニューが書かれている。


「どうにも解決出来そうもない困りごとが起こったら、この店で裏メニューを注文すればいい。と昨日、君のお兄さんのもときくんがくれたんだ」


名刺を受け取った悟は確かに兄の字だ、と確認すると


「『深刻な悩みを抱えたお客様』リュ・ワンフェイ様、オーダー承りました。ご相談の内容は?」ときららにうなずいて合図し、窓のカーテンを全部閉め、店の扉に「貸切中」の札を掛けて鍵を閉めさせた。


ワンフェイは店内にいる若者たちを怪訝そうに見回してえへん!と咳払いをする。


「人払いの必要はありません。皆、一緒に問題を解決する僕の仲間ですから」


と紹介された途端、店内の若者つまり世を忍ぶ戦隊メンバーたちは襟を直したり髪をかき上げたりと各々のポーズでカッコつけた。

きららなぞは何処で覚えたのか椅子の上でわざと両足を組み替える「氷の微笑」ポーズを取ったがそれはミニスカート履いたノーパンのお姉さんがやるから効果てきめんなのであって、

サロペットジーンズ履いた小娘がやっても何の意味もない。


え…この平均年齢20代の若者たちが当局が放棄した事件を解決してくれる。だって!?


大丈夫なのか?…でももうなりふり構ってはいられないんだ!

意を決してワンフェイは顔を上げ、悟に向かって事件のあらましを語り始めた。


「甥の浩然ハオラン、20才。姉の三男だ」

と、カウンターの上に置かれた写真の少年は

年のころは16、7くらいであろうか、背広姿ではにかんだ笑顔の開いた口から歯の矯正器具が覗くのが愛嬌を感じさせる。目、鼻、唇のパーツが大きな顔つきはワンフェイに似ている。

「二年前からスタンフォードで学んでいて、ひとつき前から行方不明だ。


教授に同行してシンガポールの学会に参加し、チャンギ空港内で姿を消した。最初はシンガポール当局も必死になって捜索してくれた。ように思えたんだが、つい一週間前捜索が打ち切られた。『どうやらハオラン君は亡くなったようです』と甥がはめていた指輪だけが返された」


と、小さなポリ袋に入った金の指輪を懐から取り出し、ワンフェイはそれを写真の横に置いた。


「亡くなった『ようです』って、そりゃなんなんだべ!?捜索やる気ねーのか当局?てめーらも自分の子が失踪したら正気じゃいられねーだろ?って話だべ、ああん?」


と隆文がエプロンの腰紐をぶち切って本気で怒り、「宇宙飛行士のおっさん、甥御さんはぜーったいおらたちが助けて見せるべっ!」


たワンフェイの両手を強く握りしめ上下にぶんぶん振り回した。


「頼みます、これは劉一族の総意だ」

とワンフェイは改めて頭を下げ、ハオラン君の情報を入れたUSBを悟に渡すとタクシーで宿泊しているホテルに戻った。


「あの劉一族の力をもってしても手掛かりひとつ掴めないなんておかしい…当局に何らかの圧力が掛かっているに違いない」


「あの劉一族ってなんなんですかあ?ワンフェイさんってどっかのセレブなの?」


「リュウチェン、って中華料理のチェーン店知ってる?」


と店のノートPCを開いて琢磨がグルメサイトを開いてリュウチェンの紹介ページをきららを見せてあげた。


「あ、このお店なら時々グルメサイトで見かけます。へー、世界中に支店があるんだー」


美味しそうだなあ。でも、ホテルの中にあるようなお店だからあたしには敷居が高いなあ、と自分の懐事情を思い、目を伏せるきららであった。


「そうなんだ。ヘルシーな中華料理のデリバリーサービスがNYのビジネスマンに受け、お客様の要望に合わせて支店を増やしていく内にリュウチェン・レストラングループという一大フランチャイズチェーンに化けた。

まーさーにアメリカンドリーム。

ワンフェイさんはそこの経営者一族のお坊っちゃま、ってわけ」


ふーん、さっきタクシーで向かった先のホテルはグランドハイアットとか帝国ホテルとかニューオークラとかなんだろうなー。ときららは名前しか知らないホテルをいくつか思い浮かべてみた。


「そして、今度健康的な中華と黒烏龍茶のコラボの企画がリュウチェングループと勝沼フーズで進行中でさあ、兄さんとしても劉一族に恩を売ってこのプロジェクトを成功させたい訳」


「じゃあ何かよ?お前の兄ちゃんがワンフェイさんに相談されて…じゃあ俺たち戦隊貸してあげます。って請け合っちまったって訳か!?お前もだけど勝沼家の人間って骨の髄まで商人あきんど…」


ビジネスランチ中の取引話のノリで我らが戦隊スイハンジャーの任務が決まってしまったのか。


と聡介は呆れ果てて悟を睨んだが悟に「でも、人命がかかってるんだよ。とっくに国際問題になっててもおかしくない事件が何らかの圧力で揉み消されそうになってるんだよ。非合法のかたまりの僕たちの力が必要じゃないか」と正論言われてしまっては何も言い返せないではないか!


「じゃあ俺たちシンガポールに飛ばなきゃなんないの?このテレポート装置で海外まで行けるのか松五郎に確認しなきゃいかんの?」

と聡介は右手首にはめているバングルを叩くと

「君のバングルは弟のミカエルが作ったものだからもっと遠くまで行けるよ」とすかさずルシフェルが口を挟み、可愛らしい笑みを浮かべた。


「へー、もっと遠くー?じゃあ交通費浮きまくりだわー。って、地球外まで行けるんかーい!?」

とノリツッコミする戦闘能力最強設定イケメンに向けて店内にいる全員が、


この人、見た目は外人だけれどもうおっさんだ。と冷ややかな目線を送った。


「シンガポールで消えたからってシンガポールにいるとは限りませんよ。拉致されて他国に監禁されているかもしれないし、最悪のケースも想定しないと」


と言って琢磨が店のノートパソコンにUSBを差し込むと、ハオラン君の経歴や家族、大学での関係者の写真、シンガポールで学友たちとはしゃぐ動画などが次々と画面上に映し出される。


「例えば僕が犯人だったら、の思考法ですが」


と琢磨はつとめて平静な口調でキーボードをタイピングしながら話し続ける。


「ハオランを拉致してどんなメリットがあるのか?

資産家の子息なので身代金目的の誘拐?でも犯人からの要求はなし。金では無いですね。政府要人の親戚もいないから水面下で政治的取引の材料に使われている線も薄い、と。残るはハオラン君の自身の能力です。

へえー、飛び級でハイスクール卒業してスタンフォード大学入ったんだ。優秀ですね。しかし専攻は環境科学…ロケット工学や原子物理学でもないし」



「環境科学、つながっているかもしれない」


と呟いた悟に皆が注視したが、


「もう肚に貯めていること吐いちまえよ、たとえそれがそれがどんな不快なことでもさ」


とその両肩に手を置いてほぐしたのはこの時間から宿の夜勤に入るタツミだった、その隣ではタツミの妻ウズメが


「せやせやサトルちゃん。あんたら、しゃもじ握った時から何度も覚悟したんちゃうんかい?」


と肩に担いだ食材入りの段ボールをどっさ!と凄い音を立てて調理台に置くと「もう、るーちゃん久しぶりー!!!」とルシフェルに抱き付いて頬ずりを始めた。


「パパー、ママー、久しぶりー!」とルシフェル、ウズメの胸の谷間に顔を埋めてきららの時より甘えている。


「え、タツミさんとウズメさんって…この子の親?」と指さす隆文に


「んな訳ないやん、るーちゃんの方が遥かに年上なんやから養子に決まってるやん」と冷静に返すウズメであった。


「…こないだの潜入捜査の結果なんだがね」自ら淹れたコーヒーを一口飲んでから悟はズボンのポケットから出した紙片をカウンターの上に置いて皆に見せた。


蔡福明と検体Aの血縁関係は遺伝子上「またいとこ」であり。99.9999%観音族であると鑑定する。


鑑定者 貴那古きなこ



「蔡福明?中国のIT長者でSNSで時々成金っぷりを見せて時々炎上しているバカセレブねーべか。こいつが観音族でプラトンの嘆きの幹部ぅ!?」



と隆文がノートPCの画面に映る蔡福明の笑顔に向けて吐き棄てた口ぶりには


リア充、絶対許さぬ!


という分かりやすいひがみがこもっていた。

「確かにバカセレブだけれどネットバンキングのシステム立ち上げたのアジアのベンチャー企業で一番成功している男だよ。ついでに言うと僕の友人でもある。


船上パーティーで二人っきりになった時、もうすぐやって来るおぞましい未来の話を聞いた」



ねえサトルくん、世界人口は70億を超えたね


ああ、福明。日本の人口は減少するばかりだけどね


資源の無い日本ではこれから先大変だね


バイオマス、オーランチオキトリウム、メタンハイグレードなどとマスコミは煽っているけどね、実用化まで研究を続けるお金が無くて頓挫するだろう、ってのが僕の考えだ。


僕も同じ考えだよサトル。…ねえサトルくん。見方を変えればこの地球には場所によって無尽蔵に増え続けて、現実的に世界中が持て余していて、内心まとめて消えればいいのに。と思っている有機燃料の存在に気づいたんだ。


福明、それは…


生きる目的も価値も無い、酸素を吸って飯を喰らうだけの有機体を資源化するのが最も効率的なんじゃないか?


それは、ヒトの有機燃料化。人を取って人を喰らう最もおぞましい未来の形。


福明、君は酔い過ぎてうわ言を言った。そういうことにしておくよ。


と言って悟は足早にその場を立ち去ったが、


「あの時は喉に蕁麻疹が出来たような気持ち悪さで何か吐き出したい気分になった。すぐトイレに行ってそれを実行したけどね」


と仲間たちに告白した悟は、「顔色悪いべ、勝沼さん」と隆文に差し出されたペットボトルの水を一気に飲み干した。


まさかすでに実行してはいないだろうな?蔡福明さいふくめい









































































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