第171話 役白専女1

中学教師、七城正嗣は学校の帰りに温泉ドームの浴槽にあごまで浸かり、凝った筋肉が湯の中でほぐれていくのを感じて、


うん日常捨てたな。


と自覚するまで大浴場、サウナ、水風呂、ジェットバス、露天風呂を二巡する。それが週に1~2回の彼のストレス解消のひとときである。


気分よく鼻歌歌いながら軽自動車を運転して、自宅である泰安寺の駐車場に3台の原付を見つけた時、


夜9時なのに何事か?と思って車を停め、玄関に入ると並べられたスニーカーが三足。サイズ的に中高生といったところか。


「父さん、誰かお客さん?」と居間の座卓に父、正義と居候、空海が並び、その前にぎこちなく正座している三人の少年たちを見て、


「あ…本田、松本、荒木?」と正嗣が今年の卒業生たちだと気づくまで数秒かかった。


だって夏休み前にファミレスで会った時は金髪や茶髪で作業着姿だったのに、三人とも髪を黒く染め直してセーターにジーンズと印象がらりと変わってるんだもん!


こうして見るとこの子達まだ16だったんだなあ。


と正嗣はしみじみと思った。


「藤崎光彦くん、あの時はからんですいませんでした!」


と三人の若者は畳に手を付いて、正嗣の教え子で、この寺の下宿人である藤崎光彦に、夏休み前にファミレスでカツアゲ未遂した事を謝罪した。


「あー、あの…オレ、ってゆーか僕も受験勉強で忙しくて忘れていた位なので根にもってないし、謝罪は受けます。…はい、で、先輩たちなんでここに来たの?」


と先ほどまで


ヤンキー先輩、突然の来訪


に内心びくついていた光彦は少し緊張を解き、改めて先輩たちに尋ねると、


いいか?せーの、と真ん中の本田くんの合図で一呼吸置いて


「七城先生、僕たち高校に進学したいんですけど…勉強が追い付かなくて正直焦ってます!受験勉強のやり方教えて下さい!」


と三人の卒業生はさっきよりもさらに頭を低くして声を揃えて懇願した。


「まあ、働きながら通う定時制高校には偏差値関係無いし、受験科目も国数英。頑張れば来年の受験に間に合う、と説明したら彼らほっとしてましたよ」


と正嗣は焼酎のお湯割りを飲みながら隣の席の聡介に向かって期間限定の寺子屋開設のあらましを説明した。


「で、お前その三人の勉強見てやる事にしたの?受験生の担任もやってるのに!?

正嗣お前面倒見良すぎ。良すぎて泣けてくるぜ…」


と本気で感心して正嗣に向けて合掌して見せた。


いえ、でもねぇ、と正嗣はグラスを置いて


「あの子たちがうちに相談に来るまでどれだけ悩んだか、と思うとほっとけなくてねえ。


父さんも空海さんも手伝ってくれると言うし…それに、私達にも責任の一端はあるみたいだし」


とそこですうっと細い目をさらに細めて聡介を睨んだ。


「それどゆこと?」


「あの子達が進学諦めて腐ってた自分を変えたい、本気で変わりたい!と思ったきっかけがですねえ、

7月の夜にヒーロー戦隊コスプレしてたバカ二人が原付で跳躍してたのを見て、


『あんな突き抜けたバカ初めて見た。もう今夜限りで半端なバカやめる。って突然思った』んですって!はっはっは。


ねえ…運転手シルバーさん。俺は無関係とは絶対に言わせませんからね!」


と言うと正嗣は聡介の胸ぐらをいきなり掴んだ。


あの7月の夜、Hondaスーパーカブで崖から跳躍して図らずも少年たちの人生観を変えた戦隊ライダーシルバー&グリーンの正体こそこの二人なのだ。


「お前酔ってる?いや、あの、まー数学ならコツを教えてやれるけどさ…同乗者グリーンさん」


「できる範囲で引き受けてやれよお前ら、

人が人としてどう育ち、どんな大人になるかは出会っちまった大人次第なんだぜ」


と店員オッチーが肉じゃがと新米のご飯を正嗣と聡介と、ルシファーの前に並べた。


いっただきまあす!とご飯と肉じゃがを交互に口に放り込んではふはふさせながらルシファーが

「そういうパパも面倒見が良すぎていつの間にか日本初の諜報組織作っちゃったんだよー」


とつるっと口を滑らせたもんだから店内にいた戦隊メンバーたちは今がチャンス!とばかりに一斉にオッチーに詰め寄った。


「さあいい加減話してけれ。

あんたの謎だらけの過去を…なんで役小角がウズメさんと結婚してるーちゃんを養子にして忍びの祖になって不老不死になったんだ?


って聞いてるおらもわけわからん!」


と勝手に迫って質問攻めにし、勝手に頭を抱えるリーダー隆文を愉しげに眺めてから、棚から日本酒「篠峰しのみね(葛城山)」を勝手に出して手酌でコップ一杯飲み干し、皆の顔を確認してから、


「オッケー話してやる。お前ら覚悟はいいかい?」と目に不気味な光を宿らせた。



そろそろ冷えてくるからあいつに毛皮を持っていってやろう…


小角おづぬは夜明け前の暗い山道を霜を含んで冷たくなった落ち葉を蹴散らしながら走り抜ける。


彼は暗闇の中でも山のかたちを把握し自在に動き回り、臭いで人や獣が何処にいるかも解る。


それは山の民、役一族えんのいちぞくが生きるために身につける能力で十八の小角は特に五感も運動能力も優れていた。


日が上る前に我が家に着いて入り口の莚をめくって中を覗くと、家族が夜具の中でぐっすり眠っている。


よし、間に合った…と身をかがめて一歩中に踏み入った瞬間、小角の体は顔から地中の落とし穴に嵌まってしまった。


「やったー、兄さま罠に引っ掛かったー!」


と夜具の中から八才の妹のれいと山で弟分の水輪みなわが鍬を持ってきゃっきゃきゃっきゃはしゃいで落とし穴の周りを跳び跳ねる。


「用心深い子なんだが見事に引っ掛かったねえ…」


「はい、男というのは逢引の帰りに家に入った瞬間、気が緩む生き物ですから」


と小角の母で役一族の長、白専女しらとうめと養育係のおきなは心底呆れた顔で穴の中の小角を見下ろした。


「やい、小角」

白専女は顔を真っ黒にして穴から這い出た息子の胸元に鼻を近づけ、目を閉じながら


「におうよにおう、女の匂い…」


と息子の躰からたちのぼる甘い匂いを鼻腔に吸い込んでからいきなり息子の頬に5,6往復の平手打ちをくらわせた。


「お前が少しずつ食糧をくすねてるのは解ってんだからねっ!

底の方から取ってるから誤魔化せてると思ったかい?

通ってる女に与えてるんだろ!?さあ白状しな」

と胸ぐら掴んで揺する母の迫力に

分かったよ母上…と小角は身をすくめて


「夏の初めから女の元に通ってる。

身寄りがいなくて可哀想なやつなんだ。旨いもの食わせたくて干し肉盗んだことは詫びるよ」


と土まみれのからだで身を屈めて謝した息子に母が言い放ったのは意外な一言だった。


「身寄りがないならなんで連れて来ないんだい?」


「いいのか?」

朝陽が差し込んできたかのように小角の表情はぱあっと輝いた。


小角が女を説得して連れてきたのは翌日の日没前。

女は細身の体には不釣り合いな大きな革袋を背負い、頭から腰まですっぽりと白い布を被っで顔を隠している。訳ありだな、と思った白専女は、


「よくうちの小角についてきてくれたねえ…顔を見せておくれでないかい?」


と優しく声をかけると女は布を取り、中から現れたのは抜けるような肌をした銀髪銀目の美しい女だった。


「ああ、あんた渡来人かい」

と白専女はじめ役一族の人々はさして驚いたふうでもなく、

「さあさ、旅に旅を重ねた生活でお辛かったでしょう」

と手厚く女をもてなしてくれた。


長い間一人きりで生きてきた女にとって人々に受け入れられる。というのはこの国では初めてのことであった。

契った若者、小角と彼の一族を信じてこの地に根を下ろしてみようか?


女は小角の隣に座り、木の器に注がれた濁り酒を飲んで、久方ぶりに一息ついたのだった…

「さて娘さん、あなたの名は?」と問われた女は「ウズメと申します」と笑顔をほころばせた。


その夜更け、

「ね、言ったろう?母上は嫁が渡来人であろうがよそ者であろうが気にしない人だって」

とまとめていた銀髪を垂らしたウズメを抱き寄せて小角が囁いた。


「最初は心の中まで見透すような鋭い目付きで恐かったわ…」


ウズメも甘えて夫の肩に頬を押し付ける。


「母上もずいぶん苦労なすったお方だから。人を見かけでなく心で視るのさ」


そう言って床に寝転んでウズメに腕枕元する小角は


母、役白専女の出自が物部氏の姫で本名は渡都岐比売とときひめであるということ。


実家である物部氏は台頭していた豪族、蘇我氏に攻め滅ぼされたこと。


末娘の彼女は翁に背負われて山中に逃げ延びて役一族の養女になり、


十八の時、一族の女頭領という意味の「白専女」という名を貰って役一族を継いで出雲から来た男、大角おおづぬを婿に迎えて小角と玲を産んだ。


小角が10才の時、父の大角が病で死んでそれから女一人で兄妹と一族を守ってきたのだ。と。

「父上は誰よりも強くて大らかで、山の理や獣の行動、空の動き全て教えてくれた。

俺が人より動きが速くて感覚が鋭いのは父上ゆずりだ。と母上が言ってた」


あんな屈強な人でも、あっけなく病で死ぬんだな…


やがて話すことも無くなって二人とも黙り、深い闇に押し潰されるような沈黙を押し破ったのが


「ねえタツミ」

と夫の本当の名前を呼ぶウズメのささやきだった。

「皆の前ではタツミと呼ばないでくれ。それはいみななんだ」

「イミナって…名乗ってはいけない本名の方ね」


「そう、契った時妻にすると決めたからお前には諱を明かした。

タツミって名も先祖代々伝わる名を縮めたものなんだ」


「本当はなんて名なの?」


「タケミカヅチ」

その名を聞いた瞬間…


重く蓋をしていたウズメの記憶の一部が蘇り、銀髪に銀の瞳の青年、タケミカヅチの自分に向けたひたむきな眼差しが目の前の小角の顔と重なった。


高天原族左騎将軍タケミカヅチ殿…


あなたが私に想いを寄せていたこと、実は気付いておりました。


でも、天照女王への母性をプログラムされた不老不死のヒューマノイドと連れ添って、誰が幸せになるでしょうか?


私は誰よりも天照様を愛する女なんですよ。


結局あなたが生きている間、私はあなたを拒み続けました。

あなたがこの国の娘を娶った時、どれ程安堵したことでしょう。


それが、二千百年の時を越えて。


「あなただったのね…」

ウズメは歓喜にまかせて小角の胸に飛び込み、今、目の前の男を愛する事に決めた。


こうして山の一族の男、タツミと異星人の女アメノウズメは結婚した。


それが全てのはじまりだった。















































































































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