第39話 抱っこ……

自分がエリシャを殺したことが信じ切れず、ルカは醒めない悪夢の中をさまよっているようだった。

よろめく足取りで、歩を進める。

どこへ向かっているのか、自分でもわからなくなっていた。


しんと静まり返った洞穴の中で、かすかな草ずれのような音が聞こえる。

ふと足を止めた。


わずかな音は、背後から届いていた。


なにげなくルカが振り向くと、視線の先には、倒れたきりのエリシャがいる。


ルカは、激しい焦燥にも似た衝動に突き動かされた。

エリシャに駆け寄る。


エリシャはまだ死んではいなかった。


端正な顔がゆがみ、涙を流している。

ささやかな音は、エリシャの泣き声だった。


ルカが、エリシャの泣き顔を見たのは初めてだった。


かすれた声がルカを非難する。


「バカ……どうして戻ってきたの……?」


ルカはエリシャの手を握った。

エリシャの手は、力を失っていた。


「声がきこえたから……」


「ヤダ……カッコ悪いから、見ないでよ……」


浅い息の合間に、エリシャはつぶやく。

身動きもままならず、目だけが、ルカを追った。

すでに死の手がエリシャをつかみ、半ば命はその肉体を離れようとしていた。


「だって……放っておけなかったの!」


まるで自分が死に瀕しているように、ルカは息を荒げた。


かすかに、エリシャが微笑する。


「ガマンできなかったよね……ゴメン……負い目をおわせる気は……なかったのに。

 たった一人……寂しくなって……」


「何か、できることはある?

 なんでもするから……」


苦し気にエリシャは咳き込んだ。

口の端から血が流れる。


うるんだ瞳をルカに向けた。


「抱っこ……」


ルカは糸の切れた人形のようなエリシャの体を抱き上げた。


とぎれとぎれにあえぎながら、エリシャはルカの耳元でささやく。


「ルカ、好き」


呼吸が途絶えた。


「エリシャ!

 死なないで!!」


ルカが声の限りに叫んでも、エリシャの体は微動だにしない。

抱きしめ、触れた肌に伝わるエリシャの体温が、みるみる冷めてゆく。


しかばねを抱きながら、ルカは慟哭した。


どれだけ時間がたったのか、ルカにはわからなくなっていた。


だが、自分の中で何かが決定的に終わってしまったことだけはわかった。


いなくなって初めて知った。

ルカにとって、エリシャは思っていたよりはるかに大事な存在だった。

それを自らの手で殺してしまった。


とりかえしのつかない罪を犯したルカは、救われることのない永遠の咎人なのだ。


これまでルカの骨身に絡みついて離れなかった恐怖が欠落し、代わりに身を切る慙愧がとってかわった。

もはや死ぬまで苦悶から、ルカは逃れることはできないのだった。


ルカは冷たくなったエリシャの身を横たえた。

うっすら開いたエリシャの目を閉じる。

この世の憂いをすべて忘れたかのような、安らかな死に顔だった。


ルカは発作的に床へこぶしをたたきつけた。

岩が砕け、破片を散らす。


ルカは焦燥がにじみ出たせわしない足取りで歩み出した。


エミティノートを拾い上げる。

猫は何も言わず、目を閉じていた。


洞穴の通路を進んだ。


行きどまりには、狭い一室があった。

そこに、ウェイルノートが静かにたたずんでいた。

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