第12話

 僕たちは一泊することなく、その日の夕方の飛行機で、急いで東京へと帰ってきていた。夕方とはいっても、東京に着いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。

 僕たちは、空港から外に出てきた。

「明日香さん。本当に、その人が犯人で間違いないんでしょうか?」

「鞘師警部からのメールの報告と、白川さんの話から考えても、間違いないわね」

 と、明日香さんは言った。

 あのメールは、鞘師警部からだったのか。

「これから、どうしますか?」

「もちろん、事件を終わらせに行くわよ」

「どこにですか?」

「もうすぐ、迎えが来るわよ」

 と、明日香さんは、腕時計を見ながら言った。

「迎えですか? いったい誰が?」

 そのとき、見覚えのある一台の赤い乗用車が、僕たちの目の前に停まった。それは、鞘師警部の車だった。

「さあ、乗りましょう」

 僕たちは、鞘師警部の車に乗り込んだ。

「二人とも、ご苦労様。収穫は、あったみたいだな」

 と、鞘師警部が、運転しながら言った。

「だいたいのところは、飛行機に乗る前に、メールで報告した通りです」

 と、明日香さんが言った。

「そうか、分かった」

「鞘師警部、現場の方は?」

「安心してくれ。ちゃんと、部下に見張らせている。今のところ、目立った動きはないようだ。今のところというか、今日は朝8時前に、コンビニに行っただけだがな」

「そうですか。やっぱり、祝日は休めないというのは嘘だったんですね。動きがないということは、二人とも部屋の中にいる可能性が高いということですね」

「おそらくな」

 と、鞘師警部は、うなずいた。

「あのう……、鞘師警部。どうして、その場所が分かったんですか?」

 と、僕は聞いた。

「ああ、そのことか。昨日、明日香ちゃんから、調べてみてくれと頼まれてから、大家さんに聞いてみたんだ。電話番号だけでなく、勤務先も知っていてくれて、本当に助かったよ」

 なるほど。伊集院さんの、おかげということか。

「それで、実際に、その勤務先に行ってみたんだ。結構、大きな会社だったよ。給料も、私のような警察官よりも、かなり高いだろうな」

 と、鞘師警部は言った。

 そもそも、僕は、鞘師警部のような警察官の給料が、どのくらいの金額なのか知らないのだが。

「そこで、本人に見つからないように、いろいろと聞いてみたんだ。上司の話では、勤務態度は、とても真面目なようだ。ただ、女子社員からは、妹のことを、異常にかわいがっているんじゃないかという話も聞けた」

「異常に――ですか?」

「ああ。妹の話になると、気持ち悪いくらい人が変わるそうだ」

「気持ち悪いって、ひどい言い方ですね」

「明宏君。私が言ったわけじゃないぞ」

 いや、そんなことは分かっている。

「鞘師警部。具体的には、どんな感じなんでしょう?」

 と、明日香さんが聞いた。

「時間の都合上、あまり詳しくは聞けなかったんだが、まるで妹というよりも、恋人という目で見ているんじゃないかということだった」


 僕たちは、空港から30分ほど車で走り、とあるアパートへやって来た。

 真由実さんのアパートと比べると、こっちの方が新しく、家賃も高そうだ。

 見張っていた鞘師警部の部下に、異常がないことを確かめると、僕たちはエレベーターで、最上階に向かった。

「最上階は、二世帯だけなんだが、一世帯は一ヶ月ほど前に引っ越して、空いているそうだ。それも、見つからなかった要因の一つだろうな」

 と、鞘師警部が言った。

 僕たちはエレベーターを降りると、その部屋の前に立った。

「表札が、出ていますね」

 と、明日香さんが言った。

「ああ、そうだな」

 と、鞘師警部が、うなずいた。

「二人とも、準備はいいな? チャイムを、鳴らすぞ。もし、相手が抵抗してきたら、君たちは逃げろ。エレベーターで下りて、私の部下を呼んで来てくれ」

 と、鞘師警部が言った。

「…………」

 僕と明日香さんは、無言で、うなずいた。

 鞘師警部が、チャイムを鳴らした。

 しばらくすると、チェーンを外す音がして、ドアが開いた。

 意外にも、相手は、まったく抵抗することなく、そこに立っていた。

「赤井誠さんですね。私は、警視庁の鞘師です」

 と、鞘師警部は、警察手帳を見せながら言った。

 そこに立っていたのは、真由実さんのお兄さんだった。ここは、真由実さんのお兄さんが住んでいるアパートだった。

「こちらの二人は、ご存じですよね?」

 と、鞘師警部が、僕と明日香さんを指差した。

「…………」

 真由実さんのお兄さんは、無言のまま、うなずいた。

「では、我々が、どうしてここにやって来たのかは、ご想像がつきますよね?」

「――さあ。知らないな」

 と、真由実さんのお兄さんは言った。

「そうですか。分かりました――。明日香ちゃん。あとは、君たちに任せるよ」

 と、鞘師警部は、後ろに下がった。

「どうも、お兄さん。お久しぶりですね――っていうほどでも、ないですか」

「探偵さんが、何の用だよ? 真由実が、見つかったのか?」

「そうですね。その答えは、私たちよりも、お兄さんの方が、よくご存じなんじゃないですか?」

 と、明日香さんは、強い口調で言った。

「どういう意味だよ?」

 真由実さんのお兄さんの表情は、ほとんど変わらなかった。

「真由実さんは、この部屋の中にいると言っているんですよ」

「この部屋の中に?」

「ええ、そうです」

 と、明日香さんは、うなずいた。

「この部屋を、調べさせていただけますか?」

「令状でも、あるのか?」

 と、真由実さんのお兄さんは、鞘師警部に聞いた。

「いいえ。令状は、ありませんね」

 と、鞘師警部は言った。

「それじゃあ、帰ってくれ。どうしても調べたいのなら、令状を持ってこいよ」

 と、真由実さんのお兄さんは、強い口調で言った。

「まあまあ、お兄さん。落ち着いてください」

 と、明日香さんが、冷静に言った。

「俺は、冷静だよ。何か、証拠があるのかよ。真由実が、ここにいるという証拠が」

「証拠ですか――。お兄さん。玄関で立ち話もなんですから、部屋に上がらせてもらっても、よろしいでしょうか?」

 と、明日香さんは、笑顔で言った。

「嫌だね。この階は、どうせ俺だけだから、近所の目もない。ここで話せよ」

 と、真由実さんのお兄さんは、即答した。

 明日香さんの笑顔が通用しないとは、強敵だな――と、思っていたのは、どうやら僕だけのようだった。

 これから、明日香さんが、たたみかけていく。

「そうですか。分かりました。それでは、ここで、お話させていただきます」


「私たちが、お兄さんと初めてお会いしたときです。そこで、不自然なことがありました。お兄さんは、大きなカバンを肩にかけていましたよね?」

 と、明日香さんは、話始めた。

「カバン? かけていたけど、そんなことは関係ないだろう?」

 確かに、真由実さんのお兄さんは、カバンを肩にかけていた。

 僕も、覚えている。だけど、何が不自然なんだろう?

 真由実さんのお兄さんの言う通り、関係がないような気がするけど……。

「関係ないなんて、とんでもない。関係ありますよ。お兄さん、あなたは真由実さんが部屋にいないことを、大家さんに聞いて知っていたはずです。あなたは、あの日、車で来ていました。ここまで言えば、お分かりですよね?」

「…………」

 真由実さんのお兄さんは、何も答えなかった。

 不自然……、カバン……、車……。

 そうか、分かったぞ!

「明日香さん! 分かりました――」

 と、僕が言おうとしたとき、

「誰もいないと分かっていながら、どうしてカバンを持って、車から降りたのか――。そういうことだろう? 明日香ちゃん」

 と、鞘師警部に、先に言われてしまった。

「そうです。私は、てっきり、歩いて来られたんだと思っていました。だから、送りましょうか? と、聞いたんです。あなたは、部屋のカギを持って、真由実さんの着替えなどを取りに来たんじゃないですか? 違うのなら、どうしてカバンを持って降りたのか、説明していただけますか?」

 と、明日香さんは、強い口調で聞いた。

「それは――、車上荒らしだよ。過去に、車上荒らしにあったことがあるから、用心のために持って降りたんだ」

「そうですか――。一応、筋は通っていますね」

 と、明日香さんは、うなずいた。

「それでは、もう一つ。実は、私たち。真由実さんの彼氏に、お会いしてきたんです。真由実さんのことを、いろいろとお聞きしてきました。お兄さん、あなたは、真由実さんと彼氏が、一ヶ月くらい前から上手くいっていないと、真由実さんから聞いたとおっしゃっていましたが、それは嘘ですね。彼氏の白川さんは、そんなことは言っていませんでした」

「そいつが、嘘をついているんじゃないのか? もしくは、上手くいっていると思っていたのは自分だけで、真由実の方は、そうでもなかったんじゃないのか?」

 と、真由実さんのお兄さんは言った。

「そうでしょうかね?」

「まあ、そんなことは、どうでもいい。それで、真由実がここにいるという証拠は、どうなんだよ?」

「お兄さん、私たちに、こう言ったのを覚えていますか? 『真由実さんの彼氏は、フライを揚げるのが苦手』だと」

「ああ、覚えてるけど、それがどうかしたのか?」

「その話を聞いたのは、いつですか?」

「そんなこと、正確には覚えていないよ。たぶん、一ヶ月くらい前だろう」

「確かに、この前お会いしたときにも、そうおっしゃっていましたね」

「それじゃあ、そうなんだろう」

「いいえ。それは、ありえないですね。お兄さん。あなたは、大きな勘違いをしています」

「勘違い?」

「はい。お兄さんは、フライをというのを、魚のフライをことだと思った。私も、最初は、そう思いました。でも、そうじゃないんですよ。真由実さんが言っていた、フライをというのは、野球で、フライを打ちという意味だったんです」

 一瞬、真由実さんのお兄さんの表情が、変わったような気がした。

 さらに明日香さんは、言葉を続ける。

「その話を真由実さんたちが初めてしたのは、土曜日の夜の10時頃です。つまり、お兄さん。あなたは、近くで聞いていたんですよ。真由実さんが、電話で話している声を」

 真由実さんのお兄さんは、少し動揺しているみたいだ。

「おそらく、お兄さんは、その場で真由実さんを無理やり車に乗せて、ここに連れて来たんでしょう」

「違う!」

 真由実さんのお兄さんが、突然、叫び出した。

「違う! 違う! 違う! 俺は、無理やりに、連れて来たんじゃない。真由実が、自分から車に乗ったんだ!」

 と、真由実さんのお兄さんは、叫び続けた。

「真由実さんが、ここにいることは、認めるんですね?」

 と、明日香さんが、冷静に聞いた。

「俺は……、俺は……」

 さっきまで、冷静だったのが嘘のように、真由実さんのお兄さんは、取り乱している。

「鞘師警部! 大丈夫ですか?」

 異変に気づいた、鞘師警部の部下が二人、部屋に飛び込んで来た。いつの間にか、廊下で待機していたようだ。

「ああ、大丈夫だ。この人を頼む」

「はい」

 鞘師警部の部下が、真由実さんのお兄さんを、部屋の外に連れ出した。

「赤井さん。上がらせてもらいますよ」

 と、鞘師警部が、真由実さんのお兄さんの後ろ姿に向かって、声をかけた。真由実さんのお兄さんが、小さくうなずいたように見えた。


 鞘師警部を先頭に、明日香さんと僕も、部屋に上がった。

 その場所は、すぐに分かった。

「鞘師警部、見てください。あのドアのカギ」

 僕は、あるドアの方を指差した。

 明らかに、最初から付いていたとは思えない、カギが取り付けてあった。

「この中だろうな。どこかに、カギがないか?」

 と、鞘師警部は、カギを探し始めた。

 もしかしたら、真由実さんのお兄さんが、持っているのかもしれないが。

「これか?」

 鞘師警部が、机の上に置かれた一本のカギを見つけた。

「開けてみよう」

 鞘師警部が、カギを開けた。

 僕たちが部屋の中に入ると、一人の若い女性が、ソファーに座っていた。その女性は、明日菜ちゃんから預かった写真の女性のようだった。

「赤井真由実さんですね?」

 と、明日香さんが、その女性に優しく聞いた。

「――はい」

 と、真由実さんは、うなずいた。

「もう、大丈夫ですよ。私は、桜井明日菜の姉の明日香です。さあ、ここから出ましょう。立てますか?」

 と、明日香さんが、手を差し出した。

「明日菜の……。はい。大丈夫です」

 と、真由実さんは立ち上がった。幸いなことに、真由実さんは元気なようだった。ちゃんと、食事も与えられていたのだろう。服装も、綺麗なものだ。

 しかし、発見が遅れていたら、どうなっていたかは分からない。

「あ……、あのう……。兄は? 兄は、どうしたんでしょうか?」

「お兄さんなら、警察の人たちが」

 と、僕は言った。

「警察? そう……、ですか……」

 と、真由実さんは言うと、再びソファーに座り込んで、泣き出してしまった。

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