第11話

 僕たちが車から降りると、子供たちの元気な声や、バットでボールを打つ音が聞こえてきた。ユニフォーム姿の子供たちが十五、六人だろうか、どうやら守備練習の真っ最中のようだ。

「いやぁ、楽しそうですね」

 野球好きの僕からすると、練習だけでも楽しそうだ。僕も、ノックを受けてみたいものだ。

「誰が、白川さんでしょうかね?」

 見たところ、大人が三人いるみたいだ。

「あの人は、違いますよね?」

 僕は、ベンチに座って、腕組みをしている男性を見ながら言った。

「そうね。どう見ても、違うでしょう」

 その男性は、どう見ても50歳くらいだった。たぶん、監督さんだろう。

 ボールを打っているユニフォーム姿の人は、20代くらいの男性だ。

 そして、ボールを渡しているジャージ姿の人は、よく見ると女性のようだ。後ろ姿だけど、帽子から長い髪の毛が、はみ出している。

 ということは、ボールを打っている人が白川さんだろう。しかし、あの女性の後ろ姿は――

「…………」

 僕は、無言で、その女性の後ろ姿を見つめていた。

「明宏君。どうかしたの?」

「いえ……。気のせいだと、思います」

「気のせい?」

 そのとき、ベンチに座っていた監督さんらしき人が、僕たちに気づいた。

「何か、ご用ですか? そうじゃないなら、危ないから下がっていてください。白川君は、まだ下手だから、時々ノックの打球が、明後日の方向に飛んでいきますからな」

 と、監督さんらしき人が言った。やっぱり、あの人が、白川さんのようだ。

「あの方が、白川拓也さんでしょうか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「そうですが。白川君に、何かご用ですか?」

「はい。ちょっと、白川さんに、お聞きしたいことがあるんですけど」

 と、明日香さんが笑顔で言った。

「そうですか。ちょっと、待ってくださいよ――。おーい! 白川君! 君に、お客さんだぞ!」

 監督さんらしき人は、明日香さんの笑顔のお願いに、すぐに白川さんを呼んでくれた。やっぱり、明日香さんの笑顔は最強だ。

「はい!」

 と、白川さんが、こちらを向いた。

 そして、女性が、こちらを振り向いた。

「あれっ? お兄ちゃん? なんで、こんなところにいるの?」

 と、言ったのは、白川さん――ではなくて、もちろん女性の方だ。

「お兄ちゃん?」

 と、明日香さんと白川さん、それに監督さんらしき人と、三人同時に言った。


 僕たちは、白川さんと僕の妹の明美と、四人でベンチの横で話していた。

 ちなみに、監督さんが『あんまり年寄りを、こき使うなよ』と、笑いながら言って、白川さんの代わりに、ノックをしている。

「なんで、明美が、こんなところにいるんだよ」

 と、僕は言った。

 明美が、野球の練習を手伝っているなんて、初耳だ。明美は、野球に興味などなかったはずだけど。

「会社の先輩に頼まれて、今日一日だけ手伝っているのよ。そんなことよりも、お兄ちゃんこそ、なんでいるのよ。東京から、逃げ出してきたの?」

 と、明美は言った。

「違うよ。仕事だよ。」

 逃げ出してきたとは、失礼な。

「そちらの、綺麗な方は?」

「僕の雇い主の、桜井明日香さんだよ」

 と、僕は、明日香さんを紹介した。

「明日香さん。こいつが、妹の明美です」

「こいつとは、なによ」

「初めまして。桜井明日香です」

「明宏の妹の、明美です。いつも、兄がお世話になっています。ご迷惑をおかけしていませんか?」

「そうですね――。かけていないと言えば、嘘になりますね」

 と、明日香さんは笑った。

「ちょっと、明日香さん。そういう話は、あとにしましょうよ。先に、白川さんにお話を――」

 僕は、あわてて明日香さんと明美の間に割って入った。ここに来た一番の目的は、明美と話すことではなくて、白川さんに真由実さんのことを聞くためだ。

「そうだったわね――。白川さん、失礼しました。私、東京で探偵をやっている、桜井明日香です」

 と、明日香さんは、白川さんに名刺を一枚渡した。

「東京の探偵さんですか? なんで、僕のところに探偵さんが?」

 と、白川さんは、戸惑っている。

 真由実さんが行方不明なのを、まったく知らないのだろうか?

「何? お兄ちゃんも、探偵なの?」

 と、明日香さんの話を聞いていた明美が、驚いて僕に聞いた。

「僕は、明日香さんの助手だよ。お前はいいから、ちょっと黙っていろよ」

「女性探偵かぁ……。素敵だなぁ……」

 明美は、憧れの眼差しで、明日香さんを見つめている。

 これは、まずいぞ。明美のやつ、『自分も探偵になりたい』とか、言い出すんじゃないか?

「白川さん。赤井真由実さんという女性をご存じですよね?」

 と、明日香さんが聞いた。

「あっ、知ってる。白川さんの彼女でしょ? さっき聞いた」

 と、明美が言った。

「だから、お前は、黙ってろって。明日香さんの邪魔をするなよ」

 と、僕は、明美を少し後ろに下がらせた。

 僕も、黙って、明日香さんに任せることにした。

「真由実さんは、僕の彼女ですが……。やっぱり、真由実さんに、何かあったんですか?」

「白川さん。やっぱりとは、どういうことですか? 何か、心当たりがあるんですか?」

「先週の土曜日の夜の10時頃に、電話で話したんですけど。それ以来、電話をかけても、出ないんです。電源が入っていないみたいで――」

 やっぱり、白川さんは知らないみたいだ。

「実は、私の妹が、真由実さんと高校の同級生なんです。その妹が、先週の金曜日に偶然、真由実さんに会って、私に相談したいことがあると言っていたそうなんです。それで、日曜日に、妹に電話をする約束をしていたみたいなんですけど、真由実さんからの電話はありませんでした。真由実さんの部屋にも行ってみたのですが、真由実さんはいませんでした」

「どういうことですか?」

「真由実さんは、私の妹に、誰かに監視されていると言っていたそうです。白川さん、その人物に心当たりはありませんか?」

「監視!? そ、そんな……。僕は、そんなこと、一言も聞いていないです」

 白川さんは、顔が真っ青だ。

「そうですか。たぶん真由実さんは、白川さんに心配をかけたくなかったんでしょうね」

 と、明日香さんが、優しく言った。

「そ、それで……。真由実さんは? 何か、手がかりはないんですか?」

「その為に、ここに来たんです。真由実さんの部屋で、白川さんからの手紙を見つけて、住所を頼りに」

「そうですか……」

「それにしても、今どき手紙なんて珍しいですね」

「はい。最初は、電話番号は教えてくれなかったんですけど、住所は教えてくれたんです。それで、月一回の文通から始まって――、真由実さんは二回以上くれるときもありましたけど、僕は、苦手なもので。それで、何通目かのときに、電話番号を教えてもらいました」

「白川さんが、真由実さんと最後に会われたのは、いつ頃ですか?」

「お盆休みの頃です。僕が東京に行って、一緒に野球を見て、真由実さんの部屋にも行きました」

 松田さんが、見かけたという日のことだろう。

「そのときに、真由実さんに、何か変わった様子はありませんでしたか?」

「変わった様子ですか? うーん……。正直、僕も、そのときが真由実さんに会うのは、まだ二回目だったので。変わった様子かと聞かれても……。特に、おかしなことはなかったと思いますけど」

「そうですか。それでは、最後の電話の内容を教えてもらえますか?」

「内容といっても、別に大したことではないですけど。その日から、少年野球の練習を手伝うことになったっていう話くらいで……」


 そのあとも、明日香さんからの質問が、いくつか続いたけれど、特に関係ありそうな答えはなかった。

「探偵さん。真由実さんは、大丈夫なんでしょうか?」

 と、白川さんが心配そうに聞いた。

「白川さん。私たちを、信じてください。必ず、真由実さんを、無事に見つけてみせますから」

 と、明日香さんは、力強く言った。

「それから、白川さんの電話番号を、教えてもらえますか?」

「はい。分かりました」

 僕は、白川さんの電話番号をメモした。

「おーい! 白川君。そろそろ、代わってくれんか?」

 と、監督さんが呼んでいる。

「はい! 分かりました」

 と、白川さんは返事をすると、

「探偵さん。子供たちが待っているので、失礼します。どうか、真由実さんを見つけてください。よろしくお願いします」

 と、僕たちに頭を下げて、練習に戻っていった。

「お兄ちゃん……」

「明美。お前も、練習に戻れよ。真由実さんのことは、僕たちに任せておけって」

「うん。分かった」

「明美さん。今度また、ゆっくり会いましょう」

 と、明日香さんが言った。

「はい。お兄ちゃんのこと、よろしくお願いします」

 と、明美は言うと、練習に戻っていった。

 しかし、僕たちに任せておけとは言ったものの、鳥取県までやって来たけど、手がかりらしいものは、何もなかったんじゃないか?

「明日香さん。必ず、見つけてみせますなんて言っちゃって、大丈夫ですか? 何も、手がかりはなかったじゃないですか。こうしている間にも、真由実さんに万が一のことがあったら……」

 と、僕は自分で言っていて、恐ろしくなってきた。まさか、真由実さんは、すでに……。

「それはないと思うわよ」

 と、明日香さんは、即答した。

「どうしてですか?」

 確かに、そんなことはないと、信じたいけれど……。

「私の考えている人物が犯人なら、真由実さんに危害を加えるようなことは、絶対にしないと思うわ」

「そうですか……。それなら、とりあえず安心ですね――。えっ?」

 明日香さんは、今、なんて言った? 私の考えている人物が、

「ちょっ、ちょっと待ってください、明日香さん!」

「なによ。そんな大声出さないでよ。妹さんが、見てるわよ」

 明美のことなど、どうでもいい。そんなことよりも――

「明日香さん。誰が犯人か、分かっているんですか?」

「そうね。こっちに来る前から、おおよその検討は付いていたわ。白川さんの話で、たぶん間違いないとは思うんだけど。もう一つ、確証がほしいのよね」

「誰が、犯人なんですか? 白川さんじゃ、ないんですよね?」

「当たり前でしょ」

 いったい、誰が犯人なんだ? 明日香さんの口ぶりから察するに、僕たちが会った人たちの誰かだろう。

「明日香さん。もしかして、犯人は――」

 と、僕が聞こうとしたとき、ノックの様子を何気なく見ていた明日香さんが、

「ねえ、明宏君。白川さんだけど、さっきから空振りしたり、変な方向にボールが飛んでいるんだけど、あんまり上手くないのかしら?」

 と、言った。

 確かに、監督さんも、打球が明後日の方向に飛んでいくと言っていた。

「そうですね。まだ、手伝い始めたばかりで、苦手なんじゃないですか。僕も、やったことあるんですけど、結構難しいんですよね。特に、キャッチャーフライとか、真上に打ち上げるのって、意外と難しいんですよね。ゴロは、それなりに打てるんですけどね」

 僕も、結構、空振りをしていたものだ。

「――明宏君……」

「はい? どうかしましたか?」

「今、なんて言ったの?」

「えっ?」

 何か、おかしなことを言っただろうか?

「ゴロは、それなりに打てる――ですか?」

「その前よ!」

 その前?

「えっと……。キャッチャーフライを、真上に打ち上げるのが難しいって――」

「それよ!」

「えっ? どれですか?」

「白川さん!」

 明日香さんは、僕の問いかけは無視して、白川さんに駆け寄った。

「白川さんが、野球の練習を手伝うようになったのは、いつからですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「先週の、土曜日からですけど。土日と今日で、まだ三日目です」

「そのことを、真由実さんに話されたのは、いつでしょうか?」

「えっと……。確か、土曜日の夜の10時頃だったと思いますけど」

「電話ですよね?」

「ええ、そうです」

「具体的に、どういうお話をされたんでしょうか?」

 明日香さんは、いったい何を聞きたいんだろうか?

「今日から、野球の練習を手伝うようになったんだけど、自分でプレーをするのとは違って、ノックをするのとかは難しいよ――みたいな話をしたと、思いますけど」

「そうですか――。それに対して、真由実さんはなんて?」

「確か――。『キャッチャーフライとか難しいよね。私も、野球部のマネージャーをやっていた頃に、遊びで打たせてもらったことがあるんだけど。フライを上げるのが難しいよね』って、そんな感じだったと思いますけど……」

「その電話をしたときに、真由実さんは一人だったんでしょうか?」

「分からないですけど――。たぶん、一人だったと思います。コンビニから、歩いて帰る途中だって言っていましたから」

「そうですか――。ありがとうございました」

 僕たちは、グランドを後にした。

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