第10話

「それじゃあ、明日香さん。行きましょうか」

 僕たちは、白い軽自動車をレンタルした。

 軽自動車にしたのは、白川さんの家が、狭い路地の先だったりした場合に、普通車だと入れないかもしれないからである。偶然にも、この軽自動車は、明日香さんの乗っている軽自動車と、同じタイプの車種だった。僕も乗りなれている車なので、ちょうどよかった。

 だが、明日香さんの愛車と、決定的に違うところが一つあった。

「いやぁ。カーナビがあると、やっぱり便利ですね」

 と、僕は笑顔で言った。

「明宏君。カーナビ、カーナビ、うるさいわね。私への、当て付け?」

 と、明日香さんが不機嫌そうに言った。

「い、いえ……。そういうわけでは……」

 しまった!

 せっかく、明日香さんの機嫌が、なおってきていたのに、また不機嫌にさせるようなことを言ってしまった。

「明宏君。その便利なカーナビを使って、早く、白川さんの家に行きましょう」

「わ、分かりました」

 僕は、カーナビに白川さんの住所を入力すると、車を発進させた。


 僕は、場外馬券売場を右手に見ながら、車を運転していた。

「こっちは、東京と比べると、車も人も少ないわね」

 と、明日香さんが、窓の外を眺めながら言った。

「そうですね。鳥取県の人口は、50万人台ですからね」

 東京は、一区だけで、鳥取県の総人口より人口が多い区もあるみたいだ。

「とても、少ないのね。でも、のんびりできて、いいかもね」

「そうでも、ないですけどね」

 たぶん、明日香さんには、こんな田舎では、物足りないだろう。長く、ここに住んでいた僕でさえ、物足りないと思っていたから、東京に出たのだ。明日香さんには、東京のような都会が、ぴったりだ。

「明宏君の、ご家族は?」

「僕の、家族ですか? 父と母と、妹が一人です」

「妹さんが、いるの?」

 と、明日香さんは、驚いている。

「はい。以前、話しませんでしたっけ?」

「そうだったかしら?」

 うーん……。明日香さんと初めて会った頃に、話したような記憶があるような、ないような……。

 明日香さんだって、人間だ。忘れることも、あるだろう。

 しかし、明日香さんに、『そうだったかしら?』などと、言われると、僕も自信がなくなってくる。

「妹さんは、いくつ?」

「僕よりも三つ下の、22歳ですね」

「22歳ね。明日菜よりも、一つ上か……」

「名前は?」

「名前ですか? 明美あけみです。明るく美しいです。明宏に明美。いたって、平凡な名前ですよ」

「明宏に明美ね。明日香に明日菜、みんな明るいのね」

「そうですね」

 明日香さんに言われるまで、特に気にしたこともなかったけど、これは運命か? 僕は、なんだか嬉しくなってきた。

「明美さんは、学生さん?」

「いえ。高校を卒業してから、働いています」

 明日香さんは、どうしたんだろう? 今日は、ずいぶんプライベートなことを聞いてくるな。

 僕は、助手席に座る明日香さんの横顔を、チラッと見てみた。その表情は、普段と変わりないように見えた。

「明日香さん。僕の妹の話よりも、事件の話をした方が――」

「――そうね。まずは、白川さんに会ってからにしましょう」


「この路地を、抜けたところみたいですね」

「狭いわね。ぶつけないでよ」

「大丈夫です」

 と、僕は、うなずいた。

 やっぱり、軽自動車にしておいてよかった。普通車でも通れなくはないだろうけど、軽自動車の方が楽に通れる。

「ここみたいですね」

 僕たちは、狭い路地を抜けると、一軒の平屋の白い家にたどり着いた。

 時刻は、午前11時50分だった。

 車庫には、軽トラックが一台停まっている。車があるから、誰かいるだろうか?

 しかし、軽トラックの隣が、一台分空いている。

 僕たちは、車を降りると、家の表札を確認してみた。そこには、白川という表札が出ていた。

 僕は、明日香さんと顔を見合わせて、うなずいた。

 僕は、玄関のチャイムを押してみた。家の中で、チャイムの鳴り響く音が聞こえた。しかし、しばらく待ってみたけれど、誰も出てくる気配がなかった。

 僕は、もう一度チャイムを押してみた。再び、家の中から、チャイムの鳴り響く音が聞こえた。しかし、やっぱり誰も出てこない。

「留守でしょうかね?」

 と、僕は言った。

「そうね……」

 と、明日香さんが、つぶやきながら、玄関のドアを開けてみた。すると、玄関のドアは、ガラガラと音をたてて開いた。

「あら? 開いてるじゃない」

 と、明日香さんは、つぶやいた。

「開いてるんだから、誰かいるわよね?」

「いや、分かりませんよ明日香さん。東京なら、カギをしないで出かけるなんて、無用心でできませんけど。この辺りなら、ちょっとそこまでだったら、カギをしないで出かける可能性も、ゼロではないですよ」

「そういうものなの?」

 と、明日香さんは、腑に落ちないようだ。

「僕の、おばあさんの家も、しょっちゅう開いていましたから」

「それでも、念のために、呼んでみましょう。もしも、誰か倒れていたりしたら大変だわ」

「そうですか? 分かりました」

 たぶん、誰もいないと思うけど――

「すみませぇん! どなたか、いらっしゃいませんか?」

 僕は、大声で呼びかけてみた。

「白川さぁん!」

 しかし、返事はなかった。

「明日香さん。やっぱり、留守ですよ」

「そうみたいね。どうしようかしら?」

 僕と明日香さんが、迷っていると、

「あんたたち。白川さんに、ご用かね?」

 と、白川さんの向かいの家から、おばあさんが出てきた。

「はい。白川さんは、お留守でしょうか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ちょっと前に、あっちの方に歩いて行きなったけん」

 と、おばあさんは、僕たちのやって来た方向を指差した。

「ちょっと待っとれば、すぐに戻ってくるけん」

 と、言うと、おばあさんは家の中に戻っていった。

「明日香さん。ちょっと、待ってみますか?」

「そうね」


 15分後――


「戻ってこないわね」

 と、明日香さんが、腕時計を見ながら言った。

「そうですね」

「ねえ、明宏君。この辺りの人たちのちょっとって、どれくらいなの?」

「えっ?」

 そんなことを僕に聞かれても、正直、困るんだけど……。

「まさか、一時間とか?」

「いやぁ。さすがに、それはないかと……」

 とは、言ってみたものの。僕の母も、ちょっとと言って、一時間くらい帰ってこなかったことは、いくらでもあるのだが……。

 ちょうど、そのとき、

「どちら様ですか?」

 と、声が聞こえた。僕たちが振り向くと、50代後半くらいの女性が、野菜を抱えて立っていた。

 白川さんの、母親だろうか?

「白川さんですか?」

 と、僕は聞いた。

「ええ、そうですよ。すみませんね。ちょっとご近所まで、野菜をもらいに行っていたもんで」

「すみません。拓也さんは、ご在宅でしょうか?」

 と、僕は聞いた。聞いてから思ったけど、いるなら、チャイムを押したときに出てくるだろう。

「拓也の、お友達ですか?」

「いえ、僕たちは――」

 東京から来た探偵ですと、言おうとした僕を、明日香さんが遮って、

「はい。そうです」

 と、嘘をついた。

「拓也さんの、お母様ですか?」

「はい、そうですよ。拓也は、朝から出かけていますよ。ちょっと前から、少年野球のコーチを手伝っているとかで」

「そうなんですね。お昼は、帰ってこられないんでしょうか?」

「自分で、弁当を作って持って行ったから、帰ってこないですよ」

「ご自分で、お弁当を作られるんですか?」

「なんでも、東京旅行で出会った彼女に、料理を作ってごちそうしたいとかで」

 彼女――

 僕は、明日香さんと、顔を見合わせて、うなずいた。

「その彼女って、赤井真由実さんですよね?」

「ええ、そうですよ」

「お母様は、真由実さんに、お会いしたことは?」

「ありませんねぇ。写真は、見ましたけど」

「この人ですよね?」

 と、明日香さんは、明日菜ちゃんから預かっていた写真を見せた。

「ちょっと、待ってくださいね。メガネを、持ってきますから」

 と、白川さんの母親は言うと、家の中に入っていった。

「お待たせしました」

 白川さんの母親は、すぐにメガネをかけて戻ってきた。

「すみませんねぇ。これがないと、よく見えんもんで」

 白川さんの母親は、改めて写真を見ると、

「そうそう。この、お嬢さんですよ。こんなかわいいお嬢さんが、拓也のことを好きになってくれるなんてねぇ。物好きな、お嬢さんだわ」

 と、笑った。

「拓也さんは、真由実さんとは、うまくいっているような感じでしたか?」

「えっ? なんで、そんなことを聞かれるんですか?」

 と、白川さんの母親は、僕たちに不信感を抱いているみたいだ。

「すみません。急に、変なことをお聞きして」

 と、明日香さんは、頭を下げた。

「私たち本当は、拓也さんの友達ではなくて、真由実さんの友達なんです」

 と、明日香さんは、さらに嘘を重ねた。

「実は、真由実さんが心配しているんです」

「心配?」

「はい。真由実さんと拓也さんって、遠距離恋愛じゃないですか。それで、不安がっているんです。実は、真由実さんは、過去にも遠距離恋愛の経験があって、そのときは相手の男性が浮気をして、別れてしまったんです。それで、今回も不安がっているんです。もちろん、拓也さんに限って、そんなことはないと信じていますけど。それで、私たちが、偶然、鳥取県に旅行に行くことにしていたので、ちょっと様子を見に来たんです」

 と、明日香さんは言った(もちろん、すべて明日香さんの作り話だ。よくも、こんなにすらすらと、嘘が出てくるものである)。

「そうだったんですか……。そんな過去が。でも、拓也は大丈夫ですよ。母親の、私が言うのもおかしいですけど。拓也は、本当に優しい子ですから。真由実さんを裏切るようなことは、決してないですよ。よく電話でも、話しているし、毎月、手紙まで出しているんですよ。それに、さっきも言いましたけど、真由実さんに、料理を作ってあげたいと言って、練習しているんですよ」

 白川さんの母親は、明日香さんの作り話を、完全に信じているみたいだ。

 白川さんが帰ってきて、この話を本人に話してしまったら、いったいどうするんだろう? 白川さんが、おかしいと思うんじゃないだろうか? いや、絶対に、おかしいと思うだろう。

「ちなみに、どんなお料理ですか?」

「昨日は、アジのフライを揚げていましたね。これも、母親の私が言うのもおかしいですけど、とっても上手なんですよ」

 と、白川さんの母親は、笑顔で言った。

「よかったら、食べてみますか?」

 いやぁ、さすがにそれは厚かましいだろうと、僕が思っていると、

「よろしいんですか?」

 と、明日香さんが、笑顔で言った。

「えっ……、ええ。もちろんです」

 と、白川さんの母親は、戸惑っているみたいだ。まさか、本当に食べたいなどと言われるとは、思っていなかったのだろう。


「いただきます」

 と、明日香さんは、丁寧に両手をあわせると、アジのフライを食べはじめた。

「…………」

 明日香さんは、無言で食べていた。

「うん。おいしいですね。明宏君も、いただいてみたら?」

「そうですか、分かりました」

 正直、僕は、明日香さんのように、図々しくはなれないのだけど――

 と、思いつつも、アジのフライを一口食べてみた。

「…………」

「どう?」

「おいしいですね!驚きました」

 いやぁ、本当に、おいしい。

「そうでしょう。母親の私でも、驚きましたよ。息子に、こんな才能があったなんて」

 と、白川さんの母親は、満足そうだ。


「どうも、おじゃましました」

 僕たちは、白川さんの家を出ると、白川さんの母親に教えられたグラウンドへと向かった。

「明宏君。アジのフライを食べて、どう思った?」

 と、明日香さんが聞いてきた。

「いやぁ、おいしかったですよ」

 と、僕は、満面の笑みで言った。

「――それだけ?」

「それだけとは?」

 何故か、助手席からの明日香さんの視線が突き刺さる。

 うん? あれっ? そういえば――

「フライを揚げるのが、苦手という話でしたよね?」

「よく、思い出したわね。明宏君にしては、上出来ね」

 さすがの僕も、これが皮肉だということは、分かっている。

「それじゃあ、もう一つ気づいたことはある?」

「もう一つ、ですか?」

 ここで答えられないと、明日香さんをさらに幻滅させてしまう。

 考えろ……。考えるんだ、明宏――

「あっ! 分かりました、明日香さん。白川さんと真由実さんが、一ヶ月くらい前から、うまくいっていなかったという話がありましたよね? でも、母親の話を聞いた限りでは、そんなことは、ないんじゃないですか?」

「ええ、そうよ。先月の手紙を読んだ感じでも、そんな雰囲気は、微塵も感じられなかったわ。もしかしたら、その手紙のあとに――とも、考えたけれど、そんなこともなさそうね」

「どういうことでしょうか? どちらも、真由実さんのお兄さんから聞いた情報ですよね? 真由実さんが、お兄さんに嘘をついていたんでしょうか? でも、どうしてでしょうか?」

「…………」

 僕の問いかけに、明日香さんは答えなかった。

 明日香さんは、おそらく脳をフル回転させて、考えているのだろう。そのとき、明日香さんの携帯電話が鳴った。

 どうやら、メールのようだ。明日香さんは、無言でメールを読んでいる。

 僕も、明日香さんに負けてはいられない(とはいっても、勝てるわけはないのだが……)。

 僕は、必死で考えた。

 うーん……。

 …………。

 分からない。やっぱり、僕には無理だ。

 そうこうしているうちに、僕たちは、グラウンドに到着したのだった。

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