第8話
「明日香さん。まずは、どこから調べますか?」
と、僕は聞いた。
「そうね……。とりあえず、二手に分かれて調べましょうか」
「そうだな。その方が、効率もいいだろう」
と、鞘師警部が、うなずいた。
「それじゃあ、私は、こっちの寝室の方を調べるわ」
と、明日香さんが言った。
「では、私は、この部屋を調べよう」
と、鞘師警部が言った。
それじゃあ、僕は――
僕が、当たり前のように、明日香さんのあとに続いて寝室に入ろうとすると、
「ちょっと、明宏君。どうして、私に付いてくるのよ?」
と、明日香さんが、怪訝そうな顔で僕を見ている。
「えっ?」
どうして?
「若い女の子の寝室よ。こっちは、私だけでいいから、明宏君は鞘師警部と、そっちをお願い」
「あっ……、はい」
「何よ。やっぱり明宏君は、若い女の子の寝室に興味があるの?」
「い、いえ……。そういうわけでは――」
っていうか、やっぱりって……。
僕が興味があるのは、明日香さんの寝室だけです――。などとは、もちろん言わなかった。
「明宏君。何を、やっているんだ? 手伝う気がないのなら、帰ってくれてもいいんだぞ」
と、鞘師警部が言った。
「は、はい。手伝います」
明日香さんと鞘師警部を、二人きりになんてできない。
いや、変な意味ではなく、二人だけでは大変だろうということだ。
「明宏君――」
「は、はい! それじゃあ、僕は時計回りに見ていきますから、鞘師警部は、逆にお願いします」
「そうか、分かった」
ということで、僕は鞘師警部と、真由実さんの部屋を調べ始めた。
さて、そうは言ったものの、どこから調べようかな?
僕は、まずは部屋の隅に置かれた、本棚を調べてみることにした。
結構、大きい本棚だな。本棚には、雑誌や単行本など、たくさん入っている。
僕は、一番下の段から、雑誌を数冊ほど取り出してみた。
これは、どこからどう見ても、野球雑誌だな。まあ、部屋の様子からも、想像できたことではあるけれど。
下の方は、ほぼ全部が今年の野球雑誌だった。中には、ファッション雑誌なども、あるにはあったけれど、野球雑誌と比べると、ほとんど読んでいないのか、綺麗なものだ。
真ん中の方の段には、野球関係の単行本が並んでいる。野球マンガや、今年のプロ野球の選手名鑑もある。
上の方の段には、野球のDVDや携帯ゲーム機に、野球ゲームのソフトもある。このゲームは、僕も持っているゲームだ。
――ここは、本当に21歳の女の子の部屋なんだろうか?
「鞘師警部。本棚は、野球関係ばっかりですよ。男の部屋と、錯覚しそうですね」
と、僕は、鞘師警部の方を振り返りながら言った。
「――鞘師警部? 何を、やっているんですか?」
鞘師警部は、押入れを開けて、なにやら覗き込んでいる。
「ああ、明宏君。もしかして、そっちの本棚にあるのは全部、今年の野球雑誌かい?」
「はい。野球以外の雑誌もありますけど、今年の雑誌ばかりです」
「そうか。この中には、去年と一昨年の野球雑誌が入っている。おそらく、ここに引っ越してきてからのものだろう。真由実さんは、本当に野球が好きなようだな」
と、鞘師警部は、雑誌のページをめくりながら言った。
「これだけ野球が好きということは、彼氏も、かなりの野球好きなんでしょうかね?」
「そうだな。野球場で出会ったというなら、なおさら、その可能性が高いだろうな」
「鞘師警部は、野球は好きなんですか?」
「私かい? まあ、好きか嫌いかといえば、好きな方だがな」
「そうなんですか? 僕は、大好きなんですよ。野球好きとしては、この部屋は楽しいですね」
「そうかい。それは、よかったな」
と、鞘師警部は、笑った。
そのとき明日香さんが、寝室のドアを開け、中から顔を出した。
「ちょっと、二人とも。何をのんきに、野球談義なんかしているのよ。真面目に調べてよね」
と、それだけ言うと、再びドアを閉めた。
「怒られてしまったな。冗談はこれくらいにして、真面目に調べようか」
と、鞘師警部が言った。
「はい。でも、どうして聞こえたんでしょうか? 思っていたよりも、壁が薄いんでしょうか?」
「ふっ、そうかもな」
と、鞘師警部は笑った。
また、怒られたら大変だ。僕たちは、再び調べ始めた。
「これは――」
「明宏君、何か見つかったかい?」
「鞘師警部。机の引き出しに、野球のチケットが」
僕が、机の引き出しを開けると、野球のチケットが、たくさん出てきた。
「日付順に、並んでいるみたいですね。一番新しいのは、日本シリーズ最終戦のチケットですね。お盆休みの頃の、チケットもありますね。8月11日の山の日のチケット。松田さんが、見かけたというのは、この頃ですね」
と、僕は、チケットの束をめくりながら言った。
「そうだな。しかし、真由実さんと、その彼氏が初めて出会ったのは、その日よりも前だろうな」
「そうですよね。いくらなんでも、出会ったその日に、部屋に連れてこないですよね」
「まあ、普通は、そうだろうな」
と、鞘師警部は、うなずいた。
まあ、最近の若者は(そういう僕も、まだ若いけど)、一概に、そうだとは言い切れないかもしれないけれど。
「鞘師警部。とりあえず、この部屋は、これくらいですかね?」
「そうだな。あとは、明日香ちゃんの方だが――」
結局、この部屋を調べて分かったことといえば、真由実さんは、本当に野球が大好きだということくらいか。
「ちょっと、様子を見てきましょうか?」
と、僕は言った。
「また、怒られるんじゃないか?」
と、鞘師警部が笑った。
「――そうですね。やめておきます」
「そうか――。なあ、明宏君。君が、明日香ちゃんの助手になって、もう二年くらいか?」
と、鞘師警部が、突然そんなことを聞いてきた。
「えっ? そうですけど……。それが、何か?」
「どうだい、探偵業は? もうすっかり、板に付いてきたんじゃないのかい?」
「いやぁ……。僕なんて、まだまだですよ……」
「ずいぶん、弱気だな」
「だって、さっきも怒られたじゃないですか。僕には、向いていないんですかね? 鞘師警部は、どう思いますか?」
明日香さんは、きっと、不謹慎だと呆れているだろう。
野球好きの僕にとっては、楽しい部屋だなんて言ったことを――
「そうだな――」
と、鞘師警部が言いかけたが、
「あっ、待ってください!」
と、僕は、鞘師警部の言葉をさえぎった。
「どうした?」
「やっぱり、聞くのは、やめておきます。明日香さんだけでなく、鞘師警部にまで、向いていないって言われたら、ショックが大きすぎます……」
と、僕は、弱々しく言った。
「明日香ちゃんは、別に、そんなことを言っていないだろう?」
「――そうですけど……。きっと、そう思われているんじゃないかと……」
「明宏君。君は、もっと自信を持った方がいいと思うぞ」
「自信――ですか?」
「ああ、そうだ。君だって、明日香ちゃんと一緒に、いくつかの事件を解決してきたじゃないか」
「明日香さんと一緒といっても、ほとんど、明日香さんが一人で解決をしているようなものですよ」
鞘師警部は、僕を買いかぶりすぎだ。
「ほとんどっていうことは、少しは自分の力も役に立っている――、という自覚はあるんだな」
と、鞘師警部は笑った。
「そういう意味では……。鞘師警部、また、明日香さんに聞かれたら、どうするんですか……」
「大丈夫だよ。聞こえるわけが、ないだろう。ここのアパートは、少し古いが、そこまで壁は薄くないぞ」
「でも、さっきは、聞こえていたみたいじゃないですか?」
「なんだ明宏君、気づいていなかったのか?」
「何をですか?」
「明日香ちゃんが、最初に寝室に入ったときは、ドアを完全には閉めないで、少しだけ開けていたじゃないか。明宏君が、真面目にやっているか、確認していたんじゃないか?」
と、鞘師警部は笑った。
「えっ!?」
僕は、あわててドアの方を見た。今は、ドアは、しっかり閉じられている。
「今は、閉まっているぞ。なんだ、本当に気づいていなかったのか。注意力散漫だな。やっぱり、向いていないのか?」
と、鞘師警部は、ため息をついた。
「まあ、でも――。明日香ちゃんが、明宏君を信頼しているのは事実だよ」
「――本当ですか?」
「ああ、昨日だって――」
と、鞘師警部が言いかけたとき、寝室のドアが開いて、明日香さんが戻ってきた。
「どう? そっちは、何か見つかった?」
と、明日香さんが聞いた。
明日香さんの手には、何か封筒のようなものが握られている。
「野球のチケットが、見つかりましたよ。たぶん、彼氏と一緒に行った日のチケットも、あると思います。明日香さんの方は? その封筒は、何ですか?」
「彼氏からの、手紙を四通見つけたわ」
「手紙ですか? 何が、書いてあったんですか?」
「一通目は、これよ」
と、明日香さんは、僕に手紙を渡した。
「7月の終わりの消印ですね。差出人の名前は、
住所は、鳥取県の
偶然とは、恐ろしい。僕と、同じじゃないか。
「他の三通は、8月の終わりと9月の終わり、そして10月の終わりの消印よ。たぶん、毎月月末に出しているみたいね。今月の分は、なかったわ」
「へぇ、今どき珍しいですね。メールとかじゃなくて、手紙なんて」
とりあえず、僕は、一通目の手紙を読んでみた。
「…………」
なるほど……。
この手紙を読んだ限りでは、二人の出会いは、今年の7月の初め頃のようだ。
彼氏が社員旅行で東京に来ていて、野球観戦のときに知り合い(そういえば、7月のチケットも数枚あったな)、意気投合したみたいだ。
そして、8月のお盆休みに、真由実さんに会うために、東京に行くことが書かれている。
「鞘師警部も、読みますか?」
と、僕は聞いた。
「あんまり、他人の手紙を勝手に読むのは気がひけるが、事件解決の為には、やむを得ないな」
と、鞘師警部も、手紙を読み始めた。
「二通目は、これですか?」
僕は、二通目の手紙を読み始めた。
8月の終わりの手紙には、真由実さんと付き合うことになった喜びが、延々と綴られている。読んでいるこっちが、恥ずかしくなるくらいだ。
二通目は、まあ、そんな感じだ。
「三通目は、9月ですね」
三通目は、二通目と比べると、白川さんの気持ちも多少は落ち着いたみたいだ。
書かれていることは、この一ヶ月の近況報告くらいで、特に気になるような内容でもないな。
こんなこと、手紙でやり取りする必要は、全然なさそうだけど。
「最後に四通目は、10月ですね」
10月も、前月と特に変わらず、近況報告が中心だ。
しかし、僕が気になることが、三つほど書かれてあった。
まず一つ目は、クリスマスイブに、東京に会いに行くということ。
そして二つ目は――
「へぇ。『もしかしたら、11月くらいから、少年野球のコーチを手伝うことになるかもしれない』って、書いてありますね。『今から、ノックの練習でも始めようかな』って。白川さんという人も、野球部だったんでしょうか?」
「そうかもしれないわね」
と、明日香さんはうなずいた。
「決まったら、電話で話します。とも書いてありますね。電話も、しているんですね」
しかし、残念ながら、手紙には、電話番号は書かれていなかった。
そして、もっとも気になった三つ目は――
「明日香さん。これって――。真由実さんに食べてもらうために、料理を勉強中って、書いてありますよ! お兄さんが、言っていましたよね? 料理が苦手な人だって! これは、もう決まりですよ!」
僕は、どんどん興奮してきた。
「方にも、何かなかったんですか? もっと、決定的なものは!」
「明宏君。落ち着きなさいよ。特に、気になるようなものは、なかったわね。真由実さんの、携帯電話も見つからなかったわ。明日菜に聞いた番号にかけてみたけど、やっぱり電源が入っていないようね」
「携帯電話は、真由実さんが持ったままなんでしょうか?」
「本人が持っているなら、電源は入れられるだろう」
と、鞘師警部が言った。
「あっ、そうですね……」
興奮のあまり、全然、気がつかなかった。
「まあ、充電が切れた可能性も否定はできないがな」
「でもね。充電器も見当たらないのよね。こっちにも、なかったのよね?」
と、明日香さんが聞いた。
「ありませんでしたよ」
と、僕は、うなずいた。
「もしも、真由実さん本人が、携帯電話と充電器を持っているのなら、使えない状況にいる――。ということか」
と、鞘師警部が言った。
「もしくは、何者かが持っていて、真由実さんを監禁でもしているのか――」
と、明日香さんが言った。
「明日香さん……。これから、どうしますか?」
と、僕は聞いた。
白川さんが監禁しているなら、早く助け出さないと。
「…………」
明日香さんは、しばらく無言で考え込んでいたが、
「それじゃあ、とりあえず行ってみましょうか」
と、明日香さんが言った。
「行く? どこに、行くんですか?」
「決まっているでしょ」
いや、決まっては、いないと思うけど。
「明日香ちゃん。鳥取県まで、行ってみるのかい?」
と、鞘師警部が言った。
「えっ? まさか――、違いますよね?」
と、僕は、明日香さんの顔を見た。
「ちょうど、住所が分かったしね」
と、明日香さんは、封筒を見ながら言った。
「わざわざ、鳥取県まで行くんですか? もしかして、鳥取県まで無理やり連れて行かれたとか?」
でも、どうやって?
いくらなんでも、真由実さんも、抵抗するんじゃないだろうか?
「そこまでは、分からないけど。電話番号は分からないんだから、この住所に行ってみましょう」
「分かりました。でも、いつですか?」
「明日の朝の、飛行機のチケットを取っておいて」
「えっ? 僕がですか?」
「他に、誰がいるのよ?」
と、明日香さんは、当たり前でしょ? と、言いたげな顔をしている。
「あのぉ……」
「なによ」
「僕――、飛行機のチケットを、取ったことがなくて……。どうやって、取るんですか?」
「明宏君。あなた、どうやって上京してきたの?」
「高速バスです。安いんで」
まあ、安い以外にも、もう一つ理由があるんだけどね。
「じゃあ、いいわよ。私が、自分でやっておくから」
「――お願いします」
あぁ……。
明日香さんに、嫌われたのではないだろうか? 飛行機のチケットの取り方も知らない男なんて――って。
そんな僕の様子を見ながら、鞘師警部は笑っている。
「鞘師警部も、行くんですか?」
と、僕は聞いた。
「私かい? さすがに、私は行けないぞ」
と、鞘師警部は、首を横に振った。
「鞘師警部には、他に、お願いしたいことがあります」
と、明日香さんが言った。
「お願い? なんだい?」
「あとで、また、連絡しますから」
「そうか、分かった」
「それじゃあ、今日は、帰りましょうか」
と、明日香さんが言った。
僕たちは、真由実さんの部屋を出ると、カギをかけた。
「このカギは、鞘師警部が預かっていてくれますか。警察官が預かっていれば、伊集院さんも安心でしょう」
と、明日香さんが言った。
「そうか、分かった」
と、鞘師警部は、カギを受け取った。
「伊集院さんの連絡先も、教えておきます」
と、明日香さんは自分の名刺の裏に、伊集院さんの電話番号を書いて、鞘師警部に渡した。
「それと、この手紙は、私が預かってもよろしいでしょうか」
「分かった。明日香ちゃんなら、大丈夫だろう」
と、鞘師警部は、うなずいた。
まるで、僕なら、大丈夫じゃないと、言われているような気がした。
「それじゃあ、鞘師警部。今日は、ありがとうございました」
「ああ。それじゃあ二人とも、気をつけてな」
と言うと、鞘師警部は帰っていった。
「明宏君。私たちも、帰りましょう」
僕たちは、探偵事務所に戻ってきた。今日は、明日菜ちゃんは、来ていないようだ。
「明宏君。今日は、少し早いけど、もう帰っていいわよ。私は、これから、やることがあるから。明日の準備、ちゃんとしておいてよ」
と、明日香さんが言った。
まだ、午後3時台なので、外は明るかった。
「日帰りですか?」
「それは、向こうでの成り行きしだいよ。飛行機の時間が分かったら、あとでメールをするから、直接、空港まで来てね」
「直接――ですか?」
「そうよ。明宏君、まさか。空港の行き方も知らないの?」
「あっ、いえ……。それは、分かります」
以前、事件の調査で、空港まで、ある人物を尾行したことがある。そのときに、必死で覚えたのだ。たぶん、まだ忘れていない。
「それじゃあ、遅刻しないでね。置いて行くわよ」
「でも、明日香さん。昼間に行って、白川さんが自宅にいますかね?」
「明日は、祝日よ。たぶん、いるでしょう」
僕は、カレンダーに目をやった。そうか、明日は、勤労感謝の日か。すっかり、忘れていた。
「でも、明日香さん。祝日だからといって、休みとは限りませんよ。真由実さんのお兄さんだって、祝日は休めないって、言っていましたし」
「もし、そうだったら――。明宏君の実家にでも行って、夜まで待たせてもらおうかしら」
「――えっ? う、家に来るんですか? どうしてですか?」
明日香さんが、家に泊まるなんて……(※そこまでは、言っていない)。
「何を、動揺しているのよ? ごあいさつくらいさせてよ」
「ご、ごあいさつ……って? そ、その……」
「私も、雇い主として、ご両親に、ごあいさつくらいしても、いいでしょう?」
「あ、ああ……。雇い主として……、ですね……」
「なによ? ――。! バ、バカじゃないの? 明宏君! 何を、考えているのよ!」
明日香さんの顔が、だんだん赤くなってきた。
「す、すみません! えっと、その……」
「さっさと、帰りなさいよ!」
「は、はい。失礼します」
僕は、探偵事務所を後にした。
明日香さんを、顔が真っ赤になるほど、怒らせてしまった。まさか、あんなに怒られるとは……。明日、顔を合わせにくいなぁ……。
はぁ……。しかも、飛行機かぁ……。
仕方がない。帰って、明日の準備をしよう。
着替えは、いいか。もし、泊まりになれば、実家にあるし。
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