第7話

 僕たちは、探偵事務所の近くの喫茶店で、軽く食事を済ませると、真由実さんのアパートに向かった。

 12時45分頃、僕たちは、真由実さんのアパートに到着した。

「まだ、鞘師警部は、来ていないみたいですね」

 と、駐車場を見回しながら、僕は言った。

「大家さんも、まだかしら?」

 と、明日香さんも、駐車場を見回しながら言った。まあ、約束の1時までは、まだ15分あるからな。

「あの車は、違いますよね?」

 と、僕は、一台の車を指差して、明日香さんに聞いた。

 駐車場には、白い大きなワゴン車が一台駐車してあったけれど、まさか、70代だという大家さんが、こんな大きなワゴン車には乗っていないだろう。

「違うんじゃないかしら? 確か、昨日ここに来たときにも、停めてあったから。たぶん、アパートの住人の車でしょう」

 昨日も? 全然、覚えていない。これは、また、明日香さんに怒られそうだ。

「明宏君、また、覚えていませんって、言うんじゃないの?」

 明日香さんは、まるで、僕の心の中を読んでいるんじゃないのかというふうに言った。

「――えっと……。それは……」

「明宏君は、本当に周りを見ていないのね」

 やっぱり、怒られた。というか、呆れられたと表現した方が、正しいかもしれない。

「あっ、明日香さん。鞘師警部が、来ましたよ」

 明日香さんが、僕の指差す方に目をやると、鞘師警部の赤い乗用車が、駐車場に入ってきた。鞘師警部の車が、僕たちの車の隣に停車すると、鞘師警部が車から降りてきた。

 僕たちも、車から降りると、

「鞘師警部、今日は、わざわざありがとうございます」

 と、明日香さんが、頭を下げた。

「明日香ちゃん、明宏君、こんにちは」

 と、鞘師警部は、笑顔で手を上げた。

 男の僕が言うのも変かもしれないけれど、鞘師警部は、本当にイケメンだ。身長も185センチもあるし、本当にうらやましい限りだ。そんな鞘師警部が、いまだに独身なのは、鞘師警部も明日香さんを狙っているんじゃないかと、僕は疑っている。

「鞘師警部、今日は仕事の方は大丈夫なんですか?」

 と、僕は聞いた。

「ああ、大丈夫だよ。ちょうど、事件も一区切りついたところでね」

「また、真田さんには、内緒で来たんですか?」

 真田さんというのは、捜査一課の課長さんのことだ。

「明宏君、またとはなんだよ、またとは。それじゃあ、まるで私が、いつも課長に隠れて、無断で何かやっているみたいじゃないか」

 と、鞘師警部は笑った。

 いや、実際、そうじゃないか。鞘師警部は、いつもそうやって、僕たちに協力をしてくれる優しい人だ。

「今日は、ちゃんと課長の許可を取ってあるよ」

「そうなんですか? 珍しいですね」

「君たちには、いつも、お世話になっているからね。今回は、特別だよ。どうやら、大家さんは、まだのようだが。簡単でいいから、君たちが調べた今の状況を、教えてくれないか?」

「それなら、私がお話します。明宏君じゃあ、頼りにならないから」

 と、明日香さんが言った。


「なるほど、だいたいのところは分かったよ。容疑者――なんて言うのは、まだ早いかもしれないが、もう数人あがっているとは、さすが名探偵だな」

 と、鞘師警部は感心している。

「いえ、名探偵なら、そこから、もう少し絞りこんでいますよ」

 と、明日香さんが笑った。

 やっぱり、明日香さんも、まだ誰が真由実さんを監視していた人物か、絞りこめてはいないみたいだ。

 大家さんに、真由実さんの部屋のカギを開けてもらって、部屋の中を調べることができれば、誰が真由実さんを監視していたのか分かるだろう(僕は、真由実さんの、今の彼氏だと思うけど)。

「あら? あれかしら?」

 明日香さんの声に振り向くと、一台の高級そうな乗用車が入ってきた。

 僕は、車のことは、あまり興味がなくて、よく分からないけど、そんな僕の目から見ても高級車であることは、はっきりと分かった。

 まさか、こんな高級車ではなく、軽自動車で(というのは、僕の勝手なイメージだけど)来るんじゃないのか?

「明日香さん。いくらなんでも、違うんじゃないですか? 真由実さんの、お兄さんの話では、大家さんって、70代のおばあさんなんですよね? そんな、おばあさんの運転するような車じゃあ――」

 と、僕が言い終わらないうちに、その高級車が、鞘師警部の車の隣に停まった。その高級車から、一人の、見た目は60代くらいの女性が降りてきた。

「あなた方が、探偵さんと警察の方かしら?」

 と、その女性が言った。

「はい、そうです」

 と、明日香さんが言った。

「私が、ここの大家の、伊集院いじゅういんです」

 と、その女性が名乗った。

「ほらね」

 と、明日香さんは、僕に向かって言った。

 伊集院とは、なんとも、お金持ちそうな名字だ(これもまた、僕の勝手なイメージだけど)。

「私が、探偵の、桜井明日香です。今日は、どうもありがとうございます」

 と、明日香さんは、伊集院さんに名刺を渡した。

「これは、ご丁寧にどうも」

 と、伊集院さんは、頭を下げた。

「こっちが、私の助手の坂井明宏君で、こちらが、警視庁の鞘師警部です」

 と、明日香さんが、紹介した。

 僕が『こっち』で、鞘師警部が『こちら』という表現が気になったけど、そんなことは、どうでもいいか……。

「警視庁の、鞘師です」

 と、鞘師警部は、警察手帳を見せた。

「桜井の助手の、坂井です」

 と、僕は、頭を下げた。

 僕だけ、渡すものもなければ、見せるものもない……。まあ、そんなことも、どうでもいいけど。

「それにしても、素敵な、お車ですね」

 と、明日香さんが言った。

「いえいえ、それほどでもありませんわ」

 と、伊集院さんは笑った。

「一応、ここ以外にも、数件所有しておりますから」

 お金持ちそうではなくて、本当にお金持ちのようだ。

 しかし、こんな古そうなアパートの家賃収入だけで、こんな高級車が買えるんだろうか?

「ここは、少し古いんですけど、私が初めて所有した物件で、思い入れがありましてね」

「伊集院さんは、直接、家賃を現金で集金されているとお聞きしたんですけど、どうしてでしょうか? 口座からの引き落としの方が、楽だと思うんですけど」

 と、明日香さんが聞いた。

「そんなに、たいした理由ではないんですけど。私、銀行は、あまり信用をしていないの。それで、直接、お会いして集金しているのよ。それを、了承していただける方に、入居していただいているの。集金日は毎月決まっているんですけど、最大限、入居者の方のご都合に合わせて、集金に伺っているわ」

「そうなんですね。今月も、決まった日に集金に行かれたんですね?」

「ええ、そうよ」

「真由実さんが、集金の日にいなかったのは、初めてなんですよね?」

「そうです。赤井さんは、ご都合の悪いときには、必ず数日前には、ご自身の方から電話で連絡をくれていました」

「今月は、事前に何も連絡はなかったんですよね?」

「ええ、何もありませんでしたわ」

「ということは、真由実さんが、自分の意思で出ていった可能性は低いか」

 と、鞘師警部が言った。

「そうですね。真由実さんが、自分で出ていく理由は、今のところ考えられないですね。もしも、自分の意思で出ていったのなら、少なくとも明日菜には連絡をするでしょうし」

 と、明日香さんが言った。

「伊集院さんは、真由実さんが、誰かに監視されているというようなことを、聞いていませんか?」

 と、鞘師警部が聞いた。

「監視ですか? さあ……。先月、集金に伺ったときには、何もそんなことは、言っていませんでしたわ。普通のご様子でしたし、何かに怯えているような様子も、ありませんでしたわ」

「そうですか――。ということは、監視され始めたのは、この一ヶ月の間なのかしら?」

 と、明日香さんが言った。

「明日香さん。その前から監視は始まっていたけど、真由実さん本人が気づいていなかったということは、ありませんか?」

 と、僕は言った。

「そうね――。その可能性も、もちろんあるわね。明宏君にしては、よく気づいたわね」

 と、明日香さんは、意外そうに言った。

「これでも一応、明日香さんの助手ですから」

 と、僕は、ちょっとだけ、誇らしい気分になった。

「明日香ちゃん、明宏君。ここで、ああだこうだ言っていても仕方がない。伊集院さんも待っているし、真由実さんの部屋の中に入ってみよう」

 と、鞘師警部が言った。

「そうですね。伊集院さん。それでは、真由実さんの部屋のカギを開けていただいても、よろしいでしょうか?」

 と、明日香さんが言った。

「分かりました。それでは、参りましょう」


「伊集院さん。部屋のカギは、真由実さん自身が持っているものと、今、伊集院さんが持っているものの二本しかないんですよね?」

 と、明日香さんが聞いた。

「いえ。私は、この他に、もう一本持っているので、全部で三本ありますわ」

「そうなんですか? ちなみに、そのもう一本というのはご自宅に? 失礼ですが、紛失したということは、ありませんか?」

「ええ。今日、家を出る前に確認しましたけれど、ちゃんとありましたよ」

「そうですか、失礼しました」

 伊集院さんが、嘘をついているようには見えない。本当に、紛失などはしていないのだろう。

「それでは、開けますね」

 と、伊集院さんが、カギを差し込み、カギを開けた。

「伊集院さん、たびたびすみません。カギを見せてもらってもよろしいでしょうか?」

「ええ。どうぞ」

 と、伊集院さんは、明日香さんにカギを渡した。

「一般的な、普通のカギですね」

 と、明日香さんは、カギを見ながら言った。

「鞘師警部。このカギなら、簡単に合鍵を作ることは、できそうですね」

 と、明日香さんは、鞘師警部にカギを手渡した。

「そうだな。このてのものなら、簡単に作れるだろう」

 僕も、鞘師警部の横から覗き込んで見たけど、確かに、専門の店に持って行けば、すぐに作ってもらえそうだ。最近では、カギの番号が分かれば、それだけで合鍵が作れるという話も聞いたことがある。

「ええ。ここは古いので、そんなにいいカギも使っていませんので。ここを買ってから20年以上、何も事件など起こったこともなかったものですから……。せめて、防犯カメラだけでも設置しておけば、よろしかったんですけれど……」

 と、伊集院さんは、申し訳なさそうに言った。

「とりあえず、部屋の中を調べてみましょう」

 と、鞘師警部が言うと、伊集院さんにカギを返して、ドアを開けて、真由実さんの部屋に入った。


「暗いわね。カーテンを開けましょうか。明宏君、お願い」

 と、明日香さんが言った。

「はい。分かりました」

 僕は、部屋の奥に進むと、カーテンを開けた。21歳の女の子の部屋だから、かわいいカーテンかと思ったけれど、普通の白いカーテンだった。

 カーテンを開けると窓から光が射し込んで、部屋の中は、ある程度明るくなった。

「カーテンを開けても、あんまり明るくないわね」

 と、明日香さんは言って、電気のスイッチを押した。

 明るくなった真由実さんの部屋の中を、改めて、ざっと見回してみた。やはり、21歳の女の子の部屋としては、地味な方か。

「意外と、地味な部屋ですね」

 と、僕は言った。

「そのようですね。私も、何度か聞いたことがあるんですけれどね。これくらいの方が落ち着いていいんだって、話されていましたわ」

 と、伊集院さんが言った。

「部屋中にはってあるポスターは、アイドルや俳優かしら?」

 と、明日香さんが言った。

 確かに、部屋中というのは、やや大げさだけど、壁には、カッコいい衣装に身を包んだ(カッコいいという表現は違うかもしれないけど、オシャレとかにも興味がない僕としては、他に表現方法が思いつかない)イケメンの男性の、ポスターが数枚はってあった。

「私は、こんな芸能人に、見覚えはないな」

 と、鞘師警部が言った。

「あれ?」

 僕も、何気なくポスターを見ていたけれど、この顔は――

「明宏君、どうしたの? 誰だか、知っているの?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ちょっと、待ってください――。やっぱり……。これは、全部、プロ野球選手のポスターですよ」

 と、僕は言った。

「プロ野球選手か……」

 と、鞘師警部が言った。

「はい。鞘師警部、よく見てくださいよ。この選手は、国際試合で、日本のエースとして投げていたじゃないですか!」

「ああ……。言われてみれば、確かにそうだな」

 と、鞘師警部は、うなずいた。

「プロ野球選手? どうして、プロ野球選手が、ユニフォーム姿じゃないのよ?」

 と、明日香さんが言った。

「最近は、こういうポスターも、あるみたいですね」

「そういえば、赤井さんは、本当に野球が好きだったみたいですよ。新しい彼とも、野球場で出会ったって言っていましたわ」

 と、伊集院さんが言った。

「野球場でですか?」

 と、明日香さんが言った。

「ええ、そうよ」

「どんな方か、お聞きになりましたか?」

「そうですね……。お互いに、野球が好きということくらいしか、聞いていませんわ。あんまり、住人の方のプライベートなことをお聞きするのもねえ。ああ、彼は、鳥取県の人だって言っていましたわ」

 鳥取県!? 僕と、同郷じゃないか。こんな偶然って、あるんだ。

「鳥取県ですか? 詳しい住所などは、分からないですよね?」

 と、僕は聞いた。

「ええ。残念ですけど」

 まあ、そうだろうな……。

 そのとき、誰かの携帯電話が鳴った。

「あら。どなたかしら?」

 と、伊集院さんが、携帯電話を取り出した。

「はい、もしもし? はい。今からですか? 分かりました。失礼します」

 と、伊集院さんは電話を切った。

「すみません。私、今から、ちょっと他に行かないといけなくなりまして。ここのカギはお預けしますので、後日お返しください」

「そうですか。それでは、私が責任をもってお預かりいたしましょう」

 と、鞘師警部が、カギを預かった。

「それでは、失礼いたします」

 と、伊集院さんは帰っていった。

「さあ、明宏君、鞘師警部。調べるわよ」

 と、明日香さんが言った。

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