第4話
「明日香さん。黒崎さんの印象は、どういうふうに感じましたか?」
僕は、車を運転をしながら、明日香さんに聞いてみた。
時刻は、もう午後4時を過ぎている。思っていたよりも、かなり遅くなってしまった。辺りは、だんだん薄暗くなってきていた。まさに、秋の日は
「僕は、最初に真由実さんの名前を出したときに、黒崎さんが動揺しているように見えたんです」
と、僕は自信満々に言うと、助手席に座る明日香さんの方をチラッと見た。
「確かに、私も、そういうふうに感じたわね」
と、明日香さんは、前を見たまま、僕の方を見ることなく言った。
やった! 僕は、心の中で叫び声を上げた。明日香さんと、意見が一致した。明日香さんも、黒崎さんが怪しいと思っているんだ。僕の、人を見る目も、なかなかのものだと自画自賛した。僕は、嬉しくてたまらなかった。
しかし、
「だけど――」
と、明日香さんは言葉を続けた。
えっ? だけど?
「急に、元カノの名前を出されたから、びっくりしただけじゃないかしら? 阿部さんには、真由実さんのことを言わないようにお願いしていたから、黒崎さんも聞いていなかっただろうし。黒崎さんも、まさか真由実さんのことを聞かれるなんて、思っていなかっただろうから」
「な、なるほど……」
確かに、言われてみれば、そういう見方もできるのか。
僕も、探偵として、まだまだか――
「じゃ、じゃあ、黒崎さんと清水さんが、新幹線で北陸に旅行に行っていたというのは、本当だと思いますか? 恋人の証言が、信用できますか?」
「本当なんじゃないの? 明宏君だって、清水さんに、お店のレシートとか観光地の入場券の半券とか、いろいろ見せてもらったでしょう?」
確かに、黒崎さんの話を確認するために、ホテルからの帰り際に、清水さんに確認をした。
清水さんは、『バッグに、入れっぱなしになっていた』と、言って、ハンドバッグから、二人分の半券やレシートなど、いろいろなものを僕たちに見せてくれた。
日付は間違いなく、先週の金曜日から昨日までのものだった。細工をしたような痕跡も、特に見当たらなかった(まあ、さすがに、そこまではしないだろうけど)。
「そんなに都合よく、バッグに入れっぱなしにしていますかね?」
「昨日の今日だもの、別に、おかしくないでしょう? 私だって、一昨日のコンビニのレシート、入れっぱなしよ」
まあ、そういう僕も、二ヶ月くらい前に一人で見た映画の半券を、いまだに財布に入れっぱなしにしているのだけど――
「明宏君、ずいぶん黒崎さんに、こだわるのね」
「いえ、決してそういうわけでは……」
黒崎さんの、明日香さんに対する態度が気に入らなくて、つい――
とは、言えなかった。
「明宏君。あんまり個人的な感情で、突っ走らないようにね」
と、明日香さんは笑った。
「は、はい」
明日香さんが、何故か嬉しそうに見えたのは、気のせいだったろうか?
「それはそうと、明宏君。真由実さんのアパートには、まだ着かないの?」
と、明日香さんは、車の時計を見ながら言った。
「すみません。たぶん、この辺りだと思うんですけど……」
「たぶんって――もしかして、道に迷ったの? しっかりしてよ」
と、明日香さんは呆れている。
「…………。明日香さん。お願いですから、カーナビを付けてくださいよ」
と、僕は懇願した。
「そんなお金ないわよ。明宏君だって、知っているでしょ」
と、明日香さんは、きっぱりと言った。
明日香さんのお父さんに頼めば、かわいい娘の為だ。カーナビのお金くらい、喜んで出してくれるだろうに。それどころか、新車だって買ってくれるに違いない。
しかし、探偵事務所の家賃を出してもらっているうえに、さらに車までという気はないようだった。
「ここみたいですね」
と、僕は車を停めた。
近所の人に聞きながら探しあて、結局5時になってしまった。さすがに、この季節は、すこし肌寒い。
「かなり、古そうなアパートね」
と、建物を見上げながら、明日香さんが言った。
「そうですね」
築30年くらいは、経過しているのだろうか?
黒崎さんの話では、この二階建てのアパートの一階の端、104号室が真由実さんの部屋ということだった。
「とりあえず、真由実さんの部屋に行ってみましょうか」
と、明日香さんに促されて、僕たちは真由実さんの部屋に向かった。
104号室の中は、電気も点いていないようで(当然だけど)、窓の向こうは真っ暗だった。
「表札は、出ていませんね」
と、僕は言った。
「若い女性の一人暮らしだから、わざと出していないのかもね」
と、明日香さんが言った。
「防犯カメラも、見当たらないですね」
と、僕は、辺りを見回しながら言った。
「そうみたいね」
と、明日香さんは、うなずいた。
僕は、ドアの横のチャイムを鳴らしてみた。ドアの向こうで、チャイムが鳴っている音は聞こえてきたけれど、人が出てくる気配は、微塵も感じられなかった。
ドアをノックしてみても、やっぱり同じだった。
「明日香さん。やっぱり、真由実さんは、いないみたいですね」
まあ、分かってはいたことだけど。
僕は試しに、ドアのノブを回してみた。ミステリー小説やサスペンスドラマだと、開いていないと思っていたドアが、実は開いていたりするものだが――
こ、これはっ!
「…………」
――やっぱり、ドアは開かなかった。試しに、押してもみたが、やっぱり開かなかった。
「開きませんね」
まあ、現実には、そんなに都合よく、いくわけはないか。
明日香さんの方を見ると、明日香さんは、郵便受けの中を覗き込んでいた。
「明日香さん。何か、入っているんですか?」
「ううん。何も、入ってないわね。新聞でも、入っていればって思ったんだけどね」
「新聞ですか? ――そうか! 新聞が入ってないということは、今日の朝刊を、真由実さんが持って中に入ったっていうことですか?」
と、僕は言ってから、そんなはずはないことに気づいた。
「明日菜の話では、遅くても日曜日のお昼には、いなくなった可能性が高いわ。今日の朝刊を持っていった人物がいたとしたら、誰か別の人物ね。そもそも、真由実さんが新聞を取っていたかも分からないけどね」
確かに、新聞を取らない人もいるだろう。
「明日香さん。これからどうしますか? 大家さんに連絡をして、開けてもらいますか?」
「私たち、警察でもないのに、開けてくれないわよ」
「それじゃあ、鞘師警部にでも頼んでみますか?」
「その前に、お隣に話を聞いてみましょう」
明日香さんはそう言うと、隣の103号室のチャイムを鳴らした。隣の部屋には、
しかし、しばらく待っていたが、誰も出てこない。
「留守ですかね?」
僕が、もう一度チャイムを鳴らすと、慌てた様子で30代前半くらいの男性が顔を出した。
「はい。どなた? 申し訳ない。トイレに入っていたもので」
「こちらの部屋の方ですよね?」
と、明日香さんが聞いた。
「ええ、そうですよ。松田です。表札、出てるでしょ」
と、松田さんは言った。
「ちょっと、お隣の104号室のことを、お聞きしたいんですけど」
「隣?」
「はい。お隣は、赤井真由実さんの部屋で間違いありませんか?」
「失礼ですが、あなた方は?」
「失礼しました。私たちは、こういう者です」
と、明日香さんは、松田さんに名刺を渡した。
「探偵ですか――とりあえず、中に入ってください。寒いですから」
僕たちは、松田さんの部屋に通された。部屋の中は暖房がきいていて、暖かかった。いかにも男性の一人暮らしという感じの部屋で、結構ちらかっている。部屋は二部屋のようで、隣の部屋は、おそらく寝室だろう。
「すみませんね。ちらかってまして」
「こちらこそ、すみません。突然、お邪魔して」
と、明日香さんが言った。
「いえ、6時くらいに、ちょっと出かけないといけないので、それまでなら大丈夫ですよ」
松田さんが入れてくれた温かいコーヒーを飲みながら、僕たちは話を聞くことにした。
「隣は、赤井真由実さんで間違いないですか?」
と、僕は聞いた。
「はい。赤井さんで、間違いないですよ。赤井さんが、どうかされたんですか?」
「実は、私たち、真由実さんを探しているんですが、連絡が取れないんです。松田さんは、何かご存じありませんか?」
と、明日香さんが聞いた。
「いえ、僕は知りませんけど――いつからですか?」
「最後に真由実さんの姿が確認されたのは、先週の金曜日の夕方です」
「金曜日ですか――」
「松田さん。真由実さんに、お会いになりませんでしたか?」
「そういえば、土曜日の朝に見かけましたよ」
「本当ですか!?」
明日香さんと僕は、思わず顔を見合わせた。
「ええ。実は僕、土曜日に急に出張になりまして。朝の8時頃に出かけたんですが、そのときに部屋の前で会いました。コンビニの袋を持っていたので、近くのコンビニで、買い物でもしてきたんじゃないですかね?」
「そのときの、真由実さんの様子は、どうでしたか?」
「様子ですか? そうですね――普通に、見えましたけどね。おはようございますと、言葉を交わしただけなので、はっきりとは分からないですが。僕も、急いでいたもので」
「ちなみに、出張はどちらに?」
と、僕は聞いた?
また、明日香さんに任せっきりになっている。僕も、何か聞かないと。
「新幹線で、北陸の方まで。つい、2時間くらい前に帰ってきたばっかりなんですよ。明日は、また違うところに出張なんですけどね。そうだ、これ、駅の売店で買ったんですけど、よかったら食べますか? 向こうでは、有名なお菓子らしいですよ」
北陸だって? 黒崎さんたちと、同じじゃないか。これは、偶然なんだろうか?
明日香さんの方を見ると、明日香さんの表情は、特に変わらなかった。
「ありがとうございます。真由実さんが、いつ頃からこちらに住まれているか、ご存じですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「ええ。赤井さんが大学に入る、ちょっと前でしたよ。お母さんと一緒に、あいさつに来られたんで、よく覚えていますよ。そういえば、ご両親は亡くなられたそうですね。その頃、かなり落ち込んでいましたね」
「松田さんは、真由実さんとは親しかったんですか?」
と、僕は聞いた。
「顔を合わせれば、あいさつしたり、ちょっと話したりすることはありましたけど、特別親しかったかと言われれば、そこまででは……」
「真由実さんの部屋に行ったことって、ありますか?」
と、明日香さんが聞いた。
「部屋の中には、入ったことはないですよ。大家さんの話では、内装は全室同じみたいですよ」
「ちなみに、真由実さんが、新聞を取っていたか分かりますか?」
「新聞ですか? 取ってないんじゃないかな。僕は、取ってるんですが、新聞屋さんが、赤井さんのところに勧誘に行ったら、『新聞は読まないんで』って、断られたって言っていましたからね。最近の若い人は、携帯電話でニュースとか読んでますからね」
やっぱり、取っていなかったか……。
「最後に、もう一つ。真由実さんの部屋に、誰か訪ねて来ているのを、見たことはありますか? ご両親以外で」
「ありますよ。彼氏が、何度か来ているところを見ましたね。最近は、見かけませんけど」
おそらく、黒崎さんのことだろう。
「赤井さんは、淳って呼んでましたよ」
「よく、名前を覚えていますね」
と、僕は言った。
「実は、僕の名前は、
と、松田さんは笑った。
「他には、誰か訪ねて来ませんでしたか?」
と、明日香さんが聞いた。
「他にですか? ――僕も、普段は勤めていて、ずっといるわけじゃないですからね」
「失礼しました。そうですよね」
と、明日香さんが謝った。
「お兄さんが来ているのは、最近何度か見たことがありますけど」
「真由実さんの、お兄さんですか? お兄さんのことも、ご存じなんですか?」
と、明日香さんも、少し驚いているみたいだ。
「ええ。さっき、赤井さんが引っ越して来たときに、お母さんと一緒に来られたって言いましたけど、お兄さんも一緒でしたから。とても優しそうな、お兄さんでしたよ。妹さんのことを、とても心配されていましたからね」
「お兄さんの連絡先って、分かりますか?」
「いや、さすがにそこまでは……」
「そうですよね。ありがとうございました。そろそろ失礼します」
明日香さんが、松田さんにお礼を言うと、僕たちは帰ることにした。
「あっ、そういえば、もう一人見かけましたね」
と、松田さんは、思い出したように言った。
「誰ですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「誰かは分からないんですが、若い男性でしたね。赤井さんよりは、少し上かなって思いますけど」
「それは、いつ頃のことですか?」
「お盆休みのときですから、三ヶ月ほど前ですね。たぶん、新しい彼氏なのかな? 東京の人ではない感じでしたけど」
「どうして、東京の人ではないと?」
と、僕は聞いた。
「大きな、旅行用のカバンを持っていましたからね。僕のと、同じような」
と、松田さんが指差した先には、出張のときに使っていたと思われる、黒い旅行用のカバンや、書類のようなものが入っている大きな封筒などが置かれていた。
「明日香さん、もしかして、その男が真由実さんを……」
と、僕は明日香さんに耳打ちした。
「…………」
明日香さんは、それには答えなかったが、いろいろと考えているようだ。
「その人を見かけたのは、そのときだけですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「はい。そのときだけですね」
と、松田さんは、うなずいた。
「あれっ?」
と、僕は、つぶやいた。
「明宏君、どうしたの?」
僕は、玄関の方を向いて立っていたのだが、誰かが窓の向こう側を歩いて通ったような気がしたのだ。明日香さんは、玄関の方に背を向けていたので、気づかなかったみたいだ。
「今、誰かが、あっちに行ったような――」
と、僕は、真由実さんの部屋の方を指差した。
明日香さんは、僕の返事を聞き終わらないうちに、素早くドアを開けて外に飛び出した。
「ちょっ、ちょっと、明日香さん! 靴ぐらい、ちゃんと履いてくださいよ」
僕も、あわてて、明日香さんのあとを追った。
「すみません。どちら様でしょうか? そこは、赤井真由実さんの、お部屋ですよね?」
と、明日香さんが言った。やっぱり、誰かがいるみたいだ。
外は暗くて、はっきりとは分からなかったけれど、真由実さんの部屋の前に、大きなカバンを肩にかけた一人の男性が立っていたのだった。
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